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三章 一話 『一歩踏み出す』

 傭兵の国(ガルディニア)。そこに足を踏み入れた人影が二つ。


「もうすっかり元通りって感じだね。いい匂いもしてるじゃん」

「ねー。まだ早いし何か食べてこーよ。お腹へってきちゃった」


 二人が訪れたのは平民区十二番街。暴徒による破壊の痕もすっかり消えて、活気づいた空気に心が踊る。レンガ造りの街並みは、石を叩く音で大賑わいの様子だった。


「おーい! ちょうどいいや! 二人とも、寄ってかないか?」

「あ! 呼ばれてるよ! いこ!」


 白い雪のような少女。人を恐れていたはずの彼女は、隣にいた彼よりも早くその声に近づく。触れれば崩れてしまいそうだった彼女も、今では元来の明るさを取り戻した。陽の光当たる雑踏にあっても、その可憐さは溶けて消えない。


「あ、待ってよゲルダ! 行くから引っ張らないでって!」


 そんな彼女、ゲルダに引かれて少年も続く。仕事で来たというのに、まるきり遊ぶ態勢のゲルダを見守りながら。ふと初めて出会った日のことを思い出す。自分を拒絶したその姿は今も彼の脳裏に消えず残る。だからこそ、目の前の光景が嬉しくてたまらない。もう何度目になるかわからない感慨に目を潤ませながら、白く輝く彼女の笑顔に顔を綻ばせた。


「こないだのお礼に今日の分はつけといてあげるよ。好きなもん頼みな」

「いやいや……それは悪いっすよ」


 この間、とは少年、ミツキが国王フィルと共に人助けに奔走していた日のこと。ここはその時キッチンを直した小食堂。そのお礼も兼ねて呼び込みをしたらしい。もっとも、主人たるこの男の狙いは別にあった。


「あ。あそこミツキ君いるじゃん」

「ほんとだ。あたしらも寄ってく? サインくれるかもよ?」


 それは集客効果。ミツキの今の人気はとどまることを知らない。噂にどんどんと尾鰭がついて、リベラを無傷で倒し切ったなどと言われ始めている。


「はっはっはぁ! エイユウ様様だなあ!」

「まじ勘弁してほしいんすけど……何度も言ってるけど、俺一人で戦ったわけじゃないっすからね……」


 正直なところ、ミツキは現在の人気に辟易していた。鬱陶しいとかではなく、その噂が膨れ上がっているからだ。彼が言うように、リベラに勝てたのはルナリアやアテナ。そしてゲルダとカイの助力があったからこそ。一人では間違いなく死んでいた。そのことを差し置いて人気を独占するような状況は、彼をまるで盗人のような心持ちにさせた。いたたまれないとはまさにこのことだろう。


「ちまちま否定してもだめ。こないだアルさんにやられたとこみられてやっと少し。はー、つらいなあ」

「……ほんとはちょっと嬉しいんでしょ? ニヤニヤしてるの気持ち悪いよ?」


 しかし、本能には抗えないのが人間の悲しい性。今までにない人気にどうしても笑みがこぼれてしまう。特に女性人気。元々男から好かれやすい彼にとって、目新しい刺激となっている。ゲルダの鋭い指摘を受けても、否定しないのがその証拠。しない、ではなく、できないが正しいのだが。図星なのである。


「仕方ねえよ、許してやんな、ゲルダちゃん。みんな、新しい誰かに縋りてえのさ」


 ここまで露骨に人気が移ったのも原因がある。リベラ、反乱の首謀者であった彼は、国内のみならず他国にもその名を轟かす存在。歴代騎士でも屈指の人気を誇っていた。その理由は紛れもなく強さにある。それほど強い人がいてくれるなら安心。つまるところ、人々は拠り所を欲しがっていたのだ。

 それが一夜にして失われた。止まり木を失った彼らが、近くにあったミツキという存在に寄りかかるのも、仕方ないことなのだろう。


「……そうだね。ミツキくんは、すごいよ」

「どした急に? 嬉しいけど照れるよ?」


 ミツキの成したことより国民の意識が形成した人気。そんな文脈で話が進んでいたはず。しかしゲルダが零したのはミツキを褒め称える言葉。それもまた当然のことなのだ。


 獣の国(アニマ)で、命を投げ売って戦った。この国でも、死ぬことを恐れずにはるか格上の相手に抗った。それよりもずっと前に、頼れるものがいないこの世界で、ゲルダたちを救った。

 全てを失って、やっと手に入れた奇跡(さいのう)も失って。それでも折れずに進んできた。

 ゲルダにとって彼が進んできた道は、人に讃えられて当然のものに映っていた。

 

 多くの人がそんな彼に好感を抱く。自ずと人が集まって、一人ぼっちだった彼にはつながりができた。

 反対に自分はどうだろうか。彼に負けないよう進めているのだろうか。ゲルダにあったのは、一抹の不安。置いていかれるのではないかという暗い予感が、彼女の心に小さな影を作っていた。それを知るものは、彼女を含めてまだ誰もいない。



    ◇



「ご馳走様っした! また来ますね!」

「またねー!」


 少し早い昼食をとって、二人は店を後にする。約束の時間は午後一時。現在は十一時であるから、あと二時間ほど猶予がある。


「どうしよっかな……訓練場のぞこっか、それとも知り合いに会いに行くか。はたまた仕事のお手伝いか」

「あたしはどこでもいいよ。任せるね」


 時間を潰す手段はいくつかあるが、どれも何だか堅苦しさが拭えない。せっかく復興したタイミングに来たのだから、何か楽しめるようなことはないだろうか。ミツキがそう思案していると、ふと思いつく。


「じゃあちょっとぶらぶらしよっか。俺も気になってるところあるんだ」

「おっけー!」


 ゲルダは基本、五番街で活動していたはず。活気のある十番街にはあまり足を運んでいないだろう。幸い、フィルとの交流で目ぼしい場所はいくつか頭に入れている。そこをめぐろう。ミツキはゲルダのことを想ってそう決断した。



    ◇



「ねえ。あたしたち食べてばっかりじゃない?」

「そうね……ちょっと誤算だったわ……」


 二人は両手にフルーツ飴や串焼きなどをいっぱいに持ちながら、ちょっとした後悔を口にする。思えばフィルは食べることが趣味の人種。それと巡ったならば自ずと食ばかりの道程になるわけで。


「まあいいけどね。食べ物がおいしいのはいいことだもん」

「だね。ゲルダもだいぶ健康的になったし。いいこといいこと」

「……それ、今度言ったら怒るからね?」


 事実、最初に出会った頃のゲルダは、心配なほどにやせぎすの体型だった。それが今では痩せているものの健康的なあり方を取り戻している状態。本人に言うのはデリカシーが欠けているが、いい傾向である。

 同時に、彼女が食事を美味しいと感じられていることもそうである。命を繋ぐためだけに行なっていた食事に、彼女は娯楽としての意味を見出している。環境は、確実にゲルダの精神を寛解へと向かわせていた。


「ごめんね! デリカシーありませんでした!」

「気をつけてよぉ。そんなところ先生に似ちゃだめだからね!」


「おや、アンタたち。こんなとこで逢引かい? いいけど時間には遅れるなよ?」


 次はどこに行こうかと考える二人。そこに声をかけるのは大柄な女性。一度顔を合わせた程度だが、その有り様は強く記憶に焼き付いている。


「っ! ……シルヴィア……さん」

「──どもっす。そっちこそこんなところで何を?」


 咄嗟にミツキはゲルダの前に出る。しかし時すでに遅し。怯えた様子が、震える声を通じて背中越しに伝わってくる。


「あらら。ずいぶん嫌われちまったねえ。アタシはあれだよ。巡回のお仕事さ」


 シルヴィアも当然のことのように受け流す。初邂逅の時、彼女はゲルダに対し強めの詰問をしてしまった。それが尾を引いていることは自分でもわかっているようだった。


 会議の時、彼女は率先して悪役を買って出た。それが円滑に進む道だったから。あの場で、最も年長だったから。だから彼女は気にしない。やるべきをやった結果、誰に嫌われようとも。


「大変っすね。隊長でも巡回っすか」

「まあね。んじゃ、あんまり邪魔しちゃ悪いからアタシはここで。また後でな」


 ミツキには苦手意識がない。少しだけ世間話をと思っていたが、シルヴィアの方は気を効かせたのか足早に去っていく。

 彼女にはわかっているのだ。ゲルダのそれが、染みついたものであることが。無理強いはしない。汚れ役ならば慣れている。嫌われようと──


「また!」


 ミツキのうしろ。小さく大きな声がする。振り絞ったようなそれは、僅かに大気を揺らしただけ。雑踏に紛れて消えるような音だが、二人には確かに伝わった。

 一人は、思いがけない出来事に不意打ちをくらったみたいに。

 一人は、彼女が踏み出した一歩が、強い音を鳴らしたように聞こえたから。


「また、ね。シルヴィアさん」


 心に刺さった恐怖を振り切り。彼女はただただ別れを告げる。

 そんな小さなこと。そんなことに気力を振り絞り、そんなことが誇らしく思えた。


「──おうよ。またね、ゲルダ」


 帰ってきた返事も、同じように紛れてやがて消える。やはり伝わったのは二人にだけ。


 その歩みを証明するような、彼女からの優しい言葉。

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