序章 八話 『シアワセのかたち、これからのハナシ』
「はい、もう夜遅いが、何の用か……ミツキ君。遅かっ──いや、入りたまえ。そこの二人もだ」
すっかり暗くなった景色。今にも降り出しそうな曇天。終わりの景色を思わせる、暗く沈んだ鈍色の空。
三人は途中まで歩いたのち、自警団に連れられて駐屯地から列車に乗って帰ってきた。
幸いにも、疲れ果てたゲルダとカイは自警団の人々に怯える余裕もなく、大人しくしていた。それでも不安は隠しきれないもので、ミツキの腕を、二人してしっかり掴んで離さなかった。
そして、誰一人、眠ることもしゃべることもしなかった。できなかった。
「……何があったか、聞いても構わないだろうか」
ミツキは半日ぶりに口を開く。霊廟に二人の子供が入って行ったと聞いたこと。それを助けに単身霊廟に乗り込んだこと。そこにいた規格外の怪物。苦戦しながらも、かろうじてこれを打ち倒したこと。
二人はゲルダとカイ、姉弟だと言うこと。故郷から遠く離れたこの地に突然ぽつんと取り残されたこと。故郷では迫害が残っていて、他人に警戒心を抱いていること。それでも、ミツキのことは信頼してくれていたこと。
そして。
「──そんな、ことが」
アダンは絶句する。自身の知識はこの世界でも五本の指に入ると自負していたが、そんな自信は脆くも崩れ去る。
──奇跡の簒奪と譲渡。神の御業に真っ向から喧嘩を売るそんな技術があるとは、思ってもみなかった。次いでそこにある危険性に思い至る。神に届くほどの技術力が野放しになっていること。そして、神に敬意を払うどころか、地に堕とすような、その心情。
「完全ではないとしても、だな」
神の治世は完全ではない。それでもここまでのことが急に起きるとは、偶然では済ませられない。何か、大きな変革の時が迫っている。そんな予感が心をざわつかせる。
「……すみません、先生」
「何を謝る必要がある。キミは今もこうして生きている──それ以上の幸運があろうか」
ミツキは少しずつ、言葉を吐き出していく。
「油断はしてなかった。助長も、少なくともあの戦いの後には微塵もなかった。やるべきことは、できることは」
堰き止められていた感情、言葉は澱みなく流れていく。
「全部、やったはずなんです──前とおんなじで。それでも、また」
失くした。今度こそと思った。これならばと歓喜した。これなら、きっと──
「どうすればよかったんですか。行かなきゃよかったんですか。見捨てて、逃げて、見ないフリをすれば」
「ミツキ君」
アダンが諌める。ゲルダもカイも、疲れ切って寝ているはずだが、もし聞かれていたら。
そんな懸念さえも、今のミツキには出来ないでいた。
「わかってます。そんなことしても、別の後悔が生まれるだけ……詰んでたんですよ、最初から」
どう転んでも、結局また失うだけ。そんな運命に弄ばれ捨てられる。二度目の生。恵まれたと思っていたアディショナル。全て、うたかたの夢に過ぎなかった。
「舞い上がってバカみたいだった。結局自分には何一つ報いなんてなかった」
むしろ、これが報いなのか。人生の最期、自ら自分を否定した、そのことに対する。
「これなら、死んでた方がよかった……! 家族にも! 友達にも会えない! 知り合い一人いないこんな世界で!」
感情が昂る。声が裏返る。顔が熱を帯び始める。アダンの顔は見れない。自分が何を言っているか、分からないほど彼は愚かではない。
「何もわからないまま、何も手に入らないまま、また失くして死んでいくなら……始めから、生きてなくてよかったのに!!」
「……キミは、何か忘れているようだ」
アダンが言葉を挟む。最初から黙って聞いているつもりはなかった。ミツキの言葉に捨ておけない誤りがあったから。
「キミがこの世界で目覚めて、手に入れたものは、奇跡なんてつまらないものだけだったか」
「──つまらなくなんか!」
やっとの思いで掴んだ希望。まさしくキセキのような力。それを否定されてつい声が荒ぐ。しかしアダンは。
「キミは」
声を荒げるミツキを無視して続ける。彼の犯した間違い。見えていなかったことに、気づきを与えるために。
「その輝きに目が眩んでしまっていた。そのことには気づいているね」
『すっげえ……』
数多の魔獣。滅び失うはずだった命を、夢中で救った。あの日、焼き付いた流星の輝き。目を開けていても思い出せる。それは確かに、ミツキの心を魅了している。
「……でも、甘く見ていたわけじゃ」
「そんな話ではない。キミの行動の話ではない。キミの生きる意味の話だ」
生きる意味。これまでの会話と180度異なるその言葉。
「それこそ、そんな話してない。俺は」
「後悔の話、その通りだろう。キミはいつも」
「どう死ぬかしか見ていなかったのだから」
今できることを一生懸命にこなし続ける。そうしていればきっと、どれだけ今報われなかろうと最期にはいい人生だったと笑えるはず。日浦満生の人生観。ミツキの根幹。
「それが歪だったんだ。死んだ後、それが苛烈さを増しているのはわかっていた。失意の中死んだ経験、想像を絶するものだろう」
『あんな終わりだけは、いやだ』
「だが、この思考はキミが死ぬ前であっても変わらなかったという。これは異常だ。未来を見据える。大層なことだろう。将来への展望は重要だとも。だがキミには、具体的なそれがない」
夢、希望、望みの類。考えてみればそうだ。ミツキの頭は未来の後悔のことでいっぱいで。目の前に一生懸命になっているようで、将来のことだけ、それも漠然と考えていただけだった。
「……それでも、俺はこれが間違いだったなんて」
思わない、思いたくない。間違ったことのために命も、奇跡も失ったなんて。これまでの努力が、苦労が、やはり何の意味もなくなってしまう。
「当然だ。その考え自体は美徳だ。私の考えは変わらん」
「なら」
「キミはなぜ後悔したくなかったんだ?」
予想外の質問、当然とばかりに答える。
「それは……良い死に方をしたかったからで……」
「質問を変えよう。キミはどうして目の前のことに全力を尽くせた? それを怠ることを後悔と考えたのは、なぜかな?」
ミツキは思案する。それでも答えは出てこない。堂々巡りで結論はつかない。
「だから、俺は何の才能もないから……! 死ぬ時に後悔しないように……!」
苛立ち、憤り。アダンに対して向けられたものではなく、自分自身に。
「じゃあ、キミが」
がむしゃらに駆けてきた。その始まりは何だったか。ミツキは、その問いに答えられない。
「やりたかったことは、何だ」
「……は?」
簡単な質問。答えられるはずの問い。それに答えることはできない。
「だろうね。今までキミからしたいことなど聞いたことがなかった。いつもできることだけだ」
諦めていた。できないことばかりだと思っていた。自分には何もないと思っていた。
奇跡を受け取っても、変わらないほどに染み付いていた。
「向き合うべきだ。失ったからこそ、奥の奥、自分の根源に何が残ったのかを考えなさい。失ったものを嘆くのは、それができないと結論づけられてからでも遅くない」
「自分の……やりたいこと……」
『俺に感謝しろよ? 周りがよく見えててカバーリングのうまいお前にはボランチかサイドバックが向いてるってアドバイスしてやったんだからな』
前世の記憶、やりたかったことを奪われた記憶。いつ頃からか、自分はフォローに回ることが多くなっていた。そう、確か小学生の頃から。本当はフォワードをやりたかったのに。
──その理由は弟が、それを望んだから。周りが見えたのは、人が、何をして欲しいかが分かったから。
『すっげえ……』
流星の記憶。ここに来て、もしかしたら前世も含めて、初めて成し遂げた記憶。本当は何に魅了されたのか。できることの輝きにかき消されていた、願いのかけら。手を伸ばせば届きそうなそれはまだ見えてこない。
『まあまあ、いいじゃないですか。俺が頑張って、みんな助かって喜んでくれて。そんでもって平和な時間が続いて。ウィンウィンウィンってやつですよ』
助長の記憶。考えてみればおかしなことだ。何がウィンウィンだろう。
──自分には、報酬なんて与えられていないではないか。
『……やっぱり、人の役に立てるって気持ちいいですね、先生』
幸福の記憶。
──幸福? これが、本当に?
「──あ」
気づく。少しずつ。手に届きそうな、後少しでわかりそうな。
『……戦わないなら、その方がいいのにね』
封じた記憶。恥ずべきと思い込んでいた記憶。戦わないで済むなら。
──誰も、悲しまなくて済むなら。
「ミツキくん!」
「ゲル……ダ……?」
眠っていたはずの少女、遅れて後ろからカイも現れる。なぜ、起きてきたのだろう? ミツキはその理由に気づかない。
「ごめん、ごめんね……! あたしたちが……あんなところで……ごめんね……!」
真っ赤な目。泣き腫らしたその目に罪悪感が湧く。抱きつく二人に声をかけようとする。
──きみたちのせいじゃない。そう言おうとしたけれど、何故だか声は出ない。
「あ……あ、ひっ……ぐ……」
聞こえる泣き声が三つに増える。二つ、泣き声が響いていたところに一人が加わったからだ。
──カイが、同じように泣き始めた。
「なん……なっ……なんでっ……」
止まらない嗚咽。
ミツキはいつからか、声を上げて泣いていた。
◇
「「ありがとう」」
そう呟いた。
その言葉だけで、ミツキは。
「どういたしまして」
生きていてよかったと、そう思えた。
◇
「あ、うあ……うううううううぅぅぅぅぅ……!」
生きる記憶。生きていた記憶。そこに答えはあった。
「ごめん、ごめんよ……」
二人を抱きしめる手に力が入る。
「うっ、ぐ……ぅあ……ひっ、ぐ」
涙がとめどなく流れてくる。
「ありがとう……ありがとう……!」
──助けられた。人を、自分が。
空っぽの中にあった。自分の根源。
いつからか忘れていた努力の目的。これほど頑張れたのはなぜだったか。
才能なんてかけらもない自分。これだけはと自慢できる宝物。そんな宝石に恥じないようにと始めた努力。
家族が好きだった。友人が大切だった。良い人の、みんなの、笑顔を見るのが幸せだった。
──そうだ、俺は。
──みんなが。
──幸せであって欲しいと願ったんだ。
◇
「正直、驚いた」
アダンが泣き疲れて眠りに落ちたゲルダとカイを寝室に運ぶと語りかけてきた。
「キミの願い。もっと、利己的なものであるべきなんだがね」
「すごいエゴだと思います。自分が人の幸福を定義して、それを与えることができるって信じるのは」
まるで神の如き所業。言葉に出すと、薄ら寒くて、恥ずかしくなるような、思わず笑ってしまう夢物語。
それを成しうる力が、今日、いや昨日まではあった。
「でも、もう失くしたから」
やることは変わらない。できることを後悔しないように。
しかし、今そこには目的が、願いがある。
「全員は無理でも手の届く範囲なら」
「キミの、奇跡の話をしよう」
突然、アダンが話し始める。
「──さすがにもう涙は出ないんですけど、泣きますよ?」
「まあ聞きなさい。私もいつ口を挟もうか決めあぐねていてね。結局今の今までもつれ込んでしまった」
このタイミングでの性癖発露は予想外のことだとミツキは思う。わざわざ失った奇跡をミツキに語ってみせるとは。デリカシーは欠けている方とは知っていたが、まさか欠落しているとは。
「見落としていたものは一つだったか? 否だ。キミは後一つ、拾わなければならないものを残している」
「──あ」
◇
アンプルの中には五種の光。
◇
──忘れていた。失ったものの多さに、残ったものが見えなかった。
「一つ、残ってる」
それを見てアダンが頷き、言葉を紡ぐ。
残った希望、それを伝えるために。
「キミへの説明を後回しにしていたのは、単にキミが忙しくしていたからではない。それだけならば強制的にでも座らせて伝えている。大きな理由は一つ。他の五つを有しているキミには、そう大したものではないと考えていたからだ」
しかし、状況は変わった。今ではその身に一つ限り。であれば知らないでいる道理はない。
「その奇跡の効果は、端的に言えば学習能力の強化だ。キミは学んだ内容を余すことなく覚えることができる」
「この世界で順応するための奇跡って感じですね。確かに助けられてきたかも」
地理、文字、常識。
ミツキがここまで問題なく生活できていたのは、この奇跡が人知れず働いていたから。そう思うと愛着が湧く。
「残ったのが、これでよかったな」
「だが」
アダンは続ける。彼に伝えたかったことは、この先に。
「本質はそこではない。この奇跡の正体は因果の強制だ」
「それって、どういう……」
「キミの身に起きた事象、その全てを過程と捉え、必ず結果に結びつけるようにする」
──体を鍛えれば、確実に筋肉が付く。
──何かを学べば、必ず脳に定着する。
──何かを見れば、聞けば、感じれば、その全ては記憶に残る。
「これまでよく頑張ったね。キミの努力は」
──これから先、必ず報われる。
「因果集積。キミがこの国にいるのも、因果かも知れない」
ミツキは、努力に裏切られ続けた人生だった。勉強には人一倍の時間がいるし、スポーツだってそう。そうして続けた努力のせいで、命を落とす結末になった。何一つ、成し遂げたことはなかった。
そんな人生が、報われた。間違ってはいなかったと言われた。そんな気がしたから。
「何だよ……やっぱり、泣かせる気なんじゃないですか……」
枯れ果てた涙を搾り尽くすように、ミツキは最後にもう一度、涙を流した。
◇
「これでキミに残るものは全てだ。これを理解した上で、聞こう」
赤い目を擦り、握った拳に目を向ける。
「先生」
アダンに訊ねる。しかしアダンは気にも留めず続ける。無視をするつもりではない。
──ミツキの質問が何か、言われずとも分かっているから。
「キミにはいくつか選択肢がある。その中でもオススメは、ゲルダ君、カイ君と三人で、慎ましくも豊かに暮らすことだ。キミの因果集積があれば、大きなことは出来ずとも、きっと不自由なく暮らすことができるだろう」
ミツキの赤く腫れた瞳には、強い光。曇っていた眼は、まばゆいほどの輝きに満ちている。
もう、見えないものはないだろう。
「逆に、もっともオススメできないのは」
「じゃあ、できるってことですね?」
アダンの言葉を待たずに、その意図を理解する。否、何を言おうとも、質問は決まっている。
彼の中では、既に答えなど出ているのだから。
「おそらく、可能だ。あくまで推測になるが、それが通るならその逆も然りだろう。しかし」
「じゃあ大丈夫です。もうやりたいことが見つかったから」
手のひらに残った感触。焼き付いて離れない光景。耳の内で鳴り続ける音。
「もう、認識したから」
経験は必ず定着する。それが脳裏に焼き付いた映像でも。初めて掴んだ幸福でも。それらがあれば、叶う。その事実がミツキに絡みついて離れない。
因果集積がありながら奇跡がその手を離れたのは、それが与えられただけのものだから。ならば、再び掴み取れば良い。そうすれば。
「今度は、消えない」
消えなければ、きっとなれる。
「先生、たぶん俺、欲張りになっちゃったみたいだ」
全てを救える可能性が、夢物語を実現できる可能性が。まだ、否、一生、手のひらから消えてはくれないだろう。それで残る後悔は、今までのものと違う──できるのに、やりたいことから逃げた後悔。それは多分、これまで味わってきた痛みより、はるかにつらい。
「取り戻します。全部。それで」
この世界にも不幸が蔓延る。その全てを消し去ることは、間違いなくできない。それでも。
──人を救える、英雄みたいに、なりたい。
日が昇り、朝になる。
涙はもう、とっくに乾いていたようだ。
◇
斯くして物語は始まりを告げる。
これまでは、一人の少年が、失い、失い、失って、自分のことを知る話。
そして、ここからは、何もかも失った喪失者の物語。
──なんでもない一人の少年が、世界を救う英雄になる。そんなおとぎ話。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
これまでが序章。次話が序章のエピローグになります。
可能な限り更新できるようにいたしますので、気に入った方がいらっしゃれば、楽しみにお待ちください。




