長女
ああ、気がついた?良かった、もう目が覚めないかと思って心配してたのよ。気分はどう?怪我はしていないようだけど、痛いところはない?
貴方は海で溺れていたのよ。嵐で貴方の乗っていた船が壊れて、投げ出されたみたいね。海底に沈みそうな貴方を見つけて、私達がここまで運んで来たってわけ。
ええ、ご覧のとおり私達は人魚よ。え?ああ、それはセイレーンね。私達と見た目は似ているけれど、違う種族よ。私達が歌っても船は沈まないわよ。だから私達が貴方の乗っていた船を沈めたなんて、勘違いにしても失礼だわ。
だいたい人魚は優しいのよ。特に私達の末の妹なんて、優し過ぎて消えてしまったもの。王子様の命を救ったのに、その王子様に裏切られて海の泡になったのよ。あら、詳しく聞きたいの?良いわよ、貴方は王子様みたいに格好良いから、特別に話してあげる。
私達の末の妹──そうね、人魚姫とでも呼んでおくわ。人魚姫は、15歳の誕生日に初めて海の上に出て、そこで人間の王子様に一目惚れをしたの。そして運が悪いことに、その夜王子様の乗った船が嵐にあって、王子様は海に投げ出された。そこを人魚姫が助けたのよ。一晩中王子様を抱えて泳いで、岸まで運んであげたの。
あら、この状況って貴方にそっくりね。でも大丈夫よ、私達は貴方に惹かれたりなんかしないから。だって人魚と人間だもの、元々相容れないわ。人間なんて、私達を化け物呼ばわりするか、不老不死になるために殺して肉を食べようとするかじゃないの。人魚の肉を食べたって、不老不死になれる訳ないのに。人間って馬鹿な事を考えつくわよね、いい迷惑だわ。
ごめんなさい、話が逸れたわね。とにかく、普通なら人間に一目惚れしたところで如何にもならないの。でも人魚姫は諦められなくて、海の魔女に人間にして欲しいと頼み込んだ。海の魔女は人魚姫の美しい声と引き換えに、人魚姫の魚の尾を人間の脚に変えてしまったの。
こうして人間の姿になった人魚姫は、王子様の国に行き、無事王子様と再会したの。でも王子様は勘違いしていた。自分の命の恩人は、岸辺に倒れていたところを介抱してくれた修道女だと思っていたのよ。酷いと思わない?海から岸まで運んでくれたのは人魚姫なのよ、なのに王子様は、命の恩人の修道女を愛していると人魚姫に言ったのよ。
知らなかったのだから仕方がない?そうね、誰にでも勘違いはあるもの。でもね、王子様は人魚姫を修道女の身代わりにしたの。神に仕える修道女とは結婚出来ないからって、顔が似ている人魚姫を恋人にしたの。
あら、何が違うの?人間は恋人でもない異性と褥を共にするのかしら。それに、修道女とは結婚出来ないから、如何しても結婚しなければならないなら彼女によく似たお前と結婚すると、王子様は人魚姫に言ったのよ?これってもう、恋人どころか婚約者なのではなくて?
そうね、仮にも一国の王子様が、何処の誰とも素性の知れない人魚姫と婚約なんて、出来るはずがないわ。だったら何故王子様は、人魚姫を手元に置いて可愛がったりしたのかしら。いずれは捨てる女なのに、甘い期待を持たせるのは残酷じゃない?
捨てるつもりなんて無かった?でも実際に王子様は人魚姫を捨てたのよ。修道女が本当は王女様で、結婚出来ると分かった途端に人魚姫を捨てて王女様と婚約したの。最低の男よね。刺されても仕方がない駄目男だと思うわ。
だからね、私達は海の魔女に髪の毛を渡して、短剣をもらったの。その短剣で王子様を刺せば、人魚姫が人魚に戻れる優れものよ。私達は人魚姫に、短剣を使って王子様を殺すよう説得したの。あら貴方、如何して震えているの?
私達は必死に人魚姫を説得したわ。だって王子様に愛されなければ、人魚姫は泡になって消えてしまう運命だもの。妹の命が掛かってたのよ、私達にとっては碌でなしな王子様より妹が大切よ、当然じゃない。
王子様に相談すれば良かったのに?如何やって?人魚姫は話せなかったのよ、それに筆談しようにも、人魚が人間の文字なんて読み書き出来ると思う?貴方だって私達の使う字なんて読めないでしょう?
何度も説得して、人魚姫はやっと短剣を受け取ってくれた。でも人魚姫は、結局王子様を殺せなかった。あの子も一度は王子様を殺そうと、寝室に忍び込んだらしいわ。だけど王子様が、隣に眠る王女様の名前を寝言で呼んだのですって。
恋人だった男が他の女と一緒に寝てるのを、目の当たりにしただけでも相当な衝撃よね。私なら王子様と王女様、両方滅多刺しよ。また震えてるけど大丈夫?ずっと海水に浸かっていたから寒いの?人間って不便よね。続きを聞いて、心温まるといいわ。
普通なら浮気男と泥棒猫を両成敗って場面だけど、人魚姫は自分が身を引く決意をしたの。優しいでしょう?自己犠牲の塊よね?人魚姫は短剣を海に投げ捨てて、自らも海に身を投げ泡となって消えた。これでこの話はおしまい。悲劇的よね。
どう?人魚が優しいって分かって貰えたかしら?それに親切でしょう?妹を殺したも同然の人間と同じ人間を助けてあげるなんて。
お礼なんて要らないわ、ああ、如何してもっていうなら、たまにでいいから人魚姫のお話を思い出してあげて。あの子は面食いだったから、喜ぶと思うわ。貴方は妹好みの美形だもの。
じゃあ、私達はもう海に帰るわ。さようなら、王子様?