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プロローグ その二

 綺麗な月だった。現実のものとは思えないほど綺麗な月だった。

 俺は身動きも出来ぬまま、その月を見上げていた。呼吸していたかすら怪しい。まるで、俺だけ時間が止まったような感覚だった。それは思考すら例外ではない。俺は月を見るだけの木偶へと劣化していた。幸いなことに、月を見て、綺麗であるという感想を抱ける程度のおぼろげな意識はあった。

 果たしてなにがきっかけだったのか。俺の時間は微かに動きだした。地上から見上げる雲の速度のようにゆっくりと、しかしながら周りの状況を理解するには十分な速度だった。

 月以外、なにもなかった。漆黒の中に俺は浮いていた。

 ここは、という疑問に、だが答えるものはいなかった。ここには俺という存在と、月しかないのだから当然である。

 唐突だった。井戸の底から聞こえてくるような反響音。人の声だった。どこから聞こえてくるのかと耳を澄ませば、左から聞こえてきているようだった。聞き覚えのある声だった。

 だが、それが限界だった。繰り返し聞こえてくる声に、俺は答えることが出来なかった。俺が唯一出来ることといえば、月を見ることだけだった。

 次第に声が大きくなっていった。それに従い、なにを言っているのか理解できるようになった。

 ――起きて。そう言っていた。

 瞬間、俺はこれが夢であることを理解する。

 嗚呼、と俺は嘆いた。

 ――俺たちの町、月空市では、月が見えない。

 どのような原理なのか、月のあるはずの場所には、常に雲がかかっていた。東から西へ月が動くのと共に、雲も動いていくのだ。

 だから生まれてから一度も月空市から出たことのない俺は、月を見たことがなかった。

 いつしか月を見ることが、俺の夢となった。

 暗闇を照らす、大きな光。

 されど十全とは呼べない淡い輝き。

 しかし人を引き付けてやまない魔性の煌き。

 それを見ることが――俺の夢だった。

 月が決して見えない現象は、この月空市でしか起きないという。つまり、月空市を出れば、月が見られるのだ。

 その考えが、今まで何度巡ったことか。だが、それを実行したことは一度もなかった。この町で見なければ意味がない。そんなことを、脅迫概念のように感じていたからだ。

 夢の中の月。

 偽者の月。

 本物の月。

 これでは意味がないのだ。月空市の月でなければ意味がない。

 ロマンチックな夢だ。自分でも似合わないことはよく分っていた。

 それでも――多くの人が忘れ去っても、他の夢に塗りつぶされても。俺の中からは決して消えることがなかった。いつまでもいつまでも、それはもう鬱陶しいくらいに、俺には、月が見たいだなんて、そんな夢しかなかった。

 ――起きて。

 再び声が聞こえてくる。

 そろそろ起きなければ。いつ寝たのか。途切れた記憶をたどってみると、授業中だった。

 ああ。夢であろうと、月がとても名残惜しい。

 いつしか本当に見たいものだと、そこで俺の意識は覚醒した。


「……望。そろそろ起きて」

「んん……。あと五分」

「わたしは望のお母さんじゃないよ。……でも毎朝起こしたいな。そういう関係になりたい」

 後半はぼそぼそ言っていたので、よく聞こえなかったが、なんといったのだろうか。

「蟹になりたい?」

「んけいが抜けてるしにが重複してるよ……。どうやったらそんな聞き間違いするの……」

 ……駄目だ。授業中に寝ると、よく菜月が起こしてくれるが、なんというか、こいつの声は聞いてて癒されるというか、普段から物静かなだけあって、いまいち起きようとする意思がわかないんだよな。

 上戸 菜月(かみとなつき。どんな人物かと端的に説明すれば、暦と対になるような人物である。

 物静か(というより無口かも)。

 深窓の令嬢。

 あまり表情を出さないような人物である。

「でもそろそろ望の番だよ?あの先生厳しいから怒られちゃうかも」

 これが暦の声とかだったら起きれそうなんだけどな。あいつの声は色々な意味で煩い。

「キスしてくれたら起きる」

「え?そ、それでいいなら喜んで……で、でもこういうのって雰囲気とか大事だし、わたしはもっと――ごにょごにょ」

「駄目だ。まるで僕はオーロラ姫のようだ。キスなしでは目覚められない」

「そ、そんな……。でも分かった。望のためだもん。わたし、がんばるから」

「さあ早く。君の熱いキスで、僕の氷を溶かしておくれ!」

「ちょっと待てや」

 異常なまでに俺の声真似が上手いので、本当に俺が言ったのかと思ったが、だがこんなことをする奴はあいつしかいない。暦である。

 しかし本当に声真似上手すぎるだろう。

「ふ、ふつつかものですが……」

「菜月……」

「もうばれてるからな!キスしてくれたら辺りから全部俺の台詞みたいになってたけど、もうばれてるからな!」

 ていうかキャラ違い過ぎるだろうが!第一俺の一人称は『俺』だ。

「望……」

「そして菜月は気付け!顔を赤らめてんじゃねえ!」

「なによ。いい所だったのに」

「そうだよ」

「暦はともかく、菜月はおかしいだろ……」

 前言撤回。物静か。深窓の令嬢なんかじゃなかった。暦に影響を受けまくっている(主に俺をいじるとき。というよりそんなときくらいしかここまでではない。なぜだ)いつからかこんなふうになっちまって。俺は悲しいぞ。

 とは言うものの、いい方向であるとは思う。昔はかなりひどかったからな。その辺の話は、まあ置いておくとして、しかしよりによって一番影響受けては行けない人物だろ。

 実際のところ、俺たち以外の生徒とはあまり話さないし、話したとしても、それこそ物静か、あまり表情を出さない人間だと思われてしまう。

 長い黒髪や、白い肌など、どこか日本人形を思わせる風貌も相まって、深窓の令嬢という言葉がよく似合っていた(実際に、名家の娘である)。

「まったく……おかげで目え覚めたよ」

「キスは?」

「もう終わったよ!その流れ!」

「わたしなにも言ってないよ……!」

 じゃあ暦か!

 と思って暦の方を見ると、なにやら蝶ネクタイらしきものに向かって喋っていた。

 ……コナ○君か!

「じっちゃんの名に懸けて!」

 と思ったら金○一だった。

「さっきからそれで声色変えていたのか。というかどこで手にいれた」

「なに言ってるの。これはただの蝶ネクタイよ。コ○ン君が蝶ネクタイを使って声を変えている場面のものまねしていたの」

「すげえなおい!それってどんなものまねでも出来るってことじゃないのか!?」

 そうね……と暦はしばし考える仕草をする。期待しながら待っていると、じゃあと暦は言い、そして続けた。

「ガ○ダムのものまねいきます」

「ガン○ム?それってものまね出来るものなのか?」

「俺がガ○ダムだ」

「ちげえよ!なんかちげえよ!まあたしかにガン○ムかもしれないけどさあ!」

「続いてエヴ○のものまね。ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!」

「怖ぇええええええええええええええええええ!よりによって暴走モードかよ!って隣の奴捕食すんな!」

「次はナデ○コのものまね」

「ていうかなんで人間じゃないんだよ!……まあ最初のは結局人間だったけど」

「(グラビティ○ラスト発射)」

「おいいいいいいいいいいい!学校半壊したぞ!どうなってんだよお前!グラビティブラ○トどっからでたんだよ!」

「最後にイデ○ンの……」

「やめろぉ―――――――――――――――――――――――!何もかも滅ぼす気かぁ―――――――――――――――――――!」

「暦ちゃんもすごいけど、全部分かってる望もすごいね……」

 そんなこんなで、授業中であることを忘れ、騒いでしまっていた。……当然、先生からのお叱りを受ける羽目になったけど。


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