騎士狂いと取引、再び・後
「バッテシュメヘに中間考査のため訓練内容を緩和するよう提案してほしい。説得材料として外圧――北寮会、騎士会、教職員の抱える反発が使えるはずだ。カンカ・ディアにも打診してある」
「お仕事」
そこで言葉を区切り、メナがその見透かすような蒼天の瞳で見つめてきた。
「……という解釈で間違いありませんか」
この発言には二つの意味が内包されている。ひとつはアズルトからメナへの仕事、つまり依頼という意味。そしてもうひとつはアズルトにとっての仕事であるという意味だ。
残念なこと極まりないが、彼女はアズルトを侮ってはくれない。そして人間性も凡そのところは把握されてしまっているだろう。行動に整合性を求めてゆけば、この聡明な少女ならば遅かれ早かれ気づくだろうとは思っていた。
心構えがあっただけに驚愕もささやかなものだ。それでも馬鹿正直に事実を曝け出すような真似はしない。
「ああ」
アズルトはひとつ頷く。
実のところアズルトのみならずメナも必要以上に言葉を選んで会話を組み立てている。目線や表情、ちょっとした仕草、あるいは間の取り方で裏にある意図を示唆しながら、けれど直接それを声にすることを避けていた。
壁に耳あり障子に目あり。
高度に魔術が発展した社会にあっては、結界ひとつで安心を買えるほどに世の中は甘くはない。
「報酬は次回の約束ではなく訓練方法の開示でもいいか。まあ、組の幾人かにも流す予定ではいるんだけどな」
メナが悩むような仕草を見せた。
疑問はいくらでもあるだろう。依頼したバッテシュメヘに対する提案にしても目的が不明瞭だ。周到に策を練るなら次に繋がる形で話をまとめる、その指標となる戦略目標は不可欠である。だがそれは凡愚の懊悩だ。アズルトが貴族の視点を口にしたところで、この才女は幾つかの終着点を見出している。
バルデンリンドの騎士の眼差しは東域守座の防人としてニザ化生へと向けられている。けれどバルデンリンドの諸侯が注視すべきはその後背たるムグラノ地方を含む広域にあるのだ。
かといって直接の管理はあまりにもバルデンリンドの利に乏しい。
長らく、アーベンス王国は衡であった。バルデンリンドの意をムグラノに通すための権力装置。だが昨今、その秩序は傾きつつある。
ツィベニテアの神童であれば気づくはずだ。これが第四次アメノ臨界以後に起こり得る権力再編へ向けたバルデンリンドの介入であることに。
彼女を欺くには己があまりにも未熟であることをアズルトは理解していた。この先、幾度となく四組の行動に手を加えてゆくことになるだろう。個人として、集団として。そこから行動の裏を読むことなど彼女には造作もない。ならばいっそのこと先んじて情報を与え、厄介極まるバッテシュメヘの備えに充てる方が、将来的な被害を抑えることに繋がるのではないか。
つまるところ損切りだ。
そしてこれがこの二節、四組を観察し続けたアズルトの出したひとつの結論だった。
「彼が落とすのは能力の不足だけが理由ではありませんよ」
果たして、メナの発した言葉は全てを承知した者のそれであった。
「組の引き締めには三つほど腹案がある」
アズルトがそう返せば視線で先を促される。
「まずは指揮系統の一本化を図る」
「彼にそこまでの余力は無いと思いますけど」
持たざる者が人並みの結果を得ようとすれば、その労は幾倍にも膨れ上がる。誰もが心折る困難を己が身に課すメナであるから、同じ道を歩まんとするオルウェンキスの現状は手に取るように分かるのだろう。
「だからこそ、あれには逃げ道を用意しておいた方がいいとは思わないか」
確かにオルウェンキスの意地は称賛に値するものだ。けれどその強固な意思を支えているのは合理的な理性と知性だ。東方守家の後継たる矜持、あの高慢な少年の無理を通しているのはそれであった。
今しばらくは保つだろう。しかし一度転べば立ち直るのに時間が要る。
焚き付けた張本人としては、その前に妥協を教えてやるべきと思うのだ。目的も十分に果たしている。オルウェンキスとディスケンスの一節にも渡る鍔迫り合いを見てきて、今更彼らをただの鼻持ちならない小僧だとか、粗暴で口の悪い平民だとか、そんな温い括りで批判する者も居ないだろう。
それは当事者たる両人についても言えることだ。であればこそ、今が頃合いとアズルトは考えていた。
「随分と欲張りなんですね」
「四組は問題が多すぎるんだよ。片付けたそばから湧いて出てくる。そう言えば、面倒を押し付けた誰かさんも居たか」
「これだけ上手くまとめておいてまだ不服なんですか」
「結果論だな」
「それが総てですよ」
諭すような、どこか達観した語調はアズルトに反駁を許さなかった。元よりただの戯言。是が非でもと言えるほどの強い感情が宿ってるわけもなし。
「適材適所、やはりアズルトが適任でしょう」
「ものは言い様だな」
苦々しさが声に出た。
「事実を口にしているだけです。だってあんなに構って欲しそうに――」
「いや、曲解にもほどがあるだろ」
常に敵を警戒し周囲へ気を張っているアズルトだ、オルウェンキスの目がしばしば自身へと向けられていたことくらい指摘されずとも承知している。
だがその源泉はバルデンリンドとの確執による対抗意識だ。敵意と言い換えてもよい。
その辺りについては外様のアズルトより、純血派に籍を置いていたメナの方がよほど詳しいはずなのだが。
「背伸びをしている子供なんですよ」
そんな坊やを唆して魔物どもの前に送り出したのは他ならぬアズルトである。白眼視されても文句を言えぬ場面ではあるが、それを指摘するのがメナ・ベイ・ツィベニテアともなると意味合いもまた変わってくる。
つまるところこれは助言なのだ。そして曲げることの叶わぬ拒絶の意でもある。糸口は示すからそちらで片を付けろ、と。
「渉外は任せ――」
「嫌です」
見惚れるほどの優雅な微笑みで台詞が遮られた。
世の趨勢、在るべき展望を解しながらも、崩壊へと突き進むムグラノの現状に自ら干渉する意思はないと、冬の澄み切った空を思わせる瞳が静かに告げている。
聡明に過ぎる彼女の眼差しの先には、避け得ぬ破局が焼き付いているのではないか。そんな予感がアズルトの脳裏を過った。
「……手は――」
「条件によるとだけ」
「はぁ。わかった」
盛大にため息を吐き、アズルトは思い付きを胸に秘めたまま交渉を打ち切る。目下、優先すべきはバッテシュメヘ教官への対処であり、本筋から外れるこれらに固執するのは悪手であると考えたからだ。
「多少横道に逸れたな、話を戻す。教官を黙らせる案の二つ目だが、班編成の主導権を奪うつもりだ」
「それで先送りにできると」
「付け入らせる口実は減る」
「となると、残るひとつというのは実地試験でしょうか」
「香を持ち込む」
微かに、息を呑む気配があった。
ニザ東域守座を知る彼女であればその用途、ひいてはアズルトの画策すらも瞬時に読み解くであろう。
「四組の皆が不憫でなりませんね」
刹那の沈黙の後、呆れを含んだ声が言った。
「悪辣です、マフクス・ディアよりよほど。でも、ふふ……なるほど、そういうことですか。彼の本当の狙いはこれですね」
メナの悪戯めいた笑みにアズルトの眉根が寄る。教官の狙いなるものが判然としなかったのだ。
目線を落とし思案に暮れていると、寝台の縁に座りなおしたメナが仕方ありませんねと口を開いた。
「まず、教官はアズルトがオルウェンキスやディスケンスらに本土式の導入教育を施したことを把握しています。けれど実態としては無いものとして扱い、教練を推し進めていますよね」
「落伍者を求めている、と」
「そう捉えることもできる、くらいでしょうか。上手い人選だったと思いますよ?」
世辞は要らないと手を振って先を求める。
「今年の四組は例年と、もちろん六年前と比べても能力的に優れた候補生が揃っています。その前提に立って見た時、妙だと思うところはアズルトにはありませんか?」
「能力面で足切りを行う意義が乏しいと言いたいんだろ。さらに言えば非公式仕合が壮絶だっただけに教官への反抗心は芽すらも、という有様だ。客観的に状況を分析すれば切る必要がない」
「けれど現実問題として四組の置かれている状況は芳しくありません。要求水準が高く、追い込みが苛烈。無理に理由を付けるとしたら先に述べていた通り、引き締めとなるでしょう。アズルトはそこに危機感を覚え不本意にも私に会いに来たわけですし」
彼女の思わせぶりな物言いに、アズルトにも話の結末が見えてしまった。
不快感が胸中に湧き立ち、元々表情に乏しいアズルトの顔から感情を削ぎ落す。
「私の目には教官の本当の狙いはあなたであるように見えます。様々な条件を与え動きを観察し、行動原理を把握する、意図としてはそんなところでしょう」
アズルトはどろどろした感情を絞り出すように、努めて細く息を吐いた。
溢れた情動はバッテシュメヘに向けられたものではない。いや、幾らかは含まれているのかもしれないが、不明への、まるで成長せぬ己の未熟への嘲弄こそが総て。ましてや、潜在的な敵であるメナに諭されて気づいたというのだから始末に負えなかった。
「教官への提案、引き受けてあげてもいいですよ」
「ふっかけてくれて構わないぞ」
仏頂面で投げやりに言い放つ。
「そんなことしません。もったいないじゃないですか」
目を細め、肩を小さく震わせ、メナはどこか子供っぽい笑みを覗かせた。無邪気とは違うだろうが、それは普段の超然とした振舞いからは想像し難いもので、天使とは逆の小悪魔めいた印象を抱かせる。そしてそれが、なおさらにアズルトの渋面を深めるのだった。
ひとしきり笑ってから目尻を指先で拭うと、そこにはもういつもの柔らかな面差しが戻っていた。
「訓練方法が報酬でしたよね。でもそれは四組に広めるものであると。本土式の起動訓練のように」
「そうだな」
瞬きほどの間に交渉の顔へと転じたメナに、アズルトも戦闘の要領で意識を切り替え対応する。
「それを私が知らない保証は?」
「ないな、だが」
帯鞄から細長い金属製の円筒を取り出す。
「補助器具となると話は別だろう」
空色の瞳の奥に怜悧な輝きが覗く。潜めた声はいつになく低い。
「まさか」
「それこそまさか。低品質な模造品、のようなモノだ。素材が劣悪で使い捨てだから、ある意味ではこちらの方が安全性に優れる」
強い関心が向けられていることを確かめながら、慎重に言葉を選び会話を組み立てる。
結界を施してはあるものの、事が教会に漏れれば審問会送り待ったなしの危険物を交えた取引だった。
「意向ですか」
伏せられているのは『座主の』との文言だ。感情を押し殺した声が、胸の内の葛藤を匂わせる。
「独断だ」
アズルトの応答もまた最低限。
たったのひと言。だがそのひと言が計り知れぬ重みを持つことを、ツィベニテアの神童と呼ばれた少女は即座に理解した。理解し、愕然とアズルトを見上げる。
それを見下ろすアズルトは、珍しいものをよく見る日だと、先の醜態から目を逸らすように頭の片隅でぼんやりと思った。
「閣下も大胆なことをしますね、禁忌の函を域外に出すだなんて」
衝撃から立ち直った少女が、呆れるような咎めるようなじっとりとした眼差しで、際どい確認の文言を放つ。
文脈からすると補助器具を意味する禁忌の函だが、ここではまったく別のモノを指している。禁忌とはすなわち知識であり、函とはその入れ物、つまるところアズルトの存在そのものの暗喩であった。
「伝手を使って取り寄せてもらったんだよ」
あくまでも道具について語る体で、アズルトは適当な文句を返す。
「あら、外れてしまいましたか」
「ああ、大外れだ。それで、条件には納得してもらえたか」
「よい取引になりそうです。詳細を聞かせてもらってもいいですか?」
それから半刻ほどを説明と条件のすり合わせに使い、後日改めてカンカ・ディアを交えて細かな打ち合わせをすることを約束した。
別れ際、メナがまた小悪魔めいた笑みを浮かべたのは、はぐらかすこともできた立場をアズルトが明らかにしたその意図を見抜いていたからだろう。
赤騎士マフクス・ディア・バッテシュメヘに抗するため、アズルトはメナに己の利用価値を示す必要があった。クレアトゥールを間に挟み、半ば対立する関係からの強引な転換。彼女相手にそれを実現できる手札が、アズルトにはこれひとつきりしかなかったのだ。
バルデンリンドの信奉者を嘯く彼女がなぜニザ東域守座ではなくムグラノ主教座の膝元に留まり、騎士養成学校に属することを選んだのか、その理由をアズルトは知らない。それでも彼女が禁忌を求める限りは、安易な敵対を思い止まらせるくらいの働きはしてくれるだろう。
そんな淡い願いを抱きながら自室へと引き返すアズルトの足取りは、すでにこの取引をどう座上に報告すべきかの思考へと移っていて、陰鬱な心中を表すかのように酷く重いものであった。
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