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騎士狂いと取引、再び・前

 銀吹(ぎんすい)の三節、上旬も終わりの休息日。

 この日、北寮へのシャルロット襲来により先延ばしになっていたメナとの取引――クレアトゥール相手の模擬死合が漸くのこと実行の運びとなった。

 立ち合いはアズルトの他に二名、副寮会長のカンカ・ディア・ガスチャと役員で救護担当のラーシャラール・ディア・ペルデで、彼らはいずれもバルデンリンドの関係者だった。


 取引から二節近くも時間が開くこととなったが、これは安全性と意義を考慮したとき、事件直後ではクレアトゥールの精神状態が、節を跨いで宝珠を得てからはメナの心身の状態が戦闘に耐え得る水準になかったためである。


 そうして、ちょうど二刻ほど前になるだろうか、北寮の第三錬技場にて両人の立ち合いが行われ、重度の傷を負い意識を失ったメナの付き添いとして、アズルトは北寮会にある医務室へその身を置いていた。


 医務室とは言うが、ラケルにおけるそれは地球のものとはだいぶ趣を異にしている。

 まずなにを差し置いても嗅覚神経を刺激する臭いが違う。魔法が文明の礎を担うこの世界では溶媒からしてまったく別種のものなのであろう、アズルトが病床で嗅ぎ慣れた薬品類のあの独特の臭気はここには無く、こちらでは普遍的な魔法的効用を持つ香の残滓が室内には薄っすらと染みついていた。

 さらには第六感――識覚(しきかく)が捉える魔素、それは香に含まれていたり棚に並べられた薬瓶から滲み出たものであったりするのだが、これもまたこちら特有の()()として付け加えるべきかもしれない。

 儀式場として壁面に刻まれた魔術意匠も、医務室として連想される姿からかけ離れる要因のひとつとなっている。


 そんな東域第八実験基地ユフタとも違った空気に妙な感慨を覚えながら、アズルトは(から)の寝台に腰かけ例によって黙然と思索に耽っていた。

 スリッド状の窓の向こうへと目を向ければ、夕陽に照らされた空の変調がどこか漠然とした郷愁を誘う。黄昏の狭間に浮かび上がる天紋(てんもん)の輝跡を、異界のこの空を、自分と同じ異物である彼女らはどんな思いを胸に見上げるのだろうか。


 アズルトに生前への未練などない。だが、彼女らもそうであると断じるのは危うい。

 死の延長、蛇足の生。今をそんな風に捉えるのは戦闘人形として、失敗作として生きてきた二年間があるからだ。

 より極端な表現を選べば、己をヒトとして定義していないとでもなるだろうか。故にヒトとして生き、ヒトとして死ぬなどという幻想を端から求めてはいなかった。


 彼女らにとって今生は如何な意味を持つのであろう。

 死を経験したことのある人間が、ただひと度の生を歩む人間と同じ価値観を持つなどとは到底思えない。

 他ならぬ自分自身がそうなのだ。外の知識だけを警戒するのでは不足なのだと、些末な日常の欠片に気づかされ、アズルトの口元が自嘲に歪む。


 室内に目線を落とす。

 茜色の光が眠るメナの艶やかな髪を深い金色に輝かせ、白磁の肌を薄く紅に染めている。穏やかな寝顔は見つめるのも憚られるほどに整っていて、どこか現実離れした美しさを湛えているものの、可愛げはないなと、居候の少女の無防備な寝顔を知るアズルトはなにともなしに思った。


 呼気のかすかな乱れを耳が拾う。どうやら目を覚ましたらしい。

 その気づきに合わせるかのように静かに瞼が持ち上がり、やがて蒼天のごとく澄んだ瞳が、腰を上げ傍らへと歩み寄るアズルトを映し、すぐに逸らされる。

 そうして漏れたのは小さな吐息……いや、ため息か。


「魔法ですらないただの魔力放射であれですか」

 呟き瞼を閉じる。意識を落とす寸前の出来事を噛み締めているのだろう。


 立ち合いは厳格な条件の下で行われた。用いるのは身体能力の向上に関わる魔術のみ、けれど魔力そのものに対する制約は設けない。これは取引当時に想定された立ち合いを再現するための要項だ。アズルトはいっそ魔術を制限すべきと提案したのだが、メナはそれを強く拒んだ。

 優れた戦闘感覚と膨大な魔力量で煙に巻くという当初の計画は変更を余儀なくされ、キャスパーを幾らか上回る肉体性能で彼女の卓越した剣技を捻じ伏せ、無形の魔力で守備ごと肉体をぶち抜く身も蓋もない暴力によって、アズルトらは彼女の納得を引き出す羽目になった。


 魔力を解放したのは段階を経てのことであるし、その過程にも色々と工夫は凝らしたが、蹂躙に等しいこの立ち合いに彼女がどのような意義を見ているのか、アズルトには及びもつかない。

 クレアトゥールの技量は未だバッテシュメヘ教官に遠く及ばず、勝っているところと言えば規格外の魔力量と将来性だけなのだ。

 あるいはそれをこそ求めているのかもしれないが、生憎と将来性を知る手がかりたる実力は拘束術(デバフ)により巧妙に秘されている。肉体と精神の双方を抑制することで当人にとっての十全を演じるこの偽装を、真っ当な手法で看破するのは不可能だ。


 余所へと目を向けてみれば、アズルトがキャスパーに北寮会の幹部らとの接点を与えたことで、彼は想定以上の伸びを見せた。

 おそらく、彼についてもメナは読みを外している。

 宝珠を得た候補生がどの様な変化を遂げるかなど、得てみなければ分からぬものなのだ。それは長い騎士の時代によって裏打ちされた歴然たる事実。東域守座でさえ予測の域を出ぬ不確定性。未来を知っているのでもなければ、眼前に在る現実を否定することは叶わない。如何にそれが不可解に思えようとも。


「身体の調子は」

 頃合いを見てアズルトはメナへと問いかけた。

「そうですね……」

 ゆっくりと、具合を確かめるように身を起こす。淡い金色の髪がふわりと揺れる。


 クレアトゥールには人体への直接的な魔力放射を禁じていたが、剣に込められた魔力は一合毎にその輻射でメナの肉体を侵し、気を失う頃には致命的な傷を全身へと刻んでいた。

 まさしく死合いである。

 だからこそ、手を握ったり腕を伸ばしたりと全身の状態(コンディション)を確認する少女を、アズルトは急かすこともなく静かに眺めていた。


「血が足りていない以外は。あちらの薬ですか?」

 ややあって口にされたのは、あれほどの傷をどうやって治したのかという問いかけだった。

「迷惑な家出娘が失血死の一歩手前まで粘ったせいでな」

「貴重な機会を半端に終わらせたくありませんでしたから」

「嫌味か」

「はい」

 冷淡な声にもメナは柔らかな微笑みで応える。


 薫るような染みついた所作。幼さをかすかに残す端正な顔立ちはそれでいてどこか艶めかしく、かと思えば子を慈しむ母親のような温かみを感じさせる。皆はそれを天使のようなと評するが、その内面を知るアズルトにしてみれば魔性と形容すべきもので、これは万人を虜にする(あやか)しの笑みだ。

 もっとも、その魔性がアズルトの心を捕らえることは決してない。()の小心者が、どうして己よりも遥かに明哲な人間である彼女に気を許すことがあろうか。


 しかし、だからこそ彼女の笑みの些細な変化に気づくこともできた。

 それは()()だ。

 ここしばらくの張りつめた気配が鳴りを潜めている。

 下限すれすれの宝珠適性、魔術の才はと言えば凡百のそれ。彼女にとってこの二節がかつてないほどの過酷な日々であったことは想像に難くない。


 あの常軌を逸した立ち合いが気分転換になったのか、それとも相手が取り繕う必要もない同類だからか。あるいはその両方かもしれないが、気づきはしたものの正直なところアズルトにはさしたる興味も無い。

 所詮は他人事。あえて言うなら、隙であり付け入る好機といったところか。今はただ予定通りに事を進めるだけであったが。


「造血剤は使っていない。こだわりが無ければこれを使うといい」

 制服の隠しから濃紺の小瓶を取り出しサイドテーブルに置く。

「代金は後でまとめて請求する」

「わかりました。それで、こんな話をするために結界まで張って待っていたわけではないのですよね」

 怜悧な眼差しが挑戦的にアズルトを見上げている。


 カンカ・ディアの結界について、アズルトはなにひとつとして情報を与えていない。彼女は六感が捉える微細な変調をこの場で起こり得る事態と結び付け、短いやり取りの最中に結論を導き出したのだ。

 この観察眼、そして警戒心こそが彼女の最大の武器でありアズルトが恐れるものだ。

 けれどそれ故に、取引の相手として申し分がない。


「前期で何人落ちると読む」

「……最低で二、現状からの最悪を読むなら六、いえ七でしょうか」

 唐突極まりない問いかけにも、さして驚く風もなくメナは考えを口にする。

「どう思う」

「どう、とは」

 なにを聞きたいのか分からないと眉をわずかに困惑の形に歪める。けれどそれが本心からのものでないことは楽し気な目元が語っていた。


「理に適った行為と言えるか」

「ふふ。そんなものはありませんよ、アズルト。万民に通じる理とは幻想です」

 わかっていて言ってますよねと、見上げる眼差しが痛い。


 そう、アズルトとて知っている。他ならぬこの少女の生き方がそれを体現しているのだから。

 余人の道理の埒外――己のことが総て、総ては己のため。齢十五にして人生を悟り過去を断った麗しき乙女。学園にて比類なき地獄へと自ら身を投じた若き修羅。彼女に理を説くほど滑稽なこともあるまい。


 それでも、アズルトなどよりよほど多くが見えているはずなのだ。逸脱する己の理性を正しく解し、外面だけは丁寧に社会に合わせているのだから問いかけた意味がわからぬはずもない。

 答えをはぐらかすのは、つまるところこの件について動く気がないからだ。もっとも、これはアズルトにとって想定通り。むしろ勝手に動かれでもした方が困ってしまう。


「先の封印から百七年。アメノはすでに臨界期に突入している。まず十年の内に託宣が下るだろう」

 アメノ大迷宮の氾濫。ムグラノの危機を告げてみてもメナに驚きは見えない。

 あるのはわずかな困惑の表情。その頭の中ではアズルトがこの件を持ち出したことへの疑問が飛び交っていることだろう。

 それは仕方のないことだ。これまで築いてきたアズルトという人物像からすると余りにも突拍子のない言動なのだから。


 それでも、彼女は神童と呼ばれたメナ・ベイ・ツィベニテアであった。

「言うまでもないとは思うが、バッテシュメヘは有能な教官だが良くも悪くも騎士だ。貴族の視点なんてあってもそれは知識として、張りぼもいいところだ」

「バルデンリンドの貴族として、ですか。それで、私になにを望むのでしょう」

 過たず、期待通りの言葉を返してくれる。

 理に適っているようで、直感的には違うと見抜いているに違いない。それでも疑念を飲み込み表向きの話の流れに合わせてみせる。そして目線と表情でそれとなく伝えてくるあたり呆れるほど如才がない。


「バッテシュメヘに中間考査のため訓練内容を緩和するよう提案してほしい」

 真正面から彼女の理知的な眼差しを受け止め、アズルトはそう依頼を舌先に乗せた。

後半部も一週間以内に投稿します。


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