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四組のありふれた受難・前

 銀吹の三節も間もなく中旬に差し掛かろうとしている。制限書庫での一件からこちら、取り立てて騒ぐほどの事件は起きていない。公国貴族も思い出したようにオルウェンキスと罵声の応酬を繰り広げる外は、不気味な静けさを保っていた。

 いや、なにも悪いことはないのだ。お陰でアズルトも落ち着いて自らの課題に専念する時間を得られたのだから。


 成果についてはなんとも言い難いところだ。

 出来ないことを出来ないこととして、出来ることを出来ることとして改めて選り分けた、とでも言おうか。節を丸ごと費やして二年の教訓を再確認した形である。

 第三者からすれば徒労に思えるかもしれない。けれどアズルトはこれが無意な時間だったなどとは微塵も考えてはいなかった。


 知っているのと知った気になっているのとはまったくの別物である。情報を分析するにしてもその情報が確かなものでなければ結果も価値を失う。

 まあ早い話、潰えた可能性の数だけ限られた時間で試すべき道が明らかになるのだから、己の状態を定かにしておこうという試みは余所さまの賛同を得難いだけでそう理に反した行いでもないのだ。現にそうして選り分けられた出来ることを組み合わせて、いくつかの方策の試行も続けている。


 普段のずぼらな性格からは想像し辛いことだが、クレアトゥールの編む術式はアズルトの知る誰のものよりも洗練されている。

 勘違いしないで欲しいのが、それがすなわち魔術としての完成度の高さと同義ではないということだ。


 魔術である事象を発現させようとするとき、そのために用いられる術式というはひとつきりではない。必要な式の組み合わせはあるものの、それらを繋ぐ構文や図案は多岐に渡り、術者の扱いやすいよう最適化されてゆく。おまけに魔術を統制する宝珠の調整まで千差万別ときており、それこそ術者の数だけ術式があると言っても過言ではない。


 そうして見たとき、彼女の術式は極めて簡潔だった。

 過不足無し。取り回しをよくするため用いられる数多の補助式すら排した、それでいて熟練の術者が省くような式を残した、文字通りの過不足無し。使い手を考慮しないその潔さはいっそ清々しさを覚えるものだ。宝珠には最低限度の仕事を割るに留め、術者に負担を強いる魔術は理論への深い理解があってこそ成り立つ。

 そんな彼女であるからこそ、その視点は大いにアズルトの助けとなった。


 術式が現象に落とし込まれる魔法的作用――励起反応の分析に進展の兆しが見えたのも彼女の存在あってのことだ。

 この終端変位を補助器具なしに魔力面から観測できる人間は珍しい。純血の妖精族(アルヴ)には多くいたらしいがそれも今は昔、現代のヒトは励起を物質面からしか知覚できない。

 ニザで育ったアズルトでさえ見えている人間との面識は片手で収まっていた。

 励起反応が見えるということは魔法に囲まれ育つのと同義であるからして、ただのヒトにとっては魔力汚染を避けられぬ忌まわしい病に等しいのだそうな。そしてそんな世界を魔道の力を借り垣間見ようとした探求者たちもまた、多くが代償を支払うこととなったと、アズルトの知識には記されている。


 励起反応の研究は時代を下るほどにその規模を減じ、現代魔術の骨子たる術式との紐づけが十分に進んでいるとは言い難い。励起を待つまでもなく、術者の魔力の動きさえ観測できればその者がどういった術を用いているのかは予測ができるし、なによりも励起を見てからでは対抗術式の構築が間に合わない場合が多い。

 実用面で日陰に追いやられた分野であるが、励起反応から術を写す要のあるアズルトにとってはこれが生命線だった。


 ヤークトーナ型の開発経緯は定かではないが、備わった機能を見るに歴代の天使計画の技術改修や検証を目的としていたのではないかとアズルトなどは考えている。励起を映す眼も、宝珠適性の極端な低さも、アズルトには妖精族を連想させた。魔術への適性については対極であったが。


 クレアトゥールにそうした感覚が備わっているのは偏に汚染症患者だからだろう。あるいはその逆か。

 いずれにせよそれを憐れんだところでどうなるものでもないし、アズルトはただ使えるものを使うだけ。クレアトゥールは術式の細かな調整に嬉々として臨んでいるため、術式の操作が励起に及ぼす変化の洗い出しを進めている。


 先行研究もあるにはあるがあくまでも参考資料扱いだ。目的は複製魔術の改良であり今はそのための足掛かりを求めているに過ぎない。後世に研究資料を残そうなんて気はないし、アズルトはすでにクレアトゥールの術式をベースにした複製魔術を主力とする方向へと舵を切っているのだから、そこを起点に物事を整理するのは当然といえば当然だった。


 目標は術式側にある変数(トリガー)を励起反応に落とすことだ。せめて魔術の発動軸だけでも弄ることができるようになれれば汎用性はぐっと高まる。

 まあ、仮に落とし込めたところで魔術機関を持たないアズルトは、そこに備わる魔術管制機構(FCS)を自作するとかいう別種の難題が待ち構えているわけであったが。



 アズルトの近況としてはそんなところだが、それよりも頭を悩ませているのは四組の教練の進捗具合だ。他組と比べて遅れている、というわけではない。逆に進み過ぎているからこそ問題なのだ。


 迫る銀閃を水平に掲げた長剣で受ける。

 魔法的な補強なしでは数合ともたずに剣身がへし折れるであろう強撃だが、隙を晒すのは決まって繰り出した当人だ。反動による硬直は斬り返す好機ではあるのだが、これくらいのの隙にいちいち刃を挟んでいては誰の訓練だかわからなくなる。


 この時間、四組に割り当てられているのは近接格闘の科目だった。

 個々の技の習熟を図る武術の科目とは異なり、こちらは魔術を主体とした総合的な近接格闘術を学ぶ。つまりは応用であり、他の科目で身に着けた(かた)をひとつにまとめ実践する場だ。


 本来は今節末の中間考査が終わってから、宝珠関連の基礎教養の中身を置き換える形で徐々にその頻度を増やしてゆくもので、二節の終わりから容赦なくぶち込まれた四組は与えられた自由時間の大半を基礎の習熟に費やすことでなんとか教官の無茶な要求に齧りついている。


 授業に臨むにあたり教官から一貫して与えられている課題がまた酷いもので、身体能力の強化といった内向系魔術の使用は大前提であるが、これに加えて防護の魔術の使用、外向系のうち放出型魔術の発動待機状態の維持という前衛騎士の欲張りセットを要求してきた。扱う魔術の階梯(レベル)こそ個々の裁量に任せられているものの、本科生が聞けば耳を疑うこと請け合いだ。


 魔術の並列起動は騎士の十八番(おはこ)だが、内向系と外向系となると処理を共有する部分が少なく難易度が大きく跳ね上がる。現職の騎士でさえ実用性の都合から単系運用している者が大半を占める環境で、新米(ひよっこ)に両系統、それも三種並行処理を強要するのだから非常識にもほどがあろう。


 現場至上主義の教官の指導方針は独自性が強く、騎士養成学校イファリスの基本的なカリキュラムから著しく逸脱しているのはすでに多くの者の知るところとなっている。

 候補生はまず内向系魔術と外向系魔術の適性によって前衛・後衛の役が割り振られ、寮ごとに置かれた各種専門科目によって騎士としての方向性を定めてゆくのが通例だ。特別な事情が無ければ、長所を伸ばす形で技能を磨いてゆくものなのだ。


 卒業までの限られた時間、直接指南する教官らの能力、そして経験を重視するという騎士の運用思想が、騎士養成学校に最大公約数的な効率を優先させる教育方針を与えるに至った。大集団で運用することを念頭に置いた戦列騎士であれば、先鋭化させることでユニットの役割を明確にするこの教育はたいへん意義深い。


 だが教官の思想はこれに真っ向から対立する位置にある。ひと括りに語れるものではないが、概ねにおいて欠点を潰し総合力を伸ばすことを目的としたものだ。良く言えば多芸、悪く言えば器用貧乏といったところで、少人数での運用を想定している。


 同じモノを見てきたアズルトだ、望むと望まざるとにかかわらずその意図は読めてしまう。

 穴があればそこを突かれ屍を晒すことになるのが局地における戦闘だった。ゆえにニザ化生やアメノ樹獄のような魔境(てきち)での活動を主とする騎士は、欠点を極力減らし、得手とするもので補い、ないしは隠すなどして敵に優位を取られることを回避している。


 策を弄するのはなにもヒトのみに与えられた特権ではない。こと魔族のような知性を有する狡猾な敵を相手取るには手札の数がモノを言う。不利な条件下での戦いなんて日常茶飯事で、長生きするのは往々にして頑健(タフ)で器用な奴だった。


 教官がやろうとしているのはそうした攻性騎士の育成であり、凡才の行く末など端から歯牙にもかけていないのだろう。


 先に教官が担当した現本科五年四組は、歴代でも五指に入る在学中の位格保持者を排出している。だが同時に相当数の落伍者も出していた。記録的というほどの数ではないのが教官の優れた手腕を示していたが、それは創設初期の騎士教育が活発だった時期を含めての話で、ここ百年ほどでは大事故を起こしたいくつかの組と並び群を抜いて多い。


 落伍者が出るのはこれはもう仕方のないことだ。そこはアズルトとて承知している。けれども主命を果たす上で不必要な脱落までを容認することはできない。

 個々の能力に頼るところの大きい騎士だが、数もまた力であることは今日に至る戦いの歴史が証明している。ニザ東域守座の騎士として教官の示す方針は確かに正しいのだろう。けれど大きく騎士という括りで見た時には誤りであると、アズルトなどは考えている。バルデンリンドの理念にそぐわぬ輩といえども後背の秩序を保つ番犬はどうしても必要だ。


 そしてなによりアズルトにとって重い意味を持つのが、個人の武威で掴む勝利では騎士養成学校イファリスに波紋を起こすことは叶わないということだ。それは過去四百年に渡り騎士養成学校イファリスで繰り返されてきた既定の事態に過ぎない。であればこそ教官には彼らを切り捨ててもらっては困る。


 だが、教練の運びを見るにつけアズルトは思い知らされるのだ。

 それは望むべくもないことなのだ、と。

大変遅くなりました。次回は早い、ハズ。


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