望まぬ交錯3
柄にもなく険しい表情で思索に耽っていたアズルトだが、近づく足音に意識を悪夢の沼から引き上げる。
「あのっ」
「倒れるならよそでやれ。利用者の少ないここでなにかあれば俺たちにも累が及ぶ」
顔も向けずに吐き捨てると、身を竦ませる気配があった。
読みかけの、半ばからほとんど思慮の外にあった本を閉じ、棚へと戻す。アイナが目覚めたことには気づいているだろうにクレアトゥールが姿を見せる様子はない。危うきに近寄らずはまこと殊勝な心掛けだと思うが、彼女の性格を熟知するアズルトにはただ面倒で逃げただけにしか見えなかった。
卑怯者、と心の中で悪態をつく。治療のためとはいえ年頃の乙女の服を剥いたりしたわけで、同性の証言があればとアズルトは考えていたのだ。
まあそんなことを考えたからこそ逃げられたのだろうと予想もついたが。
「この度は誠に申し訳ございませんでした」
右膝を着き深々と下げられた頭は、淑女の謝罪としては如何なものかと思う。勢いをつけすぎだし、優雅さとは程遠い。余裕と無駄を履き違えた中央の貴族辺りは田舎臭いと眉を顰めるのかもしれないが、地を隠せないほどに感情が先走っていると見れば誠意くらいは買ってやるべきだ。
それにそもそもアズルトはバルデンリンドの貴族であって、アーベンスの宮廷貴族の流儀など知ったことではない。さらに言えば謝罪から入ったのはアズルトの行動規範にも則るもので、面倒だという思いはそれとして、個人としてのアイナに対する印象はそれほど悪いものでもなかった。
放っておけばいつまでもそうしていそうな少女に、さっさと直れと手振りで伝える。
恐々といった様子で頭を上げたアイナの、胸元にきつく抱かれた物を見て取ったアズルトは、黙したまま腕を差し出した。すぐには意図が伝わらなかったのか彼女はしばし疑問符を頭に浮かべ、それからはっとした様子で嫌に恭しく、丁寧に畳まれた上着をその手に乗せた。
――阿呆くさい。
クレアトゥールの失笑が聞こえるようだった。
貴族と平民、なんとも滑稽なことだと思う。けれど組が異なれば立場の違いも際立つもの。身分を気にせずともよいなどと軽々に口走ればどんな噂が立つことか。風聞など所詮は外野の戯言とアズルトの性格からすれば切って捨てそうなものだが、その相手が物語の主人公ともなるさすがに話も違ってこよう。
さらに悪いことにはプレイヤーである可能性まで秘めている。アイナが西バルデンリンドについてどれだけ深く理解しているかは不明だが、あまり貴族を主張し過ぎてもそこから足がつく懸念があった。求められるのはバルデンリンドの男爵家の四男たる必然と均衡。人付き合いを怠ってきたアズルトにはなんとも重い試練だった。
「色々とご配慮下さりありがとうございます」
ゆるゆると立ち上がったアイナが、今度は両の手を握るようにして組み胸に当て、小さく頭を垂れた。略式の祈りであり、感謝の表現として用いるなら最上級のものだが教会色が強く滅多にお目にかかるものではない。いささか大袈裟過ぎるように思えたが、その理由はすぐに知れた。
「そ、それであの。かっ、返してはもらえるんですか?」
真っ赤に上気した頬が、魔灯の青味がかった白光の中にもはっきりと見て取れた。見上げる瞳は羞恥に潤み、胸元の手は白むほど強く握りしめられている。
取り上げた魔導器を返してくれ、というだけの話であるはずなのにこの反応はまあ普通とは言い難い。いったいその頭の中ではどんな想像が為されているのだろうか。知りたいとは思わないが、五割増しくらいに脚色されていそうで怖い。いや、大人も一歩手前、花も恥じらう乙女なのだから、気を失っているところをよく知りもしない相手に、となればこれくらい取り乱すのが普通なのか。
経験から認識を矯正してゆく。たいへん遺憾なことに同居人はこの辺りの感覚が捻じ曲がっているので参考にはならないのだ。
アイナの気持ちを落ち着かせるため、本題に入る前にフォローだけは入れておくことにした。予防線、の方が正しいか。
「念のため言っておくが、今日も連れがいるからな」
嘘は吐いていない。実際、取り外しはクレアトゥールに頼んでいるわけであるし。即座に断られたのだが。
盲点でしたとでも言うようにアイナは驚きを表情に映す。頭上に感嘆符が見えそうなほど分かりやすいが、貴族に囲まれる環境でこれはさぞ苦労することだろう。とは言えアズルトにとっては他人事だ。
彼女が余計なことに気づく前に確認を済ませることにする。
「原因は。自覚はあるのか」
クレアトゥールの姿を求めふらふらと彷徨っていた目線が瞬時に戻ってきた。紅の瞳がアズルトの錆色を映し強張る。
「魔力欠乏症の重篤化が限界に達して、霊域の均衡化が働いたのだと思います」
「知っていたわけだ」
倒れることを。
言外に問えば、思いがけず素直な答えが返ってきた。
「……はい。でもお二人の邪魔をするつもりはほんとになくて。これまでの……えっと、経験則、で。ここにいる間は大丈夫だろうって甘く考えてました」
論点が妙だったり言葉を選んでいる風なのが気に掛かったが、嘘を口にしている感じはしない。無自覚であるなら寮会で安全装置を付けてから返すことも考えていたが、承知の上で使っているのなら手出しは控えるのが賢明だろう。
ベルトに吊るしていた魔導器を外しアイナに差し出す。そして伸ばされた手の平にそれを落とす直前、アズルトは思い出したように呟いた。
「杖使いを志す候補生が道具に使われるようじゃ笑い種だぞ」
それは本当に軽口のようなものだ。使い手あっての魔導器。人工魔石を扱うような騎士ならば誰もが知る、補助魔術機関を用いる上での心得。
それなのにアイナは口籠り、遅れてその瞳を焦燥で揺らした。
これに正しい答えなんてものはない。反省を示すもよし、恥じ入るもよし。不満だろうが憤りだろうが、己の意思を表せばそれがその者にとっての正解だ。アズルトはアイナのことなど詳しく知りはしないのだから、場当たり的に、それこそ軽口で返せば話はそこで終わった。手元に戻ってきた魔導器の重みに心を取られ、直感に身を委ねる機会を逸したことで、下手に小難しく考えてしまったのだろう。
そう仕向けたのはアズルトであったが。
言葉を探しているのか、唇が音にならない声を幾度も刻む。
そんなアイナにアズルトが訝る眼差しを向けるのは、まあごく自然な事の成り行きだ。そしてちらりと様子を窺ったアイナが、如何に不審人物として自らが見られているのか気づくところまで含めて予定調和的と言うか、見事な墓穴の掘りっぷりである。もっとも、掘った穴でもがいていることに気づいたことで肩の力は抜けたように見えた。
「身のほど知らずだってことは自分でもわかってます。強く、なりたいんです。ならなきゃいけないんです。無茶だろうとやらないと。家族の悲しむ顔なんて、わたしは見たくないから」
「意味のある答えなんて求めてないただの軽口に深刻ぶった返事なんてお呼びじゃないんだよ。面倒を持ち込むな。説明は要るか?」
「……いえ。無知にして蒙昧なる振舞いの数々、ご宥恕いただければ幸いです」
「次はない、帰って寝ろ」
口ではそう有無を言わせぬ調子で命じ、制服の隠しから出した識石を突き出す。
「こいつを黒髪眼鏡の鬼の司書に渡すといい。いつも受付に入らず隅で本を読んでいる女がいるだろう。彼女なら、一冊であれば上手いコト持ち出せるよう取り計らってくれるはずだ」
「……え、あの」
「あんたもさっさと識石を出してくれ。気まぐれなんてそう長続きはしない」
アズルトが急き立てると、アイナは驚きの余韻を引きずったまま、深く考える間もなく互いの識石を交換した。余計なことに気を回されるとアズルトには都合が悪いということでもある。自室で読む本を与えるのは、爆弾を抱えるアイナを書庫から遠ざけたいからだ。
ただ、この件で貸しを作ることを望んではいない。というのも制限図書はその性質上、外部への持ち出しに多額の保証金が必要になる。学費の支払いでさえ頭が痛い平民にそれは到底支払える類のモノではなく、アイナは本を読むために書庫に通わねばならなかった。
アズルトはそれを自身の名義で許可を取り付けようとしている。まあ正しくは、その後援たるバルデンリンド公の信用によって、となるのだが。時間を置けば気づくだろうが、後からであればどうとでも理由付けはできる。少なくとも今しばらくは大丈夫だろうというのがアズルトの見立てであった。
「えへへ。なんだか悪いお友達ができたみたいです」
なにせ当のアイナはふやけた笑みを浮かべてそんな能天気なことを抜かしているのだから。教会法を犯している彼女はれっきとした背教者で、みたいではすまない無法者だ。それが校則違反めいた行いの緊張感に浸っているとか、主人公がこんなで大丈夫なのか不安になる。
作中の主人公はもっと芯がしっかりしていたというか、強かなところがあった。見た目は可愛い系でありながら意外と擦れたところがあって、序盤は身分ゆえに状況に流されがちだが、なんだかんだで状況を変えてゆく側にいるのがまさしく主人公といった感じだった。
根の部分はこちらも相当だと思うが。
倒れるまで外法に身を委ねるとか、生半可な覚悟で出来ることではない。限界まで己を切り詰めている。心身を蝕む辛苦の過酷さはオルウェンキスの感じるものさえも凌駕しているのではないか。なんだかんだ言いながらも、アズルトはアイナの心意気は買っているのだ。
今やるべきこと。
だから止めろとは言いたくない。主義にも反する。そのための提案だ。
ただ浮かれすぎているので釘は刺しておくべきか。二組でぼっち道を究めているであろうアイナに友人認定されるのは少々危うい。
「他人だからな。そしてさっさと帰れ」
追い払う仕草で退室を促す。強い薬を飲ませたので早々倒れることもないだろうが、生憎とアズルトは彼女をそこまで信用していない。目的を思えばこそ、彼女はまた無茶をする。そういう意味では信用しているのかもしれないが、せめて今日のところはお帰り願いたい。
「おっ……」
「お?」
「お返し致します」
途端に沈んだ顔に変じたアイナに困惑する。もしや気取られたかと警戒が過るもどうやらそういうわけではないらしい。
「理由は」
「あー。えっと、そのですね。わたし部屋に居場所がなくて」
「よく見かけると思ったらここに住んでたのか」
「住んでません」
その解釈はあんまりですと言いたげな情けない声で即答された。
「いっそ倒れちゃえば部屋に戻れるかなって、浅はかですよね。こんなことしてるってバレたらもっと大変なことになってたのに」
「友人は」
「それ、聞いちゃいますか……いいです、どうせわたしはぼっちですよ」
お助け友人キャラと知り合いになっていない、と。
「思えばわたしまだ名乗ってすらいませんでしたね」
「いや、お互いこのままの方がなにかと都合が良い。あんたもこちらの面倒には巻き込まれたくないだろう?」
アイナはどこか遠い目をして二度三度と頷いた。アズルトらのというか、クレアトゥールとシャルロットの騒動についてはアイナも聞き知るところであるらしい。
「寮会……は役に立たなかったようだな」
表情を見れば答えを聞かずとも分かる。
アズルトはしばし瞑目し次善的な方策を練る。
「南寮会には灰の魔女がいたな。クバルハイネ家の令嬢、リネア・ディアの名に聞き覚えは?」
「……灰かぶりの?」
「ああ、外では蔑称の方が通りがいいか、気が回らなかった。その灰かぶりに医務室の寝台を借りられないか聞いてみろ。騎士潰しで知られるあの令嬢が了承して、それにケチをつける輩もそうは居ないだろう」
「でもその、バルデンリンドの貴族様ですよね?」
「噂でも耳にしたか、懸念はもっともだな。けれどその心配はするだけ無駄というやつだろう。西バルデンリンドの民は外の人間を等しく見下している。平民なら先入観がないだけいっそマシまであるぞ」
「不安しかないじゃないですか!」
「まあ、上手くやるんだな」
その目線がアイナから逸れたのは、自らがこの状況に追い込まれた場合に如才なく立ち回る自信がなかったからだ。バルデンリンドを深く知るがゆえに、今の世の安寧を是とするムグラノの時流に背く西バルデンリンド諸侯との交渉が如何に難行であるのかわかってしまう。
アズルトの記憶にある主人公の人となりでは、リネア・ディアの関心を買うのは土台無理な話だ。しかし直に言葉を交わしたこの少女であればあるいはとも思う。
「もし駄目だったときは」
「余所に行け」
「う゛、はい……」
アズルトが助言なり口添えなりをすれば、彼女は労なく目的を果たすことが出来ただろう。けれどアズルトはそれをしない。気がついていてなおしないのである。主人公との接点など、アズルトにとっては迷惑でしかない代物なのだから。
そして未だ物言いたげな視線を向けているアイナにわざとらしくため息を漏らす。
「まだなにか聞いておきたいことがあるのか?」
「ありますっ。すごーくあります! 今の話に出てきた西ってどういう意味ですか?」
「やっぱり無しで。あんたのはどうにも時間がかかりそうだ」
「上げて落とすとか酷いですよ!」
この分だとアズルトの予測とはまた別の方面で、リネア・ディアは彼女に興味を抱くことになるかもしれない。もっともそれで不都合を被るのはアイナであってアズルトではないのだから、そこは他人事としてなるように任せるのがアズルトなわけなのだが。
「西について知りたいならハインリオ・ベイ・ウルベリヒト殿に尋ねるんだな。あの方が二組の筆頭だ」
したがってこの時、口をついて出た言葉はいささかアズルトらしからぬもので、無意識のうちに彼女の主人公という役割に引きずられていた証左でもあった。そして、であればこそ己の失言に舌打ちでもぶつけてやりたい心持ちになる。
「ハインリオ様、ですか? 二組だとリズベット様では――」
「ごはん」
案の定、向けられた追及は、けれど小さな呟きによって遮られた。前後する形で突かれた脇腹がいやに痛く感じられる。アイナはと言えば、クレアトゥールの接近を捉えきれていなかったらしく面食らった様子だ。
摘ままれた金属の縁取りのある識石が眼前に差し出され、時計の文字盤を映して示される。せっかく間に合いそうなのにといったところか。思いがけず提示された逃げ道にアズルトは躊躇なく喰いついた。
「というわけで時間切れだ」
「ご、ごめんなさい、わたし誰かときちんとお話できたの久しぶりでちょっと浮かれてて。そうじゃないですね、はい。察しの悪いお邪魔虫でしたが退散させて頂きます!」
淑女の作法もなにもあったものではない早口で捲し立てると、アイナは礼もそこそこに荷物をまとめて書庫を飛び出していった。
「なんだあれ」
静寂の戻った書庫にぽつりと声が落ちる。
「さあな。さっきのは狙ってか?」
「ん。ちょっとだけへんな感じ出てた。余計だったか?」
「いや。意外ではあったけどな」
正史の矯正力なんてものを信じたくはないが、可能性を否定することは難しい。だからこその確認であったのだが……。
「お腹すいたし、話おわらないし」
返ってきた台詞は実にクレアトゥールらしいもので、少しばかり安堵する。
「悪かった。切りどころが難しかったんだよ」
半眼がぼんやりと見上げてくる。妙なことを口走ったつもりはないのだが、なにか気づいたことでもあったのか。
「まあいいや」
いつもの言葉。ただこれはアズルトが思うに、長居したこの場所でこれ以上の込み入った話はすべきでないとの判断が下敷きになっている。去ったアイナを気する素振りを見せたのは意図してのものか。後で話を振っておいた方がよいかもしれない。
それからすこしだけ時間を置き、アイナが貸し出し手続きを終えた頃合いを見量ってアズルトはクレアトゥールと書庫を後にしたのであった、
多忙で投降がおそくなり申し訳ありません。
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