望まぬ交錯2
アイナ・エメットは新入生らの間では少しばかり名の知れた人物だ。クレアトゥールの他にはろくな話し相手を持たないアズルトが、取り立てて耳をそばだてずとも、その噂は日々の生活の中で漏れ聞こえてくる。
三人の王侯、四人の方位守家、異国からの留学生兄妹に次ぐ名の知れよう。
出所は様々だ。学食で教室で、そして北寮で。貴族と平民の別なく彼女の話題は口の端に上る。
新入生の七割強が貴族・騎士家の出身で埋められた本年にあって、ただ一人、上位組に名を連ねた平民の少女。それも組の中でもとりわけ優秀な成績で。
さらには第二王子に目をかけられているという噂までもある。関心を集めぬはずがなかった。
良くも、悪くも。
まあ、名の通り具合だけで言えばクレアトゥールとおまけでアズルトもいい勝負だったりする。こちらは誹謗中傷が主体となったとびきりの悪評、それも『触れるな危険』と厳重注意の扱いであるから、当人らの耳に入る機会が稀で自覚に乏しいのだが、アズルトは状況から導き出される当然の帰結として認識だけはしていた。
クレアトゥールに関わり辛酸をなめさせられた公国貴族らが、不満をすべて胸の内に収め切れるほど大人には見えなかったし、アズルトらがシャルロットを虚仮にしたとして、学食での諍いがオルウェンキスら純血派の手によって大衆の知るところとされていた。
そもそもの話としてである。寮会が介入する事件にまでなっているのだ、シャルロットの知名度も相まってアイナなどよりよほど動向を気にする者は多いだろう。なにせどう飛び火するとも知れない。
兎にも角にもシャルロットによる入学以前からの暗躍が疑われるなかで、アイナが作中と変わらぬ立ち位置を確保しているのは驚嘆の一語に尽きた。
というのもバルデンリンドの二組担当の諸侯が、潜り込むのにかなり際どい成績だったようなのだ。上位組への公国貴族の配属割合が従来のその分布と比べて格段に多いことについても、西バルデンリンド貴族に対しては本国から注意するようにとの達しが出されている。
位格騎士候補の青田買いなんていう歴史改変に意欲的なシャルロットであれば、保身のため周囲を育てた手勢で固めるくらい躊躇なくやるであろうと、数字に見える不可解さにアズルトはひとまずの結論を見ていた。そして、であればこそこれが正史の持つ強制力かと、アイナの能力の高さに帳尻合わせとかいうもっともらしい理由を付けて、その異質さには目を瞑ってきたのである。
だがここにきて、そんな間に合わせの言い訳は限界を迎えようとしていた。
この世界の知識を有する外部存在――アズルトは便宜上、自己の類型としてプレイヤーと呼称しているが情報源がゲームであるとも、それどころか同一の地球が発祥とも断定はしていない――による関与が、アイナには入学以前より予測されていたのである。それこそ推定プレイヤーとして、アズルトは彼女に細心の注意で以って接してきた。
入学して間もない頃、制限書庫での遭遇にはアズルトをして心胆を寒からしむるものがあったのだ。以来アイナは此処の常連として、候補生の身には余る知識を読み解き続けている。こうした彼女の姿は、アズルトの知る『アイナ・エメット』のキャラクター像から明らかに逸脱したものだった。
それでも、シャルロットの不確定性が天秤を揺らし、均衡を保つため彼女の人生が捻じ曲げられたという可能性は捨てきれずにいた。彼女はプレイヤーの介入が疑われる存在であると同時に、世界の介入が疑われる存在でもあったわけだ。
アズルトとしては後者を検証するための貴重な素材となることをアイナに期待していたのだが、果たしてアレはなんであろうか。宝珠を限界まで酷使し魔力体を消耗させ、道具を用いて魔力欠乏状態を強制し、超高密度魔力構造体の変異を促すアレは、禁忌を知り手を伸ばす大罪の徒は。
もはやプレイヤーの介入は確定事項であるように思われた。それも自分と同格のコアなプレイヤーが関わっているとアズルトは考える。
主人公だから――そんな言葉で納得していたが、宝珠適性がキャスパーに次ぐ学年第三位という時点でおかしかったのだ。作中のアイナは宝珠の過負荷で倒れている。であれば、他の主人公らと同様に適性は高くてもアルジェやディスケンスの水準だろう。
これだけの不審な点を有しながらも、彼女がプレイヤーであると断定するにはまだ情報が不足していた。というのも、彼女の経歴にはプレイヤーの介入する余地があり、候補足り得る人物についても目星がついていたからだ。
バルデンリンドの諜報部とて新入生全員の経歴をわずかな期間で詳らかにすることは難しい。貴族を網羅しているのは当然、しかし平民はその限りではなく、調査継続中や乏しい情報量にもかかわらず調査完了とされている記録が多く存在する。これは身元調査、つまり背後関係を探ることに主眼が置かれているためであり、ニザの管理を本分とする東域守座としては妥当な引きどころと言ってよいだろう。
アイナは所属が二組であるから、他と比べれば情報は充実している方であったが、それでも抜けは見受けられる。なかでもとりわけアズルトの目を引いたのは『流浪の騎士に師事していた』という記述だ。
作中のアイナは過去、旅の天位騎士に命を救われていた。『騎士様から教わった』という台詞にはアズルトも覚えがあるが、それが師事と呼ぶに値するものであったのかは定かではない。だがこの世界において、アイナが何処かの騎士の弟子となっているのは疑いようのない事実であるらしい。
そしてこの記述なのだが、与えられた資料に含まれる同種の記述と比較するとたいへん奇妙な個所がある。それは師事していた騎士に関わる情報が丸ごと欠落している点だ。存在が明らかでありながら、素性が掴めないという極めて稀な事例。
それでも、設定を真実と仮定すればアズルトにはその人物を特定するための筋道を立てることができた。まず、現在ムグラノで活動している天位騎士が六人いる。多少の語弊はあるがアーベンス王国に属する者が三人、ランクート公国に属する者が一人、ハルアハ王国に属する者が一人、そしていずれにも属さずムグラノを放浪している者が一人。過去十年を遡ってみても短期の滞在を除いて十二人程度にまで絞り込める。
実態がどうあれ、大量破壊兵器に等しい天位の国境を跨いでの活動は教会法によって固く禁じられている。無断での国境侵犯は宣戦布告に等しく、この措置はそれこそヒトの世がヒトの世として存続するためには必要不可欠なものであった。なかには姿を目にしただけで赤騎士が息絶えるような物騒な術を、ところ構わず垂れ流している狂人だっているのだ。枷は設けなければなるまい、たとえそれが建前に過ぎなかったとしても。
許可を得ていようとも、外部から訪れた天位は滞在中監視がつくのが常だ。おまけにムグラノ地方はニザ東域守座の後背地としてその監視の目が光っている。つまり当該時期においてアイナと接触可能な天位はさらに絞り込めるというわけだ。そうして最終的に残った候補は、結局のところ警戒の緩い内部の二名。無所属の怨領ドゥナと、アーベンス三天に名を連ねる白鬼エルであった。
だが後者については除外すべきかもしれない。彼の死人は痕跡すら残さなず可能性でのみ語られる存在であるのだから。
いや、それはアズルトの願望か。
ラケルの歴史はゲームの正史を辿っている。しかし、もし例外を認めるとすれば彼の者の存在が挙げられるだろう。
正史に生じた最大の異物。
白鬼エルは遥か昔、歴史の転換点において死を運命づけられた人物だった。
彼の存在があるからこそプレイヤーの特定は困難を極めた。アレがプレイヤーである証左などなく、けれど多少のイレギュラーでは白鬼の関与、ないしは存在することそのものが生じさせた余波として話が片付いてしまう。今しがた述べたアイナの過去然り、サーナニヤ――三人目の主人公が作中で語られるはずのスホルホフ家の内部告発を終え、悪役令嬢の侍女に収まるという奇妙な事態然り。
だが今、アズルトの胸中は不愉快に満たされていた。総ての事象は逆なのではないかという想像、いや妄想が脳裏にこびりついて離れない。
白鬼エルが第三次天使計画を生き延びたことによって、世界は破綻した。しているはずだった。していなければおかしいのだ、彼の化け物をヒトが殺し切れなかった以上は。それなのに、この世界は今もまだ終焉を迎えてはおらずあまつさえ正史をなぞるようにして存続している。転生者などという、異界の理で勝手気ままに動く不確定要素を内に抱えているにも関わらずだ。
プレイヤーであるならばそこまでの問題はないものの、もしも彼の存在が、こうした転生者に対する世界の反作用なのだとしたらと、アズルトはふと考えてしまったのだ。いっそシャルロットだけでなくアイナやサーナニヤまでもがプレイヤーであると仮定したって構わない、彼女らがどう動こうとも白鬼の行動の余波が結果を正史に収斂させるのだとしたら。そのためだけにアレが死の定めを免れたのだとしたら。それはなんとも不愉快極まる話ではないだろうか。それは畢竟、アズルトの行動さえも予定調和の灰と散るという、未来の宣告に他ならないのだから。
柄にもなく険しい表情で思索に耽っていたアズルトだが、近づく足音に意識を悪夢の沼から引き上げる。
「あのっ」
「倒れるならよそでやれ。利用者の少ないここでなにかあれば俺たちにも累が及ぶ」
清冽な呼びかけを遮る己の声が、アズルトには酷く淀み沈んで聞こえた。
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