望まぬ交錯1
クレアトゥールの協力を取り付けてからというもの、アズルトは実験漬けの日々を過ごしている。とは言え今はまだ魔力を事象に変換しない操作の段階に終始しており、クレアトゥールの魔道への理解を深めるためかなりの時間を勉強に充てていたりもするので、下準備の域を出てはいなかった。こうして連日のように書庫を訪れているのも、クレアトゥールの教材を求めてというのが大部分だ。あとは発想面でなにか役に立つものがないか、といったところか。
ニザ東域守座が有する魔道の知識を、勿論かなり削られてはいるのだろうが、魔術による転写で植え付けられているアズルトにとって、学生が閲覧可能な書物にまとめられる程度の結論は価値を持たない。論理を押し固め合理を突き詰めたそれらは、限りなく理想形に近いがゆえに、道理を外れた失敗作であるところのアズルトに答えを与えてはくれないのだ。したがってアズルトはその過程、合理によって排された無駄を求めて書を手に取っているわけである。
正攻法は正攻法で試すつもりで準備は進めている。位格を有する北寮のバルデンリンド諸侯から監督役の承諾は得られているし、細かな段取りもクレアトゥールとの間で詰めているところだ。けれどおそらく解決はするまいとアズルトは考えていた。成果が得られぬのは元より承知のこと。複製魔術ほどの選択肢が得られればもはや重畳。正道が潰えてようよう積もりに積もった負債を払い終えるのだと思えばそれだけで気も晴れやかになろうというものだ。
諦念とも自嘲ともつかぬ愚考を片手に、頁を捲っていたアズルトの指がぴたりと止まる。間髪を置かず書庫に響いたのは書が床を叩く乾いた音と、肉と骨が石を打つ鈍く湿気た音だった。そしてそれっきり。衣擦れさえも聞こえない。
瞬間的に過ったのは先ほど目にしたアイナの衰弱した横顔だ。それは実に、それはそれは実に歓迎すべからざる想像だった。
アズルトは頭が痛いと額に手を遣り、無論それは錯覚であるのだが、手にした本を書架に戻すと足早に音の出所へ向かう。
流石はと言うべきか、向かった先にはすでにクレアトゥールの姿があった。アズルトがやってきたことに気づくと無言で腕を持ち上げその場所を指で示す。歩調を緩め隣に並んで書架の間を覗き見れば、想像した通りに倒れ伏し動かぬ主人公が在った。
「ちッ」
無意識のうちにこぼれた舌打ちに、こぼした当人が驚いていた。もっともそれは隣のクレアトゥールも同じであるようで、かすかに目を見開いている。いや、これは驚いたことに驚いたのだろうか。普通はそこまで気づかないものだが、アズルトもクレアトゥールも傍にいることになった経緯が経緯だけに、互いの機微には聡い。
「機嫌悪そう。見なかったことにするか?」
いよいよ眉間に皺が寄る。内心を言い当てられたことよりも、その提案こそが不愉快の原因であった。クレアトゥールが悪いのではない。アズルトとて本音を言えば見て見ぬ振りをしてこの場を立ち去りたいのだ。けれどそれはできない。だからこそ心底不愉快でたまらないのだ。
「魅力的な提案だが此処でそれは無しだ。制限書庫では……」
「問題を起こすべからず?」
「正解」
赤茶の頭をぽんぽんと軽く撫で、アイナの状態を確かめるべく傍らまで行き膝を着く。
「でもこれ、あたしたちと関係ないぞ?」
「俺もおまえも、学園からの信用は欠片も無いからな。おまけに敵だけは多いときている。なにもしていなくても疑われるし、なにもしていないことが問題になる。通行証の記録を見れば、この時間に俺たちが此処に居たことは明白だからな」
ざっと様子を見たところ膝、肩、頭と倒れたようで、大事には至らないとの推測が得られた。ただ軽くではあっても頭を打っていることに違いはなく、アズルトは万が一を回避するため手持ちの薬を使うことを決める。
「なにするんだ」
帯鞄から万能救急セット(仮)を取り出すと、それまで遠巻きに見ていたクレアトゥールが隣に来てしゃがみ込んだ。
「大丈夫そうではあるんだけどな、念には念を入れておくべきだろ」
箱から親指の先ほどの大きさの、赤と黄が毒々しい卵状の物体を摘まみ取る。指先に強く力を籠めると先端から鋭い針が飛び出す。針の長さが卵の長辺の倍ほどもあるのだが深く考えるだけ無駄である。
「それ、ほんとに大丈夫なやつなのか?」
「見た目はこんなだが中身はれっきとした回復薬だからな」
逆の手でアイナの首筋に触れる。太い魔力の流れを見つけたところで、意識がないのをいいことに遠慮なくぶっ刺した。
「えと、安い方?」
「緊急用の携行品でケチってどうするんだよ」
クレアトゥールのため――加害者となる可能性も含めて――に用意した品々だったりするのだが、それをわざざわ口にしたりはしない。落ちていた本をクレアトゥールに預け、自身はアイナの体に腕を回して抱き上げる。
すでに都合三度、クレアトゥールの測定に付き合っているアズルトであるから、今更そういったことに躊躇いが生じることもない。もし仮にアイナがこうした行いに嫌悪感を抱く性分だったとしても、アズルトにしてみれば些末事である。嫌悪だとかいう安易な言葉では到底片付かぬ激情を、抑え耐えている少女がいるのだから、と。単に厄介事を持ち込んでくれた相手に払う気遣いなど持ち合わせていない、というだけのことであったかもしれないが。
アイナを壁際の長椅子に寝かせていると、彼女の定位置である書見台に本を置いたクレアトゥールが椅子を持ってやってきた。どうするつもりかと横目で見ていると、すこしだけ離れたところにそれを置いて自分で座った。立ち合いがあった方が都合が良いのでそれ自体に問題はないのだが、そうまじまじと見つめられると心持ち落ち着かない。
気を取り直して左手をアイナの額に当て、右手で自身の額に触れる。熱があるというほどではないが、若干体温が高い。腕を取り脈を測れば、平時を知らないがおそらく速いのだろう。宝珠を得てから二度の測定を終えているはずなので、体になにかしらの異常があって倒れたという線は薄い。となると最も可能性が高いのは、宝珠による過負荷と生活習慣からくる過労。だが学年で第三位という高い宝珠適性を有するアイナが、宝珠に起因する魔力体の変化に適応できないということが果たしてあり得るのだろうか。
……いや確か、作中でも不調で倒れるというイベントがあった。宝珠の扱いを違えて、といった流れだったように記憶している。付け加えるなら時期が違うようにも思われた。あれは慣らしを終えて間もない時分、二節の前半辺りの出来事だったような。偶然居合わせた攻略対象によって医務室へと運ばれるのだったか。時期も違えばアズルトは攻略対象ではないし、なにより医務室に運ぶなどという面倒事は願い下げである。
それはそれとして、二節も終わり間近のこの時期に倒れるというのはやはり妙だ。四組の連中は吐くわ倒れるわで大変だったが、適性の高いキャスパーやアルジェ、ディスケンスといった面々は西方守家方式の慣らしでも倒れるほど状態は悪くなかった。あのオルウェンキスでさえ日々の生活で妥協をすることで乗り越えたのだ。
ただの過労として結論づけたいアズルトだったが、気にかかる点もあるにはある。先ほど調べた魔力の流れ、あれにはどこか不自然さが見えた。
針を抜き取って帯鞄へと仕舞い、クレアトゥールへと視線を遣れば小さく首が傾げられる。そしてなにかを感じ取ったのか、任せろと頷きが返された。
「諸々から判断して過労だと思うが、念のため魔力の流れを調べる。おまえが立会人だ」
「それ、要るのか?」
「過去視への備えはしておいて困るモノでもないからな」
魔術の発達した世界というのは実に怖ろしいもので、万民の個人情報保護など無きに等しい。高位の魔道士がその気になれば、特定の誰かのその日の行動は容易く詳らかにできる。対抗手段として防諜用の魔術も発達しているわけであるが、学内では原則として魔力の使用が禁じられているので自衛は魔導器を頼る他ない。それでさえ自室をなんとかといった具合で、まこと秘事とはままならないものだ。
若干話が逸れたが、筒抜けならばそれを逆手に取り証拠として残そうと、まあそういうわけである。
予防線を張った上でアイナのブラウスの第二ボタンを外し、指先を滑り込ませると胸骨の中ほどに触れ人体の魔力中枢――識束の一つを探る。
とは言えアズルトは方法に関する知識を持っていても専門家ではないし、そうした繊細な魔術は覚えてもいないので、やっているのは魔力操作の延長の、魔道士からすれば児戯に等しい簡素なものだ。そして用を為せるのであれば、別に魔術など高度である必要はないとも考えていた。
己を惰弱な魔法使いと認めているがゆえに、この世界の根幹を成す魔術的論理に囚われていないと言うべきか。それは異界の知識あればこそなのかもしれないが、まあなんにせよアズルトは望む情報を得ることには成功した。
アイナの状態は余剰魔力の枯渇と魔力体の限界運用からくる動作不良といったところか。どうやって測定を切り抜けてきたのかは知らないが、慢性的かつ重度の魔力欠乏症である。それが肉体的な過労と合わせて生じているのだから、アズルトが横顔に受けた危うげな印象は実に正鵠を射ていたわけだ。
そして問題は、その主因となっているであろうモノの存在か。
「第二識束に干渉する形で妙な術式が働いているんだが、外してもらってもいいか」
「え、嫌だ」
即答だった。なんでそんなこと頼むんだと、クレアトゥールがそれはもうたいそう不機嫌な顔で睨む。
ヒトの物質的側面である肉体と魔法的側面である魔力体、これらは表裏一体で不可分なものながら、主体を肉体の側に有するヒトにとって異なる位相にある魔力体を正しく知覚するのは極めて難しい。
そのため魔道士はこれらの結びつきが強い三点を介して魔力体というものを理解してゆくことになるのだが、それが先にも述べた魔力中枢――識束というわけである。これら識束の位置は地球で言うところの経絡、丹田や輪に通じるところがあり、呼称は諸派により様々だが『胸部』『下腹部』『頭部』の三点を要としている。
アズルトの口にした第二とは、メルフォラーバ帝国以来のベリトラーシュ大陸共通規格で、下腹部に位置する識束を指す。そんな場所であるからアズルトは検分をクレアトゥールに求めたのであるが、他人に触れられることは元より自ら触れることにも強い拒否感を示す彼女に、それが厳しい頼みであることも分かってはいた。
「おまえがやればいいだろ」
「鬼かよ。なら人命救助」
「んー、よくわかってるおまえがやるのが正解?」
「正論をどうもありがとう。まあ形として言っておいただけだ」
そう、あくまでも形式。意識の無い年頃の娘を辱めるがごとき所業にいくらか思うところはあるが、物事の判断基準としてはいささか弱い。それにそもそもの話としてである、アイナにとって学園に知られては不味かろうこの件を、無かったものとして処理してやろうというのに、加えるならば迷惑をかけられているのは自分たちであるのに、どうしてその心の安寧にまで配慮してやらねばならぬのか。
忌々し気に上衣をたくし上げ、スカートの留め金を外して下にずらせば、目当てのモノはすぐに見つかる。ガーターの上に巻かれた飾り気のない紐帯と脇から垂れる細い金属筒、そして臍の下、人体の三大魔力中枢の第二識束上に描かれた小さな桃銀の魔紋。触れて魔力の流れを確かめれば予想は確信に変わる。
「なに、これ?」
「魔力抽出用の魔導器だ。魔術士連中が使う呪紋莢の原料は知ってるだろ」
「人工魔石……これで作るのか?」
興味津々といった様子で脇から覗き込んでくる。指先を魔紋に伸ばしては引っ込めるという動作を繰り返しているのが、なんともらしい。
「原理としては似たようなモノだな。ただこいつは出力が罪人の魔法拘束で使う吸奪の封具並に高い。魔力が底をつくのも当然だ」
「おまえみたいなことしてるな」
「かもな」
金属筒を弄って機能を停止させ、そして目を見張る。下腹部の紋様が磁性を持つ流体が如く蠢き、紐帯から垂れる精緻な金属細工として凝結したからだ。魔導器そのものの機能は至って単純だが、全体としては怖ろしく高度な魔術で組まれている。
いよいよ以ってこの少女の素性が疑わしい。取り外した魔導器を調べてみるが、製作者に繋がりそうな印の類は施されていなかった。色々と気に掛かることは増えたが、目覚めるまで時間がかかるのだからとアズルトは思考を脇に寄せる。
状況的に誤魔化しもなにもあったものではないので、乱れた衣服を整えるのもそこそこに、魔力と体力の充填に効果のある薬液を二本、魔力の乱れを整える丸薬を一つ、万能救急セット(仮)から抜き取る。はじめに薬液を飲ませそれから丸薬を含ませると、咥えられたままの指先をそのままに、アイナの上体を起こし、そうして指の先に水を生成し嚥下させた。
人体の内側で生じる魔力の変化というのは感知がし辛い。完全に肌と肌が触れた状態で魔力による干渉を行う場合も、魔力制御が優れていれば外部に悟らせることなく行うことができる。学園で生活する上でのちょっとした悪知恵だ。
指を引き抜き、濡れた口元と自身の指先とを手巾で拭う。吸奪の魔導器を外したことで、寝顔も多少穏やかになったように見える。額に手を当てれば心なしか体温が上がっていた。魔力体の疲弊が生命維持のための活動も低下させていたと考えれば、肉体側の疲労も診た以上のものなのだろう。
乱れた髪を軽く整え横たえると、その身体に自らの上着をかけてやり、二刻で起きなかったら面倒だなと立ち上がる。
立ち上がって、ふと思った。ついいつもの調子でやってしまったが、なにもこんな丁寧に相手をしてやる必要はなかったのではないか、と。
意識した途端にどっと押し寄せた疲労感に、たまらずため息がこぼれた。
「ところで」
書架の並びへと振り返る。そこでは棚の陰から顔だけを出して、もの言いたげなクレアトゥールが睨んでいた。
「おまえはなにやっているんだ?」
声をかければ耳をぴんと立てて眼を泳がせる。まるっきり不審者だ。
「……なんか、見てらんなくて」
なるほど、さっぱりわからん。
アズルトの思う見ていられないような無体な行いは、クレアトゥールが自分はやりたくないと押し付けたものであったし、目を背けるどころかいっそ興味深そうに隣まで来て観察に勤しんでいたように思う。その後もなんら特別なことをした覚えはなく、彼女が動転するほどのものには皆目見当がつかない。また言葉足らずだろうか。
「もう少し噛み砕いて言ってくれ」
「その、えっと。違くて……うぅ」
目線も合わせずぼそぼそと呟いて、終いには「言いたくない」と書架の間に引っ込んでしまった。
何が何やらとアズルトは首を傾げるばかりである。
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