ひとつの物語のおわり
死をまえにして、人はなにを思いなにを考えるのだろう。
ふとそんな疑問がよぎったのは、常世の淵にたたずむ青年が、その凪いだ心に映すべきなにものも思い描くことができなかったからであろう。
自分が死ぬということに感慨はなかった。来るべき時が来た。ただそれだけである。青年にとってそれは明日とさして意味の変わらぬ、確定された未来であったのだ。
ただ、身を苛む苦痛から解き放たれることにほんの少しだけ安堵した。
青年の半生は常に余命とともにあった。最初に医師から死を告げられたのは、確かまだ十かそこらの頃だったと思う。あまりにも些末な事柄であったため、もう忘れてしまった。いつからなんてものは、本質からすれば記憶にとどめる価値もない。
青年――当時の年齢からすれば少年だが――の命を蝕んでいたのは、体に赤黒い痣が浮かぶ奇病だ。痣の広がりにともなって体の自由は奪われてゆき、薬を受け付けぬ痛みが心をも侵してゆく。発症者に待つのは衰弱の果ての死のみ。例外はなかった。
時代に根を張った忌まわしき病魔。治療法は終ぞ見つからず、青年もついにその葬列に加わる日が来たのだ。
幸か不幸か、青年には生きることに執着がなかった。
余命を告げられた当時、その意味を見つけるほどの時を青年はまだ生きてはいなかった。首筋に添えられた黄泉津大神の慈指に青年は自らの生を諦めることを選び、刹那的な愉楽に耽溺するようになった。
誤算だったのは、死を受け入れた青年が存外にしぶとかったことだろう。
はじめ、どれほど長くても二年という話だった。それが十五歳までは生きられないだの十八歳は無理だの言われ続け、挙句の果てには二十三歳の誕生日すら乗り越えた。
上出来とすら言ってよいだろう。というのは無論、皮肉だ。
医師が向ける眼差しから期待が剥がれ落ちて久しい。最後の3年などは幽鬼でも見るような、なぜおまえはまだ生きているのだという怖れすら隠せずにいた。
新たに子を授かった両親はいつしか、青年が望む物を買い与えるだけで見舞いにすら訪れなくなった。
青年の半生とは、つまるところ蛇足である。
永遠を思わせる終末の牢獄。
それが、ようやくにして過去のものとなった。
悔いはなかったと思う。そんなものを残すような人生ではなかった。死ぬための準備を積み重ねた日々。ただそれだけを続けてきた青年は、すでにして死人だった。
強いてあげるのであれば引け目、だろうか。顔すら朧気な両親への。だがそれも己の死がいくらか帳消しにしてくれるだろうと青年は思う。自らの存在こそが、彼らにとってなによりも重荷であったことは否定しようもない事実なのだから。
皆の望み。皆にとっての幸い。
はたと青年の思考が凍る。
――己にとっての幸いが、果たしてこの世界のどこにあっただろうか。
鏡面のような心に、小さな水紋が落ちた。