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武田見聞録  作者: 塩宮克己
1章 天文11年(1542年) 諏訪高遠編
8/70

03

 男は困惑していた。先程今日の調査は徹夜を覚悟しなければならず、それゆえ時間帯ごとの調査当番を決めたはずであった。

 それなのに……

 「どうしてみんな当番を無視して集合しているのかな」

 疑問とも詰問ともとれる声色で発せられた問いに答えたのは全員であった。

 「家族が行方不明の時に呑気に眠っていられません」

 「まずご自分が当番に従っていないことを自覚してくださいまし」

 「もし雪姉が帰って来た時に寝てました、なんて言ったら怒られるし」

 「みんな、しんぱいしてるの」

 そもそも男が当番制を提言した理由は長期戦に備え各人の体力を考慮した、理性によるものであった。

 しかし現在それに反した行動を取っているのは家族を心配する感情からくるものである。

 何より発案者自身が理性ではなく感情に基づいて行動しているのである。

 男は己の完敗を悟った。

 「わかったわかった。皆の言う通りだ」

 男は両手を挙げると全員の顔を見回し降参の意を伝えた。

 それに対して女たちは何を当然、とでも言うように頷いた。

 「じゃあ今のうちに現状を整理しておこうか」

 これに対しては全員が身を乗り出した。

 「まず、雪の使っていたこの桟橋のたもとで水面に人影が写った」

 ふむふむ、と相槌が打たれた。

 「この人影が写る位置はだんだん桟橋のたもとから先端の方へと移ってきている」

 それで、と続きを促すように目線が向けられた。

 「先端に達したら何か起きるんじゃないかな、と」

 恐る恐る、といった最後の発言への反応は全員からの何を今更、といった視線であった。

 「そうでもなければここまで探して見つからない、といったことは無いでしょう。で、どうなさいますか?」 

 全員を代表して静が問うと、

 「みんなで探しに行く」

 と考え無しの牛若の発言があり、

 「それは駄目」

 「なんでだよ」

 即座に却下された。男は牛若へと向き直り指を一本立てると

 「まず戻って来られるのか、片道か往復かを確かめないといけない。それで次の行動の準備がまるで違ってくる」

 正論でやり込められむう、とうなる牛若に続けて

 「で、また鴉にお願いしたいんだ」

 男の取りなすような発言に牛若は不承不承、といった態で

 「オレの鴉は使い捨てにしていいものじゃ無いんだけど」

 と不満を口にしながらも了承した。

 「本当は病気の有無もあるからもし鴉が帰って来られても2週間くらいは様子を見たいところだけど……」

 男は恐る恐るそう続けたが周囲の女たちの氷のような表情と視線を一瞥するや

 「今回に限ってはある程度のリスクには目を瞑って捜索スピードを優先させよう」

 と慎重な方針をあっさりと放棄した。

 「じゃあ鴉で偵察、ルート確認後俺と静で先遣偵察、並行して遠征準備、その後は得られた情報を元に臨機応変ってところだな」

 妥当な意見に思われるも、そうは問屋が卸さないのがこの面子である。

 「あらあら、情報収集なら私の方が適任と思いますけれど」

 尾をくゆらせながら方針に口を挟んだのは玉藻である。しかし、

 「全体を見て手を打てる玉藻が後ろに控えてくれていた方が色々と安心だろう?それに、最初は隠密行動だから。その耳と尻尾はもの凄く目立つだろう」

 黄金の毛並みを持つ耳が頭に生え、背からは同じく複数の尻尾が生えている。確かにこれでは闇夜に提灯どころか闇夜に陽光である。隠密行動は望むべくもないだろう。

 言葉に詰まった玉藻の横で牛若が噴き出すのを必死にこらえ、それを見た梅子は手伝いのつもりか両手を重ね牛若の口を抑えかえって事態を悪化させ、静はそれを目で制した。

 男は大真面目に答えたつもりが漫才のようになってしまい、気まずげに玉藻から目を逸らし、玉藻は笑みを深くした。

 

 締まらない部分はさておき、流石にその後は手慣れたものである。まずは男と静の二人がその場を離れた。歩きながら持っていく装備を話し合っていた。

 それを確認すると玉藻は気を取り直して年少組を相手に用意するべき品物を数え上げ始めた。二人が戻ってくれば今度は自分たちが倉庫から物資を取り出す番である。そして―


 ぱしぱしぱしぱし。

念のため少々の医薬品と数日分の水と食料を用意し、現地の様式に近い衣装に変装して戻った男を待っていたのは九本の尻尾による連続殴打であった。頭から爪先まで満遍無く攻撃をうけ、最早叩かれると言うよりは絡みつかれている、と言った方が表現としては近くなっている。

「いいですか、静さん。デリカシーの欠片もない朴念仁は放っておいても、貴女だけは無事に帰ってきて下さいまし」

男に背を向け下手人の玉藻は静の手を両の手で覆い、涙を流さんばかりの情感のこもった心配の言を述べていた。

相手の静は時代を考慮し男装し侍の衣装へと着替えているため、危地に向かう若武者とそれを心配する娘の構図である。背中で荒れ狂う尻尾が異彩を放ってはいたが。

無論男のことなど一顧だにしていない。静に気まずげに目を逸らされていることも思慮の外である。

「兄貴、姐さんにちゃんと謝ったら?」

見かねた牛若が取りなすも、それへの返答は

「でも、玉藻は少し拗ねているぐらいの方が可愛いからなあ」

 静は天を仰ぎ、牛若は片手で顔を覆い、梅子は男の背を叩き、そして玉藻はとうとう青筋を立てると目を細めて振り向いた。

 「だんなさま?」

 美人は何をしても絵になる、とは言うがこの場合は絵になるがゆえに、それによってもたらされる恐怖心もひとしおであった。

 「ごめん。俺が悪かった」

 実に素早い対応であった。

 「悪いと思っているのなら、余計なことは言わないでくださいまし」

 瞬き一つの間に青筋を消し去ると耳をぴくぴくと動かしながら釘を刺した。つまりは双方承知の上での戯れ合いであったのだ。

 そうこうしていると梅子が男の服の裾を引き桟橋の先を指さした。霧がわだかまり、形を成している。


 待ち望んだ『変化』がやってきた。


 全員の顔つきが変わり、場の空気が一瞬にして弛緩から緊張へと転化する。

 「牛若」

 男は一言指示を出した。

 即座に牛若は手を振ると三羽の烏が現れ、羽音を響かせながら件の霧の中へと飛び立っていった。

 全員が固唾を飲んで見つめる中、しばらくするとかすかに羽音が聞こえ、徐々にはっきりとしたものへと変わっていった。

 飛び立った烏の一羽が戻ってきたのだ。安堵の雰囲気が場を満たす中、烏は牛若の周りを一周すると差し出された腕に留まった。

 牛若はいつにない真剣な表情で烏へと質問を開始した。烏との意思疎通のできないほかの面々にとっては焦れるような時間が過ぎていく。それでなくても情報収集は文字通り鳥頭の烏で聞き取り役は考えなしの牛若なのだ。焦る心に不安の色がにじみ始める。

 やがて牛若は一つうなずくと相手言う方の手で烏の頭を撫でると空へと解き放った。 今かと情報を待ち焦がれる周囲の面々に対してーー

 「霧の向こうに霧の道があって、その向こうに霧の湖があったって。それで霧に向かって進んだら戻ってこれたって」

 雪は何か霧に関する能力でも持っていただだろうか、その発言を聞いた瞬間の全員の心は奇妙な一致を見せた。

 しかし男は一瞬目を閉じ、また開くと

 「とりあえず戻っては来れるんだな。じゃあ行くぞ、静」

 と傍らの鬼娘を促した。

 確かにいつまで行き来できるか分からない状況である以上、巧遅より拙速を求めるべき状況ではあった。

 促された方もこの場に残る面子に軽く挨拶をすると霧の中へと足を踏み出そうとした、その時ーー

 「ああ、それからもう一つ」

 男の「待った」に全員が胡乱な顔をする中、本人は両手で懐を漁るとそれぞれに同じ形の物を取り出し表面を見比べ一つうなずくと片方は懐へと戻し、片方は留守番組の責任者の玉藻へと渡した。

 「懐中時計ですか?」

 受け取りつつも訝しむ声に対して念のための保険だ、とでも言うように

 「こういう時にあっちとこっちで時間の流れが違う、なんてのは定番だからな、念のために持っておいてくれ」

 あっけからんと答えた。 

 「万一」を想像しそれぞれに内心の不安を顔に出す中、男は静の手を取ると「じゃあ、行ってくる」と散歩にでも出かけるかのような気楽さで霧の中へと歩みを進めて行った。


 「主殿、あれではあまりな物言いでしょう」

 くるぶしほどの深さの霧の中を手をつないで進みながら静は抗議の声を上げた。しかしそれへの返答は

 「心配しすぎると変な想像をするから、あのくらいでちょうどいいんだよ。それより手は離すなよ。こんな機会でもないとそうそうつながないし」

 顔を赤らめ、思わず握る手に力を入れながら静は重ねて抗議した。

 「主殿、ふざけて良い時ではありません」 「大真面目だ。それより後ろは振り向くなよ。よっぽど大丈夫だとは思うけれど、今は余計なリスクを抱え込む余裕はない」

 さすがに日本神話の文字通りの黄泉帰りの下りは知っていたが、静はあながち心配のしすぎと一笑に付せないでいた。そもそもあり得ないことが目白押しなのだ。さらに一つや二つ加わっても、何ら不思議は無かった。

 進んでいるうちにいつの間にやら膝まで達した霧を見ながら男は口を開いた。

 「向こうに着いたら、まずやることは分かっているね?」

 「雪さんの捜索でしょう?」

 「違う。状況把握。自分たちの能力はどこまで使えるか、持ち込んだ道具は機能するか、それ次第で後の選択肢がまるで変わる」

 何だかんだできちんと考えて行動しているのだな、と安心はしたが同時に事によると捜索開始が数日ずれ込むのでは、との焦りも心に浮かぶ。

 「本当にこの先に雪さんがいると思われますか?」

 「あちらは全部探した。それで見つからなかったんだから、ほかの場所にいるとしか思えない」

 いる、と断言はしなかった。その事の意味には意識を向けないようにしつつ、はや腰を越えて胸まで迫りつつある霧を目にしつつ口を開いた。

 「この霧、本当に大丈夫なのですか?随分と深くなっていますけれど」

 「絶対に手は離すなよ。今二重遭難になったらお互いに探し合ってとんでもないことになりそうだ」

 口調からお気楽なものが消えている。つないだ手から伝わってくるわずかな震えと掌の汗が、男も決して楽観などしておらず、自分と同様不安と闘っているのだと教えてくれた。 まったく素直で無い。そうならそうと言ってくれればこちらもその様に対応した物を。 思わず口元が笑みを形作ってしまい、慌てて左手で覆おうとするも、既に霧がその役目を果たしていることに気がついた。思った以上に霧が濃くかつ深いことに意表を突かれる。 「しりとりでもするか。そろそろお互いの顔も見えなくなりそうだ」

 不安を口にするより早く、男が手に若干の力を込めながら提案してきた。

 どうやら不安はお互い様だったようだ。断る理由もないので了承の意を別の言葉で伝えた。折角だし少し悪戯してやろうかとも思う。

 「しりとり」

 「りんご」

 応えが反り、やりとりがはじまった。

 「ごり」

 「りす」

 「すり」

 「おい」

 「はい、主殿のお手つきです」

 くすくすと笑いながら指摘する。もはや霧で目の前も見えないほどだが、憮然とした顔が見えるようだ。こうしてみるとお互いの顔も見えない状態というのも存外に悪くない物だ、と独りごちる。

 互いの握った手に込められる力が多少増して抗議の意を伝えてくる所まで可愛らしく思えてくる。

 歩みを進めながら益体も無いことを考えているとそれまでとは打って変わって鋭い声が耳を打った。

 「静!」

 周囲に目を配ればあれほど濃かった霧が薄れ始めている。何が起きても良いよう体を適度に緊張させ、左手腰の刀の鯉口を切るとそのまま手を滑らせ鍔を越え柄に手をかけ、いつでも抜けるよう準備する。

 そのまま前進し続けるとーー

 急に視界が開け、眼前に現れたのは夜の湖畔であった。


なかなか更新できず、申し訳ありません。

4月は隔週投稿を目指します。


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