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武田見聞録  作者: 塩宮克己
1章 天文11年(1542年) 諏訪高遠編
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55 元服

「貴様の所の女は何を考えておるかっ」

 畳に正座させられた上で頭上からの一喝である。昭和でも珍しい体験だろうと、頭のどこかで現実逃避する。


 戦地から帰還し軍は解散となり役宅へ戻ると、その日のうちに上司から呼び出しを受け状況説明の前にまず怒鳴られる。中々に理不尽な体験だった。


 もっとも竜胆自身はこの呼び出された時からこの仕打ちを受け容れると決めていた。それゆえ、誰も同行させず自分一人で赴いたのだった。

 

 牛若にどついて捕まえられ、梅子の薬で事情を洗いざらい白状させられ、とどめとばかりに玉藻に市中引き回しの刑に処せられたのだ。相手は悲惨の一言だろう。


 とはいえ竜胆の心に相手への同情は一片たりとて存在しなかった。女子供しか居ない家へ夜間忍び込んで何をするつもりだったのかを知ったからだ。


 これが単なる物盗りの類であれば奉行所に突き出してお勤めを終えた後はこれに懲りたらもうするなよと、説教の一つもして働き口を世話したかもしれない。


 しかし、逆恨みで本人ではなくその周囲の女を犯して殺して、偽装のため適当に財産も盗んで来いなどとふざけた計画を実行に移した相手に情けなど無用だろう。


 実はこの件で一番割を食ったのは教来石だろうと竜胆は考えていた。どう考えても非は相手方にあるにも関わらず叱責しなければならないのだ。とんだとばっちりだ。


「物事には加減という物がある。事情は理解したが今回はやりすぎだったと伝えよ」

 いつもは武士らしくすぱりとした物言いも、今日はどこか歯切れが悪い。


「処分が決まった。下手人は不行跡で暇を出され自暴自棄になっての犯行ゆえ成敗される。当主は病を得て隠居、跡継ぎはまだ幼い故元服までは叔父が代理として預かる」


 心の何処かでまあ落としどころとしてはそんなものか、と思う自分と詫びの一つも無しかと憤る自分の二人が相争っているのを感じながら竜胆はそれを聞いた。


「今回はあまりといえばあまりな事例であったからこれで済んだが、本来ならば喧嘩両成敗とされてもおかしくはなかったのだぞ」

 噛んで含めるように教来石は言った。


 これを成功体験にして、今後もめごとが起こる毎に騒ぎを発展させて相手を追い詰められてはいくら武功をあげてもかばいきれなくなる、ということか。


 殊勝に返事をしながらまあこんなことはもうないだろうな、と竜胆はどこか楽観的に考えていた。次を出さないために、玉藻が敢えて今回やり過ぎたと理解していたからだ。


 悪目立ちする新参者など陰口を叩かれ足を引っ張られるのが当然だ。だが表立って行動を起こされ無いよう警告を出す必要も竜胆は知っていた。


 だからこそ玉藻は今回の下手人と首謀者を甲府の町の人々に明らかにしたのだ。白樺の一党に手を出せばこうなるぞ、と周囲に示すために。


 次は無いぞ、の厳重注意を受けた後その場を辞そうとすると教来石から待ったがかかった。何事かと居住まいを正し直せば、なんと元服の話だった。


 諏訪頼継の逆心により延びてしまったが、年内には必ず実施する。準備に使える時間はあまりないが、用意に怠りの無いようにせよとのことだった。


 どうもそちらが呼び出しの本題だったらしく、今度こそ竜胆は教来石の元を辞した。部屋から出ると廊下に先代から仕えているという白髪交じりの男が立っていた。


 合戦に赴くときなどはこちらの作法に疎い竜胆を気遣って何かと世話を焼き、物を教えてくれた人物だ。こういう人は大事にしないといけない。


 一礼すると門まで先導してくれた。同時に独り言をつぶやき始めた。元服式は婚姻や新年、八朔などと並び武家では重要視される儀式である。


 先例にある諸作法を厳しく踏襲することで家中の秩序維持を図ることができる。例えばかの足利将軍家では烏帽子親は斯波、畠山、細川の三職が勤めるとされている。


 元服の儀には烏帽子親以下六役があるが、白樺には縁者がいないため全員教来石家の者で対応することになるであろう。当日は来賓を想定し酒肴の準備は欠かしてはならぬ。


 ご丁寧に指折り当日の概要と為すべき準備を確認し、いや教えてくれている。竜胆は感謝の礼をしながらつぶやかれている内容を脳裏に刻み込んだ。


 門で別れる際にその手を取り、ご指導感謝いたしますこれからも宜しくお願いいたしますと伝えた。両手で包み込むように気持ちを伝えたので、伝わったはずだ。


 行きに比べると感謝の気持ちを伝えた分それなりに軽くなった懐の巾着袋を確認しながら竜胆は帰途についた。戦利品を軍資金に換金する必要を感じていた。


 となると必要なのは商人だ。出入りの御用商人と言い換えてもいい。戦国期の有名どころと言えば茶屋や納屋、天王寺屋あたりだが、武田の御用商人は何処だったか。


 考えながら歩いているといつの間にか自宅へ付いていた。街中で噂の種になっている事を考えれば、それはそれで良かったのかもしれない。


 ただいま、と声をかければ何処か不安そうな静、成し遂げた顔の玉藻、いつも通りの牛若に薬の調合でもしていたのか薬草の匂いを漂わせている梅子が出迎えてくれた。


 そんな心配するようなことは無かったとの意を込めて厳重注意、でも次は無いよってさと努めて軽い口調でいった。納得と疑惑、それぞれ半々の顔で女たちは引き下がった。


 しかし、呼び出しの本題は俺の元服式だったよと告げると年長組の目の色が変わった。段取りの聞き取りが始まり玉藻は袖から帳面を取り出し書き付け始めた。


 まあ、心配してふさぎ込んでいるよりこちらの方がらしくていいか、と苦笑しながら竜胆はそれに一つ一つ答えていった。夏も終わり、秋風がそよぐ日の事であった。


 元服、といえば成人式のことである。しかしこの世界では羽織袴でお偉いのありがたい話を聞けば終了というものではない。これから一人前として扱うぞという儀式なのだ。


 実際、竜胆らの型破りな行動も、まだ元服前の子供のすることだからという理由で目こぼしされていた部分もある。それがこれから無くなるのは注意が必要だ。


 加えて式の準備もある。何せこの時代の作法を知る者が一人もいないのだ。竜胆の時代劇知識もとても十分とは言い難い。何から何まで教来石家に世話になりっぱなしである。


 こうなると謝礼の方も相場以上に納めなければならない。幸い拠点で銭を鋳造していることもあり備蓄に不安は無いが、頭の痛い問題ではあった。


 あまり椀飯振舞が過ぎると、どこからあのカネは出てきた、まさか賊を討伐するふりをしてその財貨を横からかすめ取ったのかなどと邪推する者も出てきかねない。


 まったく、と竜胆は苛立たし気に髪をかく。仲間一人取り戻すのがこうもまどろっこしいとは。これならいっそ牛若の言う通り力業に訴えた方がよかったか。


 いやいや、とそこまで考え竜胆は首を振った。取り戻した後どうするつもりだ。拠点に引きこもるならともかく、一国を向こうに回してまさか六人で戦争はできない。


 焦っている時ほど回り道。何かの標語のような独り言をつぶやきながら竜胆は物置へと向かった。そこには今迄の戦利品がしまってあった。


 数日後、白樺家の客間には坂田屋という商家の人間がやってきていた。どこからともなく商売の臭いを嗅ぎつけるあたり、やはり商売人は侮れない。


 由来を聞けば店の主は伊勢の出身で、その伝手を生かして甲斐で海産物や呉服を商っているという。そういえば三井の越後屋も伊勢の出だったかと竜胆は思い出した。


 まずは元服を控え現金と謝礼の進物が必要だ。そしてこちらの慣習をよくわかっていないと事情を説明した。その上で品物を提示した。


 先の合戦で討ち取った侍の身につけていた具足の内五領を放出することにした。本当は八領だったが、自分たちで使うものも考えた結果だ。


 状況を理解した商人は帳面に何事かを書き付けると一旦店に戻って旦那様の指示を仰いで参りますと告げて退席した。そこへ玉藻がゆらりと現れた。


 その後はお説教だった。

 曰く、こちらの手札をすべて晒す馬鹿がどこにいるのかと。足元を見られるのが落ちではないかと。


 竜胆はそれも一理あるなと謝りながら自分の考えも述べた。甲府にいくつもある商家の中で、今回の坂田屋がいの一番に手を挙げた。その素早さをこそ評価したいと。


 果たしてその日の内に件の商人は再びやってきた。書面を二枚出すと竜胆らの前で読み上げた。具足の買取と進物の手配、その差額である。両者署名し一枚ずつ保管した。


 かくして紆余曲折は経たものの、何とか十一月の雪がちらつき寒さも厳しくなってくる中で竜胆の元服式は行われることとなった。当日を迎え竜胆も緊張した面持ちだった。


 実は日程も押し迫る中で、一つ問題が発生していたのだ。そして教来石と登壇した結果その問題を今回は先送りするとの結論に達した。


 その問題とは、白樺家の家紋である。徳川の葵、織田の木瓜、武田の割菱などが有名どころであるが、竜胆は白樺家の家紋を答えることができなかった。


 まさか名前から竜胆紋とするわけにもいかない。かの鎌倉殿と近い家柄の家紋だ。それこそ出自に関するいらぬ詮索を受けかねない行動だ。


 結果として、今後合戦で手柄を立てた際に討ち取った相手の物を拝借する事になった。この行為は戦国時代でも行われている、当時の武家の作法にかなったものだ。


 かくして多少の問題をはらみつつも竜胆の元服式は竜胆宅にて実施された。といっても参加者は白樺家の五人と教来石家の元服六役六名の合計十一人だけであったが。


 元服六役は以下の通りである。加冠の役、理髪の役、烏帽子の役、泔杯の役、打乱箱の役、鏡台并鏡の役の六つであり、一番重要なのは烏帽子親の加冠の役である。


 これが将軍家関係者であれば京の都から使者が参上し太刀と鷹を献上し、その他の役の者もしかるべき筋の者が祝儀を携えて、などとなる。


 しかし竜胆の場合は然程の手順は求められなかった。前日に香を焚きしめた髪を理髪役の者が整え、教来石が配下から渡された烏帽子を竜胆にかぶせる。


 その後、竜胆の正式な名を与えるのだ。これは今迄名乗っていた幼名とは違い、歴史書に乗る正式な名である諱と、普段使いの通称の二つがある。


 例えば徳川家康であれば、家康が諱にあたり、通称は次郎三郎になる。身分がある程度高くなるとこれに官途名が加わるが、今回の竜胆には関係ない。


 そして教来石は咳ばらいを一つすると懐から取り出した紙を広げ読み上げた。

「白樺竜胆には儂の景政より一字を与え、政秀の名乗りを許す」


「只今より白樺槍之助政秀を名乗るがよい。その名に恥じぬよう、武田家へより一層の忠節を尽くすべし」 

 部屋に朗々とした声が響き渡った。


竜胆がははあと平伏し他の者もそれに倣った。

ここに白樺政秀という一人の武士が誕生したのだ。



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