幕間 その頃甲府にて
先へ行く者がいれば留まる者もいる。
道に従う者がいれば外れる者もいる。
戦場で手柄を立てる者がいれば留守を守る者もいる。
これは、竜胆達が諏訪から上伊那の戦場で武功を上げていた頃、甲府で玉藻と牛若、それに梅子が遭遇したちょっとした事件の話である。
現代でも治安にまだまだ不安の残るこの時代、領国に動員がかかり出陣となったとしても全軍出陣にはならない。必ず要所要所に目を光らせる留守居役が配置される。
理由は多数あるが、出陣の隙に本国を突かれては元も子もない、という事がその筆頭に挙げられるだろう。それを防ぐのも外交の目的の一つである。
とは言っても仮に条約を結んでも、相手にそれを遵守させるのも実力のうち、とまで言われる戦国時代である。留守居役の仮想敵は過酷な相手になる。
内乱か、裏切った同盟国かだ。確率こそ低いものの、万一の際には城下が敵兵に蹂躙される危険を伴うのだ。決して、信用できない者や弱兵に任せられる事ではない。
しかし、それを説明されても理解できない、いやしようとしない者がいるのもまた事実。手柄を立てる機会を奪われたと、妄想に駆られ逆恨みをするのだ。
十人いれば訳ありが二人いるのが世の常だ。百人いれば四人は訳あり中の訳ありだ。今回は、そんな男が引き起こした愚かな行いと、それを冷酷に処理した女の話である。
事の発端は積翠寺で行われた歌会だ。そう、今日の貴族冷泉為和卿を招いて開かれた、竜胆の仕官の機会を作ったあの歌会だ。その場で竜胆と静は武芸の腕を試された。
その場で竜胆は三人抜き、静は五人抜きを成し遂げた。成し遂げた方は賞賛され立身の機会を得たが、成し遂げられた方の中には恥をかかされたと思った者もいた。
満座の中で敗北の恥辱を受けたと。その上で武田家での、更には人生の先輩に対して詫びの一つも無いとは何事が。馬鹿にするにも程がある。身の程を思い知らせてくれる。
残念ながらそう思うものもいた。それを周囲にこぼしてしまい、諏訪での竜胆の活躍を見た者から少し頭を冷やせと、今回は留守居を命じられたのだ。
冷静に考えれば逆恨みだ。それは嫉妬と劣等感から来る物だ。しかし、冷静になることが出来ないのが嫉妬に狂った状態という物だ。留守役の件さえ、竜胆の影を幻視していた。
そんな男が武芸に長けた竜胆と静が留守にしていると聞いて何を考えるか。仕官前から宿暮らしなどと分不相応な羽振りの良さを見せていた者に対して何を考えるか。
ある夜、男は屋敷の一室に配下の若い者どもを集めた。そして蝋燭一本の明かりを頼りに顔を寄せ合うとどこか引きつった顔でぼそぼそと何事かを命じた。
集められた男どもは始め驚愕し首を振っていたが、主の男に何度か言葉をぶつけられるとついには下卑た笑みを浮かべ始め頷いた。おんな、カネと呟きが聞こえた。
その日玉藻は牛若梅子と三人で連れ立って市場へと買い出しに出ていた。三人連れ立っている理由は誰を留守番にしても大なり小なり問題があるからだ。
まず玉藻を留守番にした場合、年少組だけだと何かあったときに事が大きくなりすぎる場合がある。梅子を一人にするのは論外だし、牛若はむくれる。結果は三人一組の行動だ。
そうなると居宅を留守にする事になり、不用心ではないかとの心配も出てくる。しかし、事白樺家に関してはその心配は無用だった。原因はこれまでの行動にある。
竜胆は夜盗や山賊の類を自主的に討伐することで一定の評判を得てきた。それはそう言った手合いを追跡する手練手管を持っていると言うことでもある。
つまり、下心を出して盗みに入ったとしても報復される危険が十二分にあるのである。命あっての物種との言葉もある。命がけの仕事など、早々するべきではない。
仮に細身の女と子供二人、常識的に考えれば荒くれの男が四、五人いれば余裕で始末できる面子だったとしてもそれは変わらなかった。実績があるからだ。
竜胆一行の活躍に手を焼いた付近の賊が偽の嘆願で釣り出し、罠にかけて集団で取り殺そうとしたことがある。しかし、それを竜胆は噛み破った。
詳細は分からない。ただ結果としてそれに参加した賊の大半はその場で討ち取られ、殺されなかった数人は証拠として甲府へ連行され、磔にされた。
最良の警告は相手に想像させることだ。竜胆等の手口が分からない以上、対策も立てられない。それゆえ竜胆等に恨みを抱く者も憶測を重ね動くに動けずにいた。今日までは。
その夜、町の住人は寝静まり通りから気配の無くなった頃、竜胆の役宅の垣根を数人の男達が越えた。頬かむりをし、顔を見られても人物が特定されないようにしている。
二人が向き合い、一人の足を手で持ち上げ垣根を越えさせる。そして侵入した一人が門の閂を外し仲間を中へと迎え入れる。夜盗の手口だ。だがしかしぎこちない。
門をまたいだ男どもは緊張した面持ちで家屋を見た。夜も更け、灯りも消え寝静まっている様子だ。そこへ
「ねえ、おじさんたち何の用」
思わず漏れそうになった叫び声を両手で口を抑えることで防いだ一人は褒められるべきだろうか。声の方を振り向けば錫杖を肩に担いだ子供の姿があった。
ともすれば女にも見える整った顔と小柄な体格。錫杖を扇に変え、頭から被衣でもかぶれば五条大橋の牛若丸のようだ。それがどこか挑発的な笑みを浮かべて立っている。
「ねえ、こんな夜更けに家に何の用かって聞いてるんだよ、おじさんたち」
どこか苛立ちを感じる誰何の声。男どもは顔を見合わせ頷き合った。
そのまま弾かれたように全員で子供一人へと襲い掛かる。現場を抑えられては仕方ない。それに元々全員死んでもらう手はずだったのだ。早いか遅いかでしかない。
一方そのころ諏訪では竜胆と静は宿の風呂で汗と垢を流していた。合戦中では風呂どころか手拭いで体を拭くこともままならず静が爆発寸前になり、教来石を拝み倒したのだ。
「玉藻がついていれば大丈夫だと思うけど、梅子は無事かな」
「牛若は良いんですか」
「あいつがどうかなるの想像できないぞ」
竜胆の呑気な返しにそれもそうか、と静も納得する。実際、静の見立てでは留守番組で一番暴走しそうなのは実は玉藻だ。次点で牛若。双方敵に情け容赦のない共通点がある。
「問題が起きた時、玉藻さんの方が暴走しがちと承知で私を連れて来たのでしょうに」
竜胆は言葉に詰まった。玉藻は必要と認めれば、加減を敢えて踏み越える時がある。
竜胆は窓から東の空へ顔を向けると、何事も起きませんようにと手を合わせ、静も苦笑しながらそれに付き合った。蝉の声一つ聞こえない、夏の夕暮れの事であった。
そんな会話がされているとはつゆ知らず玉藻たち留守番組は夕食と風呂を済ませると居間に布団を敷いて梅子を中央に川の字になって眠りについていた。
しかし夜半、牛若はぱちりと目を開けると音もなく布団から起き出し傍らに置かれた錫杖を手にすると襖に手を掛けた。玉藻も目を覚まし梅子を背にかばう態勢を取った。
二人は目を合わせると手で数度合図をしあい頷き合った。牛若は庭へ出て、玉藻は梅子を起こすと両手に扇を構えた。不審者の接近してくる気配があったのだ。
牛若が庭に出てみると果たして垣根を飛び越え門を開けて仲間を迎え入れる賊の姿があった。しかし、どうにも今迄退治してきた連中に比べるとどうにも動きが素人くさい。
試しに声をかけてみればこちらに気づいてもいないお粗末さだ。四人も五人も集めておいて警戒方向の分担も出来ていないのか、こいつらは。泡を食って向かってきた。
何だか良く分からないけれど、よそ様の家に忍び込んだ上に襲い掛かって来るようなのは悪い奴。なら叩きのめして良いだろう、と牛若は実に単純に考えた。
「牛若さん、殺さず全員捕らえて下さいまし」
すると縁側から面倒な注文が飛んできた。振り向かずに錫杖を軽く振って承諾の意を伝える。
面倒だが玉藻がわざわざそう指示を出してきたのだ。それは必要な事なんだろう。そこで牛若は思考を切り替えると目の前の男どもに向き直った。
複数人に襲い掛かられている最中だというのに全員生け捕りにしろなどと無茶な要求が飛んでくる。それは牛若と男どもとの明らかな実力の差を示していた。
「さて、貴方様方はどこのどなた様でしょう」
牛若に制圧された男どもを縄で縛りあげると玉藻は実にいい笑顔で質問をした。この辺り、賊相手に手慣れたものである。
「知らん、貴様らに名乗る名などない」
集団のまとめ役らしい男はそう言って顔を背けた。以前捕らえた賊の残党の線はこれで消えた。
賊なら捕らえられた時点で諦めて大人しく口を割る。粗野と思われている連中だが刃物を突き付けて質問すれば実に素直に答えてくれたものだった。
となるとどこぞの侍か。玉藻は梅子に目配せした。すると梅子は袖から薬包を出して男どもに嗅がせた。途端に目は焦点を失い強張った顔がだらしなく崩れた。
再び玉藻は質問をすると男どもの身の上が判明した。さらにいくつか質問を重ね、この行為に至った顛末を知るとその顔に亀裂の様な笑みが浮かんだ。
「な、る、ほ、ど。では今後この様な事が起きないよう、この方々には見せしめになって頂きましょう」
玉藻の笑顔に、残る二人は顔を青くした。
翌朝、甲府の町中に奇妙な集団が出現した。道行くその様を町人は道端から眺め、そこかしこでひそひそと噂話の花を咲かせた。中にはまたあいつらか、と鼻を鳴らす者もいた。
それは子供に先導された、荒縄で繋がれた男どもの集団だった。言うまでもないが、牛若と昨夜の捕らえられた男どもである。後ろ手に縛りあげられ数珠つなぎにされている。
「悪いね、おじさんたち」
全く悪びれていない様子で牛若は引っ張っている男どもに声を掛けた。大通りをずんずんと歩いていく。
このまま行けば躑躅ヶ崎館だ。その事に気づき暴れかけた男どもはしかし、半眼になった牛若の人にらみで静まった。この子供はいつでも自分たちを殺せるのだ。
武家の禄を食む者として、男どもは自分たちがまな板の鯉である事を理解した。すると物見高い聴衆の一人が近づいてきて訳を尋ねた。玉藻の返答を聞くと顔をしかめた。
そして道端へ戻ると他の連中は待ってましたとばかりに取り囲み事情を聞き、同様に顔をしかめ周囲に広めに行った。男の風上にも置けぬ行いだったからだ。
一家の主は合戦へ槍働きに行き、その留守を守る女子供を狙って盗みに入り、撃退されて逆にお縄になり奉行所へ突き出される。まるで演劇の一幕だ。
しかしこれは現実だった。上役が留守の最中にそんな訴えに来られて奉行所の役人も困った。責任者の器官まで数日待てと言ったその者を、いったい誰が責められようか。
しかしその対応は、今回は凄まじい結果の引き金となった。それを聞くと玉藻は踵を返し、牛若に武家町の方角へ歩かせ始めた。辻々で通行人に道を尋ねている。
それを聞いて今度ばかりは男どもは狼狽した。自分たちを何某家の家臣を名乗る不届き者として、主家に突き出そうとしていると理解したからだ。
その頃当の主人は屋敷の自室に籠りほの暗い笑みを浮かべていた。どうにも遅いな、まさか失敗するはずもないが。大方盗んだカネで昼間から酒でも飲んでいるのだろうが。
そこへ足音も荒く先代から仕える老臣が血相を変え飛び込んできた。何かと口うるさい奴ゆえ今回の企みからも外している。庭で鴉が、いやに大きな声で鳴いた。
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