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武田見聞録  作者: 塩宮克己
1章 天文11年(1542年) 諏訪高遠編
62/70

51 それぞれの目算

 高遠勢が諏訪の武田方の拠点である上原城の兵を駆逐したのが九月十日。それから九日後の九月十九日になってようやく晴信は甲府から出陣した。


 しかも高遠勢と合戦におよんだのはそこから更に六日後の九月二十五日。前回の諏訪攻めではゆるゆると進軍したにも関わらず出陣四日後に矛を交えている。


 では、この武田方の動きの鈍さは何なのか。それは、諏訪頼継の軍勢を瓦解させるべく武田方が放った掟破りの鬼手と密接に関わっていたのである。


 今回、武田は出陣に当たり諏訪の者どもを味方に付けるべくある一人の人物を帯同させた。その人物に気を使った結果がこのゆっくりとした動きである。


 その人物の名は千代宮丸。今は亡き諏訪前領主、諏訪頼重の遺児寅王丸は今はそうその名を改めていた。

 効果は覿面であった。


 千代宮丸の出陣を知った諏訪一族や遺臣達は先を争って続々と武田方の陣営へとはせ参じた。旧主の嫡子を盛り立てて槍を振るう。それは武士のあるべき姿の一つだ。


 無論、それだけでは無い。ここで功を立てておけば将来、そう例えば千代宮丸元服の暁には諏訪家復興を期待できるからだ。今回擁立したのが何よりの証だ。


 しかし、ただ指をくわえて待っているだけでは望む果実は手に入らない。戦国の世ならば、然るべき血税を払う必要が諏訪の旧臣達にはあった。


 そして軍役という血税を支払うことで自らの望む物を手に入れようとする者は、諏訪の旧臣達だけでは無かった。武田勢に帯同する二人の男女もそうであった。


「また二人とは、そろそろ玉藻が嫉妬しかねませんよ」

 言われて竜胆は肩をすくめた。雪ならば嫉妬どころか先回りして街道を凍らせるだろう。

 当時は難儀した物だが、今にして思い返せばあれはあれで自分たちの日常の一つとして立派に機能していたのだと思わされた。周囲からは大変に迷惑がられたが。


 周囲と言えば竜胆もある意味大変浮いていた。頭頂部を剃っていないざんぎり頭だ。一人だけの黒髪は大変に目立った。その弊害もあったからだ。


「主殿、頭は剃った方が良かったのでは」

「うん、考えたんだけど元服式の時で良いかなあとも思ったんだ」

 もにょもにょと言い訳する。


「厳しい目で見られてもいるようですが」

 特に年配の、面倒見の良さそうな者に、そういう目を竜胆へと向けてくる者が多かった。一部は実際に口に出した。


「皆様なぜそんなに気にされるのか」

「熱中症になるからな」

 一瞬、静は自分の耳を疑った。馬を牽きながら従軍しているこやつは今何と言った。 


 竜胆は暢気に前回の戦利品の馬にを牽きつつ、これまた戦利品の具足に身を包んで

「髪のある状態で兜を付けると熱が籠もるだろう。そのまま戦闘したら大変だよ」


 なるほど。確かにそうだろう。経験から導き出された生活の知恵という奴だ。戦う前に自滅して戦力外になってしまうような可能性は極力減らしておくべきだ。


 しかし、と同時に静は思う。にして時代劇でお侍が皆頭頂部を剃っているのはどういうことかと疑問に思っていたがまさかそんな理由とは。


 思わず静は天を仰いだ。知らなくても良いことと言う物は世の中にはあるのだと、実体験で腹落ちしていた。それでも疑問が一つ解消されたと前向きに捉えることにした。


「脱水症状の怖いところは喉が渇くとかの自覚の無いところだ。水を飲んでだるさが消えてようやく不調の原因が分かるんだ」

 そう言うと竜胆は水筒の水を口にした。

 

 そんなことよりも、と静は表情を引き締めた。陣中の噂でとんでもないことを耳にした。竜胆は世間的には未成年扱いだが、今回あろうことか赤子が陣中にいるという。


 竜胆にその疑問をぶつけてみると

「ああなるほど。寅王丸か。甲府に置いておくので無くて本当に出陣させたのか」

 と実にあっさり首肯した。


 聞き間違いで無ければその寅王丸なる人物は雪が出産したとされる諏訪の御曹司ではなかったか。静は血相を変え竜胆を問い詰め、唖然とする羽目になった。


 話を聞いてみれば理屈は理解できた。理屈だけは。代わりに理性と感情は全力で納得することを拒否したが。要は正当性の問題なのだ。

 

 片や諏訪頼継は自らの諏訪の血族、正当な後継と称している。

 対して武田晴信は先代領主の遺児を庇護し自らの支配を正当な物と主張している。


 どちらの主張にも一理ある。額に手を当てた静がではどちらが正しいのですか、と問えばその答えは単純明快でそれでいいのかと再び静を唖然とさせた。


 曰く、

「どちらが正しいかは諏訪の民が決める。具体的には戦争して勝った方が正しい」

 そんな馬鹿な話があるか。


 激高しかけた静だが、改めて話を聞けばこの時代はそんな物か、とも思った。諏訪の地で戦う以上は地の利、つまりは諏訪の侍や民百姓の味方する方が優位に立つ。


 後は山を越えた隣の郡の親戚と先代の御子息、諏訪の民がどちらを選ぶかという問題であると。それを一番分かりやすく示すのは合戦での勝敗である。


 どちらの言うことももっともだが、誰が正しいのかは分かっている。それは戦争で勝った方だ。理解しやすくて大変結構。どこの少年漫画だと静は口をとがらせた。

 

 少年漫画で無くて戦国時代だよ、とまぜっかえす竜胆に静はさらに不機嫌になった。

 今はそんな時代なのだ。そう言われればそれまでだが、あまりと言えばあまりだった。


 問題はそんな価値観の違いすぎる場に置いて、他者と隔絶する武功を立てねばならないことだった。審判の裁定基準もあやふやまなまま試合に挑むような物だった。


 状況に苦慮していたのは竜胆たちだけでは無い。むしろ対岸に位置する諏訪頼継らの方がその度合いは酷かった。原因は無論武田方の放った寅王丸改め千代宮丸擁立の鬼手だ。


 福与城の藤沢頼親、お味方にて参陣。

 禰宜太夫矢島配下に動揺の気配。

 諏訪西方衆の一部に調略の気配。

 他の諏訪旧臣はこぞって武田方に同心。


 次々に飛び込んでくる報告に頼継は足を踏みならし叫び声を上げた。

「どういうことじゃ。なぜ儂では無く長年争った武田に付く」


 武田と諏訪は先代において双方に数百人の戦死者とその数倍の負傷者を出すほど何度も激しい合戦に及んだ因縁のある間柄である。団結は無いと踏んでいた。


 しかし蓋を開けてみればどうだ。諏訪衆で自分に味方したのは比較的領地の近かった西方衆のみ、それも一部は武田に寝返る気配まで見せている。


 他の主立った者はあらかた武田に付いた。父祖の仇に尻尾を振るとは何事か、貴様等に武士としての節度は無いのか、そう上原城の奥で不満を爆発させた。


 それでも吉報が一つあった。同じ上伊那に根を張る福与城の藤沢頼親が手勢を率いて合流してくれたことだ。これならいざとなれば籠城し筑摩の小笠原の援軍を待てば良い。


 そう皮算用を弾くと配下に藤沢頼親を歓迎する酒宴の用意と小笠原への書状の用意を命じた。自身も酒を片手にいそいそと広間へと向かった。


「おお、藤沢殿。よく来て下された。貴殿とその軍勢の力を得れば百万の味方を得たも同じ。最早勝ったも同然じゃ。ささ、勝利の前祝いと致そう」


 そう言って藤沢勢の主立った者達の前に膳を並べると頼継は手ずから酌をして回った。腐っても領主、人心を手懐ける手管の一つも持たねば務まらない。


「うむ、しかしお味方が少ないように見受けられるが。諏訪衆は同心せなんだか」

 儀礼的に杯に口をつけると早速懐具合の探りを入れてきた。


「なんのなんの。満隣ら先の見えぬ老いぼれが血迷うただけでござろう。その手下の者どもには渡りを付けており申す」

 空手形を切る。狸と狐の化かし合いだ。 

   

 頼親にしてもここで武田を敵に回し旗下の軍勢に損害を出せば、事によると諏訪に足がかりを築くどころか逆に本拠地に攻め込まれかねない。


 合戦とは双方にとって多大な先行投資を要求する一大事業だ。見事勝って領土を増やすことに成功すれば良いが、逆に減らすことも多々ある。

 

 ましてこの時代戦国大名は自治権を持つ多数の国人領主を抱える連合政権の様なものだ。一度の敗戦で敵対勢力にあっさり鞍替えされることもある。


 それは民百姓も同じである。これを同時代の人は「百姓は葦に同じ、自分に都合の良い方になびく者」と表現した。それが戦国時代である。


 一方諏訪の東半分、武田側の統治領域となった地域では、諏訪一族の長老格である諏訪満隣が諏訪衆の勢力を糾合すべく奮闘していた。


 諏訪頼重の叔父にあたるこの人物は官途名伊豆守を称し、頼重の後見を務める形となっていたが、今回は諏訪衆を武田方へまとめるべく奔走していた。


 無論、武田方への遺恨はある。二人の甥である当主頼重と大祝頼高の兄弟を切腹に追い込まれたのだ。加えて長年の敵対で犠牲となった縁者の数は片手では足りない。 


 しかし、しかしである。そこで目先の感情に囚われて判断するのはせいぜい単騎の下級武士である。まして一門の長老格となればそれ相応の立ち回りを求められる。


 色々と要求されることは多いが、それは詰まるところただ一点へと収束される。それはどう行動することが家門繁栄に繋がるかを判断すること、である。


 日本人は古来より集団への帰属意識が強く滅私奉公を至上の美徳としてきた。そこで重要視されるのは「家」という自分の所属集団である。


 この家を国、会社、仲良しなどと置き換えれば十分現代に通じるものがある。それは戦国時代に置いてはより色濃く行動や判断に影響した。

 

 もとより敵対する二者の間にあって中立は双方からの攻撃を招きかねない悪手だ。ならば諏訪頼継と武田晴信、どちらに肩入れするかを決めなければならなかった。


 当初、上原城の留守居兵があっさりと放逐され諏訪の西方衆までもが頼継に同心するのを見て心中の天秤は頼継へと傾きかけた。しかしそれは一気に逆に振れた。


 千代宮丸擁立。その一事は武田から諏訪へと向けられた強烈な意思表示であった。

 すなわち、諏訪家再興の意思あり。これに賛同する者は我が旗の下へ参ずべし。


 お家再興。刀折れ矢尽きた侍にとって、それは主君を守れなかった汚名返上と次代での繁栄を垣間見ることの出来る魔法の言葉である。


 歴史上どれほどの者達がその実現を夢見、そして散っていったか数え切れない。下克上同様、簡単に叶わぬからこそ人口に膾炙し人の心を揺さぶるのだ。


 それは別にしても、単純な問題として不仲な余所の親戚と亡くなった先代の跡取り息子と、どちらがより受け入れられやすいかという話でもある。


 結果は現在の状況が示している。満隣のとりまとめた諏訪一族はこぞって武田側へと馳せ参じ、旧臣もそれにならった。頼継についたものからも取りなしの依頼が来ている。


 かくして諏訪の地では武田諏訪連合軍と上伊那の高遠諏訪と藤沢、それに諏訪西方衆の連合軍による決戦が行われようとしていた。この勝敗で諏訪の未来は大きく変わる。


 その場所は諏訪湖の南東、宮川橋。近くには安国寺という寺があるため、後世では安国寺前合戦とも呼称される合戦である。数千の軍勢が再びぶつかろうとしていた。

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