01
目が覚めるとそこはゲームの世界だった。今迄の日常が音を立てて崩れていった。
突拍子もない出来事は文字にしてしまうと案外あっけなく、そして驚きも度が過ぎて振り切れてしまうと無駄と分かっていても現実逃避してしまう物だと男は知った。
中学生なら「異世界だ!」と大騒ぎするところかもしれないが、社会人ともなれば「引継ぎ一切なしだが仕事はどうなるのだろうか?」と残された上司同僚取引先への心配が優先される。その差に一抹の寂しさを感じつつもまずは現状把握が優先、と男は頭を一度振ると意識をこれからへと切り替えた。
布団から半身を起こした状態で男は状況を整理し始めた。
昨晩は慣れ親しんだゲームの最終日という事で自分の作成したキャラたちとのお別れ会という名の結婚式をしていた。そして終了時刻を迎え自分はそのまま眠りについた筈だった。しかし目が覚めてみると都内のワンルームマンションでは無くゲームの自拠点の自室であった。
結婚衣装のままだったので着替えようとするも、メニューが一切表示されないためこれは本格的に厄介なことになったぞとため息をつきつつ一瞬部屋の外へと目線を向けてから布団から抜け出したところで変化が生じた。
からりと音を立てて襖が開かれたのである。
「主殿?」
ひょっこりと鬼娘が顔を出した。
「ああ、おはよう静。着替えるから部屋の外で少し待っていておくれ。」
「はい、分かりました。では……いえ、何を落ち着いているのですか主殿は。」
男の言葉に思わずうなずいて退室しようとした鬼娘はしかし我に返り、普段着の動きやすい馬乗袴ゆえかずんずんと大股で入室し男の両肩にその手を置くと、揺さぶりながら問い詰めた。それに対して男の方は
「ほら、ピンチの時ほど落ち着いて状況をよく見る事って言うだろう?現状把握が最優先だよ。でもその前に着替えないと。」
ご丁寧にも右手の人差し指を一本ぴんと立てて返答する当たり、随分余裕がある。
「真面目に応えて下さい。そもそも落ち着いていられる状況ですか。」
「狼狽えたいのは山々だけど、君が先に慌てふためいているから仕方なくこっちが冷静になっているのじゃないか。」
そこまで言われて鬼娘も荒げた息を整えると渋々手を離した。よくよく見れば男の着ている衣装は白のタキシードで、手には扇子を持っている。間違っても普段着やこれから何かの調査をするような格好では無かった。
男は鬼娘が落ち着いた事を確認すると踵を返し押入れの端の襖を開いた。普通は上下二段になり布団や細々とした物が入っているものだが、仕切りは無く二十近い衣服の架けられたハンガーラックが入っていた。そこから空のハンガーを一つ取り出すと
「で、今から着替えるから外して欲しいんだけれど?」
と催促すると流石に鬼娘も納得して退室してくれた。待たせている以上時間をかけるわけにはいかないと手早くタキシード一式を脱ぎいくつかのハンガーに分散して掛けてラックへ入れると、着流しを取り出し身に着けた。
「お待たせ。じゃあ行こうか。」
そう鬼娘に声をかけた男の姿は着流し姿へと変わっていた。羽織を省略しているあたり、足で稼ぐ類のことになるとの検討であろうか
「行くってどちらへですか。」
鬼娘の当然の疑問に男は簡潔に
「みんなの所だよ。まずは全員の安否確認からしよう。」
さも当然の様に答え、言葉が終わらぬうちに歩き始めていた。
「玉藻―、雪―、牛若―、梅子―、いるなら出てきておくれー。」
勝手知ったる廊下を鬼娘を引き連れ足早に歩き、姿の見えぬ仲間達への呼びかけをすれば……
「あら、新妻に初夜の一人寝をさせた無粋な旦那様、朝から女連れとは大概にしてくださいまし。」
廊下の端から現れたのは眩い金髪に狐耳と九本の尻尾を持った狐娘である。ただし紫のスーツに身を包んでいたが。
「玉藻さん、あなたこんな時に何を……」
「いつも和装では飽きが来るというもの、殿方をその気にさせるのも女の腕の見せ所といい加減理解してくださいまし、静さん。」
「その話はまた後にして今は残りの三人と合流することを考えよう。玉藻は誰か見た?」
狐娘がふざけ、鬼娘が窘め男がまとめるという見事な連携を見せつつ、しかしその連れ立つ歩みに迷いは無い。
「牛若さんは見かけましたので梅子さんの部屋へ確認に行かせました。雪さんは部屋におらず姿も見えません。流石にこの状況で『旅に出た』とは思えませんが。」
淀みなく現状報告をする狐娘に礼を言うと、男はまず居場所の判明した者との合流を優先させた。
「まずは牛若と梅子に合流しよう。その後はみんなで雪の部屋へ。」
言葉を発しつつも歩みは止まらず、むしろその速さを増しているかの様であった。
「こんな不思議なことになっているのに冷静ですわね、旦那様は。」
そのある意味当然の狐娘の問いかけに対して男は
「正直これが夢か現実かも分からない。何かしていないと叫びだしそうなほど混乱しているから、何かすることを見つけて気を紛らわせているんだよ。」
と、強張った顔と震える手を見せながら答えた。そんな男に対して狐娘は柔らかく微笑むとそっとその手を取り両手で包みこむようにしながら己の胸元へと導き――素早く隣の鬼娘の胸の上に放った。
「え?」「!?」
突然のことに混乱する二人を置いてきぼりにしつつ狐娘は男の手の上に自らの手を重ねた。男は手の甲に感じる狐娘の掌と、手のひらに感じる鬼娘の胸のそれぞれの柔らかさと温かさに耽溺し身を委ねようとした所で、乾いた音と頬の熱、上着の合わせを握りしめて涙目になって鬼娘の姿に我に返ると直ちに頭を下げた。
「済まない。静。」
「いいえ、悪いのは玉藻さんですから。」
それもそうかと二人で狐娘を見やれば扇子で口元を隠し線になるほど目を細めている。それはこの狐娘の怒っている際に見せる仕草である。男の眼が怪訝の色を映すと
「それだけ痛ければ夢でないのは理解して下さいましたでしょう?私も静さんも今生きてここにいます。男として、妻からは目を背けないでくださいまし、旦那様。」
普段のふざけた雰囲気はどこへやら、男をその視線で射貫くと糾弾した。自分たちはゲームでも夢でもない、現実の存在としてキチンと在るのだと。
「そうだな。済まなかった。自分の事ばかりで、お前たちの事を考えていなかった。」
それに対して男は素直に詫びた。
するとどこからかクスクスと笑い声が聞こえ
「うわー、見てみなよ梅子。兄貴昼間から盛ったかと思えばもう尻の下に敷かれてるよ。姐さんやるなあ。」
「父様、えっち。」
年少組二人の無事と男への扱いの酷さが確認された。それぞれに対して鬼娘は腰に手を当て、男は屈みこんで視線を合わせると
「牛若、非常事態です。おふざけは暫くお休みにしなさい。」
「梅子も変わりないかな。何が起こるか分からないから、少しでも気分が悪くなったり変わったことがあったりしたら直ぐに言うんだぞ。」
と熟練の連携を見せた。見事に空気を入れ替えているあたり、こういった事は日常の一環なのであろう。そのままがやがやと連れ立って残る雪娘の部屋の前まで移動すると
「雪―、いるかー?入るぞー?」
と声を掛け数度襖を叩いて反応が返ってこないことを確認すると、がらりと開け放った。
無論中は無人であった。畳敷きの八畳間の隅に布団が一組畳まれ、反対の隅には文机が一台あり、その上を見れば書道の道具はあるも墨がすられている訳でもなく人の気配は無い。
「全員とりあえず捜索開始して、思わせぶりな書置きやさりげなく置かれているアイテム等には特に要注意で。」
全員諾の返事を返すとそれぞれに捜索を開始した。文箱を中心に机近辺を探すもの、障子を開け縁側を探すもの、畳まれた布団を一度広げその表裏を確認し手紙でも出てこないか探すもの、それぞれが四半時をかけるも成果は無かった。そこで男は一旦部屋の捜査を中止し仕切り直す事とした。
「手がかりが無い様だから方針を変更しよう。外の様子も気になるから拠点内部も探そう。俺と静は北と南を。玉藻は梅子とまず倉庫の食料と医薬品を確認した後屋敷の中を探して。牛若は連絡用の鴉を全員分召喚した後空から探してくれ。昼になったら一度屋敷の中庭に集合しよう。それ以外にも非常事態や発見があれば牛若の鴉を通じて集合をかけて。何か質問はあるかな?」
そこで鬼娘が手を挙げた。
「万一魔物を発見した場合は?」
「ゲームのメニューは一切使えない。ゲームと違って死んでも復活できるか分からない。その際は場所を控えて一旦離脱して、全員で対処しよう。絶対に一人では戦わないこと。いいね?」
男は全員の顔を見回し承諾を確認すると鴉天狗からの遣い鴉が全員に行き渡ったことを確認すると雪女捜索の再開を告げた。
湖畔都市の小高い丘の上に建つ大名屋敷、それが男と娘達が拠点として使っていた建物のコンセプトである。つまりゲームメニューからの位置確認ができない現在捜索範囲を広げるという事は、街一つを足で回ることを意味する。
「雪―、いるかー、いるなら返事しろー。」
六人中五人までがここに来ている。ならば残りの一人も来ている筈だ。なのになぜ見つからない。何処かで事故にでも遭っているのではないか。そんな不安が心の中で首をもたげるのを押さえつけるように、男は声を張り上げ駆けた。
「雪―、早く出ていらっしゃーい、そろそろ皆怒るわよー。」
南半分とはいえ街一つ、そこを足で探すというのは控えめに言っても無理難題である。家族同然の妹分、いやもう実際に義妹になるのか、と思い直しながら鬼娘は時代劇風の街並みを行く。時折建物の中に入り探し人の姿を求めるも目当ての人物は見当たらない。ただ都市の住人として用意されている薄っぺらな影人間を時折見かけるだけだ。だが着実に未確認地域は減っていると己を鼓舞し捜査を続けた。
「では食べ物のある蔵から順番に見ていきましょう。梅子さん、私の手を離さないで下さいましね。」
左手で河童娘の手を引き、狐娘は屋敷内を蔵群のある方角へと歩みを進める。行方不明の雪女の捜索よりも先に食料品と医薬品の確認を命じられたことの意味を噛み締めながら。
「旦那様は長期戦を覚悟なさいましたね。梅子さん、貴女も覚悟を決めて下さいましね。」
その言葉に手を握る力を強くすることで応えた河童娘に対して一度微笑むと己の戦場へと向かっていった。
「空から探せって言われてもどうすりゃいいのさ、雪姉が自分から出てきてくれるならまだしも。」
手がかりが無いので総当たり戦、という効率を度外視した所業を命じられた鴉天狗娘はぼやきながらも仕事はこなしていた。拠点の屋敷を始点にぐるぐると蚊取り線香のように渦状の飛行経路を取りながら地上を確認するも、早々手がかりなど見つかるものでもなかったが、ぼやきから閃くものはあった。そこで大きく息を吸い込むと
「雪姉―、兄貴が浮気した!皆でシメるから手ぇ貸してー!」
とんでもない事を口走り始めた。
上空からの大声を耳にした者たちは、男は目を閉じ天を仰ぎ、鬼娘は周囲の様子を確認し、狐娘と河童娘は顔を見合わせくすくすと微笑んだ。
そして昼前、各人さしたる成果もないままに集合することとなり、そのまま昼食会となった。
「えーと、玉藻梅子組から報告お願い。あと牛若は居残りしなさい。」
約一名の上げた抗議を他の者は聞き流しながらテーブルセットとグリルに炭火を用意すると報告会が開始された。
「まず蔵の物、貯めこんだアイテム類は食料品医薬品含め現状全て使用可能です。ただし冷蔵庫の様な機能は地下室程度のものしかありませんから、生ものから食べてしまった方が良いでしょうね。」
牛肉を裏返しながら狐娘が答えた。
「こっちは謎のデマが聞こえた以外変わったことは無かったかな。」
トングでエビを網に載せながら男が答えた。
「街の家の中も何軒か覗きましたが雪はいませんでした。住人は影人間を何人か見かけましたが。」
全員分の焼きおにぎりをそれぞれの好みに合うよう火の通り具合を見定めながら鬼娘が言った。
「雪姉様、どこへいったの?」
小ぶりなきゅうりをぽりぽりと齧りながら河童娘が問いを発せば
「そもそも何で皆してこんな必死になって探してるのさ。」
玉ねぎのスライスを命じられ涙目になって包丁を振るう鴉天狗娘の抗議が上がった。
「じゃあ牛若、雪が一人だけ仲間外れになっていると知ったらどれだけ大暴れするか想像できるか?俺たちが止めるんだぞ?」
全員が絶叫しながら猛吹雪を巻き起こす雪女を想像し、冷汗を流した。捜索への熱意が新たに注ぎ込まれた。
「それにもし雪が単独行動していて今の事態の原因を見つけてみろ、嬉々として破壊するか自分だけの物にするかの二択だぞ?」
薄暗い洞窟の奥に鎮座する怪しげな祠、灯りはその周囲に数本揺らめく蠟燭の炎だけ。そこへやってくる一人の女。その着物は雪原の白さであり、またそれを身に纏う娘の肌は更に白くまさしく白磁の肌である。但しその口元は不吉に歪み瞳は炯炯としている。そしておもむろにそのたおやかな手を振り上げると
「これで兄上様は帰れない。もう私たちと共に過ごすしかない」
哄笑と共にその手が振り下ろされた――
全員が背筋の凍る光景を幻視した。
「兄貴、食事中に食欲を無くすような話はよくないぞ、うん。」
自分が発端であることを忘れたかの様な鴉天狗娘に対して男は
「悪かった。エビをあげるから、機嫌を直そう。」
と焼き上がった魚介を与えてなだめた。自分も出来上がった焼きおにぎりを全員に配った鬼娘は
「午後からの捜索はどうしますか?」
と意識をこれからへと振り向かせた。それに対し男は
「まずは午前中と同じだね。ひとまず何か手がかりを見つけないことには、どうにもならない。それと街の影人間たちに保存食を重点生産するように頼んでおかないと。」
ひとまずは現状維持との方針を出した。その後は何という事もなくバーベキューにて生鮮食料から消費し、片づけを終えた後それぞれが分担する捜索へと戻った。
捜索再開してしばらく後、鴉天狗娘から緊急連絡が入った。指定された湖畔へと全員が駆け付けると
「湖の向こうに、人影が映ってる」
「手がかり」が、見つかった。