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武田見聞録  作者: 塩宮克己
1章 天文11年(1542年) 諏訪高遠編
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48 論功行賞と戦後処理

 諏訪よりの凱旋後、甲府の町は沸き立っていた。何と言っても勝ち戦なのだ。恩賞にあずかった武士は勿論、その祝いで町人の懐も潤っていた。


 大きな恩賞を受けた者は宿の広間を借り切って、小さな恩賞に甘んじた者も自宅の居間や行きつけの店で気心の知れた者と酒杯を傾けた。


 そんな中、ある宿の一室では五人の男女が額を突き合わせて祝い事とはかけ離れた空気を醸し出していた。言わずと知れた、竜胆一行である。


 その話題は発見し再会しつつも合流には至らなかったこの場に不在の最後の仲間である雪の事では無く、仮の住まいとして定着したこの宿のことであった。


「もう一度言って頂けませんか、主殿」

 全員が座敷に着座する中、皆を代表するように静が口を開いた。

 竜胆はおずおずと答え始めた。


「恩賞の件でお城に呼ばれました」

 手柄は立てたのだ。ご恩と奉公の関係からすれば恩賞を賜るのは当然のこと。それ自体に問題は無かった。


「烏帽子親を教来石様が務めて頂けると」

 元服の際の烏帽子親は後見人も意味する。むしろ望むところだった。しかし……

「それだけではないでしょう」


 びくりと肩をふるわせると観念したように白状した。

「甲府内に役宅を与えるから、この宿は引き払うようにと」


 途端、室内に非難の嵐が吹き荒れた。それは褒美では無くて罰則だ、この宿から離れたくない、また前回みたいな嫌がらせを受けるんじゃないか等だ。

 

 竜胆自身はこれが紛れもなく恩賞である事を理解していた。これまでは余所者だからと郊外の廃屋を役宅と称し宛がわれていた。それを屁理屈をこねて宿暮らししているのだ。


 今回は正式に一軒家を貸与されている。それはとりもなおさず今後は自分たちを武田家の一員として扱う、との意思表示だったからだ。


 しかし、頭でそれを理解するのと口に出し説明し周囲に納得して貰うのは全然違うことだ。その一つの形が、今竜胆の目の前で起きている騒ぎだ。


 こういった時に頼りになるのは正論では無く感情論か、もしくは利害得失の算盤勘定だ。竜胆はその道の担当者へ助けを求めるように視線を向けた。


「はい皆さん、落ち着いて下さいまし。もう来れないわけではありません。これからは本宅とこちら、二つを使い分ければ良いでしょう」


 音も無く立ち上がりぱんぱんと手を叩いて声を出せば、全員がふむと顎に手をあて考え込み、次の瞬間黙って頷いた。流石だなあ、と竜胆は感心した。


 すると玉藻はいつものように扇でこちらへ流し目を送りつつ片目を瞑った。その意はご褒美は期待しておりますわよ、だ。竜胆は天井を仰いだ。


 その後は流れで噂の役宅を拝見することとなった。中心部の通りから外れた、少し寂しい場所柄の立地だ。道中世間話の余裕はたっぷりとあった。


「そういや兄貴、領地とかは貰えないの?」

 無邪気に危険球を放ってくる牛若に微笑ましさを感じるのも時と場合による。しかし竜胆はぐっとこらえ解説を始めた。


「領地を貰ってもそこには住まないぞ」

 これには他の面々も一瞬ではあるが鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。それを見た竜胆は詳しい解説の必要を感じた。


「領地に住んでいるのは主に国衆、つまりは地域に根を張った豪族だな。城下に住んでいる家臣との違いの一つに領地が一カ所に集中しているか、がある」


「城下町に住んでいる家臣の領地はあちらにこれだけ、こちらにこれだけ、と分散しているから、領主より不在地主の方が近いな」

 周囲の面々はどこか腑に落ちない顔だ。


「例えば今回みたいな場合は新領土で恩賞が出る。だからもしそこが取り替えされたりしたら恩賞もご破算になるな」

 どこかぎょっとした雰囲気が漂った。


「だから一所懸命に領地を守るわけさ。誰だって減給は嫌だからな」

 ようやく周囲に理解と納得の顔が広がった。そこで牛若が再び質問をした。


「じゃあ兄貴はどうなのさ」

「ん?俺は蔵銭取りだよ。で、領地持ちの方が格上、てのがこの時代の価値観だな」

 そこで玉藻は頭の中を整理し始めた。


 なるほど、被雇用者にしてみれば天候不順等の理由で収穫が落ち込んで税収が減っても固定収入の蔵銭蔵米取りの方がありがたい。けれどそうさせないためのからくりだ。


 知行持ちの方が格上、名誉ある立場となれば武士はそちらを望まざるを得ない。そして知行収入なら固定では無く変動になる。そうなると領地分散は何のためか。


 領主と領民に必要以上の絆を結ばせないためか。実際の経営は現地の地頭任せならば妙な紐帯など生まれるはずも無し。なるほど、よく出来ている。玉藻は感心した。


 すると地域に根ざした小身の地侍から大身の国衆までは戦国大名にとっては少々厄介な存在というわけだ。それは滅ぼされるわけだと納得した。


 そうこうしているうちに件の役宅へと到着した。取り立ててどうと言うところの無い、木造庭付き一戸建てである。庭に畑の畝が見えるところはご愛敬か。


 間取りは六畳と八畳が二間ずつ。畳敷きは普段遣わない客間だという。更に仏間に一部屋取られると考えると普段使いは二部屋だけとなる。案外窮屈だ。


 加えて風呂は無いため井戸水を沸かすか風呂屋のお世話にならなければならない。定宿を使いに戻る理由と出世を求める理由を、静は手に入れた。


 ぐるりと一軒家の中と外を全員で見回った結果、竜胆はこう締めくくった。

「根無し草から甲府庭付き一戸建てに昇格したな。これからも頑張ろう」


 さて、ここまでは竜胆一行に視点を当ててきたが、ここからは少し変わる。戦争に負けた者には悲惨な未来が待っている。だが勝ったら勝ったで相応の厄介毎もあるのだ。


 参加した各将、各人の戦功査定とそれに伴う恩賞の決定。単純に多めに配布すれば良い物でも無く、文句を言うのは本人では無く嫉妬する周囲と来ている。


 かといってこれが不満となって後々の内応や反乱の火種となりうる事を考えれば慎重の上にも慎重に判断し、事前の根回しも欠かせない、重要な案件である。


 加えて大名自身の取り分も確保しなければ動員兵力の差が縮まり相対的に発言力が落ち、家臣の統制にも支障を来す。全くもって頭の痛い問題であった。


 加えて、もう一つ別の問題もある。恩賞は神経を削られる案件だが、こちらは精神を削られる内容だ。捕虜、特に身分の高い者の処遇である。 


 この時代、通信技術は発達しておらず情報伝達は主に人の口を介してである。故に、戦に勝ったと言っても本当かどうか分からない。事によっては勝利の捏造さえ行われる。


 そんな中で自分たちの勝利を確実な者だと喧伝する方法は何か。相手方の主立った者を斬首ないし切腹させこれ以上無いほど明確に勝者と敗者を対比させることだ。


 ちなみに織田信長はこの宣伝工作に相手国の家宝、特に茶道具を用い有力者を招いての茶会でそれらを披露することで自らの勝利を参加者に喧伝させていた。


 そして今回捕らえられた諏訪頼重、頼高の兄弟も東光寺に幽閉されていたが、今回遂に切腹を申しつけられる事となった。時に、天正十一年七月二十一日の事であった。


 切腹の後は遺体は丁重に弔われた。それは敗者への武士の情けであり、また敵将さえも下に置かぬ扱いをするという勝者の度量を示す儀式でもあった。


 この時をもって名実共に諏訪家は滅亡し、旧領土は東西に分割され東を武田、西を高遠が治める事となった。武田の統治拠点は諏訪家の本城上原城であった。


 武田がまず行ったことは民心の安定である。新しい統治者は無法者や略奪者では無く、秩序を愛する庇護者だと知れれば、民は黙っていても従うものだ。


 そして後日、諏訪の元領主、諏訪頼継、頼高の兄弟が東光寺で切腹したとの高札が立てられた。目を見開く者、一瞥して通り過ぎる者、話の種にする者、様々だった。


 竜胆は高札の前のざわめきからそれを知り、立ち止まると諏訪の方へ向き直り手を合わせた。敗軍の将とは言え元は一城の主、相応の敬意は持ち合わせていた。


 余談だが、史実では東光寺はこの数十年後に再び要人の切腹場所として人口に膾炙する事となる。その人物名を武田義信といった。武田晴信の嫡男である。


 甲府五山の一角に数えられながら、幽閉からの切腹という何かと血なまぐさい事件に縁のあるこの寺は、皮肉なことに晴信によって庇護を受けて再興されていた。


 その日竜胆は静と二人で河原へと散歩に出かけていた。無論ただの散歩ではない。向かった先には既に野次馬が集まってざわめきが起こっていた。


 野次馬の先には木製の十字架、つまりは磔台が見えており、竹垣にて仕切られていた。野次馬の中に子供の姿が無いことに竜胆は内心安堵のため息を漏らしていた。


 これから起こることは子供が見るような物では無いからだ。しかし同時に、一部は自分が原因となっている事でもあった。竜胆はそこから目を逸らすつもりは無かった。


 しかし、この時代の日本人の成年男子の平均身長は五尺強(一五七センチ)である。そこへ来て五尺七寸や五尺五寸と一七○前後の男女は非常に目立った。


 あたま一つとは言わないが半分は抜けている大男と大女の組み合わせだ。そして刑場にまで野次馬に来るような物見高い噂好きの者の中にはそれが誰か気付く者もいた。


 なにせここ最近登場からその後の行動から何かと悪目立ちしている人物だ。加えて諏訪攻めではなにがしかの武功も上げたという話だ。注目されない方がおかしかった。


 そしてざわめいた野次馬が自然と左右に割れ道を作ってくれた。竜胆たちは両側に一礼するとするすると進み竹垣までたどり着き、そこから磔の人物を一人一人確かめた。


 彼らは先の合戦で武田の捕虜となった者達だ。農民ならば身代金を払って解放される場合の方が多いが、侍身分の場合は勝利の証拠として処刑される場合も多かった。


 野次馬の騒ぎに気付き警備の兵から迷惑そうな顔をされながら、竜胆はようやく目的の人物を見つけた。それは竜胆と静によって生け捕りにされた侍だった。


 名も知らぬ相手であるが、処刑されるとなれば多少の人情も働いた。せめてその最期を見届けようと竜胆は出かけ、静はお供しますと付いてきたのだった。


 そして相手の方も竜胆等に気付いた。顔を怒りでどす黒く染めると罵声を放った。

「おのれ武士の道を知らぬ卑怯者め。名など生まれ変わっても祟ってくれるわ」


 それを聞き竜胆は少し考え込むと警備の兵に声をかけた。彼と少し話してもよいか、と。戸惑う兵の態度を了承と受け取ったか、しゃがんでばねを溜めると竹垣を飛び越えた。


 警備の兵が粟を喰らい、野次馬がどよめき静がため息をつく中、竜胆はすたすたと件の侍の元へと歩いて行った。槍の間合いに入ったところで声をかけた。


「あなたは俺達を卑怯という。それは構わない。だからあなたはこのまま、領地が蹂躙され主君は切腹させられーー」

 発せられた言葉に侍が息を呑んだ。


「父母は殺され妻は犯され子供も売り飛ばされ、守るべき家も民も失い、それを武士道に恥じぬ誇り高き侍の道だと満足すれば良い」

 警備の兵も野次馬も声を失った。


 最後に俺はまっぴら御免だが、と付け加えて竜胆は去って行った。侍は顔色を赤から青へと反転させ唇をわななかせたまま何も答えられなかった。



 暑くなってきました。梅雨はいつでしょうか。

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