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武田見聞録  作者: 塩宮克己
1章 天文11年(1542年) 諏訪高遠編
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幕間 ある少女の転生

 意識は激しい痛みと共に呼び覚まされた。痛み、そう痛みだ。肉だけでは無く骨ごと体が軋むような激しい痛みに、少女はたまらず叫び声を上げた。


 同時に口に布がねじ込まれる。その時周囲では舌を噛み切らぬようになどと会話がなされていたが、意識を痛みに塗り潰されていた少女の耳には届くはずも無かった。


 助けを求めて手を伸ばそうとして初めて、自分が何か綱の様なものを握らされていることに気が付いた。他に頼る物も無い少女は必死にそれにしがみついた。


 口内の布は涎にまみれ呼吸を困難にし、吐き出そうにも誰かの手で口の中へと詰め直される。周囲では数人が大騒ぎをしているがはっきり聞き取れない。


 目が覚めると拷問の真っ最中だった。

 そんな三文小説の煽り文句の様な状況に少女は置かれていた。目覚めてからずっと続いている痛みは落ち着く事を許さなかった。


 体の中心から自分が割られてしまうような耐えがたい激痛に歯を食いしばることも出来ない。涙と涎の混ざりものが喉を伝い場違いな艶めかしさを醸し出していた。


 周囲には数人いるらしくひっきりなしに大声を上げているらしかったが自身のくぐもった呻きと痛みで朦朧とする意識は内容も人数も把握をさせてくれなかった。


 そうこうしているうちにただでさえ耐えがたかった痛みは更にその度合いを増し、固く閉じていた目を見開くも涙のために視界は影絵のようだった。

 

 口中にねじ込まれた布で味覚を奪われ、止まらぬ涙で視覚は意味をなさず、止まらぬ鼻水で嗅覚も使い物にならず、自身の苦痛の叫びで聴覚もその用をなさない。


 五感の内四感を実質麻痺させる凄まじい苦痛がその身を冒し続け、周囲は得体の知れぬ人間に囲まれる状況の中で少女の心は折れかけていた。


 か弱い少女の身になんの前触れも無く、四面楚歌と前門の虎後門の狼が目隠しをされた状態で突然襲いかかってきたのだ。ある意味それも当然と言えた。


 そこでようやく少女は誰かに助けを求めるという考えにたどり着いた。逆に言えばこの程度のことさえ思いつけないほどに動転し追い詰められていたという事でもある。


 そもそも困難に際し自分一人で立ち向かうなどどんな縛りルールだというのだ。それぞれの得手で他者の不得手を補い合い対処する。それが集団の強みだ。


 まずもって自分をこんな所に一人だけ置いて他の連中は何をしているのだと吐息を吐き出しながら仲間と連絡を取ろうとした。取ろうとしたが、そこで固まってしまった。


 メニューが開けない。スキルを発動できない。アイテムも使用どころか取り出せもしない。メールもチャットもマップも当然の様に使えない。比喩では無く視界が闇に染まった。

 再び目を開けた時には自分は横にされ布団で横になっていた。すると枕元にいた年嵩の女が声をかけてきた。

「お目覚めですか、奥方様」


 瞬間、言葉が頭に入ってこなかった。今こいつは自分のことを何と言った。おくがたさま、奥方様と言ったのか。一体それはなんの冗談かと寝ぼけ頭に血が上った。


 自分は昨夜結婚したばかりだ。俗に言う新婚だ。だから奥方様は合っている。だがそれを言うお前はなんだ。身内しか知らないことをなぜ見知らぬお前が口にする。


 この時をもって、雪はようやくここを敵地と認識した。仲間と切り離され、スキルやアイテムを始め基本メニューさえ使えない。よほど念入りに捕らえられたらしい。


 もともと昨晩で消える筈だった命。覚悟は出来ていたし思い人と添い遂げるという最高の花道も叶えられたのだ。最早思い残すことは無い。だが思い通りに出来ると思うな。


 内心からふつふつと熱い物が湧き上がってくる。決してこいつらの思い通りになってなるものか。自分は自分。それは決して曲げはしない。


 作られた命だとしても、作られた命だからこその矜持がある。この身も心も魂も、世界でただ一人だけに捧げられる物。他の誰にも、決して渡してなるものか。


 そう決意すると自然と心が落ち着いてきた。焦りはミスを呼ぶ。後から振り返れば何と言うことの無いことが、焦ったばかりにミスになってしまうのはよくあることだ。

 

 その落ち着いた心で現状を分析した。手札は無し。身体能力は常人程度、仲間との連絡も取れていない。加えて敵は集団で自分はとらわれの身。完全に詰みだった。


 これはおかしい。無理ゲーってレベルじゃ無いだろう、と思わず抗議の声を上げかけたところで襖が開き更に数人の女が部屋の中へと入ってきて、雪の顔が強張った。


 その中央の女は胸に何か白い布の包みを抱えていた。そして満面の笑みを浮かべて雪を絶望の淵へと突き落とした。

「玉のような男の子でございます、奥方様」


 衝撃を受けるのが本日何度目か、雪はもう数えるのを放棄していた。それよりも聞き捨てならないことがあったのだ。

 この女、今何と言った?


 おとこのこ、男の子と言ったか。その差し出している白い包みがそれか。つまりあれか?それは私の子供で、あのとんでもない痛みは出産のそれだったと。


 どこか思考が認識を拒否し続ける中、それでも雪は言葉をしぼりだした。

「ちちおやは、だれ……」

 女達は呆れたように顔を見合わせた。


「諏訪家当主、諏訪頼重様に決まっておりましょう。一昨年の十一月のお輿入れ以来、ようやくのお子。それもお家を継ぐべき嫡男でございます。おめでとうございます」


 聞き終わるより先に雪は叫び声を上げ暴れ出した。目の前に差し出されていた白い包みを取り上げ床に叩き付けようとするも周囲の女達に取り押さえられた。


 数人がかりで取り押さえられながら、幾人かの女が走り去る足音、響き渡る奥方様ご乱心、の大声などをどこか遠くの国の出来事のように雪は聞いていた。


 その日から雪はどことも知れない一室での生活を余儀なくされた。流石に用を足すときは部屋の外へ出ることが許されたが、それも付き人という名の監視付きだ。


 軟禁状態に甘んじながらも、雪は必死に崩れ落ちようとする自分の心と戦っていた。もたらされた情報と事実は、それほどまでに重かったからだ。


 輿入れ、つまりは嫁いできたと言うことだ。それが一昨年?自分が意識をはっきりさせたのはあの痛みの中、つまりはここ二、三日での事だ。


 それで?すわけだか何だか知らないが、一度だけ顔を見せたあのチビでハゲのおっさんがそうなんだろう。そんなのの子供を産んだ?この私が?


 どこの誰とも知らない相手に肌を許し、あまつさえその子を宿し出産してしまったのだ。子に罪は無いなどといった綺麗事の建前など、現実の前では気休めにもならなかった。


 裏切り、そう裏切りである。心に決めたただ一人と契っておきながら、他の男の子を孕むなどあってはならない。ある種の衝動が追い詰められた心に芽生えた。


 食事の箸で喉を突こうとし、またも取り押さえられることとなった。側に控えている侍女という名の監視役が、一人から二人に増えることになった。


 加えて時折見るからに怪しい坊主やら何かがお経だか何だかを聞かせてくるようになった。おいおい、なんの冗談だ。私は正気だぞ。そう思っても口には出さなかった。


 一人の限界を嫌という程味わいながら狐憑きじゃないぞと思いつつ、狐がきてくれればすぐ解決するだろうにとも思う、どこか矛盾した事を考えていた夜に、それは起きた。

 

 流石に数日過ごせば自分が軟禁されているのは時代劇に出てくるようなどこかの城だと理解は出来る。夜中にその警備兵達が騒ぎ始めたのだ。


 目を覚ますと監視当番の侍女は枕元に座っていて告げられた。

「賊が侵入した模様です。慌てずに部屋の中で留まっていて下さい」


 瞬間、雪ははっとした。もしかしたら、という希望が心のどこかに芽生えた。ここがかつて過ごした世界とは違うとは理解してはいたが、それでもと諦めきれなかった。


 騒ぎは始め少し遠くの方だった。それが段々近づいて来るでは無いか。はっとして縁側への障子を開け放つ。監視役の侍女が止めようとするがもう遅い。後は一声で済む。


 そこで雪は幾度目かの絶望を味わった。近づいてきた騒ぎが遠ざかって行くでは無いか。押さえられていた体からは抵抗の力が抜け、その場にへなへなと座り込んでしまった。


 しかし、その日から城の奥まった一角、雪が軟禁されている部屋の周辺にはよく鴉が飛来するようになった。そして何度となくあの不気味な鳴き声を上げるのだ。


 城中の者達は何かの祟りか、それともやはり取り付かれているのではと噂をし、逆に雪はその日以来奇行はなりを潜めただ穏やかに日々を過ごしていった。


 雪はもどかしい思いをしながら日々を過ごしていた。本来の力を発揮できればこんな城にいる人間達など城ごと氷漬けにしてしまえる。術攻撃担当は伊達では無い。


 しかし、他の連中もその気になればこの程度の人数なら皆殺しにする事など容易いはずだ。邪竜討伐や巨人族退治、スタンピードからの都市防衛戦に比べれば楽な物だ。


 それをしないところに、雪は違和感を感じなかった。どうせ妙な倫理観を発揮した男がいたのだろうと、その場面をありありと想像出来さえもした。


 自分の様に身内以外にはそういった情が働かないようになれば、選択肢の幅も増えるし解決も楽になるのにと思ったが、口には出さなかった。そこを愛してもいたからだ。


 そうこうしている内にいつの間にか一ヶ月が過ぎていた。救出作戦に準備がいるのは分かるが、流石に時間をかけすぎだろうと不満が溜まっていた頃の事だった。


 城内の雰囲気が、どことなく違ってきた。具体的に何と言われれば困るが、なにかぴりぴりとした空気を纏った人物や物々しい雰囲気が城中を塗り替えつつあった。


 そんな中、大人しくなるどころか連日飛来し日に何度も鳴き声を響かせる鴉を見て祟りの前触れでは無いかとあらぬ不安に駆られる者も出始めていた。


 そんなどこか浮ついた連中を尻目に、雪は左手の薬指に嵌められた、それだけは共にあった銀環を撫でつつ時を過ごしていた。時には機を待つ必要があると知っていたからだ。


 静寂や平穏は、傍観者には突如として破られた様に見える。しかし、当事者にとってはくどいくらいの伏線が張り巡らされている物だ。


 隣国の裏切り、侵略、落城、亡国。絵に描いたような国家滅亡を雪はどこか達観し他人事のような目で見ていた。その関心は別の所に向いていたからだ。


 落城のどさくさに紛れて救出に来るかと思いきや、肩すかしを食らわされた雪の心に、流石に焦りと不安が芽生えてきた。もしや自分は捨てられたのではあるまいか。


 自分が他の面々に比べ重い、面倒な女である自覚はある。ならばはぐれたのにかこつけてこれ幸いと関係を自然消滅させる気では無いか。鴉は気付かせないためのフェイクか。


 城内一室に軟禁状態で外出さえもままならない生活環境は、その思考に影を落としていた。まともに相談できる相手の一人もいない環境は、内心の不安を増大させていた。


 そんな中移動させられることとなった。実家の兄の元へ子供共々行くのだという。どこか遠くの世界の出来事のようにそれを聞き、そして駕籠に揺られていた。


 しかし移動中、それまで白と黒にぼんやりと色分けされていた世界が急に色を取り戻した。忘れるはずも無い声が、自分の名を呼んだのだ。


 慌てて声の方を見れば愛しい人と大切な仲間の姿が。その左手の銀環を確認し、自らも口元を覆いながら冷たく存在を主張する薬指の銀環の感触を確かめた。


 書きたいこと、書かないといけないこと、書けたこと。

それぞれを見比べると、ううむ。

精進、精進です。

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