44 噂の新参
帰陣した竜胆と静を出迎えたのは、それまでの、甲府から諏訪へと至る行軍途中で寄せられた奇異と嘲りでは無く、畏怖の視線であった。
百聞は一見にしかず。いかに誇張された噂話で偏見を抱いていようと、圧倒的な戦果を目の前で見せつけられては認識を改めないわけにはいかなかった。
竜胆と静の武芸の腕前を知るは数十人だった。だがしかし、いまや千に届こうとする数に知れ渡ることとなった。得体の知れぬ他国者が、見所ある新参に変わった。
一歩進むごとに人並みが割れて周囲の者達が一歩下がり道を開ける。その中を二人は常の歩みで戦果である敵方の騎馬武者二名を馬ごと引き連れながら歩いていた。
迷い無く歩いて行く先の気になった野次馬の中には怪訝な顔をする者もいた。普段であれば戦果の報告に総大将の所へ意気揚々と参上するはずである。
しかし、竜胆等の進む先は本陣では無かった。どうしたことかと首を傾げたりささやきあったりする者等が出始める中、答えは向こうからやってきた。
反対側から野次馬をかき分けてやってきたのは竜胆の寄親たる教来石とその郎党数名であった。余程慌ててきたのか、一部には陣笠の紐が上手く止まっていない者さえいた。
それを見ると直ちに竜胆と静は地面に片膝を付き報告をした。
「民部卿様、諏訪方の物見二名、片方は生け捕りもう片方は討ち取ってございます」
具足を身につけ馬上よりそれを聞いた教来石は鷹揚に
「ご苦労、では付いて参れ」
と返答し踵を返した。
肩を上下させる郎党もいる中、まず騎馬が続いて弓と槍が回れ右してゆき、最後に竜胆と静がそれぞれに馬を引きながらそれに続いた。
威厳を保ってはいたものの、教来石は内心頭を抱えていた。陣地の設営の最中に問題の二名が敵を迎え撃つと飛び出していったら、本当に諏訪勢とやりあって勝ったという。
しかも弓槍各一名ずつで十の騎馬とやり合い無傷で二人を打ち倒した。本来であれば抜け駆けを叱責せねばならぬがさてどうしたものか、眉間の皺が深くなった。
とはいえまずはしなけれなばならないことがあった。それも二つ。気を失っている方は具足を脱がせ縄で縛った。途中目を覚ましたが即座に静が当て身を喰らわせた。
重要なのはもう片方である。討ち取った敵兵は首を落とし合戦後の首実検に供さねばならなかった。つまり、竜胆は今からこの死者の首を刎ねなければならなかった。
それを告げられた竜胆は知らず半歩後ずさった。戦闘の興奮も落ち着いた今、人を殺したという衝撃とこれから死体を再度殺す罪悪感がその背を震わせた。
それを見た静が気遣わしげにならば自分が、と申し出ようとしたその時、竜胆は腰の刀を鞘走らせると教来石の郎党が起こすその首へと白刃を振り下ろした。
腕の良い首切り役人は斬首の際首が飛んでいかぬよう皮一枚を残すという。勿論竜胆にそんな器用な真似は出来ず勢いよく切り飛ばされた首は転がっていった。
それを見た教来石は一つ頷くと配下に首を首桶に入れ塩漬けにしておくよう命じた。そして竜胆へと歩み寄ると肩を叩き自分も刀を抜き身振りを交え次の際の忠告をした。
そんな竜胆を静はどこか感情の無い瞳で見つめていた。本来七月ならばやかましく合掌しているはずの蝉の声が、この時は静まりかえっていた。
教来石の元を持ち場放棄の厳重注意と、次は抜け駆けの法度違反として厳正に処罰するとのお叱りを頂戴した後二人は、好意で着替えた具足を確認し合った。
教来石が去った後二人は口取りの男に付いて馬の世話のする事になった。二頭も戦利品として手に入れたのだから実に当然の事であった。当然のことであったのだが……
「具足、動きにくいですね」
「脱ごうか」
鎧兜を着けたままでは動きにくい。脱いでの作業と相成った。
そうして馬との接し方、飼い葉を与える量とその時刻、食後の注意点など数え始めればきりが無い。専門の使用人が必要な業務である。当然だった。
しかし業務が発生した都度ぶつ切りで教える五月雨式の口伝では効率は芳しくなかった。竜胆は体系化された現代の研修の凄さを戦国時代で理解した。
「教来石様はどちらへ行かれたのでしょう」
感慨にふけっている竜胆に静が問いかけた。実名では無く仮名、仮名では無く官途名で呼ぶ習慣にはまだ慣れないらしい。
そんな静に竜胆はあまり大きな声で言ってくれるな、顔に書きながら答えた。
「偉い人の所だろう。部下の後始末も上司の勤めだもの」
果たしてその頃、教来石は竜胆の予想の通りに単身本陣を訪れ武川衆を統べる武田信繁に部下の抜け駆けと己の監督不行き届きを詫びていた。
信賞必罰は組織の基本である。功を賞さなければ士気に関わる。さりとて罪を罰しなければ今度は規律が乱れる。賞は大抵の者はこなすが、罰こそ上に立つ者の器量が出る。
そして武田信繁は今回悩みに悩んでいた。
何よりの問題は、今回まともに賞しようとすると静は一番槍になってしまうことだった。流石にそれはまずかった。
並み居る譜代、歴戦の強者、今回こそと心中に期してきた者。そういった者達の立場がなくなってしまう。出る杭は打たれるが出すぎた杭も扱いに困る。
普通ならば新参の他国者で、しかも女子供が手柄を立てたのだ。お前達も奮起しないでどうする、と全軍を鼓舞する良い材料になっただろうにと歯がみした。
そして、こういう問題が起こったときのために傍に経験豊富な老臣が控えているのだ。亀の甲より年の功。大小様々な問題と対面し、また他者のそれも聞いている。
情報通信が発達していない時代、大規模な経験の共有化とそれに伴う効率化などは夢物語だ。現実的な対応としては先輩の経験談を聞かせて貰う、になる。
世襲化や徒弟制の温床の一因でもあり、またそういった互いの腹を割った話をしやすい酒の席での交流が重要視されてきた原因の一つでもある。
その老臣の一人が今回の問題をまとめた。良い点は初陣の若者が奮起し手柄を立てたこと。悪い点はそれが寄親の許可を得ぬ抜け駆けであったこと。
杓子定規に賞すれば一番槍の誉れを得る、しかも捕虜を得て相手の情報も期待できる。逆に罰すれば法度に触れた門で打ち首もあり得る。
さりとて無かったことにも出来ない。結局、今回は竜胆等が所用で陣を離れた際に諏訪勢と遭遇しこれを討ち取ったと言うことになった。一番槍は、無しになった。
どこか噛んで含めるような物言いにて教来石からそれを伝えられた竜胆は一言、承知致しましたと答えた。静は何か言いかけたが竜胆はそれを目で制した。
そうしてその日は他に具足の各部の名称と簡単な手入れを教えられて日暮れとなった。
日が落ちる前に野営の準備に入り、就寝前の自由時間となった。
どこからともなく酒盛りの歓声が聞こえてくる中、静は先程の一件を竜胆に質問した。手柄が目減りしたのに良いのかと。対する竜胆の答えは実にあっさりした物だった。
目的をはき違えていないか。手柄はあくまで手段に過ぎない。まずははぐれた仲間の発見と確保が第一だ。抜け駆けを大目に見て貰ったなら多少の事は仕方ない。
自分たちの規則違反を大目に見る形で相手が一歩引いてくれたのだから、こちらも一番槍を放棄する形で一歩引こう。分かりやすい貸し借りだった。
静はこの男どもの間でしばしば見られる、諸々の目に見えない貸し借りがどうにも好きになれなかった。しかしそれが上の裁定で竜胆も納得しているのならば否応も無い。
それに、気にすべき事は他にもあった。聞き耳を立てるまでも無く、陣中のそこかしこで今日の自分たちの一件が噂になっているのだ。
ある若者の場合ーー
「初陣同士手柄で遅れを取るわけにはいかぬぞと父上から出陣前に釘を刺されておったと言うに、おのれ」
口惜しげに歯噛みしているのは秋山という名のどこか鋭利な刃物を思わせる顔立ちをした若武者だった。竜胆の後塵を拝した憤懣を壮年の郎党がなだめていた。
「このまま手ぶらでは帰れぬ。明日は必ずや敵の首を取って手柄としてみせる。お前達も心せよ」
決意を秘めた瞳でそう叫んだ。
ある武人の場合ーー
「ははっ、多少の武功は上げると思っておったが、まさかこれほどとは。やってくれる」
豪快な笑い声を上げるのは原美濃守だ。
竜胆の仕官時に静に土を付けられて以来、見るべき所をみつけたのか自分の寄子でもないのに何かと面倒を見たりしていた。今は牢人衆を率いる武将の一人だ。
仕えていた城が攻略され父と共に甲斐へ流れてはや三十年近く、自身も五十に手の届く年齢になっている。新参の他国者にかつての自分を重ねなかったと言えば嘘になる。
しかし、それだけで一介の若造を気にかけるほど暇な立場でも無い。竜胆に他の者達とは違う何かを、まだ言葉には出来ないが感じ取っていた。
「お前達、今日は早めに寝ておけよ。明日からは城攻めじゃ」
周囲に控える部下達にそう言って下がらせると、自分は槍をしごき始めた。
ある家老の場合ーー
「ふん、あの礼儀知らずの若造が手柄をたておったと」
幕舎の中で甘利備前守は報告を受けた。
始め見たときは積翠寺だった。誰の紹介も無く公家の冷泉卿を招いての歌会に乱入し、仕官させろなどと言い出す調子に乗っただけの小僧かと思ったものだった。
主客たる冷泉卿の機転もあり余興で武芸を披露した功で仕官だけは許した。しかしその後を見ると国境での賊の討伐などおおっぴらには対応しにくい事例に対処していた。
そしてここへ来て初陣で兜首である。当初はどこぞの大名の間者かと疑う向きもあったが、その件はもう白と考えて良かろうと判断した。
となると次はどこまで使えるか、である。ただのまぐれか猪武者か教来石がきちんと手綱を握ったか、はたまたそれ以上の器か。知らず宿老の口元に笑みが浮かんでいた。
そして上原城ではそのころ蜂の巣をつついた様な大騒ぎになっていた。東からは武田、南からは高遠頼継が攻め寄せてきた。一旦上原城を放棄し仕切り直しとなったのだ。
しかし勝ち戦ならば兎も角、負け戦で士気を維持するのは難しい。数で勝る敵に背中を見せて逃げるのだ。それで勝利への希望を抱けというのが土台無理な話だ。
結果、夜陰に紛れの移動中に逃亡兵が続出する羽目に陥っていた。誰しも自分の命は惜しいし勝ち馬に乗りたい、泥船の負け戦につき合うのはまっぴら御免だ。
諏訪勢が上原城を捨てたのは兵の数が城を守るには少なすぎたからだ。城も規模の大小によって適正な守備兵の数という物がある。かの大阪城ならば数万が必要となる。
いかに小ぶりとは言え仮にも諏訪家の本城である。千の兵では各所に配する兵の数が足りない。そのため、より小規模で兵の必要数も少ない桑原城へ移動の決定がされた。
敵軍に利用されないよう、また足止めとなるよう城下に自ら火を放っての撤退である。
ある者は呆然とし、ある者は涙を流し、またある者は夜の闇へと紛れて戻らなかった。
さしたる衝突も無いまま、諏訪勢は只でさえ少ないその数を更に減らしつつあった。夜を焦がす炎が、月を覆う暗雲を下から照らしていた。
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