43 前哨戦
天文十一(一五四二)年七月二日、遂に武田諏訪両軍は諏訪郡内犬射原にて対峙した。しかしその両軍の差は素人目にも明らかなほどであった。
片や諏訪勢は騎馬三百五十に徒士八百だが、只でさえ少ない中から逃亡兵が続出していた。片や甲斐勢は前日の損害を出しつつも帰還した物見の報告では耳を疑う数だった。
恐怖から来る過大評価もあろうが、それでも騎馬二千騎総勢二万人という数字は割り引いて考えても勝ち目のある数字では無かった。実際、諏訪勢は接敵を一日遅らせた。
前日出陣した後一旦城下町まで後退し、翌二日に改めて諏訪勢は出陣、上原城の東に広がる犬射原にて対峙した。夏の日差しがじりじりと照りつけ体力を容赦なく奪っていた。
この状況でもまだ諏訪当主頼重は武田との開戦をどこか現実の物として受け止め切れていなかった。開戦に先立つ儀礼を晴信が行っていなかったからである。
この時代、開戦に先だっては手切れの一札とよばれる書状を周辺国へと送ることが慣例になっていた。開戦理由と自らの大義名分を
喧伝し周囲を味方に付けるためである。
どれほどの慣例かと言えば史実では武田が織田との開戦に当たりこれを省略したことにより、信長が激怒し上杉謙信への書状の中でこう表現している。
『信玄の所業、まことに前代未聞の無道といえり。侍の義理を知らず』
『永く儀絶(義絶)たるべき事』
『再びあい通じまじく候』
史実で決して信長が勝頼との和睦に応じようとしなかった理由の一つにこれが挙げられている。実際、今川との開戦に際しては北条に手切れの一札が届けられている。
今回においても無論そのリスクは承知していただろう。しかし同時に得ることの出来る奇襲効果を今回は選んだのだろう。そしてそれは同時にある一つの事も意味していた。
今回、武田は諏訪を滅ぼすつもりだという不退転の決意である。例え慣例違反を犯そうとも、恨んでくる相手が存在しないのであれば問題はない。
そのための駄目押しの一手さえ、武田は用意して今回の一戦に臨んでいた。武田勢を見つめる頼重の元に凶報がもたらされた。高遠諏訪勢侵入。後方が脅かされていた。
挟み撃ち。腹背に敵を受ける。袋のネズミ。言い方は様々ではあるが、一つはっきりしている事がある。致命の窮地に陥ったと言うことだ。諏訪頼重の足から地の感触が消えた。
かの信長とて浅井長政に裏切られた金ヶ崎撤退戦では一目散に戦場を離脱している。挟み撃ちを受け浮き足立った軍隊では万一の事が起こる危険が跳ね上がるのだ。
どうしたものかと額に手を当てながら本陣の床几から立ち上がり歩いていると視界の端に黒煙が映った。何事か考える間もなく息せき切った伝令が飛び込んできた。
高遠勢、安国寺門前の大町に放火。それは防衛網が突破され敵勢に城下へと侵入された証拠だった。奥歯を噛みしめながら頼重は上原城を捨て桑原城への撤退を命じた。
「昨日に引き続き何とかなったか」
遠目にも慌ただしい動きをし始めた諏訪勢と、その向こうに幾筋か立ち上る黒煙を見ながら竜胆は安堵の声を出した。
主殿、と窘める声を出したのは傍らに立つ静である。二人とも前日までと違って胴丸では無く多少ちぐはぐな部分はあるものの兜からすね当てまで揃った具足を着用している。
そのためかどうかは知らないが、昨日まで後ろ指をさしていた周囲の足軽連中も今日はどこか畏怖の目をもって二人を見ていた。そこへ教来石から呼び出しがかかった。
直ぐさま二人して教来石の元へと参上した。二人を見て微かに眉をひそめたがその後は何事も無かった風に口を開いた。
「諏訪勢が上原城から退き始めたそうじゃ」
さもありなん。内心竜胆はそう思った。腹背に敵を受けその場で踏みとどまっていては挟み撃ちに遭って詰むだろう。一旦下がって敵を前方のみに限定するのは一理ある。
しかし竜胆はその内心を口にすることはしなかった。兎も角今の自分は初陣の一兵士である。訳知り顔で経営分析を語る新人を部下に持ちたがる上司はいない。
竜胆に然程驚いた様子が無いことを見て取った教来石は再度言葉を紡いだ。
「今後をどう見る。存念を述べよ」
竜胆の背が強張った。
ばれている。竜胆の心臓が早鐘を打った。声高に主張する気は無かったし、ある程度隠している積もりではあった。しかし流石に寄親、上官である。見抜いていた。
教来石とて今は侍大将ではない。部隊指揮官では無く、数名の部下を持つ位置づけとしては班長くらいか。今も顔を知った者しか周りにいないと竜胆も気が緩んだか。
覚悟を決めて口を引き結ぶと竜胆は今後の見通しを述べた。相手は上原城から桑原城へと引いて仕切り直した積もりだろうが上手くは運ばない。数日で開城するだろうと。
それを聞くと教来石は鼻を鳴らした。
「なるほど。元服前でそこまで見えるか。ならば昨日の武功も実力か。見抜いた上で儂の下に付けられたか」
そう呟くと教来石は表情を引き締め体ごと竜胆へと向き直り一喝した。
「ならば抜け駆けなど言語道断。手柄と相殺などと考えるな。次は無いと思え」
ははぁっ、と竜胆は平伏し静もそれに続いた。その様をしばらく眺めた後、教来石は戦闘時以外は竜胆に自分の供回りについてその仕事を覚えるよう指示した。
それにとばっちりだと顔をしたのは当の供回り達である。彼らは教来石家の家人であり、個人的な部下である。竜胆のように上の指示で配属された者とは違う。
供回り、と一口に言ってもその仕事は様々だ。現代で言う鞄持ち一つ取っても槍持、鎧持、荷物持と三人は必要だ。それに馬の世話をする口取りも加わる。
仕事を教えると言っても手順書も教科書も無い口頭指導となる。勢い、中世職人集団の徒弟制度の様な形での教育となり竜胆等は大いに戸惑うことになった。
勝ち戦と決定はしていなくても、自軍が優勢に合戦を進め後一押しの感触を得ていれば士気は上がるものである。しかし今の武田軍にはそれだけでは無い何かがあった。
進軍した先では本格的な槍合わせの前の前哨戦を優位に進め、相手は本城を捨て後詰めの城へと撤退中と聞く。逃亡兵も少なからず出ているらしい。
数で圧倒し、後背を同盟軍に突かせ、内応者さえ事前に話を付けていた。これで勝てなければどうしようも無いという下準備の上で武田は諏訪へと攻め入ったのだ。
目論み通り緒戦は圧勝の形で進んでいた。本来であれば内輪で前祝いと称して少々酒を舐める者が出てきてもおかしくないほどの状況であった。
しかし、今武田軍ではどこか深刻そうな顔をして者達がそこかしこでひそひそと噂話に興じていた。原因は昼間の小競り合いで、噂の人物の名を白樺竜胆と言った。
合戦に先立っては相手の情報を得ることが重要となる。まずは数、次に装備、布陣した場所と陣形、兵の士気、補給の程度、内部の結束具合など数えればきりが無い。
そういった情報を得るために物見が出される。現代で言う偵察部隊だ。当然、いの一番に接敵する部隊だ。突発的な戦闘も当然予想され、精鋭がこれにあてられる。
それは前日、武田勢が犬射原に着陣し周囲に簡素な堀を作り方々へ旗を立てている最中に起こった出来事だった。ふと顔を上げると陣を飛び出していった者が二名いたのだ。
合戦の最中に持ち場を離れるなど言語道断、本来ならばその場で切り捨てられて然るべき所業であった。しかしその二人は弓と槍をそれぞれ構え諏訪勢の方へ駆けていった。
すると向こうから騎馬武者が十名ほど駆けて来るではないか。何事か、といぶかしがりながらも外周の警戒部隊は前後に意識を向けつつ迎撃の用意に入った。
二人は武田方の警戒部隊には目もくれず真っ直ぐに諏訪勢の騎馬へと駆けていった。胴丸に槍か弓を装備しただけの軽装備で五倍の騎馬へと突っ込んでいったのだ。
面食らったのはむしろ諏訪勢である。安全を期し、遠目に武田の軍勢を確認し本陣へと報告へ戻る筈だったのだ。そこへ足軽とおぼしき者が二名突っ込んできたのだ。
この時代の武士は面目、外聞を重んじる。十名からなる騎馬武者がたった二名の足軽に背を向けられようか。侍として、諏訪の武人として断じて否である。
この場に置いては情報を持ち帰ることが肝要である。あのような者どもに関わって引き時を逸してはそれこそ本末転倒である。その正論が彼らの脳裏に浮かびはした。
しかし、理性による合理的な判断よりも外聞や面目と言った非合理な慣習が彼らの行動を縛った。結果として騎馬十人対歩兵二人の常軌を逸した戦いが幕を開けたのだった。
これには武田勢も度肝を抜かれた。抜け駆けや持ち場放棄は当然御法度である。加えて彼らはそれをしでかした者達に心当たりがあり過ぎた。
元服前のくせに下手な武人よりも大柄な男女の組み合わせ。ふらりと甲斐に流れ着き、当主の御前を騒がせ仕官を許された横紙破りな者どもは今話題の人物であった。
その後盗賊退治などで口の端に登ることもあった。その後のへまもあったが、四月に彼らの武芸の程をその目で見ていた者達も息を呑んだ。流石に無理だろうと思ったからだ。
前を走る静は手に持つ素槍を先頭の騎馬へと向け構え直し、続く竜胆は立ち止まると腰の竹筒から矢を取り出し弓へつがえ引き絞り狙いを定めた。
対する騎馬武者は全員が弓を装備していた。彼らも空穂から矢を取り出し弓につがえ狙いを竜胆へと定めた。ここに十対一の矢合わせが始まろうとしていた。
武田勢のある者は顔をしかめ、ある者は騎馬に跨がり、ある者は合掌した。一対二や三ならまだ一矢報いる事が出来るかも知れないが、二対十では結果は知れている。
命を無駄にしおって、と沈痛な表情で顔を逸らす者さえいた。双方が弓を引き絞り、矢を放った。じりじりと照りつける日差しの暑さを、この一瞬彼らは忘れた。
結果は、誰も予想さえ出来ない物だった。騎馬武者から放たれた十本の矢の数本を、前の静はその槍で次々とはたき落としたのだ。
それ以外は空しく地に突き刺さった。
逆に竜胆の放った一矢は見事に先頭の騎馬武者の胸を貫いた。うむ、と呻くと仰向けになった。それでも落馬しなかったのは武人の意地か馬の質か。
どよめきが武田の陣から沸き起こった。対して諏訪の騎馬達は先頭が討たれたことで陣形に乱れが出来た。その隙に竜胆は素早く次の矢を放った。
今度は騎馬武者の右肩に突き刺さった。手綱を持つ右肩を射貫かれた武者は弓を持ったまま慣れぬ左手で手綱を操ろうとし姿勢を崩し、どうと落馬してしまった。
顔色を変えたのは諏訪の武者達だ。只の雑兵、足軽と侮ったが一連の矢合わせで見せた腕前は名の知れた武芸者どころでは無かった。一人が手を振り、他の者は了承した。
諏訪の騎馬勢は弓の間合いから槍の間合いへと突入する前に右旋回し、置き土産の様に竜胆らへ一矢放つと戦友をそのままに去って行った。
後に残されたのは竜胆、静、それに胸を射貫かれ絶命した者、右肩を射貫かれ落馬した者、その者達の乗っていた馬二頭である。文句なく、竜胆等の勝利であった。
「郎党の足軽部隊がいなくて助かった。もしいたらここで主人の救出に来て大事だった」
「それではこちらも引き上げましょう。白星ですね、主殿」
去って行く騎馬を見つめながら肩の力を抜いた二人はどちらからとも無くそう軽口をたたき合った。その時になって竜胆はようやく自分の掌が汗で濡れている事に気付いた。
兎も角、勝ったのだ。竜胆と静は物言わぬ馬上の侍と気を失っている落馬した侍をそれぞれ馬ごと引っ張りながら自陣へと帰還した。武田の軍兵が割れるように道を開けた。
ようやく花粉症も、人事異動の余波も収まってきました。やれやれです。




