40 海ノ口城へ
海ノ口城。それは武田贔屓、特に信玄派の者にとっては忘れられない場所である。当時晴信を名乗っていた元服間もない信玄の、初陣となった場所だからである。
父である猛将信虎に率いられた武田軍は敵将平賀原心立てこもる海ノ口城へと攻め寄せる。しかし城兵の奮戦も有り城は落とせず帰還の途につく。
そして物語は動き出す。撤退の殿を晴信が申し出る。嫡男のすることではないと却下されるも再三頼み半ば呆れながら許可される。居残る配下の兵も口々に不満をこぼした。
そして武田軍は撤退したと喜び備えを解いた海ノ口城を晴信はわずかな手勢と只一戦のみでもって陥落せしめた。名将の片鱗は初陣の際に既にその萌芽を見せていた。
しかし、その功績は賞賛されることはなかった。あまつさえ、城を捨てて来るとは何事かと叱責さえ受けたのだった。英雄の勝利と悲劇、それが晴信の初陣であった。
そのような形で歴史の一舞台となった海ノ口城は、甲斐から信濃の佐久小県へと続く街道の途中、現在の南牧村付近に存在する。東西五百米にも満たない小城である。
しかし、その立地は西を流れる千曲川とその周辺の農地村落、さらには街道を監視できる国境の前線基地の様相を呈している。街道を扼す、というやつだ。
それは佐久視点では甲斐からの進出を防ぐ前線基地の役割を持っていた。そして逆に甲斐視点では、佐久進出の足がかりとなる重要拠点となる。
すでに日も傾きかけている時間帯、このまま山を下り農地を突っ切り川を渡り対岸の山へと足を伸ばし更に絵図面まで書き起こすには少々時間が厳しかった。
そこで竜胆は一旦麓の村へと降りて宿を取ることにした。流石に人目のあるところでは木々を飛び移れない。行儀良く徒歩での下山と相成った。
見えてきたあばら屋の様な農家の戸をとんとんと叩き声をかける。
「もし、旅の者でございます。草鞋を何足か分けて頂けませんか」
この時代、旅人にとって草鞋は日に数足を履き潰す消耗品である。農民においては一晩に草鞋を何足編めるかで一人前と判断される所もあった。
つまりは無難な話題というわけだ。同時に農家にとってはささやかでも臨時収入になるから多少訳ありに見えても断りにくい用件でもある。
案の定、がたがたと音を立て戸板が横にずらされ家の者が顔を覗かせた。竜胆は掌に幾ばくかの銭を乗せ融通を願った。相場より幾分高めの額を出すと言葉を続けた。
「夕暮れも近く今夜の宿をお借りしとうございます。世話役の方をご紹介願えませんか」
当初浮かべた不審の色は、理解のそれへと取って代わられた。仲介手数料だったのだ。
そして垣根を巡らせた先の農家の倍ほどもある大きさの屋敷へと案内された。結果は諾であった。外れの空き家を貸す。カネは払え。揉め事は起こすな。
流石に風呂は付いていないため、沸かした湯で手拭いを濡らし体を拭く程度が精一杯である。それでも屋根が有り天露をしのげるだけ野宿よりはずっと良い。
迂闊に日没後に蝋燭や松明を使い不審火に勘違いされても困るので、荷物を解くと日暮れ後そのまま横になった。代わりに起床は日の出前。早寝早起きだ。
翌朝は文字通り鶏鳴を待たずしての目覚めとなった。もっとも驚いた事には、それが珍しくもないことだった。農村では夜明け間に段取りし、朝食前に一仕事が当たり前だった。
農家は時代が変わってもこんな物なんだなあ、と竜胆は妙な感慨にふけりながら朝食の支度をしていた。もっとも、乾燥させた雑穀飯を湯で戻して粥にするだけだったが。
「おかず欲しいよ、兄貴」
「贅沢言うな。食えるだけましだ」
「欲しがりますよ、勝つ前も」
「おい」
保存方法は塩漬けが一般的な時代に置いて、山国甲斐では塩はそこそこ高価である。塩漬け肉など贅沢品と言っても良いほどだ。結果、旅の食事は味気ない物になる。
レトルトや缶詰をもたらした現代文明はやっぱりすごかったんだなあ、といささか場違いな感想を竜胆は抱いた。竜胆と牛若以外は慣れたもので黙々と食事を摂っていた。
食事が終われば一晩の宿となった小屋の中を軽く掃除し、忘れ物を確認した後荷物をまとめて出発した。そして昨日の屋敷を訪問し退去の辞と一宿の礼を述べた。
最初一行は両側に田んぼを見ながら街道を北上していった。信濃に行くのであればこれは正しい。しかし海ノ口城は右手の丘の上に鎮座しているのだ。
疑問の声を上げようとする牛若を玉藻が制した。竜胆は何処吹く風で農作業中の村人に挨拶しながら通り過ぎていった。珍奇な一団は村人の視線を集めながら移動していった。
「そろそろいいか」
そう竜胆が呟いたのは村はずれ、周囲も農地ではなく林になってきた辺りであった。
「人目もありませんし、戻りますか」
二度三度と、周囲の人影を確認した後に静はそう続け、ぐっと体を沈ませると飛び上がる準備をした。
「え?え?そゆこと?」
牛若の疑問に竜胆はにやりとした笑みで答えるとあまり音を立てるなよ、と一言注意した上で地を蹴った。静は既に先行している。今度は玉藻が殿になりそれに続いた。
つまりはこういうことだ。ある日突然ふらりとやってきた縁もゆかりもない怪しげな一行。揉め事を起こすのは慣習に疎い余所者であるならば、警戒しないほうが無理だ。
実際、夜明け前にも複数の村人が農作業へ行く振りをして自分たちの様子を監視に来ていた。そんな状況で真っ直ぐに城へ向かえばどうなるか。注進されるだけだ。
ならばこそ、一旦信濃に向かうと見せかけ村はずれまで移動し人目を避けたのだ。ならば次はどうするか。決まっている。当初の予定へ戻るのだ。
一度は小さくなった丘の上の城が、再びその大きさを増していた。城は眼下の千曲川沿いに存在する南牧村を睥睨している。しかし巨大城郭という態でもない。
甲斐と信濃の境目にある立地からして、信濃からは門番、甲斐からは侵入口にあたるのが海ノ口城だ。飛び移る木々の枝の間からそのこじんまりとした姿が垣間見える。
その姿はある意味戦国時代らしい物だった。尾根の上にある主郭。そしてその西側には斜面を一部削ることで造成された複数の曲輪。地形を利用した山城という奴だ。
但し、流石にその大きさは然程でもない。東西五十メートルもない。諏訪の上原城が東西三百メートル越えであることを考えれば主城との規模の差がわかるか。
更に近づき、用心のため一行は地面に降り立ち周囲を警戒しながら徒歩で城へと登っていった。時折牛若に絵図面を描かせながらのため、進みは遅々としたものだ。
実際、百姓が周囲を警戒しながら登ってきたのでは、麓から城までたどり着くのに一時間では済むまい。竜胆たちは早くに出発したこともあり、昼にはまだまだ余裕があった。
もっとも牛若だけは昨日から長閑さとはかけ離れたところにいた。関所を、麓の村を、対岸の山から見た城を、麓から見上げた城を、都度紙へと落とし込んでいるのだ。
本来なら一番快活なはずの牛若が口数少なくなっている時点でその消耗具合は推して知るべしであった。竜胆も帰還後の埋め合わせは相応の物を覚悟した。
城へとそれなりに近づいてくると、警戒のためか林は切り払われ山肌を直接日の光が照らしていた。同時に牛若が見慣れない物に声を上げた。
「あれ、兄貴木がひっくり返ってるよ」
牛若のその言も無理はない。根から掘り起こされた木が斜面にその身を横たえているのだ。台風でもあったかのようだ。
しかし竜胆はそれが自然ではなく人の手による物だと知っていた。
「あれは逆茂木って言ってな、この時代のバリケードだよ」
言われて牛若は納得した。その幹は進入路を限定する。枝と根は障害物として足止めになる。そして木が無くなることで視界は開け監視しやすくなる。一石三鳥だ。
へえ、と感心しながらも牛若はその手を休ませない。さらさたと絵図面が仕上がってゆく。本職顔負けの、芸術品としてもなかなかのものだった。
その横で玉藻が今までの図面を一枚一枚確認して行く。情報担当と作戦担当、この二人の相性は案外と良かった。玉藻は満足そうな笑みを浮かべると油紙に包んで箱に入れた。
作業終了後行軍を再開する。双眼鏡や望遠鏡は無いものの、然程の問題はない、筈だった。しかし竜胆は翻る旗を見てしまった。染め抜かれた武田の割菱を。
竜胆は玉藻を振り返るとにこにことした笑みで対応された。こうして、初めての偵察任務は味方の城を偵察する、といういささか締まらない結末を迎えた。
流石に味方に不審者扱いされての無用な衝突は避けたかった竜胆は偵察を打ち切り、甲府への帰還を決定した。道中の絵図面を出せば及第点にはなろうとの判断もあった。
即日甲府へと戻り、宿にて旅の垢を落とし衣服を整え、翌朝教来石宅へ静と二人で竜胆は報告に赴いた。正直、雷を落とされることは覚悟しての事だった。
「お役目ご苦労。お前達はこのまま甲府にて待機せよ」
自宅待機か、と青ざめる竜胆に自分もこれを躑躅ヶ崎館へ報告に行くと教来石は告げた。
正直、竜胆はほっとしていた。流石に打ち首などはないだろうが、不首尾の罰則のひとつもあると覚悟していたからだ。同時に尻拭いをさせてしまう後ろ暗さもあった。
「それで、これからどうなさるおつもりで」
帰途で静より発せられたこの質問に竜胆はふと考え込んだ。兎にも角にも待機命令中である。寺で書写ぐらいはよいだろうが……
宿へと戻った二人は全員で集まり、甲府での待機命令が出たことを伝えた。これまで通り寺通いはするが、山賊討伐と近隣の散策は当面見送りとなった。
不満もあらわになったのは牛若である。一番神経を使い絵図面を十枚以上書き起こし、その結果がろくに気晴らしも出来ないとは何事か、と。
竜胆も牛若のその反応は予想していた。そしてそれが一理あることも理解していた。その上でこう頭を下げた。
「上の指示だ。我慢してくれ」
ぐっと言葉に詰まったのは牛若の方である。竜胆を困らせるつもりはなかったのだ。自分の状況を理解して欲しかっただけなのだ。そして周りの仲間はどうすると視線を向ける。
「ああもう、わかったよ。大人しくしてる」
腕組みして鼻を鳴らし、視線を逸らしてそう言い放った。その様はまるで聞き分けの悪い子供のようだった。
翌日の朝、宿の女将が朝食を用意しながら竜胆たちの任務失敗が噂になっていると教えてくれた。帰還して三日も経たぬうちにこれである。噂の伝達速度を思い知った。
悪い噂は良い噂の十倍の速度で駆け巡る。知識としては知っていたが、竜胆はそれを今回肌身で知った。ふと玉藻を見れば手を軽くくゆらせ、そして狙いを理解した。
それからしばらく、甲府の世間話の流行の一つに「山賊狩りの失態」が加わった。当然、竜胆らは方々へと話題を提供することと相なった。
ある譜代家臣どもの間では
「あの若造どもしくじったとか」
「さもありなん。あんな氏素性の分からぬ者が侍の真似などするからじゃ」
また躑躅ヶ崎館の一角では
「この絵図面は……」
「城の在番衆にも気付かれておりませぬ」
「とんでもない連中が仕官してきたものよ」
そんな中、竜胆は教来石より呼び出しを受けた。いざという時に備え、鎧兜などの武具一式を改めると言う。
季節は六月を迎えていた。




