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武田見聞録  作者: 塩宮克己
1章 天文11年(1542年) 諏訪高遠編
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37 初めての下知

 甲府へと帰還する道すがら、竜胆は山賊の頭目達になぜこんな事をして生計を得ているのか尋ねた。甲斐や信濃がいくら山国といっても、多少の土地はあるだろうと。


 それに答えた者、唾を吐きかけた者、無視を決め込んだ者様々であったが結局は老頭目の痩せた土地に毎年の天災、うち続く戦乱と重税では食えぬ以上の答えは無かった。


 竜胆はじっと考え込み、

「じゃあそこそこの土地にほどほどの天候で戦は年に一度しかしない年貢が四公くらいの領主がいたら百姓でくらしてたのか」

 

 ぽつりと、呟くように聞くと今度はすべての頭目が哄笑した。そんな夢物語酒の肴にもならんわ。末期の会話だ、もう少し気の利いた事は言えんのか。


 そのやりとりはまっとうな感覚の持ち主ならば、捕らえられ甲府に護送されあとは死を待つばかりの罪人に対し婉曲的な嫌みを言って嬲った様に見えただろう。


 実際、そう受け取ったからこそ山賊の頭目達は竜胆の問い対しむき出しの敵意にて答えた。だが、竜胆を知るものはそうは取らなかった。


 だから今のやり取りは静には全く別の意味を持って聞こえていた。おそらくは本当に裏表も無く、なぜ山賊などに身をやつしていたのかと聞いたのだろう。


 そして付き合いの長さから、竜胆が次に何を言い出すのか、静には分かってしまった。先頭から後ろを振り返れば、壺装束の絹ごしに玉藻と目が合った気がした。


「よし、じゃあ領主を目指そう。まっとうな政治をして住民が苦しまないようにしよう」

 予想通りの言葉が耳朶を打ち、静は目を閉じ天を仰いだ。


 玉藻の表情は市女笠に隠され見えず、牛若は新しい遊びを見つけたかのように目を輝かせ、梅子は口元に指を当て考え込んだ。劇的な反応を見せたのは連行される頭目集だ。


 げらげらと笑い出す者、馬鹿にするのも大概にしろと怒り出す者、それぞれに共通していたのはまともに取り合わなかったという一点だった。


 そんな中、老頭目だけがぽつりと呟いた。「やってみろ。本当に其れが出来るなら、それこそ本当の『山賊退治』だ。」

 竜胆は瞬きもせずその言葉を受け止めた。


 それからは機械的に物事がこなされていった。捕らえた山賊を甲府へと連行する。町の人々の目線を集めながら奉行所へと突き出し、幾ばくかの報奨を頂く。


 その足で一行は何度か通った店へと顔を出した。山賊どもの使っていた武具を売り払う為である。それも収入源の一つとなっていた。だが今回はそれだけでは無かった。


 竜胆は店の主に自分と静に合うような鎧を問い合わせた。兜からすね当てまでの一揃いである。これには店主も驚いた。そして半ば呆れながら答えた。


 鎧の一揃いとなると専門の職人が一年以上をかけて作り出すものである。まして経験のほぼ無い女性用となればどうなるか。素直にある物をかき集めた方が得策だと。

 

 それもそうだと頷いた竜胆は戦利品の中から一番状態の良い胴丸二領と槍一本に弓一張は売り払わずに持って帰ることにした。自分たちの武装とする為である。 


 無論、本来の拠点たる諏訪湖の裏に存在する湖畔都市にはこれとは比べものにならない逸品の数々が保管されている。しかし、そこは封建社会である。


 下手に国宝級の品を持ち出せば目を付けられ、半ば強制的に献上させられるのは目に見えていた。能ある鷹は爪を隠すというが、切り札も隠しておかねばならない。


 そして社会に溶け込むには不必要に目立たないだけでは無く、必要なところでは適度に目立つ必要もある。竜胆一行は今度は目立つための場所へと移動した。


「毎度思うけど、お寺って山に建てる必要なくない。石段登るの大変なんだけど」

 その山が信仰を集めているのだから仕方ないだろうとは、流石に竜胆も言わなかった。


「ご苦労様でございます。本日は寄進でございますか」

 山門をくぐれば馴染みの修行僧が用件を確認してきた。


 竜胆と女達はそれぞれ別室へと案内され、竜胆は銭を百文寄進しその旨を札に書き、静達はその間茶を振る舞われた。少額といえども月極となれば扱いも多少は良くなる。


 札の内容と銭の現物を役目の僧二名に確認して貰い、供養の豆知識などを世間話がてら教えて貰った後に竜胆たちは積翠寺を辞し、更に四山の寄進行脚をした。


「旦那様、これは本当に効果があるのか教えて下さいまし」

 気まぐれなどでは無く毎月甲府五山に寄進ともなると玉藻も渋い顔をした。

   

 竜胆は目を逸らした。即座にこれ、といった効果を示せるものでは無いし、そもそももう一カ所寄進先があったからだった。だからこその玉藻の発言でもあるが。


 ごめん、と訪れた先は堤防工事を行う川除衆の寄合所だった。手近な若い衆に声をかけ上役への取り次ぎを頼んだ。ここでも百文を寄進すると一礼して去って行った。


 これだけでも六百文の出費である。それを毎月続けるとは何事か。玉藻の苦言には、一理も二理もあった。しかし竜胆にはやめるつもりは無かった。


 共同体で居場所を確保するには、一定の評判や利用価値も必要となる。信心深く洪水対策にも熱心となれば、積極的には排除されないだろうとの読みだった。


 もう一つ、嫉妬対策の意味もあった。報奨金をまるごと懐にため込めば妬まれる危険が出てくるが、ある程度目に見える形で散在すればそれも薄らぐ。


「そんなことより、そろそろ戦争用の準備が必要になるからな」

 史実通りならば年内に諏訪に侵攻し、その後第二幕もある。用意が必要だった。


「ととさま、なにをよういするの」

 梅子に言われ竜胆は頭裏に一覧を書き出した。加えて懸念点も浮かんだ。家中の譜代家臣、特に今回初陣を迎える者達の動向である。  

「お主も元服を終えた。今年は初陣を飾る事となろう。準備に怠りは無いか」

 甲府の秋山の表札の掲げられた武家の仏間にて父子の会話がなされていた。


 ぽつぽつ髪に白い物が混ざり始めた父と、紅顔の少年とが家に唯一の畳敷きの間にて互いに正座にて相対していた。雰囲気を察してか、小鳥も軒先から飛び立っていた。


 場面だけ見れば近々初陣を控えた息子に父親が訓示を与える、戦国時代ではよくある通過儀礼の一つである。本来ならば、それで終わる筈だった。だがーー


 真っ直ぐに自分の目を見返して力強く頷く我が子に、成長と覚悟を見て取りほころびそうになる口元を、父親は意識して引き締めた。そして再び口を開いた。


「お前も噂くらいは聞いておろう。積翠寺に女連れで乱入しその場の座興で五人抜きをして仕官を認められたとか言う若造のことを」

 口調の端々に苦々しさが滲んでいた。


「はい。南蛮帰りとほらを吹いたの、元服前に妾を四人も五人も囲う色狂いとも」

 若者の口調の方もそれに劣らず隔意が見て取れた。


 訳の分からない他国者が自分たちの仕える大名家へ仕官を求めあまつさえ認められ、その後自分たちではあまり手の届かぬ所で武勇を発揮しているとなれば忌々しさも募る。


「うむ。百姓崩れの賊ども相手に多少白星を挙げたと調子に乗っておるらしい。与えられた家にも住まずに宿暮らしとやりたい放題の様じゃ」


 父親は目元を引きつらせながら言葉を発した。もはや内心を隠そうともしていない。それにあてられたか少年の方の表情も厳しい物へとなっていった。


「次の戦には、あやつもお前と同様初陣となるだろう。わかるか」

 そう言って父親は息子の顔をじっと見つめた。息子の小さな喉仏が上下に動いた。


「我ら譜代は、武士の道理を心得ぬ新参者になど何ら劣ることは無いと、その武功でもって示さねばならぬ」

 父親は握った拳を振りながら続けた。


「お前を始め奴と同様に初陣の者は手ぶらでは済まされぬ。何としてでも手柄を立てねばならぬ。これは我が家だけの意思では無い」

 息子は意味を理解し目を見開いた。


 我が家だけの意思では無い、それは譜代衆の間である程度の合意が出来ていると言うことだ。出る杭は打たれるというが、本当のことだと少年は内心おののいた。


 同時にふつふつと闘志も湧いてきた。先祖代々仕え、この地に根を張っている自分たちがぽっと出の新参などに良いようにされるなどあってはならない。


 武田家は神仏だけではない、源義光伝来の御旗楯無の加護を得ている名門である。ならばこそ、その家に仕える者達にもそれ相応の格が必要だ。少年はそう思った。


 竜胆等のあずかり知らぬ所で、武田家中に対白樺党の横の紐帯が産声を上げようとしていた。それが今後にどう影響していくのか、今は誰にも分からなかった。

      

 寺や治水技術者への寄進を終えた竜胆一行は宿へと戻り、風呂にて旅の垢と戦塵を洗い落としていた。もはや風呂は意識を切り替える儀式にもなりつつあった。


 麦に粟や稗を加えた雑穀飯に野菜の葉やら何やらでかさ増しした汁物のみのおかずの無い、一汁一菜どころか一汁のみの食事にもいつの間にやら慣れていた。


 本来なら梅干しぐらいは付くのかも知れないが、山国甲斐では塩は貴重品であった。それこそ単価も海辺の産地の仕入れ額の数倍になるほどである。


 一度おかずが欲しいと牛若が駄々をこね、宿の女将にそれとなく伝えた所、なら猪でも狩ってきて欲しいと逆に依頼されていた。それを実行に移すのが竜胆一行ではあったが。


 実際、山野の散策に飽きてきていた牛若には気晴らしと食事の充実の一石二鳥の妙手と写っていた。その時は鷹狩りならぬ鴉狩りにて山へと挑んだのだった。


 そして就寝し疲れを取り、翌朝さて今日の写経は静と玉藻、どちらと行くのだったかなと思いながら食事を取っていた竜胆に客人が訪れた。教来石からの呼び出しだった。


 早速衣服を但し竜胆は静と二人で使いの者と共に教来石宅へと参上した。兎にも角にも、現在武田家で竜胆の後ろ盾をしてくれるのは

教来石一人なのだ。


 たった一人の後ろ盾。それを蔑ろにするような真似など、出来るはずも無かった。そうでなくとも竜胆は歴史を知るものとして教来石に傾倒するところがあった。


「此度も活躍したそうだな。ご苦労だった。ついては新たに下知がきておる」

 只でさえ正座で背筋を伸ばしていた竜胆は、その言葉に更に背を反らした。


「佐久方面へと赴き、同地の様子をさぐってもらいたい」

 「お恐れながら私共は忍び入るような真似は得意ではなく……」


 流石に竜胆も自分たちが悪目立ちしている自覚はあった。潜入工作など欠片も向いていないことも。本命の密偵が忍び込むため、耳目を他に集めろというなら自信はあったが。  

「早とちりするな。現地の地勢を絵図面に描いてくれば良い」

 潜入工作ではなく、偵察の類いだった。それを確認すると竜胆はほっと息を吐いた。


 その後詳しく対象となる地域と求められている内容、期日等の確認をすると竜胆たちは教来石宅を辞した。

「試されてるな。全員でいくぞ」


 宿に戻ると竜胆は全員を集め先程の教来石からの指示を伝えた。そして最後に加えた。

「これは試験だ。山賊退治以外に、俺達はどれだけのことが出来るのかを見られてる」


 静は鯉口を切った後音を立てて納刀した。

 玉藻は目を細め口元の扇をくゆらせた。

 牛若は爛々と目を輝かせ身を乗り出した。

 梅子は普段通りこくりと頷いた。


 佐久の地など何度も攻め入り武田家は地勢など十分に分かっている。今回のそれを元にこちらの能力を瀬踏みしようという命令は、一行の心に火を付けていた。 

 先週はお葬式ができてしまいバタバタしており申し訳ありませんでした。

プロはこんな状況でもキッチリ締め切りを守っていい仕事をするのですから、

やっぱりすごいです。

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