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武田見聞録  作者: 塩宮克己
1章 天文11年(1542年) 諏訪高遠編
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36 蹂躙の果てに

 己が今まで築きあげてきた物が崩れる音を、その老頭目は聞いた。しかし、自分は今までもそしてこれからもその音を響かせる側であって、聞く側では無かったはずだった。


 いかに同業者をいくつか打ち倒したとは言っても所詮は女子供の集団。見た目に油断したか何かの理由がある。自分も声をかけた他の頭目もそう思っていた。


 だが、蓋を開けてみればどうだ。向こう側にいる女と見まごう子供は錫杖を振り回し、一人また一人と手下どもを地に這いつくばらせているではなか。


 山中の戦闘は平地とは勝手が違う。山地のため足下に傾斜があるのは当たり前。それに加えて落ち葉で滑り、木の根の凹凸もある悪意の塊のような場所だ。


 それに加えて最大の厄介事は生い茂る木の枝だ。高さ太さ角度、すべてがまちまちの枝があちらこちらから生えている。迂闊に刀を振り上げようものなら何が起きるか。


 刀が枝に引っかかり、敵を前に武器は使えず構えも取れない、無防備な姿を晒すことになる。そしてそれが侍が山賊退治に難渋する一因でもあった。


 つまるところ、山賊、忍びとはそういった特殊環境である山岳戦闘に長けた集団である。伊賀甲賀等の名だたる忍びの本拠がいずれも山間の地であることにも理由がある。


 もっともこれには、山地では田畑を切り拓くにも限度が有り、必然他国へと出稼ぎに出るしか無かったという、切実な理由のあったことも忘れてはならない。


 それは兎も角現在は牛若の蹂躙具合であった。当初山賊は小柄な子供一人と見て余裕であった。投降勧告やからかいさえ出た程だ。だがそれれはすぐに凍り付いた。


 牛若が自分の背丈よりも長さのある錫杖を振り回し始めたからだ。小枝を叩き折りつつ振り下ろし、一人が頭蓋を割られた。次に横へ振るいもう一人は首を折られた。


 まともに反応すら出来なかった山賊達も、そこで頭目の声で我に返り獲物を手に牛若を取り囲んだ。いくらなんでも子供一人。取り囲んで殺すなど訳ない仕事であった。


 だがそれは相手が本当に子供であった場合の話である。この世界においては並の剣豪が裸足で逃げ出す技量の持ち主が相手とあっては勝手はまるで違うことになった。


 背後から罵声と共に振り下ろされた鉈は空を切り、振り向きもせぬままお返しとばかり突き出された石突きで肋を粉砕された男が血を吐きながら崩れ落ちた。


 四人五人と倒される様を見て怖じけ付き背を向けた男に対してはわざわざ正面に回り込んだ上で一撃を見舞った。山賊達はそれを見て一歩後じさった。


 これではいかんと流れを変えるため自ら刀を抜いて躍りかかった頭目の一人は利き腕の骨を折られた。それを見た手下の山賊達は悲鳴を上げ逃げ始めた。


 後に牛若はその時の状況を聞かれこう答えた。

「的が散り散りになって逃げちゃったから、後半の方が大変だった」


 一方の竜胆はそれとは対照的な立ち回りだった。左右から仕掛けるような事はせず、相手を見定めると素早く近づき正面から一撃を見舞う。その繰り返しであった。


 とはいえ山賊達にとってはどちらも災厄には変わりなかった。視線を向けられたと思ったら目の前に来られ、心臓か喉に一撃を突き込まれるのだ。


 剣は大きく、振りと突きに分けられる。振りならば相手の切っ先の描くであろう線上に自分の獲物を直角に『置いて』おけば、一撃凌げる可能性はある。


 しかし突きの場合は、相手の切っ先を点で防ぐか相手から自分へと伸びてくるその線を払うかしなければならない。防ぐにも相応の技量が要求された。


 通常ならば彼我の剣速に然程の差は無い。振りが突きになったとて、胸の前で剣を幕を引くように横に振るえば防げる。そう、通常であれば。


 だがしかし、たかが女子供数人でその十倍からなる山賊どもが罠を仕掛けて待ち構えている場所に意気揚々と現れるような手合いは、果たして通常の枠に入れてよいのだろうか。


 その問いには今正にその山賊どもが自らの命でもって答えを示していた。次々と地に倒れ伏し、地面に赤い河を流している様がその答えだ。


 無論山賊どもとて手をこまねいていたわけでは無い。ある者は槍で間合いの外から攻撃し、またある者は弓で眼下の梅子を狙い撃ちにした。


 だが結果は同じだった。槍は躱され竜胆に柄を掴まれ返って自由を奪われ隙となり、弓を射た者は矢を静に叩き落とされ、首に玉藻の投げた扇子を受け噴水の如く血を流した。


 向こう側の逃げる者から殺される様を見た者どもは破れかぶれとなり雄叫びを上げつつ一縷の望みをかけて一斉に決死の突撃を敢行してきた。


 これには流石の竜胆も閉口した。周囲木々を利用し一度に相手する人数を絞りながら一人ずつ片付けていたものの、こう一挙に来られると流石に手に余る。


 そして自らの力不足を認識すると素直に応援を頼んだ。

「静、上に来られるか」

 そして更なる蹂躙が幕を開けた。

 

 元々が近接攻撃担当の静である。名のある武芸者ならいざ知らず、多少腕に覚えのある程度の輩など時間稼ぎにもならなかった。瞬く間に屍を量産していく。


 こちら側にいた頭目二名のみを残し、逃げた者を含め手下を全て討ち取るまで、ほんの数分を要しただけだった。残された頭目は観念して刀を地に落とした。


 玉藻にも手を借り、静と玉藻でそれぞれ頭目達を縄で縛り生け捕りにしていく。その間に竜胆は死体を一カ所に集め手を合わせた後穴を掘って埋めていった。


 その様を数珠つなぎにされた頭目達が得体の知れぬ物を見る目で眺めていた。一人二人では無く、数十人ともなれば時間も労力も相応にかかる。


「なぜ、こんなことを」

 老頭目は震える声で尋ねた。山地の地面など木々の根で意外と掘りにくい。人の身で重機に匹敵する事を竜胆は生身でしていた。 


 竜胆は最初、何を言われているのか分からない、という顔をした。静や牛若の返り血を水で濡らした手拭いで拭き取りながら玉藻が埋葬のこととフォローを入れた。


 ようやく得心した竜胆は一言、

「そりゃ仏さんは弔うだろ」

 本当に何を当たり前のことを、という顔で老頭目へ返事をした。


 それを聞き、人さらいや略奪など悪行を尽くしてきた山賊の大親分が膝を付き涙を流した。自分たちを人として扱ってくれるのか。

そしてそれが当たり前の事であるのかと。


 山賊など、誰もなりたくてなる訳では無い。痩せた土地、領主の重税、天候不順と百姓ではとても自分も家族も喰っていけないから、仕方なくやるのだ。


 無論、それが外道の行いであることは承知していた。例えば御仏の心とは相容れぬ物だと言うことも承知していた。だが、それが何だというのか。


 目の前に飢えた両親がいるのだ。口減らしにと、妻は泣きながら赤子を殺すのだ。それを拳を握り締めて見つめるしか無い人間に、道理も倫理もあったものでは無い。


 自分が不甲斐ないばかりに家族に苦労を強いる。その現実と無力感の前に良心を投げ捨てた者が悪党への道を歩むのだ。衣食足りねば礼節も仁義もただのお題目だ。


 竜胆はその老頭目の様を見て、何か思い詰める表情をしていたが、頭を一つ振ると気を取り直して穴掘りを再開した。木々生い茂る山肌は、素人には少々厳しい物があった。


 それでも何とか穴を掘ると、山賊を一人一人抱えて手を組ませた上で穴の底へと横たえていった。静などは手伝いを申し出たが汚れるからと竜胆は一人で行った。


 そうこうしているうちに日も傾き夕闇が迫ってきていた。一行は急いで土をかぶせると場の後始末を確認した。山賊の武器や鎧、銭などは立派な戦利品だからだ。


 そして数珠つなぎにされたまま一言も喋らぬ頭目衆を引き連れ、麓の村へと降りていった。今夜はそこで一夜の宿を借りることになりそうだった。


 麓の村へと山を下りれば騒ぎになった。当然だ。数十人の山賊を平らげ、証拠として数名の頭目を捕縛してきたのだ。村を挙げての祝宴を、しかし竜胆は断った。


 この頭目達は甲府へ連行の後極刑に処されるだろう。そんな気分にはなれなかったし、そうなる前に色々と彼らに聞いておきたいこともあったのだ。


 そして聞いた。なぜ山賊などに身をやつしていたのかを。そして知った。自分たちがいかに恵まれているか。この時代の村々、百姓達の実情を。竜胆は目を伏せ涙をこぼした。


 その後村はずれの空き家を宛がわれた竜胆は一行を集め宣言した。

「雪を助け出すのも大事だけれど、領主も目指そう。救える命は救わないと」


 罠にかけられはしたものの、無事山賊どもを撃破し頭目衆を生け捕りにして凱旋した竜胆一行に対し、甲府の民衆は然程の関心を締めさなかった。


 誰しもまずは自分の生活が大事だからである。それでも、一部の宿のなじみや寄親の教来石や手合わせをした原などは労いの言葉をかけに来てくれた。


 そして奉行所へと赴き頭目衆を引き渡した際には竜胆も驚きを抑えるのには苦労した。しかし、後に同席していた静には顔にはっきり出ていたと呆れながら告げられていた。


 もっとも竜胆が驚いたのは別の意味であった。史実では数ヶ月後に武田は諏訪へと侵攻する。そんな時期にわざわざ自分の為に時間を割いてくれた、その事に驚いたのだった。


 もっともそれは奉行所に務める一般の侍にとっては知ったことでは無い。むしろ突然お偉いが視察に来ているので良い迷惑、といった雰囲気さえあった。


 それでも同じようなことを月に数回繰り返していれば熟れもする。手短に速やかに引き渡しと報奨の支払いは行われ、竜胆たちは奉行所を辞した。


 宿へ帰ってまずした事は風呂である。遠征時は野宿だ納屋だ空き家だなどと、色々と我慢をしなければならないし沢で水浴びなどと言ってもまだまだ寒い。


 部屋や布団をあまり汚す訳にもいかず、遠征帰りはまず風呂、そして着替え。身ぎれいになったら食事、が竜胆一行の『型』となっていた。


 一方躑躅ヶ崎館内部では、竜胆に関する会合がもたれていた。主題は当然、今後彼らをどう扱っていくか、であった。もはや一介の若造では済まない所まで来ていた。


「白樺らは今回も無事帰還致しました」

「そのようだな。まずは目出度い。山賊どもの罠も噛み破ったようだしの」

「ならば本物と見なせますか、さて」


 一室にて顔を寄せ合っているのは教来石、原、駒井の三名である。それぞれ上司、武官、文官といった立場でもって竜胆とは接している。


 仕官この方国境の犯罪者捕縛という形で貢献してきた竜胆一行であったが、それは同時に彼らの出自にもある種の先入観を持たせることにもなっていた。


「こうも容易くああいった手合いを発見、撃破しているとなると矢張りーー」

「うむ、餅は餅屋と言うしの」

「彼らの出自も忍びか何かでしょう」


 つまりは侍階級の出身では無く、そう扱う理由も無いと言うことだ。ならばあの奇矯な言動も、元服前の子供が女を四人も囲っていることも説明が付く。


 武芸に長けすぎ鼻の高くなったところで女に情が移り槍一本で身を立てようと家を飛び出したか。当たらずとも遠からずであろう。ならば今後の対応も決まってくる。


「彼への報酬はこれまで通り鳥目、つまりは銭を与えておけば良いでしょう。教来石殿、そろそろ他の事も試してはどうかな」

 ここに、竜胆との齟齬が生まれた。

 ううむ。

日に構想、月から金で下書き、土に見直しと予約投稿の流れに中々たどり着けません。

精進が足りませんね。

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