35 理不尽な者達
かかれ、と威勢良く命じた老頭目は同時に何か得体の知れない違和感を感じた。同時に目をこらして眼下の者どもを改めて見直した。罠にかかった獲物どもを。
始めに感じたは余裕だった。自分たちは相手を罠にかけた。有利な地形、大勢の手下、準備された布陣。にも関わらず、何故こやつ等は笑みさえ浮かべているのだ、と。
そして疑問を感じた。あの笑みは見覚えがある。そう、まるで常の自分たちの様な、獲物が罠にかけ狩りに行くときの顔だ。そう思い至り、冷や汗が背筋を伝わった。
周囲に視線をやれば他の頭目達の中にその事とに気付いている者はいない。慌てて警告を発そうとしたが遅かった。連中の一人が崖を素早く駆け上って来ていた。
ここで時は少し戻る。竜胆と静が積翠寺で書写にいそしんでいた時のことだ。二人の筆が同時に止まり、怪訝な表情を浮かべた顔を机から上げると見合わせた。
二人とも一度筆を置き刀を手元へと引き寄せると背中合わせの体勢になって片膝を立てた。殺気こそ放ってはいないものの、ぴりぴりとした空気が室内を満たした。
そのままの姿勢で二人ともしばらく緊張していたが竜胆の方が片手で懐をまさぐり始め、少しして机の前に座り直した。静も刀は左に置いてそれに倣った。
いつの間にか止んでいた鳥達の鳴き声が聞こえ始め、しばらくすると二人はまた筆を止め顔を上げた。今度は廊下から駒井高白斎が現れ、竜胆はいくつかの質疑応答をした。
実は、竜胆達一行は全員索敵という技能を常時使用している。信用できるのは自分たちのみ。他の人間、例えば宿の女将なども奉行の一声で簡単に掌を返すだろう。
そんな中にあっては当然の用心だった。別行動時には引率役の年長組たる静と玉藻は事あるごとにその使用を念押しされていた。それに感があったのだ。
実際には二次元レーダーの様なものだ。視界の片隅に円が表示され、周囲の人物が敵味方などの特性別に色分けされて表示される。単純ながら凄まじい効果がある。
近くの人物が敵か味方か中立か、敵にしても顕在的か潜在的か分かる。それに気付いた竜胆はスパイ狩りに使える、と呟き玉藻からの失笑を買った。
その索敵技能が警戒を発していた。潜在的な敵が接近中であると。二人から一定の距離まで近づき、そこでじっと留まっていた。駒井高白斎がやってきたのはそんな時だった。
当然、竜胆と静は警戒した。しかし駒井を示す輝点は彼が中立の存在であることを示していた。そこで警戒しつつ様子見、という玉虫色の対応が取られた。
正直、要件が経歴に疑問を抱いての質疑応答だったことで二人は拍子抜けしていた。現在中立、ということは対応によっては敵対に変わる可能性もあるからだ。
すなわち、駒井視点からすれば正体不明の新人を自分の目で確かめ、不審な点があればなにがしかの理由を付けて追放処分という対応もあったのだ。
しかし、二人はそう簡単には安心させてもらえないようだった。先程から近くで留まっている潜在敵に加え、寺の表の方からも更に一人接近してきたのだ。
これには竜胆たちも驚いた。本命の潜伏が成功して、囮役が正面から周囲の注意を引きつけ接近中が一番可能性の高い場合だろうか。静は作戦会議を決断した。
目立たぬ動作で左手を袖の中へと入れる。そして小指と人差し指でそっと仕込んである符を一枚つかみ念を込める。
「聞こえますか、主殿」
即座に応答が帰ってきた。目の前の駒井との問答は続けたままだ。ぼろが出る前に端的に静は指示を仰いだ。結果は「待て」だった。こちらから手を出すのはよろしくないと。
理解は出来るが納得はできない。静はそれを顔には出さず一瞬の瞳の揺らぎだけで押さえ込んだ。リスクを取るのは実力差を承知しているからだと知ってもいた。
不承不承、静は指示に従いそのまま待機した。実際、相手が一人か二人ならばいざとなれば切り捨てればよいと考えてもいた。そうすると激しい足音と声が近づいてきた。
やってきたのは泥に汚れた着物の農民一人と寺の僧数名だった。そこで竜胆と駒井の会話は一旦打ち切られ、竜胆は依頼された山賊討伐へと赴くことになった。
正直、静はあまり気乗りしなかった。あまりにも出来過ぎているし、そもそもなぜわざわざ寺まで押しかけてきたのだ。自分たちの領主にまず泣きつくべきだろう。
もっとも竜胆の方はこの状況をむしろ歓迎さえしていた。討伐目標が一カ所にまとまってくれたのならば後々楽になると符の念話越しに伝えられ静は苦笑した。
罠の危険も当然指摘した。しかしそれに対する答えは
「俺達を本気で何とかしようと思ったら、千人はいるぞ」
普通ならその返答に唖然とするか憤然とするところだろう。だが静の反応は
「なるほど。その通りだ」
というものだった。
この瞬間が、ある意味で運命の分かれ道だったのかも知れない。そして、駆け込み農民の訴えを了承し竜胆自身も懐をまさぐり玉藻へ符で連絡を取った。
郊外にて散策、という名の牛若の気晴らしに付き合っていた玉藻は竜胆からの通信に珍しく口元を扇で隠すことも忘れ三日月の形に歪めた。
偶然それをみた梅子は手にした近隣で見つけた薬草を入れた籠を取り落としかけた。その笑みが意味するものを知っていたからだ。挑戦を受けた。そう捉えたのだ。
元が狩猟系世界の出身だけあって、竜胆一行は誰も彼も血の気が多い。牛若の殴った後で考える、から梅子の話して駄目なら殴るまでの幅はあるが。
そんな連中が日常に停滞を感じ始めたときに罠にかけようと小細工を仕掛けてしまった者達にどんな対応が待っているか。想像するまでもなかった。
宿にて原の来訪に対応し夕食を済ませた後作戦会議となった。この時点で玉藻は宿の様子が監視されている様子が無いことにご立腹だった。何たる手ぬるさかと。
偵察ならば囮と本命、それぞれアクティブとパッシブの計4名に指揮官の5名は必須だろうと憤慨し、竜胆からそれは求めすぎだと窘められていた。
この時点で基本方針はほぼ確定した。撃破では無く殲滅となった。普段大人しい女性の逆鱗に触れると後が怖いのだと、連中から授業料を徴収することとなった。
方針さえ決まればそこは百戦どころか万戦錬磨の古強者達である。その後の行動予定など半ばは予定調和だ。罠にかかったふりをして、逆に一網打尽にする運びとなった。
翌朝は全員常に無く高ぶっていた。全員に十分な念話用の符と、用心のため解毒薬その他を支給し、口頭と念話の使い分けや符丁ハンドサインの確認も怠らなかった。
久々の大規模討伐クエストだと、牛若も張り切っていた。宿まで来た昨日の農民の案内で出発した。見送りに来た教来石と原には竜胆始め一行は深々と頭を下げた。
道中は予行演習と称し誰もが入れ替わり立ち替わり喋りながら念話をするという、二重会話の実戦演習となった。ここまでくると遠足では無いのだと静から叱られる程だった。
案内役の農民は一行がしきりに懐や袖の中をまさぐる様を見て流石に不信感を覚えたようだったが、役目を放り出すわけにも行かずそのまま目的地へと誘った。
一部の村を通過する際に何か言いたげな村人もいたが、案内役の男に顔を向けられると途端に体の向きを変えそそくさと離れていった。降り注ぐ太陽が、雲に陰った。
そのまま案内されたのはある山中であった。渓流の先に連中の根城があるという。そこで静が警告を飛ばしてきた。
「先程から数人、見張りがつき始めました」
竜胆が口の端を歪め、牛若はあらかじめ放っていた鴉を数羽先行させ地形を調べ、玉藻は頭の中で情報をまとめ、口元を隠した。
「この先は滝で行き止まり。待ち伏せです」
竜胆の索敵にも渓流の両側にある斜面の上に警戒すべき存在のあることがはっきりと映った。全員の足取りに力が入った。
「このさきでごぜえます。あっしはここで」
そう言ってそそくさと離れていく農民を一行はどこか冷めたまなざしで見送った。再開時にどのような表情を見せてくれるのか、若干の疑問を抱きながら。
そのまま少し進むと事前の報告通り小さな滝があり行き止まりとなった。そして左右に姿こそ見えないが索敵には百に届こうかという敵の輝点が映っていた。
こういう時に親玉の演説は予定調和だろうか。そう思った竜胆の気まぐれにより、先制攻撃は中止となり初手は相手に譲った。ひょろひょろの矢とばらばらと投石。
正直、体積のある投石の方が足場に影響する分比較的厄介ではあった。あくまで比較的、であるが。大半は刀、一部槍に弓矢投石有り。相手の戦力を見切ると竜胆は手を振った。
同時に静は背後に梅子をかばい、玉藻はその左後方に位置し滝を背にする。竜胆と牛若はそれぞれ獲物を手に虎か狼の如く斜面を駆け上がり始めた。
一番槍は牛若だった。斜面を駆け上がった勢いそのまま飛び上がると、両手で錫杖を振り上げそれを手近な山賊の頭に叩き付けた。先端の金属が頭蓋にめり込み、輝点が消えた。
目の前で起きたことに山賊達は一瞬呆けた。子供があっさり賊を討ち取るなど想定外だった。その文字通り致命の隙に牛若は冷たく鳴る錫杖を次々ふるう。その度命が散った。
対して竜胆の方はやや固い表情をしていた。今までの遠征は相手を捕縛していたので殺人は間接的だった。だが今回は数が多い。捕虜に出来ない分は覚悟を決めねばならない。
諏訪脱出以来数週間ぶりにその手を血に染めることとなる。竜胆にとっては今回の遠征は、来たるべき合戦に備えて、その実戦練習でもあった。
相手の動きは見切ることが出来る。故にこちらの攻撃は相手に届く。だが良いのか。目の前のこの悪党にだって人生も家庭もある。それを自分の都合で終わらせて良いのか。
だがその逡巡は一つの光景によって断ち切られた。眼下の静達を狙う弓。それを目にした瞬間、竜胆は目の前の山賊は無視しその弓兵へと斬りかかり一太刀で上下両断した。
同時に竜胆の中で歯車が一つ、音を立ててかみ合った。ああそうかと納得した。これは単なる優先順位だ。こいつらは家族を害そうとしている。それで十分だった。
殺人の自己嫌悪は後で好きなだけ出来る。だがもし家族が負傷死亡した場合、自己嫌悪では済まない。それも倫理観の一つの形だと、答えが竜胆の腹に落ちた。
そこから先は一方的な蹂躙となった。将棋で相手が一手指す内に自分は三手も四手も指せる様なものだ。現実は交互に一手ずつなどと甘い条件を認めてはくれない。
むき出しの首を断つ。鎧すら着ていない無防備な胸を刺す。刀を握る両手を落とす。日本刀の重さに振るう速さを乗せ、竜胆は文字通りの血煙を上げた。
どこかに感情を落としてきてしまったかのように、能面のような無表情で機械的に次々に山賊どもを無力化していった。竜胆が返り血に気付いた頃、残るは頭目二名だけだった。
牛若の突っ込んだもう片方は更に悲惨な事になっていた。殺さずに捕まえろなどという縛りの無くなった牛若は、存分にその力を振るったのだ。
けらけらと笑いながら錫杖が振るわれる度、骨が折れたり砕けたりする音が響く。捕まえようとしても素早く逃げられ、背中に乗られ背骨を折り砕かれる始末。
かといって背を向けて逃げようとすればわざわざ前に回り込んで命を奪う音が鳴らされる。破れかぶれで共倒れを狙った者も歯牙にもかけられず躱され崩れ落ちた。
最初に号令をかけた白髪交じりの老頭目が我に返った頃には息のある者は自分を含め頭目のみ数名となっていた。
「な、なんなのだ。貴様等」
索敵スキルってチートですよね。




