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武田見聞録  作者: 塩宮克己
1章 天文11年(1542年) 諏訪高遠編
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34 罠の気配

 月明かりも差さぬある夜更け、甲斐と信濃の境にあるとある山小屋に、数十人の男達が集まっていた。小屋の中にいるのは頭のみ、手下どもは周囲に待機している。


 蝋燭のあかり一つ無い小屋の中とて、不自由なく周囲を把握している男どもの内、最も年嵩の頭髪も半ば白くなった男が口火を切った。この辺り一番の賊の頭目だ。


「で、奴はおびき寄せられたのか」

「ああ、うちの手下の者が段取りした」

 ふむ、と左手で顎髭を数度しごくと周囲を一度見回しやるか、と呟いた。


 途端に周囲から熱気と言葉があふれた。

 おおよ、悪党は舐められたら仕舞いじゃ。

 相手はたかが女子供の四、五人じゃ。 

 このまま見過ごしては稼ぎにならぬ。


 口々に同意とこの場にいない誰かへの悪意を吐き出し立ち上がった。それを満足そうに眺めると年嵩の頭目は頷き立ち上がった。

「みな、異論は無いようじゃな」


 そして細部の詰めへと論点は切り替わっていった。相手は望んだ時、望んだ場所へとやって来る。ならばあとはどうやってやるか、その一事だけだ。


「数があるのだ。遠巻きにして弓で射殺せばよかろう」

 頭の一人が口にした。それに対し同意が半ば、不満が半ばであった。

  

「折角女が四人もおるのだ。子供は兎も角、使い道のある者もいるだろう」  

 殺してしまってはもったいない、それが不満の理由らしかった。


「女など後から他の村で調達すれば良いじゃろう。まずは見せしめが先よ」

 老頭目がそうまとめた。下手に議論など尽くせばしこりを残すとよく知っていた。


 もとより共通の敵を得ただけの一時的な共闘だ。寄せ集めなのは自分たちの方だと老頭目は理解していた。ならば複雑な手管など望むべくもない。


「それでよかろう。それぞれの首に掛かった報奨は首を挙げた一団の物とする」

 他の頭達もそれに同意した。一番発言力のある者の言葉だったからだ。


 この場における発言力とは、すなわち武力である。つまり、それはこの近隣の山賊どものなかで最大の人数を擁しているということである。


 作用反作用の法則というものがある。

 竜胆一行はその武力でもって甲斐信濃国境付近の賊どもに大打撃を与え続けている。だが同時に、それは山賊の団結をもたらした。


 竜胆という共通の脅威を前に、前例の無い大同団結が為された。その目的はただ一つ。白樺竜胆の首を挙げ、自らの脅威を喧伝することだ。


 この時代、農民は決して非武装でも無抵抗でも無い。歴史上刀狩りは、農村に対して実施されたのだ。自力救済の時代にあって、武力は保持しなければならぬものだった。


 ならばこそ、悪党は成果を上げ続けなければならなかった。甘く見られた悪党に食料その他を差し出すような奇特な村など、あるはずも無いからだった。


 一方甲府の町では積翠寺を辞した竜胆と静は武家町へとその歩を進めていた。目指しているのは武川衆の一人教来石民部卿の屋敷である。目的は遠征出発の報告である。

 

「主殿、毎回出動の度に報告に訪れずとも良いのでは」

「何を言う。報連相を怠って良い事なんて一つも無いぞ」


 遠征出発だけではない。帰還、寺での書写、付近の山野の散策など、竜胆は行動予定を逐一屋敷まで報告に来ていた。今回も最早なじみとなった門番に言付けを頼んだ。


 直接面会を求めず言付けにて用件を済ませる。これも互いの身分差を意識した気配りの一つである。機微に疎い新参ほど、こういった慣習には気を使わなければならない。


 そのまま宿へ戻る道すがら、町の様子を眺める。くたびれた麻の着物、小柄というより痩せたという印象の体格の人々、寒さに肩を抱く子供、まだまだ繁栄にはほど遠い。


 しかし、だからこそ自分の入る余地があったと竜胆は前向きに考えていた。既に盤石の地位を築いた大名家に縁もゆかりもない若造の席など有りはしないからだ。


 そして少し伸びた髪に手をやり唇を引き締めた。髷も結っていない、元服前の子供の仕官を許すなど、異例の措置を許されたのだ。ならばそれに応えなければ、と。


 そうして宿に戻ると女将は挨拶もそこそこに駆け寄ってきた。見れば見知った侍が数名囲炉裏の傍に座っていた。来客を告げられると竜胆は彼らへのもてなしを女将に頼んだ。


「原美濃守様がお越しでございますよ」

 その言葉に竜胆は逗留している部屋へとすり足で急いだ。目上がわざわざ足を運んだのに待たせるなど、それだけで礼を失する。


「おお、戻ったか白樺の。酒はいかんが、まあ茶でも飲むとよかろう」

 部屋では既に上座に座った原美濃守を玉藻が酒肴でもてなしていた。


 室内の光景を一目見て胸をなで下ろした竜胆は玉藻に目線で礼を言うと畳に座り来客の前へにじり出ようとしたが、手と言葉で止められた。堅苦しくせずとも良い、と。


 とは言え上の者の無礼講発言を真に受けるほど竜胆も青くは無かった。酒を手にし自ら注いだ。この時代はとりあえず酒である。食事にせよ何にせよ、とかく酒がついて回る。


「まあ、酒も飲まぬうちから話もできぬか」

 和歌や能など娯楽を楽しむにも修練を要する物に手の届かぬ者にとっては、楽しみなど将棋に釣りに酒程度のものだ。


 同時に、口を滑らせたり礼を失する行為があっても「酒の席の事ゆえ」の免罪符を使える。現代とは比較にならぬほど、酒は生活必需品であった。


「出ては山賊狩り、内に入っては寺で四書の書写とは。他国者でさえ無ければ婿にと望む者も多かろうになあ」

 単なる感想以上の響きがあった。


 それは、原美濃守自身も下総国衆臼井原氏の一門であり、他国衆であることから来る悲哀であった。他国者は、出仕三十年になろうともやはり他国者の扱いを受ける。


 それはこの時代の常識であった。生まれ育ちが違う土地である以上は、どこまでいっても余所者である。但し、子供はその土地で生まれ育てばその土地の者として扱われる。


 甲斐武田家の定番史料たる『甲陽軍艦』に親子二代で仕えている者は譜代と考えて良かろう、との記述があるのはこういった事情からである。


 それを自らの実体験として知っているからこそ、実際に手合わせして静の武芸者としての資質を知っているからこそ、二人の才を惜しんでの言葉である。


 竜胆の方もあそこまで横紙破りをした自分がさほどの軋轢も無く甲府の人々に受け入れられた背景には教来石や原の影の気遣いがあったからだろうと思っていた。


「で、また出るのか」

 杯を舐め酒肴を口に運び、多少場がほぐれてきた所で原美濃守はそう切り出した。それを竜胆は肯定した。


 続けて積翠寺での顛末も語る。駒井高白斎の件は省くべきかとも考えたが、ありのままを述べた。原は上層部と面識を得たといった自慢話とは捉えまいとの信頼からだ。


 話を聞き終った原は杯を膳に戻すとふむ、と呟き片手で顎を撫ですさった。髭と指のこすれる音がやけに大きく室内に響いた。酔いなど欠片も無い瞳で竜胆を見て告げた。


「白樺の、分かっておるだろうがそれは十中八九、罠の類いだぞ」

「承知しております」

 北風がごうと唸りを上げた。


 片手で数えられる程度の人数の女子供に良いようにやられる山賊になど、恐怖も何もあったものでは無い。見せしめのための報復が必要になる。


 幸い、相手は悪目立ちする一団で、定期的に動いてもいる。ならば警備も固い甲府などでは無く、出先にて待ち伏せて取り囲むのが定石となる。


 それを原は長年の戦場暮らしから、竜胆は娯楽小説の定番の型から、それぞれ察していた。そもそも、わざわざ積翠寺まで駆け込みに来る農民など、怪しいにも程がある。


 竜胆の表情からそれを察した原は要らぬ気遣いだったか、と呟くと苦笑した。竜胆は軽く微笑み酒を手に取り、原は杯を差し出してそれを受けた。


 その後、しばらく談笑すると夕暮れ前に原は従者共々自分の屋敷へと引き上げていった。竜胆たちは宿の入り口まで見送り、姿が見えなくなるまで頭を下げていた。


 その後宿の中へ戻ると竜胆は女将に礼を言うと巾着から銭を一掴み袖の中へ入れた。女将も重みを確かめると顔をほころばせ、竜胆一行が部屋へ戻るのを見送った。


 しかし、その姿が見えなくなると途端に顔を歪めため息をついた。

「元服前の子供がこんな小器用にカネを使うだなんて、嫌な世になったもんだよ」


 始めは、ただの怪しい一団だった。一時はカネ払いが良いので盗人か女衒ではないかと疑ったものだ。だが今では長期逗留、いうなれば常連客となっていた。


 次の日、全員が旅支度を調え宿の前で待っていると昨日の農民がやってきた。着物は同じ物、持ち物は腰に差した鎌と替えの草鞋数足なあたり懐具合が透けて見える。


 手を挙げて挨拶すると竜胆たちの所へ駆け寄ってきた。竜胆は女将から弁当を受け取ると行李の中へそっと仕舞い、また背負い直した。


 目敏い町人の幾人かは竜胆一行の出発と聞いて集まり始めていた。中には誰かに知らせるためだろうか、その場から駆け出した者も数名いた。


 宿の女将に数日留守にすることを告げ、農民を先頭に一行は城戸の方へと歩き出した。女将は火打ち石を打ち合わせてそれを見送った。その日は空と雲が半々であった。


 城戸には珍しく教来石と原が従者を連れて見送りに来ていた。慌てて礼を取ろうとする一行を手で制するとそれぞれ竜胆へ向けて一つ頷いた。意図はそれで十分伝わった。


 一行の内、玉藻は例によって壺装束で表情を悟らせず、牛若は逆に飛び跳ねながら手を振る始末。最後尾の静がそれを見てため息をつく辺り、良くも悪くもいつも通りである。


 そんな様を見て農民は何か不安に思ったのか「しらかばさまでまちがいないか」などとどこか場違いな確認をして梅子から不思議そうな顔をされていた。


 その後は通例通り一行は佐久への道を取った。道中農民に賊の数や根城を聞いたがどうも要領を得ない。しかし竜胆はそんなこともあるだろう、と軽く流した。


 それよりも農民は竜胆一行の武装の方をやたらと気にした。弓は使わないのか、槍も無いのか、刀を差しているのが二人だけだが本当に良いのか、などと。


 それに対し竜胆はあっけからんと

「今までこれで勝てたのだから、今回も大丈夫だろう」

 と片手を軽く振りながら答えた。


 その反応に農民は戸惑ったような、安心したような、狐に包まれたような、何とも名状しがたい表情を浮かべた。それに気付いた玉藻がくすりと笑みをこぼした。


 確かに、これで山賊退治など冗談と思われかねない。しかも一行は虫に刺されたなどと言い訳しつつ道中やたら懐や袖をまさぐっている始末である。


 そうこうしている内に農民の言う村の近くまでたどり着いた一行は、そこから更に山中へと分け入って行った。いつも山賊は夜この辺りから出没すると言うのだ。


 ある谷川の渓流の前に来ると農民はこの道だと言い、これ以上は身の危険がと述べ去って行った。一行がその獣道の様な所を進んでいくと行き止まりに突き当たった。


 一同が周囲を見回すといつの間にやら周囲の谷の上には人相の悪い男どもがわらわらと数十人現れていた。そ手には刀や槍、一抱えもある石に弓を持っている。


 そして胴丸に獣の毛皮を付けた頭髪の半ばが白くなった人物が出てきて叫んだ。

「調子に乗りすぎたな。若造ども。今日ここで死ねえい」

 ううん。

 テンポを、テンポを速くしたいです。

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