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武田見聞録  作者: 塩宮克己
1章 天文11年(1542年) 諏訪高遠編
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31 遠征を終えて

 教来石景政は地侍の出身であった。一族は元々は美濃国にいたものが甲斐国教来石村へと移り住みそれを姓としたものである。性格は一言で言えば昔気質である。


 質素倹約を旨とし、武芸の研鑽を怠らず、一朝事ある時はいの一番に主君の元へはせ参じる、武士としてのある種の理想に準じる生き方をしてきた。


 決して要領が良いとも、上役の覚えめでたいとも言えない。出世も同輩に比べればややもすれば遅いかも知れない。けれども本人も郎党も、そんな生き方に納得していた。


 そんな彼に転機が訪れた。並外れた武芸の腕を持つが、侍の流儀を欠片も知らぬ、いまだ元服前の若者を指南しろと言うのだ。貧乏籤である。しかし彼は黙って引き受けた。


 実際はどうあれ、寄騎として付けられたのだ。戦の際には自分の配下として、脇を固める者として従軍してもらわねばならない。さてどうするかと頭を悩ませていた。


 いかに訳ありとはいえ、何分にも初めて出来た部下である。心沸き立つ物が無かったと言えば嘘になる。ああ教えようか、こう伝えた方が良いかと柄にも無く考えていた。


 ところが早速その若造は問題を起こしてくれた。夕刻訪ねてきて家人に言付けをしたという。挨拶でも述べに来たかと思えば数日留守にするという。


 よもや遠回しな暇乞い、あるいは正体は他国の間者で逐電したか、そんな考えさえ頭をよぎった。だが逗留している宿にて事情を聞けば金策に出かけたという。


 あの宿に泊まっているならば日々の生活は自分より恵まれたものだろうと釈然としない思いを抱きつつも、荷物は一部宿に残したままになっていた。


 確かに牢人が才覚するには厳しい宿代だろう。だが女将の言葉では金銭に不自由している様子は無かったという。むしろカネ払いの良い上客と歓迎さえしていた。


 それを聞いて教来石は首を傾げつつも頭を更に悩ませることとなった。カネに不自由していないにも関わらず、なぜ仕官を願い出たのだ、と。


 ただの武芸自慢では無い。ならば金策など考えない。盗賊の類いでも無い。ならば目に曇りがなさ過ぎる。ならばあやつは一体何者だろうか。そう自問した。

 

 すると宿へ郎党が駆け込んできた。何事かと問えば白樺の足取りが掴めたという。詳しく聞けば佐久方面へと向かい山賊と遭遇しこれを捕縛し帰還中という。

 

 血を見た経験のあるものとして、相手を殺すことと捕縛することの難易度の差は理解していた。しかも一人二人では無く一団全て召し捕ったという。


 最早本人に詳しく話を聞くより他ないと考えた教来石は踵を返し城戸へと向かった。郎党は言付けをして別の場所へ走らせた。知らず、歩みは大きなものになっていった。


 郊外へ出ると街道脇の地蔵小屋にて腕組みしながら目をこらした。すると向こうから常ならぬ雰囲気を漂わせた一団が目に入ってきた。来たか、と眉を動かした。


 行きはよいよい帰りは怖いという歌があるが、帰りは怖いでは無く手間取るだな、と竜胆は独りごちた。十人を越える山賊を連行するのは流石に骨が折れた。


 何かにつけて逃げようとする、口汚く罵る、暴れる、その他挙げればきりが無いがとかく手間をかけさせられた。牛若は痺れを切らし何人か殺そうとしたほどだ。


 その様な理由で嫁の手を血で汚させる訳にもいかない竜胆は都度なだめる羽目になった。そもそもそうするならば生け捕りなどさせなかった。


 大事な手柄の証拠、否証人なのだ。兎にも角にも甲府で然るべき人物へと突き出すまでは、死んでもらうわけにはいかなかった。それがいかに自分勝手な都合かは知りつつも。


 そんな時先頭を歩く静が何かに気付き、合図を送ってきた。何事かと竜胆と玉藻が前方へと目をこらせば、果たして道ばたで腕組みし仁王立ちしている侍の姿が目に入った。


 一度出会っただけとは言え流石に竜胆も上司の顔は覚えていた。何事かと慌て、捕虜の山賊達を静と玉藻に任せると、街道の土を蹴立てて駆け寄った。


「何をやっておるか、この馬鹿者が」

 竜胆に浴びせられたのは、そんな一喝であった。

 空気が固まった。


 いくらなんでもこの展開は予想できていなかった。教来石は文字通りの茫然自失となった竜胆へと素早く歩み寄るとその頬を張り飛ばした。凄まじい殺気が場を満たした。


 これに慌てたのはむしろ竜胆の方であった。体ごと後ろへ向き直ると掌を下にして盛んに両手を上下に動かした。嫁達の気配が和らいだことでようやく体の向きを直した。


 再び向き直った竜胆が見たものは頬をひくつかせる教来石の姿であった。

「お主は今まで何をしておったのだ」

 問いに竜胆はできるだけ丁寧に答えた。


 仕えて日も浅い故手柄を欲したこと。

 武芸を活かした悪党退治を考えたこと。 

 それは金策にも繋がること。

 同時に領内の治安維持にも役立つこと。


 腕組みして時折頷きながらも最後まで聞き終えた教来石はおもむろに口を開き

「それより先にすることがあるであろうが」

 再び一喝した。 


 この状況に竜胆は奇妙な落ち着きを見せていた。程度は相当に違うが、一部の年配の方々が見せるある種のノリを知っていたからだった。


 自身はそういった方向性で無いとは言え、社会人を何年かやっていれば嫌でも出会う手合いだ。当然、対応法も心得た物だ。背筋を伸ばし、キビキビと受け答えする。


「は、甲府を留守にしてしまい申し訳ございません」

「違う、捕らえた者がいるなら多少の事情があろうと目を離すな」


 ああ、そちらだったか。と後悔しつつ即座に一礼しつつ謝罪の言を述べる。様子を見ていた女達もそのやり取りを見て獲物を握る手に込められた力をようやく緩めた。


 そうして先頭に教来石、竜胆、牛若の三名、中程には玉藻と梅子、最後尾に静と教来石の従者という形で山賊達を甲府へと連行した。無論、町中の人目は村々の比では無い。


 どこか落ち着かなさげな竜胆と対照的に教来石はここまでの詳細を竜胆に説明を求めつつ躑躅ヶ崎館への道を迷い無く進んでいった。人々も道を開けた。


 ある程度知名度を上げるのが目的とは言えここまでとは思わなかったと竜胆も内心冷や汗をかいてはいたが、上司の手前尻尾を巻くわけにも行かず同道した。


 そもそも自分が独断で仕掛けた案件である。いかなる結末を迎えるにせよ、最後まで見届ける義務が、竜胆にはあった。深呼吸を一つし、冷たい空気で気を引き締めた。


 これに慌てていたのはむしろ迎える奉行衆であった。訴訟事ならば毎月何日と決まった日に受け付ける事になっている。しかし盗賊の類いならば都度対応である。


 しかし、数十人の郎党を引き連れた老練な武将ならいざしらず、元服前の若者が女連れで十を越える一団を捕縛したなど言われ、誰が信じるであろうか。


 武辺で鳴らし冗談とも無縁な教来石からの言付けゆえ腰は上げたが、それでも半信半疑が本音であった。見廻りに出た者が粟を喰って駆け込みようやく空気が変わったのだ。


 しかしそこからは早かった。牢の確認、取り調べの用意、周辺からの被害状況の報告など銃後ならぬ後方を切り盛りする吏僚の面目躍如であった。そこへ竜胆一行が来た。


 奉行所と言えば白州のお裁きにお奉行様。その程度の時代劇知識で挑んだ竜胆はまず先入観を打ち砕かれた。想像と現実、その落差にである。


 引き連れた山賊連中を引き渡すに当たって捕縛場所や日時の事情聴取は当然ある物と思っていた。しかしそれはお義理の様な簡単なものだった。


 うむ、捕縛ご苦労。あとは我々のお役目故そなたはもう帰ってよい。ああ、これが今回の報奨金になる。そう言われ奉行所の外へとほとんど追い出される格好となった。


 これでいいのか、と体の内から激しい声が聞こえる一方で、こんなもんだろう、と自分の中のどこか醒めた部分が呟くのを竜胆は感じた。


「こんなものであろう。次からはこうするのだぞ。ともかく、賊の捕縛は領内の治安にも関わること、ご苦労であった」

 そう労い教来石は郎党と去って行った。


 竜胆は一礼してそれを見送ると玉藻以下は宿へと戻らせ、自分と静は貰ったカネを懐にして別行動を取った。牛若の口と体を玉藻が抑えての別行動であった。


「で、如何ほどの稼ぎだったのですか、今回の一件は」

 武家町を二人して足早に進みながら静は竜胆に質問した。


「三貫文。十二人捕まえたから一人二百五十文の褒美だったのか。そんなもんか」

 宿代を考えれば十分だが、正直物足りない思いを静は内心抱いた。


「さて、到着だ」

 静の案内で竜胆の到着した場所は教来石の屋敷であった。裏口の戸を数度叩き出てきた家人に事の次第を伝える。


 怪訝な顔をする相手にお骨折り頂いた礼と称し三百文を押しつけた。これで次の戦に備えて武具の整備をと一言添えれば渋い顔をしつつも受け取ってはくれた。


 続いて二人の向かった先は積翠寺であった。竜胆が仕官を求めて押し入ったのはつい先日の事である。

 過日の騒動の陳謝として三百文寄進した。


「じゃ、宿に戻るぞ」

 はつらつと口を開く竜胆に静は不満顔である。体を張って稼いだカネをいとも容易くばら撒かれてはそうもなる。


「通すべき所には義理をきちんと通しておかないと、うまくいく物もいかなくなるんだぞ、時には言葉だけで無く行動で示さないと」

 竜胆は根回し文化をそう伝えた。


 それはまあ、わかってはおりますが、と静は口の中でもごもご言いながら付いてきた。

 理解は出来るが、納得は出来ない、と言ったところかと竜胆は当たりを付けた。


 宿の女将にも三百文渡すようなことはしなかったが、稼ぎとしてちらりと銭の束を見せれば顔をほころばせた。支払い能力を示すことは、取引関係の安定化に繋がる。


 しかし納得いかないのは牛若である。折角稼いだカネを断りも無くあっさりとくれてやるとは何事か、この甲斐性無し、と当然の剣幕である。


 それを意外なことに玉藻がなだめ、梅子からさえずるい、の言を頂戴したことの方が大きな騒ぎになるところが竜胆一味の一味たる所以であった。


「で、実際の所どうでしたか、主殿」

 場が静まってきたところでそう軌道修正するのは静の役目である。場の空気が張り詰め、全員姿勢を正した。


「良い点悪い点色々あるが、まずは良い点から。山賊退治はカネになる。多少の練習にもなる。続ければ俺達の評判も上がるだろう」

 ここまでは想定通りの結果だった。  

 

「次、悪い点。想像以上に治安が悪い。情報収集も必要になってくるだろう。思ったほどは稼ぎの効率も良くはなかった。あとは原因へは現状対策できない」


「原因、とおっしゃいますと」

 玉藻は自分では分かっていたが他の者に聞かせるため敢えて質問をした。

「貧困対策。これは現状手に余る」


 端的な説明に牛若どころか梅子まで首を傾げたので竜胆は言葉を続けた。

「山賊は犯罪者だ。で、なんで犯罪に手を染めるかというと生活できないからだ」


 ふむふむ、と全員が頷くのを確認し竜胆は説明を再開した。

「畑を耕しても家族を食べさせるほどの収穫が無い、土地が無いじゃ困るよな」


 ああなるほど、と納得と諦観が室内に満ちた。都度対策は出来ても発生原因には手を出せない。それは領主の領分だ。流石に一介の流れ者の手には余る。 


 皆様、あけましておめでとうございます。

 本年もよろしくお願いいたします。


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