30 金策遠征
「姐さん、本当に兄貴の思惑通りに行くと思ってるの」
ごろり、と畳の上に仰向けになりながら窓辺の玉藻に牛若は聞いた。
「仮に目の無い話だとしても、何とかするのが妻の勤めというものでしょう」
窓枠に頬杖を突いたまま、何を当たり前のことを、という風に玉藻は答えた。
それを聞き牛若はがばり、と起き上がると声を荒げた。
「だから、そんな建前じゃ無くて本音の話を聞きたいの」
もう少しすれば夕暮れ時。竜胆と玉藻が出かけて不在の内に、と言わんばかりに牛若は本音の会話を求めた。内心の何かが、彼女に焦りを与えていた。
「牛若さん、今の時代はどんな時代か考えてご覧なさいまし」
体ごと向き直り、口元に扇子を広げながら玉藻は問うた。
「んん?戦国時代?」
「そう、槍一本で武功を挙げ、出自の怪しげな者でも立身出世の可能な時代です。意味はわかりますね」
そこまで言われ牛若はぐ、と言葉に詰まった。諏訪での武士や夜盗との戦闘から、自分たちが規格外の戦闘力を有していると分かっていたからだ。
それを確認すると玉藻は今度は行儀良く据わっている梅子へと言葉をかけた。
「ととさまきめる。わたしたちがんばる」
「梅子さんが一番よく分かっていますこと」
所変わって竜胆と静は連れ立って武家町を歩いていた。この時代、町の作りは外敵に攻め込まれることを想定したものとなっている。つまり、わかりにくい。
案内板などあるはずも無し、規則正しい碁盤目の作りなどごく一部。わざと行き止まりや袋小路をつくるほどだ。つまり、端的に言って道に迷っていた。
「どうするおつもりです、主殿」
「勇気を出して周りの人に聞いてみよう」
そんなこんなで何とか目的地の教来石宅にたどり着いたのは夕暮れ近く。
一見ゆえ素性不確かな者として取り次いでもらえないため、言付けを頼んだ。
郊外の役宅では無く甲府の宿屋にいること、数日留守にすることの2点であった。
宿に戻って食事と風呂を済ませ早めに寝ると、出かける支度を調え朝食を済ませると玄関口で女将と話した。数日留守にするがその分の宿代は前払いする故よろしく頼むと。
どこか狐につつまれた顔でまだ店屋も暖簾を出し始めた時間帯に女将は五人を見送った。そのまま南へと向かう一行の行く空には、数羽の鴉が舞っていた。
「さて、女将の話じゃあ一人旅が危ないのは北というから、まずはそちらから行こうか」
あっけからんとしている竜胆と額を押さえる静を先頭に甲府の城戸をくぐった。
噂はすでに甲府中を巡っているのか、門番だけで無く道行く人の幾たりかは竜胆らを見かけると目を剥きひそひそと指をさして隣の者と話をしていた。
他者の評判など何処吹く風、竜胆一行は甲府の町を出るとそのまま北西、信濃佐久方面へと向かった。ちなみに東は北条、南は今川、西は諏訪である。
道中の安全度はそのまま隣国との緊張度合いを現す。佐久方面の一部領主とは事実上の開戦状態である。夜盗のみならず、忍びの者なども入り込んでいる。
今回竜胆はそういった手合いを狙っていた。理由は二つ。手加減を間違えて事故が起こっても問題が少ないことと、それなりの練度を期待できる相手であることである。
つまりは、街道周辺の不穏分子取り締まりをする事で実戦経験を積もうとしていた。同時に治安対策も兼ねる一石二鳥の手だと、本人は考えていた。
もっとも、そうは思わないものも一行の中にはいた。そう、今この瞬間も
「だー、なんでこう行く先々関所関所でカネとられるのさ、おかしいでしょ」
その牛若の叫びにも一理あった。四半里の道を進まぬうちに関所があり、関銭を取られるとあっては道行きも滞るし地味に出費がかさむ。
「それを街道の維持補修費に充ててるんだから、あまり文句言わないの」
それは一面の事実である。だが領主の税収補填の一面は竜胆は口にしなかった。
女子供主体の謎の一行に荷物は多量の荒縄。加えて関所で暴れられでもすれば目も当てられない事態になるのは容易に想像が付いたからだった。
そうこうしながら北東、佐久との国境方面へと歩を進めて行くと、牛若が空へと顔を向け手で合図をした。他の面々は顔を見合わせると一つ頷いた。
そのまま人気の無い山道を歩いて行く。目に映るのは山林や雲、耳に届く音は風や鳥の鳴き声、この様な場合で無ければ秘境訪問と盛り上がったかも知れない。
しかし、それも現代ならばの話。戦国時代ではまた違った展開が待ち構えていた。がさがさと茂みの鳴る音がしたかと思えば前後に十人ほどの男達が現れたのだ。
麻の野良着や獣の皮衣に身を包み、手に槍や刀、鎌などを持った男達だ。それが一様に下卑た笑みを浮かべて一行の前後を塞いだのだ。
「今日は運が良いな。女が四人に男が一人。男は殺して身ぐるみを剥いでやる。女は売り払ってカネになってもらおう」
大柄な男が笑いながらそう告げてきた。
対する竜胆一行の反応は男達の予想外の物だった。今までの獲物であれば、有りガネを差し出し命乞いをする、一か八か主人だけは突破させる、と行った物だった。
人気の無い場所で武器を持った男達に囲まれた女子供にできることなどそれくらいだ。その筈だったのだが……、男は目の前の集団の様子に首を傾けた。
「よし、やっと出くわしたな。今回の目標は手加減の習得。どのくらいで死んじゃうか、あるいは生け捕りに出来るのか。二、三人しか練習できないからな」
大柄な男、山賊の頭目は一瞬呆けた。目の前の連中の言っていることが理解できなかったからだ。しかし、自分たちが甘く見られていることだけは理解し、部下に吠えた。
「おまえら、やっちまえ」
応じる声と共に配下の男どもは躍りかかった。数はこちらが倍以上いる。最初に男さえ始末してしまえばあとはどうとでもなる。
今まではそうだった。それでうまくいっていた。人気の無い山道を行く、数十人程度の集団を作る用心さえしない世間知らずか訳ありを獲物としてきた。
男は殺して身ぐるみ剥ぐか、どこぞへ下男として売り飛ばすか。女は身分次第で扱いを決めた。売れないならば自分たちで使っても良かった。
杜撰と言えばそれまで。行き当たりばったりではあったが、それでも男達はここまでうまくやってきた。頭目も山犬の甚五郎などと二つ名さえ手に入れた。
そう、すべてはうまくいっていた。うまくいっていたのだった。今日、この瞬間までは。頭目は自分の目を皿のように見開いた。目の前の光景が信じられなかったからだ。
まずは子供が襲いかかってきた。山賊に子供が向かってくるなど乱心としか思えなかった。だが、杖の様な物を振り回したその子供は手下の顎を割り、腹を打ち据えた。
続いて貴族の娘が動いた。振り向くと後ろを塞いでいた者達へと歩んで行った。あっけにとられる山賊を尻目に手にした扇を畳むとこめかみを殴りつけ昏倒させた。
ばかな、そう喉の奥から声を絞り出す間も無く、次の女が進み出てきた。腰に刀を差した侍風の女だ。刀に手をかける事さえ無く、首筋への手刀で同じく二人をのした。
また、いつの間にか童女も動いていた。後ろを塞いでいた者へ歩み寄るとばたばたと男どもが地に倒れた。正直、頭目は悪い夢でも見ているような気分になっていた。
気が付けば目の前に男が立っていた。少し申し訳なさそうな、ばつの悪そうな、何とも言えない顔だ。それに頭目は激高した。自分たちは恐れられる存在だ。同情など要らぬ。
「君たちに恨みは無いが済まない。俺達も生きていかなくちゃいけないんだ」
その言葉と共に目の前に迫った男は鞘ごと刀を抜き首筋を打ち据えてきた。
苦戦どころか相手に何もさせぬまま、竜胆一行は襲いかかって来た山賊を返り討ちにしていた。竜胆の宣言した練習の言葉通り、相手を殺さず無力化していた。
気を失った山賊達を、荷物から荒縄を取り出した竜胆が数珠つなぎにしていく。無表情のまま行われるそれは人間では無く品物を扱うかの如き手つきだった。
「ええと、みんなうまくいった。でいいんだよね、兄貴」
「ああ、上出来だ。お疲れ様」
確認する牛若に労いの言葉が返された。
年長組は頭の中でこの先頭を反芻していた。錫杖、扇、手刀、薬、刀とそれぞれの獲物で無事相手を殺さず無力化できた。一部骨折や外傷を負わせた者もいるが、上出来だった。
「よしよし、戦果は十分。帰るぞ」
そう言うと竜胆は縄の先端を牛若に持たせると、梅子からもらった気付け薬を山賊達に嗅がせて回った。
目を覚ました男どもは当然のように大騒ぎして暴れ回り逃げだそうとしたが竜胆が一度刀を抜いた後納刀すると途端に大人しくなった。実力差を思い出したらしい。
「俺達をどうするつもりだ」
自分が頭目だ、と名乗り出た山犬の甚五郎は竜胆に質問した。不安と怖れがそうさせていた。
「まずは甲府まで連れて行く。その後奉行所に突き出すか他の手段を取るかはこれから決める」
途端に大騒ぎが始まった。
それはそうである。山賊夜盗と言った法の枠の外に生きる者ども、いわゆるアウトサイダーの類いが捕縛されれば待つのは磔か斬首と相場が決まっている。
竜胆たちはその声を聞きながら隊列を整え来た道を戻り始めた。先頭は静、続いて縄を持つ牛若、列の中程に玉藻、殿は竜胆と梅子である。
「俺達には大勢仲間がいるんだ。直ぐに仕返しに来るぞ。今縄を解くなら無かったことにしてやる。後悔しないうちにさっさとほどけ。聞いてるのか」
定番の脅しを叫ぶ山賊に竜胆は半ば勘当さえ覚えていた。おお、まるで小説みたいだ、と。そして仲間が来てくれたら手柄が増えるなあ、と答えた。
それを耳にした瞬間甚五郎は諦めが付いた。だめだ、どうにもならないと。この連中は自分たちが束になった程度でどうにもならない、と格の違いを思い知った。
そこで別の手段を取った。俺達には年老いた親や腹を空かせた子供、そういった背負う者達がいる。その連中の生活はどうしてくれる、飢え死ねというのか、と。
その言葉に反応したのは竜胆よりもむしろ静と玉藻だった。それぞれ歩みは止めぬまま何事かを考え込むような素振りを見せた。だが山賊を解き放つようなことはしなかった。
最終的には竜胆の、悪いが山賊の事情まで考える余裕は無いよ、の一言で結論が出た。山賊どもは甲府までの道を文字通り引きずられてでも進むこととなった。
騒ぎになったのは山賊達ばかりでは無い。道中の村々や関所でも同様の、いや、それ以上の騒ぎとなった。見慣れぬ一団が山賊を捕まえて戻ってきたのだ。
このご時世に女子供で碌に護衛も付けずに国境の山へ向かった者達の事を覚えている者はいた。関所の役人などは尚更だった。その者達は一様に驚愕した。
本人達の自覚はさほどでは無くても、目立つ一団だ。それが絵巻物の一幕の様な事をしてのけたのだ。代わり映えのしない毎日を送る人々に、鮮烈な印象を与えた。
十人を超える捕虜を連れて思うように進めぬ竜胆一行を余所に、噂は韋駄天の速度で駆け巡った。結果、甲府郊外に教来石民部が待ち構えていることとなった。
年末繁忙期です。
繁忙期に定時帰りもツライですが、残業と休日出勤もそれはそれでキツイです。




