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武田見聞録  作者: 塩宮克己
1章 天文11年(1542年) 諏訪高遠編
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029 仕切り直し

 一同はそれを目にし、しばし呆然とした。期待していなかったと言えば嘘になる。しかし別段、高望みをしていたわけではなかった。それでもこれはあまりと言えばあまりだった。


 仕官を果たしたら与えられた役宅が廃屋だった。特段、秘密の地下室があるであるとか、実は高名な忍者との会合場所というわけでもない、ただの廃屋である。


 むう、と竜胆は呻いた。型破りな事をした自覚はある。自分が歓迎されざる新参者だという自覚もある。しかし、ここまで露骨にされるものだろうか。


 仕合の相手方からすれば満座の中で恥をかかされた格好になる。また他の者達にとっては同僚の仇とまではいかないが似たような存在である。


 それ故、多少の嫌がらせは受けるのだろうとは予想していた。しかし、こうまで明け透けに隔意を見せつけられるとは思っていなかった。


 一周回ってむしろここまで分かりやすければ対応もしやすいと、そう安心すべきなのかと考え玉藻の方へちらと視線を向け、凍り付いた。


 扇子で口元を隠し笑っている。それはいつものことだ。取り立てていう事はない。だがしかし、いつもは線の様に細い目を見開いて眉間に皺を寄せているとなれば話は別だ。


 逆鱗に触れられた際にみせる仕草だからだ。「旦那様、これは何の冗談でしょう」

 何か声をかけようとしたところ機先を制された。

 

「旦那様は仕官を許されたのですよね」

「郊外に役宅を与えられたのですよね」

「しかるにこれはどういうことでございましょう」


 そのまま息をつく間も間もなく畳みかけられた。

 それに対し竜胆はただ黙って耐えた。内心、さもありなんと思っていたからだった。


 旦那が就活の面接に出かけ内定を貰って帰って来て、社宅があるのだと聞いて引っ越しの準備をして来てみれば廃屋だった、となれば普通ならば離婚であろう。


「で、この後どうなさる気か聞かせて下さいまし」

 何だかんだで玉藻の優しさが身にしみる竜胆であった。


「うん、全体回れ右」

 そうしてそのまま来た道を引き返した。

 行きと違い、帰りは全員口数も少なく、うつむき加減の道行きであった。


 どこか手入れの足りない印象を受ける田地を抜けながら、心の持ちよう一つで同じ風景もまるで違う印象を受けるのだな、と一行はひとつ経験を積んだ。


「あらまあ、どうさなったんですか」

 口に手をあてて目を見開いたのは宿の女将であった。朝引き払った客が昼過ぎに戻ってきたならそうもなろう。


「女将さん、離れは空いていますか。少々事情がありまして、またお世話になりたいのですが」

 金払いの良い客の願いは叶えられた。 


「さて、では改めて今後の方針について家族会議をします」

 もはや自分の部屋のように馴染んだ宿の一室で竜胆は全員にそう告げた。


「ええええ、是非そうして下さいまし」 

 せかす玉藻に応じる形で

「基本これまで通りここを拠点にして活動します。何かあれば即相談、日次報告必須で」


「兄貴、それって今までとどう違うのさ」 

 もっともな牛若の質問に対して

「今までの野良ではなくて、正式に武田家所属になったところかな」


 だから、それをわかるように解説してくれ

とかみつく牛若に対して竜胆は簡潔に

「戸籍無しの流れ者から正式な市民権持ちになったんだよ」


 前日と似たような説明を繰り返した。それを聞いて梅子は今まで自分たちはどれだけ不安定な立場だったのか、と内心青ざめていた。正規の住民でさえなかったのか、と。


「それはともかく、役宅を使わないことは胴言い訳するつもりです、主殿」

 直近かつ現実的な懸念を指摘する静に対しては楽観的に答えた。


「こういうのは筋が通っていて美談ぽくしておけば相手は断りにくいんだよ。」

 だから、と続けた言葉に他の面々は唖然とした。よくもまあ考えついた物だと。


「郊外ではいざという時駆けつけるのに遅れてしまいます、それ故新参としては身銭を切ってお膝元に待機することで譜代の方々の忠義を見習おうとしているのでございます」


「あとはこれを教来石様のところへ前もって報告しておけば大丈夫だろうさ」

 自信たっぷりに口にされたことで一同はそんなものか、と納得した。


 この件については本日中に竜胆と静で対応することになった。こんな時代でも、いやこんな時代だからこそ報連相は大事だと竜胆が主張した結果である。


「では明日からどうなさるつもりか教えて下さいまし」

 一旦納得する姿勢を見せた玉藻はその視線を今後へと向けていた。


「まずは軍資金調達かな、兎にも角にも先立つものは必要だし」

 そう答えた竜胆に牛若が疑問を呈した。

「拠点から持ち出した黄金売れば」


 あのなあ、と苦虫を噛み潰したような顔をして竜胆は答えた。

「少し考えて見ろ、只でさえ怪しい連中が働きもせず黄金ばかりもってたらどう思う」


 一同はそれぞれ顎に手を当て考えた。まず思いつくのは盗人の類いか。あるいは遺産を手に入れたドラ息子、はたまたお忍びの部屋住み子弟か。どれも碌なものでは無い。 


「若い者が働きもせず昼間からぶらぶらしていたら治安悪化の要因だからな。ともかく、皆なにがしかの働き口を見つけよう」

「心当たりがおありで」


 そう質問した玉藻に対してあまり気は進まないのだけれど、と前置きして告げた内容に一同は目を見開いた。確かに有効な手ではあるが、あまりにも、と感じたからだった。


 竜胆の口にした働き口の衝撃から立ち直る間もなく、さてと口にし手を一つ叩いた。

「折角だから、俺達の今の状況を整理しておこうか」


 全員の目を見て異論のないことを確認してから言葉を続けた。

「最大の目的は雪の奪還と合流だ。これはいいな」


 もちろん、全員揃って頷いた。

「ただ、困ったことに今諏訪の領主の城に捕らわれているか暮らしているか、ともかくそこにいるらしい」


 今日も鴉で安否を確認をした牛若が力強く頷いた。

「正面から一度仕掛けたけれど俺のへまで失敗した。だから次の手を考えた」


 全員、黙って聞き続けていた。

「幸い、諏訪は近々武田に攻められて滅ぼされる。だから武田側について滅亡時のどさくさに紛れて救出しようと思っている」


 ふむふむ、と頷きが返ってきた。

「武田に仕官して武功を立てれば、褒美として雪の身柄を願うことも出来るしこの時代での居場所も作れる。一石二鳥だな」


 なるほど、と頷く面々を見てどうにか及第点はもらえたらしいな、と竜胆は内心胸をなで下ろした。ただ、そこには女達に対する誤解があった。


 女達は竜胆の方針の是非を判断したのではなかった。あくまで竜胆の方針に従い、ではどうすればそれを実現できるのか、それに考えを巡らせていたのだった。


「それで、私たちの手札はどの程度の物なのか、それを教えて下さいまし」

 玉藻のもっともな質問に竜胆は指折り答えていった。


「まず俺達自身だろう。それに湖畔都市の資源、食料、武器防具。あとカネだな」

 まあそんなところか、と一同は思った。

「ちなみにカネってどのくらいあるの」


 ううん、と考え竜胆は計算し始めた。

「金貨一枚3.5グラムだろう、それが数十億枚だから……どのくらいだ?キロ、トン、ええと、十数万トンくらいだから」


 しばらく暗算した後に口を開いた。

「人類が採掘した金の量に匹敵する位かな」

「よくわかんない」

 困惑する牛若に別の答え方を探した。


「江戸幕府の初期の財政が年百万両も無くて、一両が16グラムちょいで金含有率8割で」

 ぶつぶつと呟く竜胆を一同は見守った。

「今から維新まで税金肩代わりできる位」


「なら仕事しなくていいじゃん」

 あまりに途方も無い額に牛若は呆れた。

「だからこそ働くんだ。いまカネがあるから、なんて油断してだらけてると魂が腐る」


 珍しく顔を歪めて吐き出された言葉には、思い出したくも無い体験をした物特有の苦々しさが含まれていた。普段と違う何かを感じた一同は、それ以上口を開くのが躊躇われた。

「ああ、すまんすまん。ともかく、体と頭を動かしていないと碌な事を考えないからな。出来ることから手を着けていこう」

 そう竜胆は締めくくった。   


「では仕事を探すと致しましょう。主殿はまだ仕官したばかり、家来を抱えられるような立場でも無いのでしょう、ならば全部自分たちでしないといけませんね」


 こういう時は仕切り役を買って出てくれる長女役の静の存在は本当にありがたかった。場の切り替えと今後の段取りをさっと進めてくれる。


 よろしいですね、と一言念押しすれば一同からの異論も出ない。ここまでくれば長女兼母親の様なものだ。頼りになるなあ、と竜胆が眺めていればお叱りを受けた。


「主殿も、一家の主としてもっとしゃんと頂かねば困ります。」

 ごもっとも、と竜胆は頭を下げ、それを見て静はため息をついた。


「で、その仕事ですが」

 と静は続けて何をすべきかを話し始めた。

 全員それぞれに意見を出し、議論百出の状態となった。


「用心棒はどうだろう」  

「伝手も信用もまだないでしょう」

「金を売ったらどうかな」

「やり過ぎると怪しまれるだろう」


「わたしのおくすり」

「気持ちは嬉しいけど医者が子供じゃあ」

「姐さんが美人局」

「どこでそんな言葉覚えて来た」


「良い案が出ませんね」

 静は嘆息した。いや、案はあるにはあった。しかし静は竜胆の現代社会の倫理観が本当に耐えうるのか疑問だった。


「これはもう、旦那様のあの案で行ってもよいでしょう」

 玉藻からすっと意見が出された。

 場の空気が変わった。


 全員、ある程度の有効性は認めていた。

 竜胆の提案は狩りだった。それも自分達自身を囮とした。そして、程度はともかく多少の成果も見込めた。


 しかしそれでも、その案を実行に移すのは抵抗があった。全員、諏訪上原城突入時の竜胆の狼狽を忘れてはいなかった。この案では同じ事が起きる可能性もあったのだ。


 しかし、玉藻は別の切り口で考えていた。どうせ今後越えなければならない壁だ。折角竜胆自身から提案があったのだから、この機に「練習」しておくのも悪くないと。


「皆さん、反論や別の意見があるなら出して下さいまし」

 文句を言うだけなら子供の所業だ。反論は代案や明らかな懸念点と絡めてされるべきだ。

 流石に全員それはわかっていた。そして竜胆が醜態を晒す危険があるからやめた方が良いなどとは、その点に気付いてはいても誰も言い出せなかった。


 部屋の中の全員を見回し反論が無いことを確認するとすっと玉藻は立ち上がった。

 同時に部屋の空気が張り詰め、畳の香りまで変わったようだった。


 玉藻は口元の扇子を閉じるとそれでぱしんと手の平を叩いた。

「では、旦那様の案通り山賊狩りを当面の資金源と致しましょう」

 

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