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武田見聞録  作者: 塩宮克己
1章 天文11年(1542年) 諏訪高遠編
33/70

26 力を示せ

「あ、静姉勝ったみたいだよ」

 穏やかな日差しの降り注ぐ、ある宿の離れの一室に声が響く。お手玉をしていた女子二人が振り向き口を開くと


「かかさま、つよいの」

「静さんがそこらの連中に負けるはずが無いでしょう」

 異口同音に仲間への信頼を口にした。

 

「いや、そりゃ静姉が負ける訳無いのはわかってるけどさ、もうちょっとなんかないの」 普段なら問題行動発言を行う側の牛若が他を窘める、珍しい光景が現れた。


「鴉でのぞき見るなら、静さんがうまくやっているかでは無く、旦那様が何かやらかしてを見て下さいまし」

「ととさま、しんぱい」


「静姉が信頼されてるのか、兄貴が信頼されてないのか……」

 珍しく歯切れの悪い牛若に玉藻は一言

「両方でしょう」


 牛若は天を仰いだ。

 実際、これがうまくいかなかった所で次の手があるのだから、使い魔での観察も態の良い暇つぶしでしか無いことを知っていた。


「うまくいくように静さんには段取りを伝えてあります。心配ありません」

 伝える先が、玉藻の内心を物語っていた。委員長気質の静なら、大事ないだろうと。


 もっとも牛若は納得がかず不満顔だ。

「兄貴の就活でしょ、今日のこれ。もうちょっと何か無いの」

 これは自分たちの今後にも関わることだ。


 牛若に似合わぬ心配性の発言を

「旦那様がうまく出来るわけ無いでしょう。だから静さんに策を伝えたのです。それに次の手もあります。これは問題ないでしょう」

  

 男は多少ばかな位で丁度良い、が持論の玉藻らしい、自信に他者への見切りと用意周到さを感じさせる発言に牛若はうへえ、と舌を出して呆れた。


「だいたい、これ雪姉を取り返す準備でしょ?こんなまどろっこしい事しないで、あの時本性出して無理矢理奪い返せばよかったのにさあ」


 失敗に終わった上原城潜入作戦の話だ。その際に人型の擬態を解いて城兵を皆殺しにしてでも家族を取り返すべきだった、そう主張しているのだ。


「それができればこんな苦労していません。無理に行えば旦那様は心を病むでしょう」

 家族を取り戻すためとは言え大量殺人に自分たちが手を染めれば何が起こるか。


 玉藻は聡い。人の心の機微にも通じている。頭脳担当として創造されているのだから当然だが、時として先が見えすぎてしまうのも困りものだった。


 今男が行おうとしていることは、最善の一手でも、最良の一手でも無い。だが、惚れた男が悩み抜いて出した結論を尊重したいと思うのも、玉藻であった。


「かかさま、ととさま、がんばって」

 この地で男が買い与えた麻布のお手玉を丁寧に扱いながら、梅子は祈るように呟いた。

最後は当事者次第だと、知っていた。


 積翠寺の境内は戸惑いのざわめきに包まれていた。京都の公家を交えた歌会に乱入した者がおり、あろうことか武芸の腕を披露するゆえ仕官したいと言い出した。


 本来ならばくせ者として成敗して終わるはずが、あろうことか当の公家が座興に良いと乗り気になってしまった。そこで難題として五人抜きを提示した。


 本来であれば得体の知れぬ闖入者など、そこで黒星をつけて追い返す、その筈だった。しかし、事もあろうに歴戦の勇士原美濃守を含め五人抜きを達成されてしまったのだ。


 困ったのは武田側だ。無理を承知で、しかも自分たちから提示した条件を達成されてしまったのだ。これを受け入れなければ信用問題である。他国に聞こえればどうなるか。


 どうしたものかと悩んでいる最中に、問題の男女の方からぼろを出してくれた。女の方が男も武芸の腕を見せろと言い出したのだ。武田側はこれに食いついた。


 静から木刀を差し出された男は困惑しながら答えた。

「腕を見せろって君が五人抜きなら俺はせいぜい三人抜きだってわかってるだろう」


 これを聞いた周囲の侍達は途端に騒いだ。

ーーそうじゃ、男の方の腕も見ねばーー

ーー女の影に隠れるなど心がけが足らぬーー

ーーそう簡単に仕官が許されると思うなーー 


 口々に男を責めてはいるが、その内心はこの男の方が弱いのであればそちらで先の五連敗による恥辱と鬱憤を晴らそうというものである。 


 自家の当主に加え客人も臨席の場において、女相手に為す術も無く敗北を喫するという経験が、周囲の侍達から冷静さを奪い去っていた。


 男は助けを求める様に取り次ぎ役の侍を見て口を開いた。

「私が三人抜き達成の暁には今度こそ仕官をお許し願えましょうか」


 取り次ぎ役の侍は踵を返すと境内の奥、本堂へと歩いて行った。その御簾の向こうに武田家当主武田晴信以下主立った重臣と客人たる公家の冷泉為和が座していた。


 一同の意見は簡単だった。女の五人抜きに続きあの男がまことに三人抜きを達成したならば、流石に仕官を認めざるをえまい、というものだった。


 その決定が境内中に伝わると侍達は色めき立った。この不届き者を叩きのめす大義名分が手に入った上、満座の中で己が武芸を誇ることが出来るのだ。


 しかも相手は先程の女よりも明らかに弱いと来ている。しかも女に催促されてしぶしぶ剣を取るような覇気の無い、髷さえ結っていない小僧だと来ている。


 我も我もと声を上げる者で溢れかえる中、

見届け人たる取り次ぎ役の侍が指名したのは先程静に敗れた、熊の様な大男であった。雪辱の機会というわけだ。


 声を上げていた者達もこれには納得した。中には自分が懲らしめてやりたかったのだが、などとうそぶく者まで出る程だ。男は静に刀を預けると木刀一本持ち進み出た。


 境内は異様な喧噪に包まれた。周囲の侍達は口々に大男への声援と対する男への隔意を口にするが男はそれを柳に風と言わんばかりに聞き流していた。


「小僧、今詫びを入れるなら痛い目を見ずに済むぞ」

 眼前で舌なめずりせんばかりの表情で告げられても男は眉一つ動かさなかった。


 代わりに少し腰を落としいつ開始の声がかかっても良い様に構えた。大男はこれに眉をつり上げ、見届け役の侍に立ち合いの開始を催促した。


 開始の合図と同時に大男は吼えた。体格に合った、いやそれ以上の大声に裂帛の気合いが乗せられている。大抵の者はこれで一瞬動きが鈍り、身をすくませる者さえいる。


 そこに一撃を叩き込むことで勝ち星を挙げるのが、この大男の得意とする戦法であった。だが今回は勝手が違った。目の前の男は大音声に怯むこと無く向かってきたのだ。


 音は空気の波である。常軌を逸した音量ともなればそれは物理的な感触さえ与える。だが、この男には通用しなかった。それどころか声を上げた隙に刀を突きつけてきた。


 大男は固まった。腹の底から声を絞り出した大喝の姿勢のまま、眼前に木刀を突きつけられたのだ。唖然としたまま敗北を告げる立ち合い役の声を聞くこととなった。


 呆然としてしまったのは周囲の侍達も同様であった。同輩であるだけに戦場でその大喝の威力を目にしており、それを物ともしなかったことに驚愕した。


 それは同時に、この男が女の影に隠れているだけの軟弱者では無いことを意味した。それに気付いた者から口を閉じていった。万一の場合を考えたからだ。


 まかり間違ってこの男が三人抜きを成し遂げてしまった場合、こやつらは鳴り物入りの武芸者として武田家中の末席に連なるのではあるまいか。


 そう考えたのは御簾の向こうの面々も同じであった。その際にはどこへ配属し、どのように扱うか。人の上に立つ者は、常に人より二歩三歩先の行動を考えねばならない。


 素性の定かならぬ者であれば当主に近づく機会のある馬廻りなどはもっての外。さりとて牢人衆へと配属すればどんな摩擦が起きるか知れたものでは無い。


 主立った者達の苦慮を余所に、男は二人目の相手との立ち合いに臨んでいた。先の勝負を見て腰の引けた者が多かったのか、静の三人目の相手の侍であった。


 先程までと打って変わって今後をいろいろな意味で心配するひそひそ声がそこかしこで聞こえる中、二人は向かい合って互いに木刀を構えた。


「あの大喝を物ともせぬとは、多少は修羅場をくぐってきたと見えるな」

 侍の呼びかけに男は一言、

「鬼や竜に比べれば、どうと言うことも」


 侍はその答えに顔を強張らせた。若造に侮辱されたと感じたからだ。

 だが男は真実を言っていた。巨竜の咆吼に比べれば、人間のそれなどたかが知れている。


 双方がすれ違ったまま、開始の合図がなされた。まだ肌寒い空気を、気を引き締めるには丁度良いとばかりに侍が気を漲らせながら地を蹴立てた。


 対する男は腰を落として構えたまま動かない。いや、その力を溜めている様は一撃を受け流しての後の先を狙っているからか。周囲の者達は固唾を呑んで見つめた。


 先に動いたのは侍の方だ。左上から右下への逆袈裟。対する男には自身の右上からの一撃になる。反応の早い心臓のある左側とは逆からの、いわば人体の弱点を突く一撃だ。


 男はその軌道を見て取ると自らの木刀に袈裟斬りを描かせ、双方の武器をぶつけ合った。これが真剣であればつばぜり合いで火花の一つも起きているだろう。


 そして男はむん、と腕に力を込めると自らの木刀を上にかち上げた。

 当然、相手の木刀も同様に跳ね上がる。しかし腕の痺れを押さえ直ぐさま構え直した。


 男は相手の構え直した木刀にまた自らの木刀をぶつけていって上にかち上げた。その行為に観衆は怪訝な顔をし、侍は顔を強張らせた。


 男が何を狙っているか分かったからだ。ただひたすらに両者の武器を打ち合わせては上へ弾く。技巧も駆け引きも無く、力任せの持久戦である。


 双方の剣技の冴えを競うでも無く、ただ一つの必殺剣に全てをかけるでも無い。単純に力比べを続けて先に音を上げた方が負ける。子供の喧嘩よりもひどい。


 それをこともあろうに一国の主の眼前での試合で行い、しかもその相手が自分であるとは。侍は一瞬、自分は眼前の男の親の敵か何かなのかと自問した。


 だが、そんなことはどうでも良い。問題は、この状況をどう切り抜け己が手に勝利をたぐり寄せるかだ。現状でもひたすら押されているように、力も速さも相手が上だ。


 打ち合いの最中に他事を考えたのがいけなったか、ついに腕の痺れが限界に達し握りが緩み、木刀をかち上げられた拍子に離してしまった。


 遠くに落ちる音を響かせる自らの木刀と、眼前に突きつけられ存在感を放つ相手の木刀。侍は己が敗北を認め参ったの言葉を口にした。境内が一気に騒がしくなった。


ーーおい、二人まで抜かれたぞーー

ーー次は誰が行くのじゃーー

ーーまさかまた美濃守殿に頼むわけにもーー

ーーされど誰か行かねばーー


 口々に不安を口にする周囲の侍達も、流石にあっさりと二人抜きされた後では相手に名乗りを上げる者はいなかった。女に加え男の方もただ者では無いと分かったからだ。


 ただでさえ分の悪いの上、負ければ得体の知れぬ新参者二人を家中へ「招き入れた」事になるのだ。これを尻込みしたとて、臆病惰弱とは呼ばれまい。


 そんな中、張りのある声が相手に名乗りを上げた。海が割れるように、周囲の侍達が声の主に道を開けた。奥から現れたのは、まだ少年とも言って良い若者であった。



 ぐぬぬ、もうちょっと、あと週800字ほど執筆ペースを上げれば

次週分を予約投稿できるはず。

もうちょっとなんだ。

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