23 歌会乱入
四月、暦の上では春だが山国の甲斐ではまだまだ肌寒い日も多い頃。甲府の宿屋の一室で男女の密談が交わされていた。議題は男の仕官だ。
「どうなさるおつもりですか、主殿。何の伝手も無しに行っても追い返されますよ」
地縁も血縁も面識も無い相手に対し、一体どう自分を売り込む気か、との問いである。
「いやもう、時間も無いし正面突破」
「脳筋」
本当に考えて発言したのか、と呆れながら室内の女性全員が異口同音に口にした。
「今更下手に小細工しても仕方ないし、伝手を見つけても足軽から始めろとかそんなもんだぞ、なら兎にも角にもこちらの実力を示した方がいいじゃないか」
言い訳じみて聞こえるが、一理あることも認めざるを得なかった。そもそも仕官は目的では無く手段なのだ。そこは大事なところだった。
「俺達は手柄を立てて戦利品として雪を取り戻そうとしてるんだ。下手にどこかに配属されたら、その上役に持って行かれる可能性の方が大きいぞ」
それについては全くもってその通りだった。大名から直接褒美を賜ることが出来るのは余程の手柄を上げた者かそれなりの地位に就いている者である。
それこそ足軽の立てた手柄など、所属する武将の手柄となるのが通例だ。長年の慣習を破るには、それ相応の準備なり大手柄なり、枠を突破する何かが必要となる。
「いやしかし、正面突破では……」
「いいんじゃない、前はあれこれ考えすぎて失敗したんだし」
考え無しは考え無しを肯定する。
頭の後ろで両手を組んでいる牛若の発言をたしなめようとした静は、しかし以外な伏兵に出鼻をくじかれた。
「いいかもしれませんわね」
「玉藻さん、貴女まで」
口の前で扇子を広げてころころ笑っている玉藻相手では何を言っても暖簾に腕押しと知っている静は一言言うとため息をついた。
「今までの経験から、武芸は圧倒的にこちらが優れているのです。それを活用しないのは、もったいないことだと思って下さいまし」
正論なだけに始末が悪かった。
「主殿も、もう少し良い案を考えて下さい」
この二人を相手にしていても埒があかないと見た静は矛先を発案者である男へと向け直した。もう失敗は出来ないのだ。
「いや、日程は分かっているしこのまま宿屋で何時までも管を巻いている訳にもいかないだろう。なら、巧遅より拙速だよ」
男は男なりの焦りを感じているらしかった。
「梅子、貴女はどうなの」
救いを求めるように最後の良心へと向き直った静だったが。
「ととさまがそうしたいなら」
おずおずと口に出された消極的賛成に頭を抱える事となった。これで賛成四、反対一の圧倒的多数で可決されてしまったからだった。ああもう、と敗北を認める呻きが漏れた。
「では多数決を取ったところで段取りを確かめておきましょう」
涼しい顔で玉藻が議事進行を始めた。こういう時に静は良い記憶が無かった。
「現地に行くのは俺と静。玉藻に牛若と梅子は宿屋で待機。牛若の鴉で状況把握して、異常事態発生の際は一旦ここを放棄して拠点で合流して仕切り直そう」
あらかじめ考えてきていた様に男はすらすらと口にした。これには玉藻が反発した。まさかある種の覚悟をして仕官の場に臨むつもりではないでしょうね、と。
対する男の答えはあっけからんとしたものだった。いざとなれば血路を開く覚悟だ。ただし、年少組まで自分の不手際に付き合って無用の危険を負うことは無いだろう。
それはそうでございますが、と口をもごもごさせて今度は玉藻が不満をため込む番だった。この配置は最悪を見越してのものではありませんか、と。
そうなると万一の際における玉藻の役目は年少組を引率して拠点へ帰還、そのまま残りの二人が戻るまで大人しくお留守番である。流石にそれは、と思うのも無理は無かった。
「大丈夫。最悪の想定は万一の際に牛若が暴走して本性出して大暴れすることだから。そのための保険だよ」
これにはああ、と玉藻も納得した。
自分たちは本来妖怪変化の類いである。人型を取っているのは仮の姿に過ぎないのだ。それを脱ぎ捨てる事が無いように、万一の更に万一、万々が一の備えというわけだ。
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天文十一年(一五四二)四月十三日、先月二十三日の尊躰寺における花見会に続き、武田家当主晴信による月次歌会が積翠寺にて開催されていた。
武田家重臣のみならず甲斐国内高僧、京より来訪中の公家、正二位権大納言冷泉為和をも参加者に持つ、戦国大名の文化保護者としての面にふさわしいものだった。
となればその警備も当然その格に準じたものとなる。この日も正面のみならず裏手にも警固の人員が配されていた。譜代家老甘利備前守とも縁ある武川衆であった。
「警備と言ってもこの甲府でお館様に仇なす者などおるまい。退屈なものじゃ」
「その心の緩みこそつけいる隙。油断大敵でござろう」
欠伸混じりの同僚をたしなめたのは三十前の侍である。凜々しさと厳めしさが顔に同居し、背筋の伸びる様から威厳さえ漂う、ある種の侍像を体現していた。
「教来石殿は生真面目じゃの。儂の分も頼むぞ」
相変わらずの同僚にため息一つつくと周囲の警戒を再開した。
見渡せば周囲の木々は杉、檜、白樺、唐松など緑豊か、これに梅と桜の花が彩りを添える。もう少し日が経てば桃、次は藤がこれの後を引き継ぐだろう。
足下に目をやればまだ残っている黄色い福寿草の勢力が随分と減少していた。黄色と言えば村々の畑ではそろそろ菜の花が咲く頃合いであろうか。
一時自然に和んだ後、教来石と呼ばれた侍は心と顔を引き締めた。そうすると強面の門番、といった風情が如実に出てくるのは日頃の鍛錬の賜物か。
そうしていると表の方から騒ぎが聞こえてきた。よもや不届き者か、と顔をそちらへと向け様子を窺えば、だんだんと騒ぎが大きく、また近くなってくる。
当然表にも警備の者達は配されている。裏手よりも多い人数がだ。その手に余るとは、一体あちらには誰が来て何が起こっているのか。焦燥が内心を揺さぶった。
何事だ、行ってみるぞと先程の同僚は手近な者達に声をかけ頭の制止する間も無く駆けだしてしまった。物見高い同僚を持つと後始末に苦労する。
教来石は頭と共に持ち場に残り警備を続行した。表が陽動の可能性もある。人数が減った今、わずかの見落としも許されなかった。自分ならば、今こそ裏から侵入する。
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積翠寺の正門の警固を命じられた武士は困惑していた。大名御自らのお運びと知り、仕官を求めてやってきた。そのような有象無象など珍しくも無い。
だが、今回はとびきりだった。若い男女の二人組。この時点でおかしい。なぜ女連れなのだ。しかも男は髷も結わぬ総髪で元服前の上腰に差すのは木剣大小の三刀差しだ。
そして極めつきは女の方だ。黒い烏帽子に白い水干赤い袴と白拍子の格好をしている。遊女を連れて仕官を求めるとは女衒の間違いではないのか。
そうこうしている内に血の気の多い者達がつまみ出そうと武器をちらつかせ始めた。こうなる前に追い返したかったのだが。しかし、本当の厄介毎はそこからだった。
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「主殿、本当にこんな格好でよろしいのですか」
静が頬を膨らませるのも当然だった。男は羽織、自分は白拍子の衣装である。
「大丈夫大丈夫。もうイロモノ枠だから、勢い大切。見た目の派手さ重視で」
歩みを緩めること無く振り返りもせず、手を振りながらぞんざいな返答であった。
この瞬間に本当の意味で静は覚悟を決めた。大名の警固衆を突破し、実力で目通りするつもりなのだと。同時に昨日買い求めた腰の木剣の意味も知れた。殺しは御法度だと。
男は積翠寺にたどり着くと山門前にいる警備役の侍に挨拶し用向きを告げる。ご当主御自らのお運びと聞き歌会にはそぐわぬが仕官を求めに来た、と。
当然ながら却下された。体よく門前払いしようとする侍と、何とかならないかと食い下がる男。その様を見て他の者がやってきて実力で男を追い払おうとした。
そして、それこそが男の狙いであった。相手が先に手を出したのなら、反撃とまでは行かずとも自衛くらいは許されよう。このまま奥座敷まで押し通る、と。
行くぞ、と一声連れに声をかけ、警備役の侍達の手を躱しながら一礼して山門の境をまたいだ。それは、男の意思を周囲に知らしめる一歩となった。
くせ者だ、との声が上がり周囲からわらわらと侍達が現れてきた。その数、直ぐに二十を越えた。しかし騒ぎを起こしているのはたった二人しかも片方は女とあり面食らった。
しかしそれは直ぐに緊張に取って代わられた。男女とも大柄な上、身のこなしも素早い。囲まれながらもひらりひらりと手を躱し、袖さえ触れられぬ有様である。
ついにしびれを切らした一人が刀を抜き、棒持ちの者達も囲みに加わった。
「多勢に無勢、しかも武器まで使われてはこちらも多少はいいだろう」
声と共に男女は腰に差した刀では無く木剣の方を抜いて構えた。途端に只でさえ大柄な体が一回り大きくなったように見えた。できる、と周囲の侍達は半歩退いた。
「争うつもりはございませぬ、ただ武芸の腕を披露し仕官を願うのみなのです」
棒は弾き、刀は受け流し、その上で口と足は止まらず。異様な空気が山門に漂った。
男は傷一つ負うこと無く警固の衆に相対し石段を登って行く。ある時はその背を、またある時はその脇を、要所要所を固めながらぴたりと静はついて行く。
泡を喰ったのは正面警固の侍衆である。たった二人のくせ者さえ押しとどめることが出来ずにずんずんと奥へ進まれていく。お館様の周囲に方陣を布くべきか、とさえ考えた。
白刃を燦めかせ一部は槍や弓さえ持ち出し取り囲んでいる。それでもなお、止められない。しかも相手は木剣を使い手加減さえしている。背筋を冷や汗が伝った。
山門における異常発生の報告はやがて本堂、歌会の場へと届けられた。大勢の争う声が届いてしまい、隠しきれなくなった面も多分にはあったが。
正面からのくせ者侵入の報に馬廻り衆はいきり立った。たった二人さえ排除できない同輩と、それを主君の前で召し捕る機会に恵まれた事の双方にだ。
一部の者が主君の命もまたず、おっとり刀で駆け出そうとしたその時、意外なところから待ったの声がかかった。来客の一人、冷泉為和からである。
「ほお、仕官を求める腕自慢とは面白い。如何です、歌会の座興にこちらへ呼び寄せて実際の腕前の程を検分されては」
公家らしい、ゆったりとした物言いだった。
困ったのは武田家中の面々である。京との繋ぎ役である来客の公家で、主君の親よりも年長の相手からの提案である。無碍に却下するわけにもいかなかった。
しかしそうしている間にも騒ぎは大きく近くなってくる。時間も無い中、結局当主晴信がそれを受け入れた、と言う形にして急ぎ使いの者が現場へと走って行った。
境内は異様な雰囲気に包まれていた。本堂御簾の奥に主君以下主立った者が座し、殺気だった侍達が周囲を取り囲む中、平伏する二名の男女がいた。
直答は許されぬとのことで取り次ぎ役が要件を聞くと男は堂々と答えた。
「当方、いささか武芸には自信があります。武田家に仕官を願いに参りました」
面接に こぎつけるまでが 一苦労




