03
目を閉じれば、共に過ごした日々が思い出される。
キャラのデザインが決まらないとああでもないこうでもないと悩み、決まれば決まったで今度は性格と外観が不一致だとまた作り直し、ようやく完成すればいつの間にか一週間過ぎていた。
初期のユーザーインターフェースの使い勝手の悪さに運営に改善要望を出し、それが受け入れられて自分もこの世界を作っているのかと感動を覚えたあの日。
高難易度ボスのレアドロップを元に2キャラ目を作成すれば「浮気ですか、主殿」と問い詰められ、仮想人格仕事し過ぎだろうと驚愕を覚えたあの日。
いつの間にか中堅と呼ばれるようになりギルド新人にゲームのイロハと筋のよい攻略サイトを教えたあの日。
イベント報酬キャラをどこまで魔改造できるのかと挑戦すれば「何人囲う気ですか、英雄色を好むと言いますが事前に一言くらいあってもよいのではないですか、旦那様」と拗ねられたあの日。
ずっとソロで通して気付くと古参だの廃レベルだの言われる様になっていたけれど、たまたま組んだ野良パーティーのメンバーと意気投合し、そのまま勢いでギルドを結成したあの日。
「キャラの作成はもうこれで最後」と約束させられた後に「最後とは聞きましたが二人とは何事ですか、私たちに何か落ち度でもありましたか、兄上様」と詰め寄られたあの日。その後開き直って「良いじゃないか、男の夢なんだし」と発言した後の事は思い出したくない。女の怖さを思い知らされた。
今にして思えばなぜこんな性格に設定したのかと疑問に思うが、こんな性格のみんなだったからこそ、ここまでやってくることが出来たのかも知れない。
結婚異動就職その他の理由で引退していった仲間たち。引退日には都合の付く限りのメンバーでイベントを企画し、今にして思えば随分馬鹿な事をやっていたあの日。
アクの強く、悪戯好きなギルドメンバー達だったけれど、それだからこそ今まで一緒にやってこられたのかもしれない。
そんな掛け替えの無い仲間たちとの別れはこの1週間で済ませた。最終日には家族同然、いや、家族以上の存在となっている自分のモンスター娘たちと過ごす事にした。むしろ1週間は最終日のための準備期間でもあった。ギルドメンバー達からは
「そんな人が多いから勘違いした抗議入るんスよギルマス」
と妙ににやにやしながらからかわれつつ、他ギルドも含め半数近いプレイヤーが自分と同じ選択をしたことには苦笑を禁じ得なかった。
一部ではもはや規定も怖くないと乱痴気騒ぎに発展しているようだが、自分は拠点内で静かな時を過ごして別れを惜しみつつ「その時」を迎えることを選択した。自分の仲間たちもむしろこちらが裏を疑うほど積極的に同意してくれた。
泣いても笑ってもこれで最後なのだ。そう思えばこそ、あの頃は無茶したものだといった笑い話のバカ騒ぎとしてではなく、セピア色に変色しても尚何度も思い起こす、心の宝石としての思い出とすることを選んだのだった。
そういった回想での現実逃避に終わりを告げる声が耳を打った。それと共に今更ながら若干の後悔が胸の内に首をもたげる。これが最後だからできる範囲内で何でもする、とは言った。確かに言った。しかしなあ、と今日何度目になるかも分からないため息が出た。
目を開け視線を下に向ければ目に入るのは当然己の服だ。いつものバンカラ弊衣ならば良いだろう。それが今日に限っては折り目のキチンとついた黒五つ紋付羽織袴である。その格好で準備ができるまで金屏風前の赤い敷物の上で扇子を持って待機しろ、などと言われればこれから何があるのか、余程の馬鹿でもない限り予想が付くだろう。
「確かにずっと一緒に居たいとは言ったけれど、人生の墓場にまで付き合うと言った覚えはないんだけど」
もう一方の『準備』が済むまでの間の暇つぶしにと、着替えを手伝ってくれた狐尾の仲間に抗議といつもの軽口をないまぜにして話を振ると、
「あら、ずっと一緒に居たいと仰ったではありませんか、旦那様」確かに言った。
「これで最後なのだから、できる範囲なら何でもするぞとも仰いました」それも言った。
「『男の夢』は叶ったのです。『女の夢』も叶えて下さるのが筋と言うものでしょう?」うんまあ、それはそうなのだけど。
「往生際が悪いですよ、旦那様。ここまで来たらもう観念なさいませ。いつもの様にちゃんと締めて下されば良いだけです。」駄目だ、口では敵う気がまるでしない。しかしそれでも……
「一回目からこれでは先が思いやられます。5人全員とこなして頂かなければならないのですから。」事前に一言も無くこんな事なっているのだから、愚痴の一つも出るってものだろう?
目の前の机に置かれた朱塗りの屠蘇器から目をそらし、その間に置かれた五つの黒い小箱を目に入れないようにしつつ、ここに来る直前に押し付けられ現在インベントリ内に収まっている残り三着の衣装も意識から外すようにしながら、一人ため息をつく。
室内を見渡せば席は7つ、上座金屏風前に並んで二つ、屠蘇器一式といくつかの黒い小箱の置かれた机の向こうに左右に分かれて席が合計五つ、現在そのうち主が座っているのは狐娘の一つだけ、残りの四人が何をしているのかなど想像するまでも無い。
益体も無い事を考えて時間を潰していると室外から歓声が聞こえてきた。
『その時』が来たということである。もはやこれまで、と男は腹を括った。同時に胸を張り背筋を伸ばす。自分も了承したことである。ならばもはや目をそらしている場合ではないだろう、正面からこのゲームの最終イベントに挑むべく気を引き締めた。
男の覚悟を待っていたかの様なタイミングで、女たちが入室してきた。
そこでまず不意を打たれた。順番からして先頭はてっきり長女の鬼娘かと思っていたが、あにはからんや、四女と五女が巫女衣装に身を包んでしずしずと先導を務めているではないか。
その次に肝心の鬼娘の顔が見えるかと思えば、ここでも期待は裏切られた。二人の後に続く白衣装に身を包んだ長女たる鬼娘の肩から上は後続の三女の掲げる朱塗りの番傘によって隠されているのだ。そして途中で立ち止まったまま進む気配を見せない。
どういうことかと疑問の意思を含めて三女に目をやれば、あちらは眼だけで器用に『おあずけ』と伝えてくる。それならばと先頭の四女と五女に顔を向ければ、片やすまし顔で片や頬を上気させ上の空と、情報収集の役には立ちそうもない。
それでも先導してきた二人に目線で促され席を立つと、部屋の途中まで迎えに行く。近づけば二人は顔を合わせ道を開いてくれた。
改めて正面に立って際立つのはやはりその衣装の白さである。打掛から掛下に帯果ては草履までも全て白一色である。胸にのぞく懐剣袋の紅との対比が更にその白さを際立たせる。
そこで待っていたように朱塗りの番傘が天を向き、花嫁の顔が露になった。
――美しい――
頭に浮かんだ言葉はただそれだけであった。
あまりにも極端な事例に接したとき、その表現は返って陳腐なものになるのだと、男はこの時身をもって知った。
純白の綿帽子のを被ったその鬼娘の顔は、見飽きるほど見慣れたものであった筈であるのに、女神にまみえたかの如き衝撃をもたらしていた。白さか。この白無垢の白さがこの衝撃をもたらすのか。いいや違う。眼差しだ。万感の思いと、覚悟を宿したこの眼差しだ。そうと分かればこの白一色の衣装は唯一それ以外の色を見せる花嫁の顔へと、より正確に言えばその眼へと視線を導くことを役目の一つとしているのだと知れた。
ふと気が付くと全員が自分の方を顔を向けている。心なしか不満や苛立ちの様なものも感じられる。
確かに鬼娘の美しさを認識し直し茫然自失としていた。主賓を目の前にして我を忘れるなど、失礼にも程があった。しかしそのことを謝ろうとして気が付いた。この目の前の鬼娘は何故その目に不安を宿しているのであろうか?これまでどんな高難易度の先頭に挑んだ時でさえ、凛として自信に溢れた表情を崩したことは無かったのに……。
とそこまで考えた所で気が付いた。どうにも自分はこういったところに気が回らないらしい。余りにも当たり前すぎて、肝心なことを口に出していなかった。自らの不明を謝罪する意味を込め、相手の目を見返し精一杯の本気を込めて告げる。
「きれいだ。」
一拍の間を置き、途端に鬼娘の顔が綻んだ。文字通りの花の笑みであった。
そのまま二人で見つめあっていると無粋な咳払いで現実に引き戻された。
「旦那様、良い雰囲気になるのは大変結構ですが後が詰まっています。さっさと進めてくださいまし。」
狐娘が半眼になりながら突っ込みつつ急かすというなかなかに器用な真似をしてくれた。実際今日だけはのんびりして時間切れなどという真似は許されない。鬼娘と顔を合わせると頷きあって手を引いて屠蘇器の前へと移動した。
狐娘が銚子を手に取ったのを合図に自分も三段の上部の一番小さな盃を手に取る。と言っても実際は谷型に合わせた手で掬い取る、といった形に近い。
そこへ狐娘が三度に分けて神酒を注ぐ。こちらは三度に分けて飲む。そして盃を今度は鬼娘に渡す。鬼娘もまた注がれた神酒を三度に分けて飲み干す。そしてその盃をこちらに返してくる。それでまた神酒を頂いて三度に分けて飲み干す。
今度は中段の盃で鬼娘、自分、鬼娘の順で行い、最後に下段の盃で最初と同じように自分、鬼娘、自分の順で神酒を頂く。
三々九度の盃と呼ばれる儀式であるが、実際にする立場になって思うのは「堅苦しく面倒」に尽きる。
が、欠片も表情態度に出してはいけない。女の夢の結婚式。それも今まで付き合ってくれた感謝とこれが最後とのたっての願いも兼ねている。ならば男として為すべきことは唯一つ。全力で演じ切り最高の思い出を創ること。それ以外に無い。
そこで自分に回ってきた最後の盃を飲み干して机に置くと、どちらからともなくその手を二人の間に置かれた小箱に伸ばした。二人で蓋を開ければ中にはシンプルなデザインだが力強く光輝く銀環が一対二個入っている。
改めてお互いの眼を合わせて頷き合うと、
まずは男が、次いで鬼娘が指輪を手に取り相手の左手を取りその薬指に嵌める。
それまで固唾を飲んで見守っていた周囲の娘たちから一斉にわっと歓声が上がった。
その興奮をそのままに、男女は仲間達へと向き直り誓いの言葉を述べ始めた。
「本日 私達は皆さまの前で結婚の誓いを致しますーー」