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武田見聞録  作者: 塩宮克己
1章 天文11年(1542年) 諏訪高遠編
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22 目指せ士官

「世直しか……」

 男の呟き声に、連れの女達の視線が集中した。その言葉の意味を解説しようとしてふと思い出した。自分たちが今いる場所は往来であり、今も傍らを通行人が歩いている事に。


 壁に耳あり障子に目ありというが、これではどうぞ自由に見聞きし余所で吹聴して下さいと言っているようなものだ。そもそもが男一人女四人の目立ちすぎる集団だ。


 そこでまずは宿を取り、雑音と余計な耳目を排除した上で改めて話をしようと言うことにした。実際、そろそろ宿を取っておかねば余所者への視線が厳しい時刻でもあった。


「宿とってない余所者は不審者とか、どんだけだよって話」

 牛若の愚痴に他全員は苦笑した。大なり小なり、自分たちも感じていたからだ。


 この時代、地縁血縁は現代では想像もつかないほどに重視されていた。伝手の無い余所者など、門前払いが当たり前の時代でもある。もっとも、それは逆にも作用するのだが。


 江戸幕府大名家の内訳の大枠が譜代衆外様衆そして御一門衆となっているのは、決して偶然では無い。誰かを信じるには、拠って立つ共通の基盤が必要なのだ。


 だからこそ、それらを持たずに立身出世を遂げた豊臣秀吉の名は燦然と輝いたのである。それは、ある意味で主君の織田信長さえも越える偉業だからだ。


 どこの業界でも、目立つ、と言うことは通常から逸脱した部分がある、と言うことである。もてはやされるのは確率の壁を突破したからだ。


 貴族の娘風の女に男装の女侍、わんぱく盛りの少年のような風情の少女に絵に描いたような童女、とどめに浪人風の男と、悪目立ちにも程がある一行が宿を訪れた。


 長年の経験に頼るまでも無く、ある種の厄介事の臭いを感じた主人は一瞬逗留を断ろうとさえ思ったが、そっと女将に出された心付けによりそれは頓挫した。


 年若く見えるが意外と世慣れているのかと評価を改めようとしたが、相部屋は不可、できれば離れの部屋が良いと希望を出されたことでそれは逆の方向へなされる事となった。


 愛想笑いを浮かべる女将の後に続いていそいそと離れへと向かう男の後ろ姿に、主人は内心の侮蔑を隠すのに苦労した。女四人も連れて今夜はどんなお楽しみをするのかと。


 流石に戦国の宿も三度目ともなれば新鮮味よりも慣れの方が全面に出てくる。それでも大荷物から解放されてくつろげるのは大きかった。


 実際、自分たちが異物であることを自覚しているだけに、山中よりも町中や街道で過ごした時間は緊張からか想像以上に神経を削られていたらしかった。


 順番に風呂に入って垢と疲れを落とし、夕食を摂った後は行動方針よりも睡魔の方に優先順位をつけそうになってしまいそうだったのだ。


 それでもそこは責任者として男と静が場を仕切り、周囲の気配を探って聞き耳を立てている不届き者のいないことを確認した後、家族会議が開かれた。


 議題はもちろん今後の、というよりこの地での方針、立ち位置である。流石に二連続で領主と揉め事を起こしたくない、というのは全員の胸中にあった。


「まずは仕官だよな、俺と静が武芸の腕を見せることさえできれば、まず間違いなく採用される」

 男が自信たっぷりに断言した。


「兄貴、それ本当」

「考えても見ろ、不採用にしたら自分たちにその武芸が向けられるかも知れないんだから、二倍厄介なんだぞ」


 本来自分たちが使える筈だった武力が逆に自分たちを傷つける側に回る愚を犯す司令官はいないだろう、と言うことだ。

 加えて言うには


「それにもしそんなことが噂になってみろ、我こそは、と思う奴は他の国へ行くから、今後の人材採用で大打撃だ」

 二重の意味で逃すはずは無い、と言った。


「でしたら問題はーー」

 全員に茶を配りながら玉藻が呟く。

「そう、どうやって大名本人に目通り願うか、まずは行動予定の把握からだな」


 本人は至極まともな顔をして正論を言っているつもりなのだが、実際の行動は密偵そのものなところに、この男のまだ時代に適合できていないずれがあった。


「どうするんです、あれもこれも牛若の鴉頼みでは芸がなさ過ぎますよ」

 そこでまとめ役の静の存在が重要となってくる。女房役は大事だ。


「戦争が始まってからでは遅すぎる。何かそれまでにご本尊が外出なりなんなりする時を割り出すか、それともこっちが目立って相手から声がかかるのを待つか」


 攻めと待ち、両方の案を提示された一同の胸をよぎったのは、こちらが目立つことで向こうにもわかりやすいだろうと判断した諏訪の一件だった。


 結果は今の自分たちだ。ならばどちらを選ぶのかは明白だった。

 こうして今後の方針と課題が明白になった。次はそれをどう解決するか、だ。


 結論から言えば、簡単な事だった。領主直々のお出ましの機会など限られている。そしてその機に乗じようとするのは男達だけでは無かったからだ。


「いやわかるよ、こうなるのもわかるんだけどさ、こうなる事予想付いたよね」

 牛若が愚痴るのも無理は無い。現地の下見さえできなかったのだから。


 事は宿での朝食時に遡る。男が何の気なしに女将に質問した。お館様に武芸の腕を見せて仕官を願いたい、ついては外出の機会を知らないか、と。


 実際、明確な答えを期待しての問いでは無かったが良い意味で裏切られた。近々歌会の催しがあるとの情報が手に入った。げに恐るべきは奥方情報網である。


 それならば、と現地の寺へと繰り出したところ警備の侍達に見とがめられ大人しく引き下がることと相成った。空に浮かぶ雲と日差しが、場違いな長閑さを提供していた。


 牛若の愚痴を聞き流しつつ、折角なので、と甲府散策としゃれ込むことにした。これから拠点となるであろう土地だ、少しでも知っておいて損は無かった。


「それで、どうなさいますか。現地の下見もできなくては段取りも不十分でしょう」

「ん、最低限場所はわかったから大丈夫だろう、段取りは道場破りの要領だし」


 あれは冗談では無く本気で言っていたのか、と青ざめる静と、案外下手に考えを巡らすよりもうまくいくのでは、と思案する玉藻が見事な好対照をなした。


 それを見てオトナって面倒くさいな、と牛若は空を見上げ、梅子はこの土地の人たちとはうまくやっていけますように、と行き交う人々に目を向けた。


「そういえば、当日は皆で行くんだよね」 

 遠足の日程を確認するかのように問いかける牛若に対する答えは

「いや、俺と静の二人だけだぞ」


 その言葉に牛若が色めき立った。仲間はずれとはどういうことだ。まさか自分では力不足とでも言うつもりか。今まで共に闘ってきたのは何だったんだ、と。


 男は直接答えず

「玉藻、万一俺と静の帰りが『遅れた』ら、二人を連れて一旦拠点へ引き返しておいてくれ」


 その言葉に玉藻ははっとして、珍しく笑みを消し無表情になって男を見つめた。意味するところが、自分に求められている役割を理解してしまったからだ。


 玉藻は何かを言おうと口を開き、また閉じ、そして言葉を発した。

「『留守番』の期間はどのくらいの予定か教えて下さいまし」


「なに、そう長いことにはならないよ。約束する。それこそいざとなれば腹を括って強行突破するだけだし」

 男の言葉はある種の岐路となった。


 男が本来存在していた現代社会の倫理か、それともこの時代に合わせたそれか、兎にも角にも自分たちが人の命をどう扱うかの判断が下されたのだから。


 それを聞くと玉藻はその顔ににこりとした笑みを浮かべ答えた。

「はい、ではその際は首を長くしてお待ちしております、旦那様」


 ある程度甲府の街を見て回ったが、流石に初めての街である。道も不案内地図も無いでは時間がかかった。日が傾いてきたのを受けて一行は宿へと戻った。


 それでも領主居館たる躑躅ヶ崎館をはじめ、大通り、積翠寺等の主立った寺社、武家町商人町職人町、ある程度の地理は把握できた。牛若の献身あってのことだが。


「さて、じゃあご飯を頂きますか」

「うーん、こっちのご飯味気ないんだよね」

「そりゃこんな山国じゃ塩は貴重品だからな。値段だって数倍だし」


 実際、海国である若狭では塩一升の価格は十文を切るが、これが山国の甲斐になると一升百文となる。実に十倍以上の値段に跳ね上がるのだ。塩留めが切り札になる訳である。


 うげ、と女らしくない呻きを上げる牛若に対して、だから海と港を手に入れて自前の供給源と流通網が欲しいんだよ、と頭をぽんぽんと撫でながら教えた。

 

 折角なので色々話しておこうと、食事は泊まっている部屋まで自分たちで運び、男主催による戦国時代状況説明講座の開講と相成った。


「まず第一問、戦国大名は何のために戦争をするのですか、静さん」

「天下統一のためでは」

 何を当たり前の事をと言う顔で答えたが


「不正解、正解は『領民を食べさせるため』です。作物も碌に取れなくて餓死者がでてるとか、理解できましたね。だから、足りない分は『他から調達する』のです」


 一同が顔をしかめた。戦争は国を挙げての略奪だと男が断言したからだ。

「第二問、どんな相手と戦争しますか、玉藻さん」


「確実に勝てる相手、でございましょう」

「はい正解、で甲斐の石高は二十万石強、諏訪は三万石そこそこ、あとは分かるな」

 明らかな狙い目、と言うわけだ。


「大義名分とか、いるんじゃないの」

 手を上げて質問した牛若には

「それがあるんだな、これが。諏訪は前年、武田の占領地を勝手に線引きしちゃった」


 もっと詳しく、の要請に応じ

「佐久小県を武田諏訪村上の連合軍で占領してそれぞれ線引きしたわけだ。でも代替わりのどさくさで余所がちょっかい掛けてきた」


「武田は動けなかった。で、諏訪が出て行って勝手に停戦交渉して承諾無しで縄張りを変更しちゃったんだ。そりゃ怒られる、というか戦争にもなるだろう」


 ああ、と嘆息が部屋を満たし同時に納得の気持ちも起きた。押しても駄目なら引いてみろ、で諏訪の次は武田経由で雪との合流を図る気なのだ、と。


「ととさま、なんで代替わりしたの」

 意外と目に理解と興味の色を梅子が浮かべ

「理由は二つ。先代が詰んだから。あと現当主が順調に成長してるから」


「戦争しても実入りが少ないんじゃ家臣が付いてこない。北の佐久小県は面従腹背、東の北条は強国、南の今川と西の諏訪は政略結婚で攻められない、となればなあ」


「で、嫡男は将軍から一字もらって朝廷から官位ももらって、貴族から嫁も貰って長男も生まれた。順調に後継者の道を進んでるとなれば、少し早めてもと考える奴もでるさ」


「まさか本人がですか」

「周囲の家臣連中が、だよ。流石に嫡男とはいえ若年じゃ足場固めは出来ていないだろう。主犯は守り役当たりじゃないか」


 つまりは重役主導のクーデターだったと言うわけだ。あまりと言えばあまりな内容だったが、男の説明に筋は通っていたし、実際腹にストンと落ちる物があった。


「では主殿は……」

「新社長を迎えて心機一転攻めの経営に打って出ている会社に、採用面接を受けに行くのですよ」


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