21 甲府入り
「さ、山賊か、おまえら」
ひどく失礼な誤解の存在を、その一言で一行は理解した。会話はそれを解くところから始まった。
震えながらも鍬を両手で構えこちらを確と見据える相手に対して自分たちの身の上を話すところから始まった。静と牛若が相手の両脇を固めたため、落ち着いてくれたらしい。
自分たちは行商人であること、諏訪の地を訪れたが誤解と行き違いで追われる身となってしまったこと、そしてこうして山を越えて武田領へと逃れてきたこと。
目の前の百姓はそういったこちらの話す事情より、自分の身に危害を加えられる危険の無いことの方が百倍も大事らしかった。道を尋ねれば快く教えてくれて別れた。
雨の中、そそくさと立ち去る相手に対して、こちらだけ手を振って別れの挨拶とする。実際、最後まで警戒は解かれなかった。しかし必要な事は教えてくれた。
踵を返すと雨中行軍を再開した。正直、蓑と笠だけでは荷物はおろか身も随分と濡れてしまい、準備品に傘を加えなかったことを男は真剣に後悔していた。
「しっかし、失礼なヤツだったよねえ」
泥を跳ねさせずに周囲をくるくるまわる、という器用なまねをしながら牛若が先程の農夫に関する感想を口にした。
「いや、大声で助けを求めなかっただけましだったと思うぞ」
たしなめる男の声に牛若はなんでさ、と唇をとがらせることで応じた。
「考えても見ろ。雨の中、山の中から現れた、つまりは関所破りをして大荷物を抱えた集団だぞ。どう考えても訳ありの連中だ。関わり合いになりたくないのが本音だろう」
この正論に牛若はむう、と唸って沈黙し、年長組は男が意外と冷静かつ客観的に自分たちを見る余裕を持っていることに安堵し目線でその事を伝え合った。
「わたしたち、あやしい……」
心細げに呟かれた梅子の言葉に
「ああ、違う違う怪しいのは梅子じゃ無くて兄貴だけだから。大丈夫大丈夫」
即座にあさっての方向に取りなしてくれる牛若に、怒れば良いのか呆れるべきなのか、
判断に迷った男はため息一つ付いた。いつの間にか、雨は小降りになってきていた。
普段ならばてくてく、となる足音も雨天時では泥と雨水が草鞋の裏にまとわりつきべしゃべしゃ、という音になる。現代文明の道路舗装のありがたさを男は再認識していた。
この時代は、街道の整備は付近の村々に割り当てられている。その費用として関所の設置と関銭の徴収が認められている。理屈は分かるが、旅人にはいい迷惑だ。
こんなことなら関所は撤廃して、街道整備費用は年貢から差し引き、その分活発になった物流の税金を商家にでもかければよっぽど効率が良いのに、とさえ思う。
もっともそれが叶うのは大名か、少なくとも支配領域を持つ国衆クラスの存在だ。一旅人に過ぎない自分には分不相応だな、と男は自重した。
そんな事を考えながら歩いていると、ようやく踏み固められ雑草の生えていない土の道に出くわした。街道だ。諏訪と甲府を結ぶ、時代が下れば中山道と呼ばれる道だ。
ふう、と一息つくとそのまま街道に足を踏み入れ、改めて西に背を向ける。もうここは甲斐国、諏訪の地でのごたごたで追っ手を掛けられることは無いだろう。
そんな内心の安堵と、いい加減衣服どころか肌までしみこんだ雨水で体温が奪われ始めているという体の警報が、足を運ぶ速度を上げさせた。
そこから先は、随分とあっさりしたものだった。街道沿いにずんずんと進んで行けば、小さな町に行き着いた。男達の感覚では町というより村だったが、宿があるなら構わない。
行き交う人間を適当に捕まえ宿の場所を聞きだし、ずぶ濡れの一行に迷惑そうな顔を浮かべた女将は、男が何かをその手に握らせると表情を一変させた。
雨の中、夕刻近くに転がり込んできた子供を含む男一名女四名の一行。そんな怪しい集団にも甲斐甲斐しく世話を焼き風呂を沸かしてもてなしてくれた。
「ホント何したのさ、兄貴」
「地獄の沙汰もカネ次第」
済ましながらも目を合わせずに答える男に、年長組は苦笑した。
ざぶり、と湯船に浸かる。少し熱めの湯が、雨で冷えた体を温め直してくれた。同時に後悔する。ああ皆には、特に梅子には酷なことをさせてしまったな、小さい体なのに、と。
それでも、過ぎた時間は戻せない。ならば、今回どうすれば良かったか、次にもっと良い結果を得るためにはどうするべきか、を考える方が有意義だった。
温められ、活力を取り戻した体は自然と気持ちも前向き、積極的にしてくれる。色々考えていると腹の虫がなった。男は苦笑し湯から上がることにした。
もっとも夕食は諏訪と同様、野菜の茎や葉でかさ増しされた雑穀粥だった。米のないことを詫びられたが、前年から餓死者が出ていると聞かされれば文句は無かった。
「雪さんと合流できたらそのまま湖の中に引きこもってしまいたいぐらいですわね」
「それは言わない約束だよ、玉藻さん」
「何を言っているんですか、二人とも」
自制心のある年長組とて、この食事の貧弱さには辟易したらしい。表情が苦い。
「どうしてこんなに食べ物がないのさ」
「気候不順」
「天候不順では無く?」
会話に加わってきた静に男は解説を始めた。「この時代は気候の変わり目だからな、日照り干ばつ台風大雨洪水、何でもありだ」
「それが単発では無くて毎年なら、そりゃあ農作物なんて碌にできないし、餓死者だって出るだろう」
「どこの世紀末ですか」
「戦国時代でしょうが」
その言葉に全員が何かに気が付いたようにあ、と呟きを漏らした。これはとんでもない時代に来てしまったぞ、と。
「ああ、そこまで心配しなくていいぞ。確かに今は大変だけど、しばらくして信長の時代くらいになると落ち着くから」
「……二十年後くらいなんだが」
途中まではふむふむ、と聞いていた一同も最後に付け足された一言に激高した。
「それまでどうすんだよ」
「いざとなれば拠点から持ち出せるだろう」
そのやりとりを聞いていた年長組はふむ、と考え込んだ。実際、湖畔都市を一つをまるごと拠点としているのだ。農業水産業鉱業工業、大抵のものは調達可能だ。
無論、近代機械科文明の再現まではできないが、それでもこの時代の技術水準には十分対応できる。うまく使えば相当に影響力を行使できるのでは無いか。
「ま、それもこれもまずは甲府へ行ってからだな、とりあえず今日は寝よう寝よう」
男の言葉に全員は気持ちを切り替えた。もうとうに日は落ちていた。
夕食後布団を敷いた一同は、やはり疲れがあったのだろう、すぐに寝入った。
翌朝は日の出と共にとまでは行かないが早々に目を覚まし、出発の準備にかかった。
荷物はまとまっているので、濡れた衣服を乾かし畳んでしまい、着替える位である。宿の方で気を使って服を囲炉裏の傍で乾かしてくれたため、手短にすんだ。
一晩の逗留に礼を言い、宿の者達にも会釈をして朝食もそこそこに出発する一行。男は戯れにこの地の名前を聞いた。女将は一礼し
「長坂でございます」
「すごい土地に泊まったもんだな」
昨日と違い雨の気配を感じさせない空を見上げながら男が呟いた。それは武田家には中々因縁のある名前だったからだ。
「何事かありましたか、旦那様」
「ん、ちょっとな」
一塊の中央を歩く玉藻からの問いを男ははぐらかした。
「そんな事より、甲府に着いたらどうするつもりですか」
数時間の道中など、作戦会議には格好の枠だ。議題も盛りだくさんである。
「そりゃ仕官だろう。いつまでも根無し草の旅人やるわけにもいかないし」
男は静に何を当たり前の事を聞くのだ、と言う風に返した。すると、
「そのための伝手はおありですかと聞いているのです」
地縁血縁知り合い無し、これでどう面接にこぎ着ける気だ、と畳みかけられた。
「そんなもん簡単だ。道場破りの要領で静と二人で木刀担いでいって武芸の腕を見せれば良い、一端の達人だぞ、俺達」
何ともお気楽な返答に静はため息をついた。
「そんな簡単にいくのなら誰も苦労しません、まったく」
いつもなら人指し指を立てて片手は腰に当て、お説教が始まる所である。
「この時代腕の立つ奴は引っ張りだこなんだから、実力さえ見せれば何とかなるだろう」
道中では正座させられ頬を抓られながら説教されることもないので男も余裕だ。
賑やかに議論と言う名のじゃれ合いを続ける二人を横目に、相変わらずの壺装束で仕込み杖を突きながら歩く玉藻は開いている方の手を顎にやりふむ、と考えた。
案外いけるかも知れない。下手な腕自慢程度十人まとめて相手できる腕前に、歴史の流れを知る先見に、趣味が高じた数々の蘊蓄、文武両道で売り込めるのではないか。
甲府に到着後は情報収集に忙しくなりそうだ、と頭の中で計画を練り始めた。雰囲気でそれを察した牛若は口笛を吹き、梅子は常と変わらずその後ろに付いて歩いていた。
早朝に宿を出て、昼前には右手に茅ヶ岳、左手に駒ヶ岳と鳳凰山を望み山国の風光明媚を存分に味わいながら旅路は続いた。街道を行き来する人影も増えてきた。
明日から現地での活動を開始しようと思えば、どうしても今日甲府入りを果たしておきたい。そう思った玉藻昼食も省略し旅路を急がせた。
食事は人生の醍醐味だ、と言わんばかり。色気より食い気の牛若は口ばかりは抵抗して見せたものの、他全員が玉藻に同調したため賛成多数で涙を呑むこととなった。
現実問題として、昼過ぎに現地到着、そこから情報収集開始するのと、前日に現地入りして宿泊、朝から活動開始するのとではその結果に雲泥の差が発生する。
よーいどん、でスタートを切る競技でも無い限り、前倒しフライングはするに越したことは無い。むしろしなければやる気を疑われる代物である。
実際、定期的に実施されるイベントでも、勝利の果実を手にすることができるのは開始前に然るべき準備を整えていた連中が大半である。
経験からそれを知る一行は、だからこそ玉藻の意見に賛成し、一時の空腹を抱える事になっても先行きを急いだ。美食など、拠点に一時帰還したときに味わえば良い。
道中を急いだ甲斐あって、夕刻前どころかおやつ時には甲府入りを果たすことができた。一日で距離にして六里(約24km)以上を踏破したことになる。まずまずだ。
甲府入りしてまず目を引いたのは通りを歩く人々の姿勢である。うつむき加減の人々の多かった諏訪に比べ、背筋がピンと伸びている。
その上表情や目に覇気、力強さがある。隣り合う大名領であるのに、こうも違うのかと驚くを通り越して戦くほどだ。道行く人を掴まえ何かあったのかと尋ねてみた。
返って来た答えは意外なものであった。
「ご当主様が代替わりなさったんだ、去年はそれで動けなかったから、今年は何かすごいことをして下さるだろう」
その言葉でいよいよ男は自らのいる時代を確信した。同時に、正に激動の時代に身を置くこととなったことに武者震いさえ覚えていた。男なら一度は夢想する状況だからだ。
そして通行人の返答に対して礼を言って別れた後、現地の状況を端的に呟いた。
「世直しか……」
視線が男の顔に集中した。




