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武田見聞録  作者: 塩宮克己
1章 天文11年(1542年) 諏訪高遠編
21/70

15

 後数時間で夜明けを迎え、そろそろ東の空も白み始めるか、といった頃合い。諏訪湖の北東の川沿いを歩く一行があった。東を向いてかすかな月明かりの下歩みを進めていた。

 

 この時代、法の支配の及ばぬ夜間に出歩いているだけでも奇異だが、その面子は更に拍車をかけていた。一行五人の内、実に四人までが女だったのである。


 先頭を行く男は左手に深編み笠を持ち背には大きな行李を背負い、少年の様な顔と高めの背を除きさえすれば、昼間なら十人中九人が浪人と判断するであろう。

 

 しかし、一行の奇異なのはここからだ。続いて笈を背負った修験装束の男装少女、貴族であろうか壺装束の女性、童女、殿はこれまた男装の女侍であった。


 耳をすまさずとも夜の静寂の中では話し声は良く聞こえた。もっとも内容は長閑とはほど遠いものであったが。剣呑な単語が顔を出していた。


「強盗傷害、住居不法侵入、器物損壊、殺人、詐欺罪とまあ多少は自重して下さいまし」

 ころころと笑うように皮肉を言うという器用なまねを壺装束の女はやってのけた。


「いや、詐欺はどうなんだ」

 ぐぬ、と詰まりながら男が反論すれば

「宿代踏み倒しは詐欺罪でございます」

 即座に返された。実際は前払いしていたが。

 男はぐぬぬ、と更に唸りながら引き下がった。口の中でもごもごとありがとな、と告げながら。時には悪口が気分転換となり救いとなる事を知る程度には人生を経ていた。


 そんな様を耳をぴくぴくと動かしながら聞いていた牛若は質問を発した。

「これからどうするのさ」

「このまま東へ進んで山越えだ」


 途端に苦情の声が複数上がった。そんなことになれば野宿は確定だからだ。文明を謳歌したいとまでは言わないが、最低限の要求というものがあった。

 

「罪状に関所破り、密出国と密入国を追加でございますね」

「あれだけの事をしたんだから手配書が回っているに決まっているだろう」


 どこか開き直った様な男の台詞に一行は苦笑を禁じ得なかった。仲間を救出しようと領主の居城に忍び込む以上は失敗時のリスクも当然覚悟していた。


 もっとも一度の失敗で諦める様な行儀の良さはこの場の誰も持ち合わせてはいなかった。正面突破が駄目ならばと、別の大名家に仕官して戦争に乗じようとしていた。


 しかしそのためには国境の関所を突破しなければならない。そこで敢えて街道沿いの関所を避け、山中を突き抜けることでその目的を果たそうとしていた。


「あーあ、また野宿かあ」

 いかにも未練げに修験装束の娘が言えば

「キャンプと言え、キャンプと」

 男が訂正を加えた。


「どこから野宿でどこからキャンプなのさ」

 との反論には

「俺がキャンプと言えばキャンプ」

 とんでもない力業の説明が来た。


 すかさず身振り手振りを交えながら苦情を言う牛若とその相手の背を見ながら、この様子ならばひとまずは大丈夫か、と静は内心胸をなで下ろした。


 ここで男の心が折れているようならば、玉藻と二人で拘束して無理矢理にでも一時拠点へ帰還し落ち着かせようかと考えていたのだった。

 

 それにしても、と思考の焦点を目の前へと移し直し牛若を見た。考えなしの様でありながら、情報担当とムードメーカーを兼ねるその姿に一抹の嫉妬を覚えたのだった。 


 そして頭を少し振ると雑念を追い出した。殿担当として、長女的存在として、気を配るべき事は多く、なすべき事も多かった。早速問題が見つかった。


 静が周囲への索敵スキルを使用していると、複数の反応があった。それもこちらを目指している。全員に対し警戒を発した。ある者は顔を強張らせ、ある者は笑みを浮かべた。 

 

 やがて遠方に松明の明かりが見えた。しばらくすると足音と話し声も聞こえて来た。ついには互いの姿を視認できる距離まで近づくこととなった。


 この時代に関する事前講義が思い出される。昼間は法の支配下、夜はその箍の外れた悪党の跋扈する時間帯である、と。ならば今対峙している者どもはーー


 槍の間合いからは少し遠い程度の距離を開け、双方は足を止めた。片や女主体の五名の一行。片や粗末ながら武装した見るからに荒くれの十数人である。


「こんな時間に子供連れでの道行きとは不用心だな、何なら案内してやろうか」

 にやにや嗤いを隠そうともせず、荒くれの一人が誠実さとはほど遠い言葉を投げかけた。

「いや、間に合っているよ」

 それに律儀に返事を返す男も男だ、と女集が呆れている内に、荒くれ達は横へ広がり、一行を包囲する構えを取った。


 揉め事は避けられないと見て取った静が致し方ないか、と腰の刀に手をやり鯉口を切ろうとすると待ったがかかった。

「あいやしばらく」


 全員が唐突に声を上げた男に視線を注ぐ中、震える右手を左手で押さえながら

「万一の際の先陣は俺が切る。まずは話し合いと行こうじゃないか」


 それを聞いた荒くれどもは一斉にげらげらと笑い出した。中には腹を抱えている者までいる。おめでたいことだ、と。どうもこの男は事態を理解できていないらしい。


「話し合い、いいぜえ。おめえが身ぐるみ全部置いていくんなら、女どもは俺達でめんどうみてやろうじゃねえか。楽しませてももらうがな」


 言い終わるよりも早く荒くれは腰から刀を抜くと男へと斬りかかった。まっすぐに踏み込んで、そのまま頭をかち割ろうという軌道であった。


 これで終わりだ。間抜けめ。そう思った荒くれの予想を裏切り、男はあっさりと危険を躱した。勢いが余りすぎてたたらを踏み、一部の荒くれから失笑を買った。


「おいおい、お楽しみが待ってんだ。さっさとしてくれや」

 周囲の連中に茶化される中、斬りかかった荒くれは一瞬顔をひくつかせると叫んだ。


「おめえら、さっさとやっちまえ」

 その声を受けて周囲の荒くれが気勢を上げた。半ば囲まれているだけに一行には周囲には実際以上の人数がいるように感じられた。


 そんな中、男の心中を占めるのは後悔であった。自分に歴とした覚悟があれば。なすべき事のために手を汚す覚悟があれば。全ては自分の甘さが招いたことだ、と。


 自分に覚悟があれば、人を殺したとて動揺して玉藻に撤退を決断させることは無かった。甘さの尻拭いで、牛若にその手を汚させてしまった。ならば自分の今なすべき事はーー


 きっと眦を決すると男は正面の荒くれへと駆け寄った。両手は腰の刀に手をかけ既に半ば抜いている。そして一声。

「俺がやる。手を出すな」


 言い終わるよりも早く男は抜刀し、そのまま居合いの要領で正面の荒くれに左斬上をお見舞いする。右脇腹から左胸にかけ派手に血飛沫を上げながらどうと倒れ地面を染めた。


 一行の中に緊張が走った。それもそのはずである。ほんの数時間前、不慮の一撃で人を殺め、その事実に動転嘔吐したのは同じ人物では無かったか、と。


 同時に女達は一瞬目を合わせると頷き合った。兎にも角にも、自分たちの主が落ち着きを取り戻し腹を括り行動に移ったのだ。ならば何を躊躇うことがあろうかと。


 そこからは一方的な展開となった。数を頼みに有利を確信していた荒くれ達は、飛び込んできては次々に仲間を切り伏せる男に恐怖した。その間にも数は減らされていく。


 我に返った幾人かが何とか仕留めてやろうと時に背後から、時に二人三人がかりで襲いかかるも結果は同じだった。素早く飛び込んでの致命の一撃、なすすべが無かった。


 男は後悔の度を深めていた。実際に殺人の覚悟を決めて相対すれば、おそらくは手を地に染めている者とてどうと言うことは無かった。牛若のやんちゃの方が余程厄介だった。


 そして同時にある種の確信も得た。油断しなければどうと言うことは無い、と。剣豪剣聖あるいは騎馬隊突撃火縄銃弾幕ならいざ知らず、普通の相手ならばまず負けはないと。


 男には敵わぬとみた荒くれの幾人かは狙いを変えた。大荷物を背負っているとはいえ男は男。ならば女相手の方が勝ちを得やすいだろうと。

 

 その思考、品性はともかく発想自体は間違ってはいなかった。間違っていたのは彼我の実力算定である。一介のならず者にどうにかできる女などこの場にはいなかった。


「近寄らないで下さいまし」

 平坦な声と共に壺装束の女から杖が突き出された。否、杖は杖でも仕込み杖だった。白刃での心臓一突き。それで事は終わった。


「ああもう、これだから」

 愚痴りながら静は殿らしく男の手の回らない分を片付けている。返り血で着物が汚れないよう気を回せる辺り相当に余裕があった。


 ほんの数分で十を越える命が黄泉へと旅立って逝った。だがこの場で息をする者にそれをそこまで重く受け止めるような者はいなかった。


 そもそも殺す、との方針の出ていた輩であったし、そもそも生かしておいても不埒なことをしでかしたであろうから、慈悲の心も働かなかった。


 とはいえ、とはいえ、だ。本来自分一人手を汚せば良いはずだったのに静と玉藻にまでその手を汚させた事に男は後悔を抱いていた。「最後の泥沼までお付き合い致します」


「もったいないほど佳い女だなあ」 

にこりと微笑む玉藻に男は泣き笑いの表情を作った。自分も手を汚した、だからこれは一人の罪では無いとの意味だったからだ。


 そのやりとりを見た静もこれ見よがしにわざとらしく懐紙で刀の血糊を拭い、牛若はまだうめき声を上げる者どもの首に異音を生じさせ、梅子は薬を口に押し込んだ。


 死体にむち打つが如き行為に対しては流石に男もたしなめた。気持ちは大変うれしいんだが、と。そしてこの場の後始末へと意識を向けた。

 

「埋める、のはこの人数だと手間だな。せめて川に流して水葬にしてやろうか」

 刀を一振りして血走らせた後で納刀しながら男が弔い方を提案した。


 どうでもよい相手であったし、そもそも男からの提案であれば女達に否は無かった。てきぱきと遺体を集め、目を閉じ手を胸の前で組ませ、皆で手を合わせた後川へと流した。


「さて、とりあえずはこれでいいかな」

 いまだ咽せるような血の臭いと地面と草の朱模様はどうしようも無かったが、男はお開きを提案した。


「駄目です」

「ええ、駄目です。旦那様」

 年長組二人に即座に否定され、流石の男もむっと聞き返した。なぜだ、と。


「お着替えをして下さいまし」

 言われて男が自分の着物を見れば、返り血で上下ともまだらな赤に染められていた。傾き者で通すにも無理がありすぎた。


 いかにも『仕事帰り』な風体になっていることに今更気付き、他の誰も返り血を浴びていないことで心の余裕度合いも明らかになり、二重の意味で男は顔を赤くした。


「着替えはあるけど、ここでか」

「ええ、人目に付いたら事です。お急ぎを」

 先程とはまた別の意味で泣き笑いの顔になりながら、男は急いで着替えることになった。

 見張りと称して自分に背を向けてくれる事には感謝したが、釈然としない男であった。

「はい梅子、後ろ向いて目は塞ごうな、武士の情けだぞ」


 自分も後ろを向いて律儀に両手で梅子の顔を覆う牛若には内心でそこは武士の情けでは無くて淑女の恥じらいだろう、と反論しながら着替える。帯が片結びになってしまった。


「ああもう、これだから主殿は」

 着替えを待ちかねたように振り向いた静は即座に視線と上下に振り男の着こなしを手直していった。熟年夫婦の様であった。


「お待たせ、じゃあ行くか」

 男が声をかければ全員が東を向いて歩き出した。いつの間にか山の峰がしらじらとしてきていた。夜明けも近い。


 


 一方その頃諏訪の町は上へ下への大騒ぎとなっていた。あろうことか領主様のお城へ夜間忍び入った者どもがおり。しかも全員が城外へと逃げおおせたという。 


 何者だったのか。目的は何だったのか。警備の者どもは何をしていたのか。まさか内通者がいたのか。一体どこへ消えた。まだ城下に隠れているのでは無いか。


 どうやら小笠原の手の者らしいぞ。いや、村上と聞いたぞ。そもそもお味方の忍びは何をしていた。緒戦はカネ目当ての雇われ者、武士とは覚悟が違おう。


 まだ夜明け前だというのに、人々は顔を合わせればその噂話で持ちきりであった。狙われたのがあくまで城で町人では無いと言う安心感もそれに拍車をかけた。


 自分に火の粉が降りかからぬのであれば、身近な騒ぎは最高の娯楽だ。四方を山に囲まれ往来の少ない土地で新規の話題に事欠いていたのも良くなかった。


 当然、面目を丸つぶれにされた諏訪の武士団は四方八方に追っ手を放った。この時代において、場合によっては面目は命よりも重んじられるのであるから勢いが違った。


 そんな武士達の中に、いささか身なりのよい武士に率いられた一団があった。先日夜間見廻りをしていたの者で、今回の一件にいてもたってもいられなくなったという。

X軸に起承転結と緩急

Y軸に心理描写と情景描写

Z軸に掛け合いと掘り下げ


ううむ(苦悶)

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