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真夜中、もう一時間もすれば日付も変わろうかという時間帯。家々の明かりは消され、通りを歩む者は不寝番の見回りぐらいである中、ある宿屋では複数の人物が動いていた。
宿の者達に気取られぬよう、口を閉じて息を殺し、衣擦れの音さえ気を使い、簡素な手振りで意思疎通をしながら荷物をまとめ、通りと反対の窓から屋根瓦へと歩み出た。
月は沈みかけ星の明かりが薄く照らす中、それぞれ音も無く着地するとそのまま一列の集団となり、するすると夜の町を駆けてゆく。ばさり、と鴉の羽音がした。
集団の幾人かが駆ける速度を落とさぬまま周囲を見回す。それぞれ警戒する方向が決まっているのか、首を曲げる方向は一定だった。一行は北を目指していた。
「こんなにこだわらなくても、真っ正面から乗り込んで雪姉取り返してくるだけなのに」
頭の中に響く声に先頭を行く男の内心に苦い物が混じる。
現実と遊戯は違う。今男はその事をいやという程思い知らされていた。やり直しが効かないこと、死の危険があること、期限が分からないこと、他にもまだまだある。
これがいつもの遊戯であれば、と何度思ったことか。攻略情報を検索することも出来ない。攻略期限も明示されていない。そもそも開始の合図さえ無かった。
無い無い尽くしの中、兎にも角にも状況が再び動いてしまわない内に片を付ける必要があった。準備不足、見切り発車も良いところだ。普段なら絶対にこんなことはしない。
二番目を行く玉藻は背負った荷物の嵩に内心閉口しながらも自業自得であるため何も言えなかった。万一に備え宿から荷物を引き上げると言われれば否応も無かった。
それよりも今回の男の焦りようが玉藻には気がかりだった。常ならば拠点攻略前には下調べを十分にした上で相手に合わせた布陣装備で挑む物だが・・・・・・
折角見つけた手がかり、逃すわけにはいかないのは分かる。状況が変わる前に手を打たなければならないのも分かる。だがこれは、急ぎすぎではなかろうかとの思いは残った。
さりとて、一度決まった方針に異を唱えない程度の分別は持ち合わせていた。内部分裂など悪夢以外の何物でもないし、男の主張にも一理あると判断したからだった。
そもそも玉藻は自身の立ち位置を参謀的な物だと正確に理解していた。その上で、自身に求められているのは建設的かつ批判的な意見提示であることも理解していた。
性格の悪い憎まれ役を有無を言わせず押しつけられていることには、内心思うところが無いでは無かったが、与えられた役目に否は無く、これまで忠実に果たしても来た。
その自分が、今回何の意見も求められなかった。それこそが異常事態だった。度重なる事件で男の精神が削られていることは明らかだった。
それでも、と思う。それを承知で支えるのも、自分の役目であろうと。戦力面では無く、作戦面で背中を守るのが自分の役目であろうと。そう思い、袖の中の札を握りしめた。
頭の中で響く声に牛若はいささかの不快感を覚えた。発信元が玉藻だと知れたからなおさらだった。作戦担当、といえば聞こえは良いが、実際は性格の悪いヤツである。
性根がねじ曲がっている訳では無いが、好き好んでやっているあたり、どうにもアレは演技では無く素であろうと当たりを付けている。口には断じて出来ないが。
それはともかく今牛若は自身に不安要素を感じていた。それが神経をささくれ立たせていた。疲労である。体力気力の消耗はある程度把握できる。だが疲労は?
今までは数字で表現できる物だけを気にしていれば良かった。消耗すれば薬なり術なり休息なりで回復すれば良かった。だが数字に表れない消耗はどうか、それが不安だった。
原因については分かり切っていた。慣れぬ土地、慣れぬ環境、知り合いもいない、孤立無援の敵地を地で行く状況に心身が削られているからだ。
その上で朝から十を越える鴉たちを使役し見守り地図作成捜索と働き詰めだったのだ、そりゃ疲れもするだろう、と牛若はある種達観していた。
しかし、玉藻はそれでは納得できないようだった。リスクがあるならきちんと把握共有し、許容内に管理すべきである、と。正論だった。それはもう正論であった。
だからと言って、はいそうですかと引き下がる訳にもいかなかった。惚れた男がこうしたいと言っているのだ。ならそれに付き合うのも女の生き方だと思ったのだ。
二人のやりとりを最後尾で聞いていた静はため息は我慢したものの、片手でこめかみを揉みほぐす事は自重しなかった。まったくこの二人は、との思いが内心を沈ませた。
双方の言い分に対し理解も共感も出来る自身の冷静さが今は恨めしかった。片や、人事を尽くすべし。片や、恋心に殉ずべし。どちらも自分の心にある。
しかし、しかしだ。と皆と共に夜を駆けながら内心静は続けた。既に賽は投げられたのだ。ならば自分たちが何を成すべきかなど、考えるまでも無いではないか、と。
自身の前を迷い無く走る梅子の背にちらりと目線を向けた静は自身の警戒担当である後方へと意識を向けそして、結局あの子のように全て任せてしまうのも手か、と考えた。
先頭を行く男の内心は千々に乱れていた。
自分が冷静で無い自覚はある。今までとまるで勝手の違う状況に戸惑い、狼狽え、浮き足立っている。
手堅く行くならばここは一旦退き、情報をきちんと集め、仲間達と作戦を相談し、奪還作戦の立案と予行演習を行った上でするべきだと分かってはいた。
だが、そうは出来なかった。これが現実だったからだ。ゲームならば死に戻り覚悟で突っ込んでも問題なかった。不覚を負っても経験は得られるからだ。
そして現実の状況は流動的だ。それこそ、明日また行方不明になったり、最悪打ち首その他の危害を加えられる事だって可能性としては捨てきれなかった。
不寝番、というのは実は退屈な役目だ。前線で他領主との境目の城にでも配属されればそんなことは無いだろうが、後方の本拠地で不届きな事をする者はまずいない。
かといって手を抜いたり居眠りをする訳にもいかない。戦国の世で警備に手抜きをした者、という風評が自身や郎党にどれだけの被害をもたらすか、考えるだに怖ろしい。
埒も無いことを考えていると上役が見回りに来た。一通り警備の状況を確認すると、相も変わらずの難しい顔を一層険しくして注意喚起をして去って行った。
何でも昨晩忍びの者を取り逃がしただか夜半に諏訪湖に不審な人影があったかで警備担当は眉間に皺を増やしていた。現場の者どもにとってはいい迷惑だった。
そも、忍びの者を派遣するとしてどこの手の者か、と言うことを兵どもは休憩時間に顔を付き合わせて語り合っていた。何だかんだ言って刺激ではあったのだ。
そこで諏訪を中心とした東西南北を語り合った。東の武田はあるまい。当主の奥方は武田当代の妹君である。まさか義兄弟の領地に手を出すことはあるまい、と。
ならば西か、これはあり得る。代々信濃守護に任じられているからと諏訪より多少領地の実入りが言い程度で気位ばかり高い小笠原。あそこならありえる。
南の高遠諏訪家は最近揉め事が多くなってはいるが立派な縁戚。北の村上は佐久小県にかかずりあっていてこちらまでは手が回らないだろう、と。
夜中に鴉が一声鳴いた。日もとっぷりと暮れた後だというのに珍しい事もあるものだ、と夜警の兵どもは気にも止めなかった。篝火の明かりの届かぬ塀の傍で、何かが動いた。
巡回の兵が通り過ぎしばらくして、物陰に潜んで息を殺していた五人は立ち上がり周囲を確認すると次々と塀を跳び越え城内に侵入していった。
合戦中ならば時折見回りの兵が堀に松明を投げ入れ忍びの者などの侵入を警戒する物だが、流石に平時にそんなことまでするほどの警戒心も余裕も無いようだった。
相手方の隙に助けられた面もあり、男達は無事に城内へと立ち入ることが出来た。だが、ここからだ。地図も無い状態で、目的の人物の所までたどり着かねばならなかった。
戦国時代の城、それも急ごしらえの城だか砦だかよく分からないものでは無く、れっきとした領主の居城に忍び込むと言うことで、緊張して一同だったが拍子抜けしていた。
方々で薪を爆ぜさせ夜の闇を駆逐する篝火。定点監視と巡回の足軽達による監視網。ひょっとしたら猟犬も放たれているかも知れない。そう警戒していたが、肩すかしであった。
確かに空堀もあった。塀も巡らせてあり簡単には忍び込めないであろうと思われた。だが、実際はどうだ。身体能力にものを言わせた力業で突破できてしまった。
戦国時代ということで内心警戒していたが、これは石橋を叩きすぎたか、と男は知らず緊張の手綱を緩めながら巡回の兵の足音に一旦全員を物陰へ誘導し気配を消した。
背丈の数倍の長槍が必要なほどの距離を隔ててこちらに気づくことも無く通り過ぎていく兵士の姿にほっとする。流石に気付かれたら何かと面倒なことになるであろうから。
それにしても、と男は改めて周囲を見回した。自分があまりに先入観で物事を判断していたことを内心恥じたからだった。戦国の城、と一口に言っても色々あるのだと。
幅の広い水堀にそそり立つような石垣。漆喰で白亜の姿を示す城壁に周囲を睥睨する天守閣。通常城、と言われて想像する物はそんなところだろうか。
しかしそれは、もっと後の時代。具体的には信長の安土城あたりからの話なのだな、と男は認識を改めた。自身が今見ているのは、土と木の城であったからだった。
それは同時に、勝手が随分違うと言うことでもあった。防腐剤などあるはずも無いこの時代、木製の板塀は一部腐食が見えた。塀の補修普請が村々に負荷される訳だった。
加えて堀も敵の火縄銃を有効射程外に押しとどめる幅の広い水堀ではなく、落ち込んだ敵を長槍で仕留めるためのV字型の薬研堀であった。飛び越えるのは楽だったが。
もっとも、山上の本丸はいざという時の指揮防衛拠点で普段の政務や生活は麓の館であるところは変わらないようだった。お陰で潜入後の再侵入などは不要になった。
ただそれを加味しても今回の作戦は容易には行かなそうだった。牛若の言う雪の反応のあった場所が館の奥まった部分だったからである。
一行は当初何かの拍子で囚われの身になったからかとも思ったが、どうも違うようだ。よほどの理由が無い限り捕虜囚人をそんな場所に置いておく筈が無いからだ。
ではどうしてか、と警備の隙を突いて手近な建物の床下へと潜りーーこれには玉藻が着物が汚れると随分渋い顔をしたーー臨時作戦会議の開催と相成った。
領主居館の奥に居住する者など、領主の一族郎党か縁戚関係の重臣かはたまた本国の関係者か、ともかく大物の関係者に他ならなかった。
供の者、という可能性もあるにはあったが、想定は悲観的にしておくのが男達の流儀であった。術を使っての無言の会議は侃々諤々を地で行く荒れ模様となった。
「いるのは分かってるんだから突っ込んで攫っちゃえばいいじゃん」
焦れた様な牛若の発言は即座に玉藻にたしなめられたが、男と静は一理あると頷いた。
周囲の状況を索敵すれば現在居館の内部にいるのは百人を超える程度。そして侍女や文官その他を考えればその全員が戦闘要員である筈も無い。
ならば今までの堀や塀などの障碍と同様、力業で押し切れるのでは無いか、そもそも入念な情報収集や作戦立案を伴う巧遅より力業の拙速を我々は選んだのではなかったか。
五人中三人の意見が一致すればあとは早かった。全員は床下から庭の部分へと姿を現すと一斉に奥の建物目指して脇目も振らず駆け出した。
こういった場所では奥まった部分ほど警備は厳重になる。当然、即座に見つかった。たちまち誰何の声と怒号が響き渡る。それらを承知の上で、只ひたすらに駆けた。
目標の建物の前には既に数人の兵が行く手を塞ごうと立ちはだかっていた。手に手に槍や刀を構え既に戦闘態勢に入っている。男も応じるように腰から刀を抜き放った
月の光を一瞬反射し、抜き放たれた刀の軌跡が青白い半円となって夜の闇に己が存在を主張する。男はそのまま刀を右肩に担ぐようにして距離を詰め、他の者もそれに続いた。
手近な兵がかけ声と共に槍を繰り出してくる。起き抜けかと思うようなゆったりした速度のそれを余裕を持って躱し、男は無造作に刀を振り下ろした。明確な手応えを感じた。
オリンピック、始まりましたね。
波乱含みですが、どうなるのでしょう。




