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武田見聞録  作者: 塩宮克己
1章 天文11年(1542年) 諏訪高遠編
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 寂れた市場とはこのような場面を指すのだろう。それが諏訪の朝市を訪れた三人の感想であった。物見遊山とまではいかぬがささやかな観光のつもりではあった。しかしーー


 市場とは、通りに所狭しと露店と品物が置かれ、通行人は互いの肩がぶつかり合うほどにひしめき、賑やかを通り越し騒がしい程の客引きの声が飛び交うものと思っていた。


 実際は籠と言うより大きめの笊を持った人間が神社の門前で十人かそこらぽつねんと立っているだけであり、買い物に来ている客もそれ相応の人数だった。


 あまりといえばあまりな光景に静は代表して手近な人間に一抹の未練を残した質問をぶつけた。ひょっとしてもう終了間際なのか、と。来るのが遅すぎたのか、と。


 答えは予想の範疇であった。まず売るための品が無い。そのため買いに来る人もいない。そのため余計に人も品も細っていく。ある種の連鎖がそこにはあった。


 とはいえ、そこまでのものになるのかとの疑問を発した一行に返された言葉は、連年の寒波大風による不作で、米はおろか芋もろくに取れぬ、という事であった。


 この時代の芋とは、サツマイモではなくサトイモである。そして芋は地中に出来る。つまり地熱を使える冷害に強い救荒作物ということだ。


 その芋さえ取れぬと言うことは、非常食さえも事欠く、餓死者も当然の様に出ているひどい状況と言うことだ。それでは、市場に品物が出回らないのも当然だろう。


 それならば、とある種の『商品』を扱う店を玉藻は静に問わせた。自分でしなかったのは、貴顕は平民との直問答を避けがちであるからで、それ以上の理由では決して無い。


 問われた方はある種納得顔でそういった店の集まっている場所を教えてくれた。やりとりの礼に幾ばくかの銭を握らせると、相手は何度も何度も頭を下げて見送ってくれた。


 朝市を後に三人が向かったのは俗に言う人買いの店であった。行方不明の雪本人はいなくとも、せめて変わった娘の手がかりでも無いかとの考えからであった。


 玉藻と梅子は店の前で待ち、中へと入っていったのは静一人だった。二人はせめてもの応援と言わんばかりに、じっとその背を見つめ続けていた。


 静の予想と違い、その店は裏通りに建ってもいなければ荒んだ風体の男どもがたむろしているわけでもなかった。むしろこざっぱりとした印象をうけた。


 来意を告げるとまず軍資金のほどを確認された。それもそうかと財布代わりの革袋から黄金粒をいくつか見せれば応対に当たる者が変わった。カネの力は偉大だ。


 『自分より多少年の下の娘で、いささか風変わりな所のある者』蓬莱の玉の枝とまではいかぬがなかなかの無理難題であろうという自覚は静にもあった。


 それでも、金払いの良さそうな客の要望となれば手持ちの札からなんとか取り繕うのが商人という人種である。今回もそれは発揮された。


 遠い地方の出身なのであろう、風変わりな言葉、つまりは他国の方言を話す者がいた。歌や踊りの芸能を披露する者がいた。男装で男言葉の者がいた。


 狩りの心得のがあるという者がいた。さる武家に血縁のあるという者がいた。神の声を聞けると言う者がいた。このような時代、一芸を修めたり箍の外れた者は案外といた。


 けれど、本当に求めている人物ーーいささか以上に愛の重いところがあり、隙あらば独占欲を発揮し、何かというと手のかかる、愛すべき妹はいなかった。


 いささかの失望と、それなりの安心を胸に静は対応してくれた相手に礼を言うと店を後にした。その際に若干の銭を渡し『新しい商品』が入荷した際の知らせを頼んだ。


 「あら、坊主とは珍しい」

 手ぶらでの戻りをからかうような労るような、何とも言えない言葉でもって店先で待機していた二人は静を出迎えた。


 成果を全く期待していなかったと言えば嘘になるが、少なくとも人買いに捕らわれてどこぞへ売り飛ばされた、などということはなさそうで安堵していた。


 無論、この際に心配されているのは雪本人では無く知らぬ事とは言えその様な挙に出てしまった輩のその後である。加減を知らぬ娘は質が悪い物だ。


 これで振り出し戻りである。顔を見合わせた三人は、軽く肩をすくめ合うと一旦宿へと戻ることにした。日も頂点を過ぎ傾きかけ、影も長くなり始めていた。


 三人で寄り添って談笑しながら町を歩く。何でもない事ではあったが、それがいかに貴重で得がたい物であったかを、数日の経験は教えていた。


 時折年長組は足を止め周りの建物や通行人についてここにはいない時代劇趣味の誰かから得た知識を披露し梅子はそれに素直に感心し頷きながらの道行きであった。


 年長組は時折袖の中に手を入れながら歩みを進める。人影のまばらな大通りとはいえ、人の流れに棹さす一団をある者は避け、ある者は素通りし、ある者は迷惑そうに眺めた。


 そうして宿へと戻ってきたときには既におやつの時間を過ぎ、気の早い烏が鳴き始める時間へとなってしまっていた。たらいで足を洗い埃を落としてから敷居をまたいだ。


「団体様ごあんない」からかうような声に顔を上げれば留守番の男がにやにやとした笑みを浮かべて待ち構えていた。その背後からは同じ表情を浮かべた牛若も顔を覗かせた。


「支度も出来たようだし、少し早いが夕飯にしよう」

 何でも無いように言いながら、男は全員を先導し、他の者はその背について行った。


 夕飯は質素であった。薄い雑穀粥を、さらに野菜の葉や茎でかさ増しさせた物だった。もちろんおかわりは不可。牛若が不満げに口を開こうとするのを、男は目で制した。


 この様な食事でも、宿の方では精一杯の気を使ってくれた事が分かったからだ。諏訪には昆虫食の伝統がある。それは過去の食糧危機の名残だからだ。


 食事を終えると一同は礼を言って二階へと上っていった。兎にも角にもお互いの情報交換が必要と判断したからだ。宿の者達からは気遣うような目を向けられていた。


 まずは静が口火を切った。

「こちらは良くも悪くも空振りです。」

「オレらはね、雪姉の反応を見つけたよ」

 外出組の三人が腰を上げ色めき立った。


 突然の核心情報に驚愕と困惑と歓声が上がる。階下の女将が突然の大声に不審げに天井を見上げた。そして男は指を一本立て

「まずは情報を整理しよう」


 まず用意されたのは白紙である。それを四枚縦横につなぎ合わせ大判にする。牛若がその中央に現在の宿屋、北を上に反応のあった点、周囲の地形や町を書き込んでいった。


 牛若の手は淀み無く動き続ける、時々縮尺を確かめるためか全体を少し見直してまた手を動かす。手作業ではあったが、手作業だからこそ、情報担当の自負が現れていた。


 他の四人はそれを見守っている。自分の頭の中と地図を比べ、ある者は素直に賞賛し、ある者は修正し、またある者は問題の地点を予想し頭を抱えた。


 始めに来た湖、そこから周囲の山、主な街道、二つの神社、と牛若は書き加えてゆき最後に領主の居城を記入し、そこへ更に印を加えた。息を呑む音が部屋に響いた。


 誰からとも無くため息をついた。行方不明で連絡も取れないの家族の所在がようやく分かったかと思えばよりにもよって領主の館、

特大の厄介毎の匂いしかしなかった。


 ようやく掴んだと思った手がかりが、壁の向こうへと消えていく、そんな徒労と無力感を面々は感じていた。沈黙の帳が、宿の一室を支配した。


 それを打ち破ったのは牛若である。

「本命囚われのお姫様ごっこ、対抗消耗したところを生け捕られた、大穴美女将軍」

「戦国転生に一票」


 おどけた男女それぞれに年長組の手が伸び、頬に制裁を加えた。

『痛い痛い痛い痛いごめんなさい』

 異口同音の謝罪は受け入れられた。

 

 とはいえ折角の手がかりを放っておく手は無い。問題は、直ぐか、じっくりか、ということだ。とそこで、階下から風呂の用意が出来たとの声がかかった。


「今日は一日疲れたろう、梅子行っておいで。静、ついてやってくれ」

 仕切り直しのつもりか、男は風呂を優先させ、残った玉藻と目配せを交わした。


 それを横目で見た牛若は自分だって疲れたのだぞ、と言わんばかりに両の手足をうんと伸ばし畳の上をごろごろと転がり回り、他の者を苦笑させた。


 そんな様を横に、男は玉藻と言葉を交わす。「気づいてるよな、来ると思うか」

「色々いるようですから、今夜はないかと」 そうか、と頷き男は目を閉じた。


 意識の焦点を目の前から、自分の内へと一旦変更し、そこから周囲の空間へと広げる。気配察知のコツだ。そしてそれは、宿を中心に片手では足りぬ数を告げていた。


「ま、得体の知れない余所者がカネをばら撒いて何かを探れば、それは目立つわな」

 どこか吹っ切れたような男の言葉に玉藻が茶々を入れる。


「それで外出中の私たちに鴉を付けて監視していたと?本題をおろそかにしかねなかったのですよ、少しは信頼して下さいまし」

 男は目を逸らしもごもごと唇を動かせた。 

「で、外のあいつらどうするの?片す?」 

 がばりと起き上がった牛若が無邪気に物騒な事を言い出す。基本、身内以外はどうでもいいと思っているからだが。


「仕掛けて来るまでは手出し無用だ。俺達は血に飢えてるわけじゃ無い」

 はあい、と気の無い返事が返ってくる。ひとまず流血沙汰は回避された。


「それで、こちらを伺っている連中ですが」

 玉藻が脱線しかけた話を本題に戻す。そもそも連中は何者か、という話だ。事と次第によっては牛若を解き放つ必要がある。


「カネ目当てのごろつき程度なら問題ないけど、流石にお上の手の者だと厄介だな。だがまあ、今晩様子を見てくれるなら問題ない」

 男は断言し、他の二人はそれで納得した。


 そもそも尾行が付いている事自体は玉藻も静も百も承知であった。そもそも警戒を怠る筈も無い。それ故袖の中の札で三人で連絡を取り合い、泳がせていたのだから。


 同時に主題にも結論が出た。男が「今晩」と言ったのだ。つまりは多少の不確定要素は目をつぶり、巧遅より拙速を選んだと言うことだ。


 折良く静と梅子が風呂から上がってくる。続いて玉藻と牛若が連れ立って階下へと降りていった。それを見送り、男は戻ってきた二人に先程の会話の内容を言って聞かせた。


 今晩の風呂の組み合わせからして不慮の事故を避けるためと承知していた二人にも異論は無かった。そもそも、離れた家族が見つかったのなら一刻も早く取り戻すのが人情だ。


 そこで、三人で改めて牛若謹製の地図を見直す。付近の地形や建物は分かるが、流石に一日足らずで城の見取り図までは作れなかったらしい。


 他の者が手がかりらしい手がかりを掴めなかった事を思えば大金星である。しかし、場所だけの情報で警備や部屋の配置が分からない状況は、決して良いとは言えなかった。


 ふと男が窓の外を見やれば日も沈み、月は雲に隠れている。それでも月と星の光は足下を照らしてくれていた。今はそれで十分だと思えた。


 玉藻と牛若が風呂から上がってきたので、男は階下へ足を向けながら布団を敷いて早めに寝ておくんだぞ、と告げた。全員からの了承の返事を背に階段を降りていった。


 湯船に浸かりながら今後を考える。雪の状況は不明、現地の詳細は不明、監視者も不明と不明だらけである。かといって、白旗を上げることは許されない。


 ならばどうするか。先日の夜半の小競り合いで自分たちの力はこの世界でも抜きん出ていることは知れた。それこそ、加減を間違えれば簡単に殺せてしまうほどに。


 であれば、その強みを最大限に活かす。下手に時間をかければ居場所が移ってしまうかも知れない。それに、本人に何らかの危害が加えられないとも限らない。


 それならば、と考えを次に巡らせると憂鬱な気分になった。限られた情報に限られた手札、最善の一手など分かるはずもない。けれど、手は打たなくてはならなかった。


 それを承知でなお着いてきてくれる者がいる自分は幸せ者だな、と益体も無いことを考えながら湯船からあがる。いつの間にか雲は晴れ、月はその姿を夜空に浮かべていた。



 

  

 今年も熱中症の季節になってきました。

 皆様もお気を付けください。

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