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自分たちの今いる土地が戦争に巻き込まれる、と聞いて平静でいられる人間はそう多くは無い。まして既に厄介事を抱えているとなればなおさらだ。
そういった、冗談の許されないひりつくような緊張を感じながら男は口を開いた。
「まず今の時代は、武田信玄が父で先代の信虎を追放したあたりだ」
年長組はある種の講義のような淡々とした語り口に、歴史好きならこの程度の情報から土地年代の特定が可能になるのか、と感心し相づちを打つことで先を促した。
「で、武田がこの諏訪に攻め込んで諏訪本家を滅ぼして、数ヶ月で同盟破綻して南の高遠諏訪家ともここで再戦することになる」
これには全員が唖然とした。
只でさえ手がかりの無い、この地にいるのかも定かでは無い仲間を探さなければならないのに戦争勃発などという凶事を告げられた一同は押し黙ってしまった。
その沈黙を破ったのはやはり牛若だった。「で、でもさ、そうならない場合もあるんだよね」
現実を直視したくない時は藁にもすがる。
「今日の情報だけで判断すれば、望み薄だ」
男はそう告げると自分の知る歴史と集まった情報を一つ一つ付け合わせ、ほぼ一致していることを告げた。そんな時だった。
部屋の外から声がかけられた。何事か、何者かと警戒する面々の前に現れたのは宿の女将であった。風呂が沸いたので入ってはどうかとの事であった。
緊張がほぐれ、一様に肩の下がったのを見て取った男は女将に礼を言うとまず玉藻と牛若に入浴を勧めた。留守番をさせてしまった事への礼と詫びだった。
荷物から着替えと手ぬぐいを取り出し、女将とともに階下へと降りてゆく二人を見送り残る二人へと顔を向ければ、情報を消化し切れていない、と言う顔をしていた。
続きは風呂に入ってからにしようか、と声をかけ男は自分の荷物から筆記具を取り出した。少々込み入った話になるため、文書にして考えをまとめようと思ったからだ。
あちらでお家騒動、こちらで本家分家争い、、そちらでは同盟破綻と書いているだけで気が滅入ってくる。本当にこの時代はとんでもないな、との認識を強くする。
その上で改めて考える。この時代と場所で人捜しをするには、果たして一体どのような方法が一番良いのか、と。不測の事態の発生も考えれば早さも重要な要素だ。
そうこうしているうちに先発組が風呂から上がってきたため、後発組が入れ替わりで入りに行った。同時に騒がしくなり、静かに考え事に浸れなくなってしまった。
潮時か、と男は一旦筆記具を荷物の中にしまいこむと牛若の話し相手になることにした。日頃からちゃんと構っていればいざという時背中を安心して任せられる。
実は牛若の苦情など聞く前から分かり切っている。留守番で体を動かせず退屈だ、明日こそは自分も捜索組に加わりたい、と。だがそうできない理由があると本人も知っている。
それゆえここから先はある種の儀式となる、不満を抱える者と、何とかそれをなだめすかして要望を聞いてもらわなければならない者との。繰り返される様式美ですらある。
良い迷惑なのはそれを目の前で繰り広げられ、付き合わされる玉藻である。沈静化したとはいえ、先の不満は完全に沈下した訳では無くくすぶっているのならなおさらだ。
結果、牛若と玉藻の双方を同時になだめるという二正面作戦を男は強いられた。自業自得と言われればそれまでだが、これはこれで慣れるものでも無かった。
そうこうしているうちに静と梅子が風呂から上がり、男の番となった。一声かけると交代で風呂場へと足を運んだ。内心、時代劇の風呂を体験できると足取りも軽かった。
結論から言えば、掛け流し檜風呂などといった贅沢品は出てこず、単純な五右衛門風呂であった。これはこれで味があると、男は口元に笑みを浮かべた。
湯の中へ入り体が芯まで温まってくると、それまで感じていた焦りや不安も融かされ流れ落ちていくようだった。顔を数度洗いながら、これまでの経緯を改めて考える。
目下行方不明中の雪が自分から出て行ったとは考えにくい。何かの拍子に、それこそ夜眠れずに散歩したら見慣れない霧があったので確認しようとしたら飛ばされたなどと。
いかにもありそうなことに思えた。大騒ぎになるような事態は、その発端を知ると大抵拍子抜けするようなあっけない出来事であったりすることを、男はよく知っていた。
そこまで考えたところで重大な可能性に気が付いた。もしそうならば、雪はほとんど丸腰でこちらに来ているのではないか。それこそ食料や服もない状態で。
内心の緊急度と危険度が跳ね上がる。それこそ栄養失調や餓死の可能性も零ではなくなったからだ。それに単独で丸腰となれば不覚を負うことも十分あり得る。
名残惜しくはあったが、湯から体を引き上げると急いで体を拭き衣服を身につけると部屋へと戻るべく廊下を進んだ。途中で女将を見かけたので礼を告げた。
夫であろう宿の主人と会話している女将に礼がてら風呂から上がったことを告げると妙に驚いた顔をされた。少し考え、自分の頭に何のかぶり物もないことに気が付いた。
この時代、男性は烏帽子等のかぶり物をし、髷を結い月代は剃るのが一般であった。それがかぶり物もなしな上にざんぎり頭では不審に過ぎた。男は足早に通り過ぎた。
部屋へ戻ると他の全員はくつろぎ中であった。折角疲れを取ったのにここでまた堅苦しい話を蒸し返すこともあるまいと、詳しい話は明朝することとした。異論は無かった。
各自の就寝位置決めは一悶着あったが、結局は男が階段に近い場所、静が窓際と言うところに落ち着いた。用心のしすぎかも知れないが、不用心よりは百倍ましだ。
用心の甲斐あってか、何事も無く朝を迎えることができた。朝食前に状況把握をしておこうと男は紙を取り出し、全員を集めた。問題発生時こそ、原点に立ち返る必要がある。
紙の中心に小さな丸を一つ書くと諏訪湖、と横に書いた。そして少し上に諏訪と付け足す。「ここが現在地」と告げた。そして周囲に次々と名前を書き加えた。
東に甲斐武田、その東に北条、南に高遠諏訪、西に小笠原、北に村上、更に北に越後長尾と書いたところで質問が来た。
「信長はどこ?」
「今は信長のお父さんの時代だ。それで信長はこのあたり」
小笠原の南西に斎藤、その南に織田、と追加した。
そこから東へ松平(徳川)、更に東に今川と書くと今度は上下にうねうねとした線を書く加え始めた。年長組はそれが海岸線だと気が付きなるほど、と頷いた。
戦後前期の中部地方勢力図を書き終えた男はどうだ、と全員を見回した。梅子がぽつりとぐちゃぐちゃしてる、と呟き男は苦心の結果がこれかと内心で涙した。
「でも梅子の言葉は正しいぞ、戦国も中盤くらいまではどこもかしこもぐちゃぐちゃだ。後半になってようやく信長とかの大きな勢力にまとまってくるからな」
年少組はふうん、と聞き流していたが年長組はわずかに顔をしかめた。重要な情報だったからだ。統一勢力がいないと言うことは、秩序も法律もばらばらだという事だからだ。
「で、こうなると雪がどこにいるのかの手がかりも簡単には手に入らない。頭を使わないといけないぞ」
と締めくくった。
「でも頭を使うってどうするのさ」
牛若のもっともな問いに対して男は
「みんなで考えよう。まずは腹ごしらえだ」
殴打でもって返答が成された。
一階へと降りた一同を待っていたのは薄いが暖かい麦粥であった。不作の多い土地にあっては、食事が出てくるだけでもありがたいことを知っている男は礼を言い頭を下げた。
もっともその後ろで肉、魚、と口走ろうとして年長組に取り押さえられた牛若の存在が全てを台無しにしていることも承知しており、苦笑いを浮かべる羽目になったが。
一連のやりとりを見せつけられた女将と主人は申し訳なさそうな顔を見せた。
これには流石の梅子も何かの使命感を感じたらしく、牛若の額をぺちりと叩いた。
男は詫びの意味を込めて改めて宿の主人と女将に一礼した。これに玉藻が付随し静と梅子も続き、拘束を解かれた牛若もしぶしぶ続きさながら一座の挨拶のごとき様相を呈した。
その際に髪型を誤魔化すためにかぶっている揉烏帽子がずり落ちそうになるのを手で抑えながらであったため、効果の程は怪しかったが、こういうことは気持ちが重要だ。
ようやくの事で朝食に箸を付けることのできた一同だったが、さして副菜も無い食卓ではさほどの時間はかからない。すぐにごちそうさまとなり部屋へと戻ることとなった。
その際階段を上ってゆく一行を宿の者達からは何とも言えぬ顔をして見送られ、全員がばつの悪い思いをすることになったのは、ある意味で当然だっただろう。
宿泊中の部屋へと戻り一息つく前に、男は顎紐を外し烏帽子を取った。馴れぬかぶり物と先のやりとりで蒸れそうな気配を感じていたからだ。
その様子にならやめておけば良かったのに、という言外の響きを感じ取り言い訳がましく「郷に入っては郷に従えと言うだろう、なじむまではこちらからあわせないとな」
年長組はそれを横目に外出予定の打ち合わせに入った。今日は一日散策し情報収集の予定だからだ。事前情報の限られる中、想定しておくべき事柄は多かった。
そうなると取り残されるのは留守番組である。二日続けてとなった牛若は頬を膨らませお土産よろしく、とふて腐れ、男に頭を撫でられなだめられるいつもの光景となった。
聞き込みと言えば人の多いところでするものだが、この時代は日によって激しく上下した。その理由の一つとして市の存在が上げられる。常設ではなかったからだ。
物資や流通手段の限られた社会では、常時大規模な市を維持することはできない。そこで考え出されたのが定期市である。一般的なものとして六の付く日の六斎市がある。
六の日以外にも定期市の開催された証拠として、四日市、八日市、廿日市などの地名が残っている。それらの地名は往事の面影を現代へと伝えてくれる。
とはいえ、小規模なら朝市もあると聞き、可能性を求めて早めの出発と相成った。面子は静玉藻梅子の三人である。いってきます、と手を振り出かけていった。
いってらっしゃいと手を振り宿の中へと戻った二人にも当然することがあった。窓を開け放ち曇り空を眺めながら数羽の鴉を空へと放した。これが牛若の留守番の理由である。
じゃあ頼むぞ、とあぐらをかいて自分を抱きかかえた男に任せて、と答えると牛若は目を閉じ視角を鴉のものへと切り替えた。上空からならば地上とは段違いの視界が得られる。
天空の高みからの視界は牛若のお気に入りの時間だった。仲間内で自分だけがこの能力を有している、自分が間違いなく一番になれる時間、出番だからだ。
とはいえ、複数の視点を管理しつなぎ合わせて把握するのは集中力を必要とされる。それだけに集中しなければならず、その間自分の体は無防備になる。留守番の理由だった。
地形を把握するには基本の型がある。まずは大まかな全体像を把握する。次に現在地を基点とし東西南北の目立つ地形や建物で肉付けしてゆく。
そうしてまずは枠組みを決め、その中で点と点を結び線にしてゆく。線の数が増えてゆけばそれは必然面になる。そうして未知の面を既知の面で置き換えてゆく。
それは決して只の考えなしにできる所業では無い。日頃の言動とは全く違う一面、どちらが素でどちらが演技なのか、牛若をよく知らないものは混乱する一面である。
結論としては両方素の一面である。それもまた魅力の一つの形であろうと、仲間内では肯定的に受け止められている。受け入れることも器のあり方だ。
白紙に枠線を引き、大まかな下書きから徐々に詳細な清書へと書き換える。それは当初は途方もない作業に思える。けれど終わりは来る。
必要な作業を一つづつ積み重ねてゆけば、どんなに膨大な作業量の山であろうといずれ崩され丘になり、じきに平地へと均されてゆく。
今までの数多の遠征を牛若は思い出していた。未知領域へ進入する際は、自分が初動の情報収集を担当していた。それは先陣を切るということであり、牛若の誇りでもあった。
ならば、と唇を噛みしめる。自分に求められていること、成さねば成さねばならないことは何か。なんとしても、一番槍をあげる。決意を新たにした。
そして鴉たちを操ることに更に集中する。そうしていると時々、宇宙の中に自分だけしかいなくなったような、奇妙な感覚に身を浸すことがあった。
今がそうだった。そしてそういった時には大抵ーー
突如牛若が目を見開き叫び声を上げた。
「兄貴、見つけた!雪姉だ」
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ありがとうございます。
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