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武田見聞録  作者: 塩宮克己
1章 天文11年(1542年) 諏訪高遠編
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「なんか人、少ないね」

 寂しげにそう呟いた牛若の意見も最もだった。確か町並みはある。遠望すれば山のお城も大きな神社もある。


 だが、肝心の人が少ない。通りに出歩いている人はまばらで、心なしかうつむき加減で顔色も悪いように見える。空模様もいつの間にか雲が出ていた。


「あんたら、どこのもんかね」

 唐突に話しかけてきたのは道行く老人であった。頭は見事な白髪であったが、腰や眼光はその老いを否定していた。


「我らは旅の者。甲府の縁者を頼っての道行きの途中になり申す。ご老人、折角ゆえ今宵の宿などご紹介願えませぬか」

 立て板に水を流すがごとくとはこの事か。


 他の皆は男がこういうこともあろうかとこっそり練習していた事を知っていたので苦笑する程度であった。だが相手の老人は虚を突かれた様に軽く目を見開くと口を開いた。


「ふむ、ならば通りをこのまま行くとある。ここらはよそ者には厳しい。厄介事は起こしてくれるなよ」

 そう言うと礼もとりあわず歩き去った。


 全員で老人に向けて一礼すると踵を返して通りを歩き始めた。抑えてはいるが視線を方々へと向けているあたり、おのぼりさんの感がどうしても拭えない。


 そんな中、男はある店の軒先に目をやると足を止め、ほかの面々に軍資金を補給する、と断りを入れると店の中に入っていった。分銅の看板の掛かった店であった。




 御免、と声をかけながら暖簾をくぐれば帳場が広がっていた。他に客の姿が無かったためか中にいた数人が一斉に男に目をやった。編み笠をかぶった浪人風の男へと。


「はい、なんでございましょう」

 店の人間数名は一瞬目配せし合い、押し負けた一番年の若そうな丁稚が男の対応に当たった。苦笑を隠し両替を頼みたい、と告げた。

 懐から革袋を出し、拠点から持参した黄金の一部を渡す。こちらを換金してもらいたい、と伝えると小僧は飛び上がり奥の番頭の元へと駆け寄った。


 男の風体を改めて上から下まで眺め直した番頭は手渡された黄金を手に取り眺めた後秤にかけ、顎に手をやりふむ、と一息つき

「一貫文といったところでございますな」


 その額を聞いた男は気色ばんで即座に

「金一両で一貫は安すぎよう、一貫五百から二貫が相場ではないかな」

 足下を見るにも程がある、と反論した。


 ところが番頭は涼しい顔で

「でしたら結構でございます。どうぞお引き取りを」

 黄金を突き返し入り口へと顔を向けた。


 あまりといえばあまりな対応に男は激高しかけたがしかし、ぎり、と一度奥歯を鳴らすと居住まいを正し

「では一貫文でお願い致す」


 背負った荷物の中へ受け取った銭をしまいそれでも一礼して退出した男を見送った後、番頭の周りに店の者が集まってきた。先の対応を心配してのものだ。


「番頭さん、あんなことして大丈夫ですか」 一番年嵩の者が代表するように声を上げるが当の番頭はどこ吹く風どころか呆れたような表情を浮かべ口を開いた。


「何年この仕事をしているんです、皆さん。良いですか、浪人風の身なりな上に、お店の中に入っても編み笠をしたまま名乗りもしない、脛に傷のある輩に決まっています」


「それだけではありません、持ち込まれたこの黄金、産地や品質を表す極印も墨書もありません。得体の知れない怪しげな品を正規の価格で取引できますか」


 持ち込んだ人間も持ち込まれた品物も素性の知れぬ不審な存在となれば、それ相応の訳ありの案件であり、その分価格から割り引かれるるのは筋は通っており、店の皆も頷いた。 

 店の者達の顔に理解と納得の色が浮かんだことを確認し、番頭はそれぞれ仕事に戻るように促した。各自の持ち場へと足早に戻っていくのを確認し、今一度手元に視線を戻した。

 輝きといい重みといい、見た目や手触りでも相当に良いものだと経験と勘が告げていた。だが、とも思う。なぜそんなものをあんな男が所持していたのか。


 近年は諍いの種に一つ目処が付き近辺も安定の兆しの見え始めた所だったのだが、それは只の自分たちがそう思いたいだけだったのか。番頭はため息とともに筆を取った。




 店の外では女達が男の帰りを待っていた。そこへ済まなそうに一言

「すまん、買いたたかれた」

 今度は男の方が叩かれる番となった。


 宿を探す道すがら、あれこれと経過を聞かれながら歩いている。答えるたびに背中が傾いてゆくので、若い身空ながらくたびれた老人の風情を漂わせてしまっていた。


 視界の端にようやく宿屋を見つけると男はそそくさと暖簾をくぐり声を上げた。いつの間にかぴんと伸びていた背筋に女達は互いに顔を見合わせ苦笑した。


「五人だが、二部屋取りたい。お願いできるかな」

 そう言って店に入ってきた男に宿の者は少し困った顔を見せた後声をかけてきた。


 部屋自体はとれるが食事などあまり十分な持てなしはできないと言う。問題ないと答えると宿帳への記帳を求められた。ふと考え込んだ男は悪戯小僧の顔で吉次、と記した。


 


 入り口で桶に張った水で足の埃を濯ぐと宿の娘の案内で二階の部屋へと案内された。六畳間が続きで二間である。ようやく一息付ける、と全員安堵の顔で荷物を下ろした。


 薬缶も急須も座布団もないが、それでも落ち着いて話せる場所さえあれば今後の予定は決められる。議題は勿論行方不明者の捜索だ。浮ついた空気は、既にない。


 差し当たっては班決めと役割分担だ。いくら宿とはいえ荷物を残して留守にするには不用心すぎる。かといって捜索の方がおろそかになっては本末転倒だ。


 出された結論は年長組と年少組から一名ずつ留守番、他の者は探索、というものだった。牛若からは安直、との感想が出たが男は笑って最高の褒め言葉だ、と返した。


 陳腐、安直、ありきたりそういった言葉が使われるのは手垢にまみれた使い古されている手段だからだ。それは、誰でも使えて一定の効果が見込めるという堅実さの証明だ。  

 方針が決まればぐずぐずしている場合ではない。すぐさま男が単独、静と梅子で組を作り出かけた。玉藻が残ったのは貴人は軽々しく出歩かぬ、と説得された訳では多分無い。


 静と梅子は素直に人の多いところで聞き込みを開始した。しかし、目立った手がかりは得られなかった。分かったことはこの土地の周りの環境は想像以上に厳しいことだった。


 連年の不作とそれに伴う飢饉、相次ぐ近隣との戦争と略奪、それは町行く人の数も少なくなれば、その顔も暗くなろう。それでも多少は明るい話題もあったのは救いだった。


 まずは隣国の姫君が領主の元に嫁いできたこと。これで戦争の火種が一つ減ったそう。加えてその姫が領主のお世継ぎを産んだそう。当面はその国との関係は安泰だそうな。


 対して男は主に茶屋にて聞き込みを行った。適当な品を頼み、数倍の対価を支払い多少の世間話をしてもらう、というものだった。これはこれで古式に則った手法ではある。

 

 対して成果は希望とは違う情報であった。領主が領土問題で姫君の実家を出し抜くようなまねをして不興を買ったこと、領主は南の分家と関係が良くないこと。


 余談として夜半に湖に物の怪が出たらしいこと、姫は産後人が変わったようになったこと、夜廻りの担当者に急病を得た者がいるらしいことであった。

 

 そこまで聞くと男は懐からまたカネを取り出し席に置いた。茶屋娘の口は更に回り、夜回りの名前から屋敷位置まで聞き出したところで席を立った。鳥の羽ばたきが聞こえた。


 宿では牛若が暇を持て余していた。今にも抜け出しそうな勢いであったため、玉藻は留守番しながらでもできることがあるだろうと諭すこととなった。

 

 鴉を使っての大規模な周辺地図作成かと窓へと歩み寄った牛若は一言、見守り、と告げられうへえと顔をしかめた。信用されていない男がいるぞ、と。


 それでも指示に従い鴉を放ち、監視と捜索に割り当てを行いしばらくすると、今度は別の意味で顔をしかめることとなった。茶屋を梯子し看板娘にカネを握らせていたからだ。

 

 表情の変化から異変を察し、報告を求めた玉藻は袖口から扇子を取り出し口元を隠すと、目を細めてころころと笑い始めた。額の青筋を確認し牛若は震え、鴉を操り始めた。


 男はある程度の情報を聞き集めた所で一旦茶屋巡りを終了した。夕暮れも近くなり、宿へと戻ろうかと考えたからだ。しかし、そこで鴉の鳴き声を聞き顔色を変えた。


 鴉の鳴き声から状況を察した男は額から脂汗と冷や汗を流し始めた。寒さを感じる季節の筈が、ぬめった汗で首筋まで濡れていた。うつむき加減で足早に道を進んだ。


 そんなときに誰何の声をかけられた。目に不審の色を浮かべる町の者で、宿はどこかと聞いてくる。宿の名を答えると警戒の色を解いたので、近道を教えてもらった。


 この時代、夜の闇は法の支配の及ばない世界。夕暮れに出歩く余所者は不審者、日没後に出歩く者はおよそ犯罪者、が通り相場である。男はその事を意識させられた。




 宿に着いて部屋に戻った男を待っていたのは、情報交換会ではなく吊し上げの尋問会であった。本当にささやかなものであったが先に夕食が無ければ泣いていたかも知れない。


 検察狐の主張はこうだ、聞き込みと称してそこらの娘に粉をかけるのは何事か、今どういった状況か理解しているのか、危機感が足りないのではないか、けしからん。


 無論男は反論した。あれはそういった意図の事ではない。事実一定の情報は入手したではないか。成果に対して罰則で応じるのはいかがなものか、と。


 鬼裁判官の判定は実刑判決の有罪であった。本人の意図はともかく、結果として誤解を生じさせたのは重過失である、と。非公開かつ弁護人不在による裁判の弊害であった。


 罰として全員に対してそれぞれの希望する『奉仕活動』を実施した後、ようやく本題の情報交換会へと移った。このあたりの寄り道具合が自分たちらしいか、と男は苦笑した。


 とはいえ、肝心の手がかりは早々集まるはずも無く、主として現地の近況確認程度のものとなった。もっとも、今後の行動を決める上でそれは重要情報であることに違いは無い。

 まずは治安にも関わる食糧事情だ。近年冷害や台風その他の影響で不作の年が続いている、またその不足補填のため近隣と戦争して略奪してくるにも限度がある。


 ここまで聞いたところで牛若から災害まみれで食糧危機の途上国みたい、と身も蓋もない意見を出された男は似たようなものだ、と緩やかに肯定した。


 これは重要かつ危険な情報だった。食うや食わずの民衆を抱えた政府が何をするか、歴史の教訓は枚挙にいとまが無い。そんな中で余所者の扱いなど、推して知るべしである。


 それはつまり、情報収集から行方不明者の発見、確保までの時間的余裕が少ないことを意味する。今回の一件の難易度が、また一つ上がった。


 続いて近隣、東西南北の内東は政略結婚により一旦安定、世継ぎの誕生がこれを補強した。しかし領土問題で一つ火種を抱えてしまったためこれが懸念点である。


 南は分家が治めているがこの地の本家とは関係がよろしくなく、どう転ぶか分からない。北と西はまだ情報は無い。ここまで聞いたところで男はため息をつき顔を歪ませた。


 現地情報として先日の深夜湖での立ち回りの一件が噂になっていることを男が告げると流石に静は居心地悪そうにしていたが、すぐに気持ちを切り替えていた。


 もう一つ、その時に悶着のあった武士の屋敷に当たりが付いたので通貨見本として無断拝借した財布はいずれ返却しようと告げる男に対してはあきれ顔が向けられた。


 全員、初日から明確な手がかりがあるとは考えていない。翌日の調査予定と各自の割り振りにも熱がこもる。窓の外もすっかり暗くなり蝋燭を点けての会合となった。


 そんな話を続ける内、いざとなれば数ヶ月腰を据えても捜索を続けるべきとの意見に対して男は真顔で異論を述べた。それはやめるべきだ、と。


 理由を聞かれた男はこう答えた。

「今年この土地は戦争になって領主は滅ぼされる。危険を考えればその前に一旦他の土地へ離れておくべきだ」


 場の空気が凍った。それを予想していた男は続けて舌を動かした。今までの情報から、今がどういう状況で、これからどういったことが起きるのかを説明するために。


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