表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
武田見聞録  作者: 塩宮克己
1章 天文11年(1542年) 諏訪高遠編
14/70

09

「あら、随分と月のきれいな場所ですこと」

 その一言で、それまであった一触即発の緊張感は霧散した。勿論、周囲に自分たち以外はいないことを確認してからではあったが。


 実際問題として、現地到着と同時に待ち構えていた弓足軽の集団から矢を射かけられる事を想定していた身としては、拍子抜けが一番近い感想であった。


 とはいえ、折角の好機を無駄にするわけにはいかない。男はすぐさま全員に声をかけた「一旦人目を避けて山へ向かおう。声を上げずにできるだけ静かに移動。灯りは消すぞ」

 

 言いながら男は自分の持っていた提灯の蝋燭を吹き消した。多少の視界は月明かりが補ってくれた。全員口を引き結んで足を動かし始めた。周囲を見回しながらの者もいたが。


 用心のため無言で歩みを進める。しかし、完全に音を消すには至らない。足音が五人分も一度に響けば偶然では済まない音となる。他に気配の無い夜半ならばなおのことだ。


 かといってこの場にとどまり続けるのも愚策だ。この時代、夜間に活動する者は無法者と相場が決まっている。今からその汚名をかぶるのはいくらなんでも早すぎる。


 夜の寒さのせいか、梅子が両手を口の前に持ってきてゆっくりと何度も息を吐きかけている。男はそれを見るとその片手を取り自らの懐へと入れた。返礼は微笑みだった。


 若干の予定外を含みながら、歩を進めた。今回出た場所では湖の直ぐそばまで山が迫っていたのは幸運だった。北極星を見ると北に山で南に湖、といった位置関係だった。


 とはいえ、本当に諏訪湖ならば諏訪盆地の名が示すように四方は山に囲われているはずである。今回はたまたま湖の北側にたどり着いただけ、が実際の所なのかもしれない。


 

 

 夜の山へ分け入る。専門の案内者は無く登山用装備も限られている。はっきり言って正気の沙汰では無い。それでも、男達は現在この選択肢を採らざるを得なかった。


 灯りも無く、道なき道を行く。冒険譚の登場人物達がするのであれば今後の展開に胸躍らせるところであるが、自分たちが行うとなれば話は全くもって別だった。


 茂みをかき分ける音、落ち葉を踏みしめる音、枝が衣服や荷物に当たる音、それらの音が夜の静寂を都度乱す。誰に聞かれるか分からない状況は心を削る。


 一旦人目の無いところで時を過ごし、日が昇り人の流れがある程度できたところでその中に紛れ込む。言うは易しであるが、ほぼ情報の無い現状ではどうしようも無かった。


 それでも月明かりを頼りに何とか麓から距離を取ったことで、一夜を過ごす準備に取りかかる事ができた。まずは背負った荷物を風上に並べ風よけとした。


 続いて男が行李から敷物と毛布を出した。本当ならたき火でもして暖を取りたい所だったが、火が目立つため残念ながら慎重にならざるを得なかった。


 全員で敷物の上に上がって腰を下ろし、男と年長組で三角を作りその中に年少組を囲む。無論風上は男が占める。更に厚手の布地と毛布を外側にまとえば臨時の防寒拠点になる。


「兄貴のふところはあったかいねえ」

そう言って男の懐中に手を伸ばして来たのは牛若だ。ただその弾力を調べるような手つきが、本来の目的を白状していた。


 冬の寒空の下を歩き回らせて体が冷えてしまったのでは無いかとたまに気を遣えばこの仕打ち。男性には触れてはならぬ逆鱗があることを思い知らせてくれようか。


「玉藻にも同じ事ができたら不問に処す」

 ささやく様な小声ではあったが、ある種の感情のこもったそれは牛若の背をびくりと震えさせる何かを持っていた。


 しかし、直後に牛若が玉藻の顔から下腹部にちらりと視線をやったことによって生じた物に比べれば、それは些細な物に過ぎなかったのだと判明した。


「ふ た り と も 」

 怒気をたたえた美人は怖ろしい。それが普段通りの笑顔に青筋を立てて一種の異相ともなればその恐ろしさはひとしおだった。


「朝まで温和しくみんなで寒さに耐えよう」

 慌てて目を逸らして話題も逸らした男を非難する者は誰もいなかった。そして全員は言葉通り朝まで夜風と寒さを耐え忍んだ。




「本気で寒かったな」

 朝日と雀の鳴き声を背景としながら歯の付け根を震わせて男はかまどの用意をしていた。まずは冷えた体を温める必要があった。


 鉄串三本を交差させ簡易の架台を二つ作る。それに棒を渡し周囲を石で囲い鍋をぶら下げば簡易のかまどの出来上がりだ。流石に火をおこすのは玉藻の狐火に頼ったが。


「かかさまたちは」

「静と牛若は周囲の偵察だ」

 眠たげに目をこすっている梅子の手を取りながら男は答えた。


「仕事してきてくれるから、帰って来たら暖かいものでお帰りなさいをしないとな」

 そう言って傍らに座らせると鍋の中に水を入れ、具とする保存食材を選び始めた。


 


「オレ達だけ貧乏くじ引いてない」

「周辺地図もなしに動けないでしょう」

 愚痴る牛若を正論を持ってたしなめるのは静である。けれど双方に淀みは無い。


 移動時間短縮のため、地を走るのでは無く木々の枝から枝へと飛び移る。目指すのはより高い位置、具体的には見晴らしのよい場所だ。そこで周辺を確認するのが目的だ。


「これは、得をしましたね」

 感極まった様な静の声ももっともだった。夜露に濡れた木々の葉、青々とした静かな湖面、それらが朝日を浴びて輝いている。


 人の手による名画などこの自然の優美さに比べればいかほどの物か。思わずため息の出る風景に静はしばし時を忘れ、思い出した様に懐から紙と筆を取り出した。


 流石の牛若も感動したのか軽口を叩かず、静と同様にしばし風景に見入った後鴉を四方へと羽ばたかせた。やがて二人で紙をのぞき込み、やりとりのあとうなずき合った。


 そしてすぐさま踵を返し、再び木々の枝を蹴って移動し始めた。今度は先程までと違い山を下る方向だが、先に倍する速度でもってごうごうと風を切りながらである。



 

 ぱちぱちと木の燃える音を聞きながら、鍋の中の様子を確認する。火の通りが均一になるようにかき混ぜながら、火の周りに置かれた包みも時々向きを変える。


 傍らで火を眺めている梅子は折を見てたき火に木の枝を投げ入れている。また、時々顔を上げ周囲を見回し、また元に戻るという動作を繰り返し、あるとき立ち上がった。


 一体どうやっているのか、音も立てずに茂みをかき分け姿を現したのは玉藻だった。足音も立てず、衣服に枯れ葉一枚付いていない。「下山の道筋、確認完了しました」


 そう口にした美女に対して礼を言うと男は傍らを手で示し火のそばへ来るよう促した。梅子は駆け寄りその手を取って先導した。 

「旦那様は優雅ですわね」


 問いにはいささかの非難が含まれていた。自分は一人で麓まで往復しいくつかの候補の中から一番問題ない道を確認して来たというのに、何を油を売っているのかとの意味だ。


「上と下にそれぞれ移動しているんだ。何かあったときの予備戦力は要るだろう」

 異常発生時の増援として待機していたのだから、あまり責めてくれるなとの意だ。


「ええ、勿論承知しております」

 それらをわきまえた上で自分は拗ねて見せているのであり、そこを承知で付き合ってくれても良いのではと言われ流石に苦笑した。


「あねさま、けんか」

 心配そうに声をかけてきた梅子に対して

「大丈夫だぞ、寂しいから構って欲し」

 最後まで言い終えること無く口を塞がれた


「だ ん ま さ ま」 

 青筋を立てて凄まれたため素直に謝った。梅子はまだ何か言いたそうにしていたが今はそれどころでは無い。慌てて口を動かす。


「ま、まあ機嫌を直してくれ玉藻。君を信じているからこそ一人で行ってもらったんだ、

わかるだろう」

 玉藻は何も言わずにあらぬ方へ目をやった。

 男もその視線につられて視線を動かし、そして絶句した。

「兄貴、オレらのことは信じてなかったんだ、ふうんそうなんだ」

 

 いつの間にやら戻っていた牛若と静がそれはそれは冷たい目をしていた。

 前門の妖狐、後門の天狗に挟まれ男は進退窮まった。


 梅子はこれを伝えたかったのかと後悔してももう遅い。既に言葉は発せられ相手はそれを耳にしてしまった。もはや謝るのみ。

「ごめん、俺が悪かった」


「兄貴、こういう時だけ素直なのもどうかと思うよ」

 牛若のもっともな意見を受けても言い訳も反論もしない。ひたすら謝るのみである。


 ちくちくと責めてくる二人の言の刃に耐えながら男はふと思った。静はどうした。こういった時に仲裁を買って出てくれる頼みの綱の我らが侍女子は、と。


「お留守番と見張り、お疲れ様。よくできましたね、梅子」

 聞こえよがしな声に男は味方はいないのだと悟った。


「朝食の用意もありがとう。さ、困った主殿は放っておいてみんなで食事にしましょう」

 他の全員が返事をし一瞬でそれまでの非難は無くなったが、そういう問題では無かった。

 甲斐甲斐しく全員に鍋の汁と暖めておいた握り飯を配り終えるのを確認し、男も火のそばへと移動した。

「お帰り静。そしてお疲れ様」


 声をかけて食事を受け取り、男も食事の輪に加わった。汁の温かさが空腹によくしみた。他の者も男が食事を受け取るまで手を付けないことで非難の終了を告げてくれた。


「兄貴なんで生姜汁なのさ、においがさ」

 何かと苦情を言う牛若には体が暖まるからだと伝えた。年寄りくさいだ肉が欲しいだのの苦情は断固として無視した。


「玉藻お疲れ、下山の道筋は」

「問題ありません」

「静周辺地図はできたかな」

「ええ、食事後に皆で確認しましょう」


 静と牛若に周囲を見渡して確認してもらった地図によれば、現在地は湖の北岸から少々北へ行った山中であった。これは全員承知していた。重要なのはここからだ。


 湖の北東に神社らしきものを中核とする町並み、南南東にも同様の門前町らしき物が確認された。更には南東、湖から見て東側には山中に建造物、おそらくは城であろう。


 そうしてこの土地が湖を中心とした二社の神社とそれを支配する大名の城下町らしいことを全員で共有した後、今後の行動方針へと話題は移った。


 まず必要な物は活動拠点である。一旦城下町に宿を取ることとなった。そしてまずは時間を待って、麓の街道の他の通行者達に紛れ込んで移動することとなった。


 食事を摂って冷えた体は温まった。情報方針も共有した。となればすることは休息である。昨夜の来訪からあまり気の休まる時も無かったため、これには反対もでなかった。


 このあまりにも多くの事がありすぎた。昨晩から緊張のあまり休息らしい休息も無かった。故に反対はしない、しないが。

「みんな、朝寝だ」これはないだろう。


 女性陣の総意に男は当惑した。いくら旅の者とはいえ、午前中から宿を取っては不審だろう。だから休息と時間経過の一石二鳥の朝寝は良い手だと思ったのだが。


 とはいえ自分以外の面々に受け入れられない案に固執しても仕方が無い。男はならばと何をしたいかを問うた。これが失敗だった。侃々諤々の大論争になってしまった。


「じゃあ、改めてしゅっぱーつ」

 牛若の底抜けに明るい声に背を押されるように、一行は腰を上げた。男のげっそりとした顔がそれまでに何があったかを教えていた。

 一時の宿営地を片付けて下山する。昨晩視界が不十分だったために障害となった木々や枝葉は、陽光の下では心を癒してくれる緑の洗礼となった。


 玉藻が先行し歩きやすい道筋を確かめてくれたお陰ですいすいと歩いて行ける。行きは地獄で帰りは極楽の状態だった。一行は笑みすら浮かべながら山を下りた。


 街道に出れば道なりに東へと向かう。観察ではそちらの町の方が大きかったからだ。情報収集は網を大きく広げられる所でするのが鉄則だ。


 時折すれ違う旅人と挨拶を交わしながら先を行く。どことなくうつむき加減に見えるのはこちらも相手を警戒する部分があるからか。曇り空で空気はやや肌寒い位であった。


 そうして湖を右手に見ながら歩けば町に着いた。北の山のお城と南の神社に囲まれた城下町だ。しかし

「なんか、人、すくないよね」



すみません。

先週投稿できませんでした。

まだまだ、未熟です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ