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武田見聞録  作者: 塩宮克己
1章 天文11年(1542年) 諏訪高遠編
13/70

08

 夜半、拠点の広間に全員が集まった。遠征準備を整え、現地風の衣装に身を包んだ面々はほどよい緊張感をその表情ににじませていた。男は全員の目を見た後頷いた。


「まず荷物確認からいくぞ、全員共通で保存食、水筒、着替え、医療品、通信用具、現金、予備の草鞋、毛布、あと武器」

 これだけでも結構な分量である。

 

 それぞれが笈や行李などを開け中身を確認した。時折苦情の声が響くが一顧だにされぬ中、粛々と確認作業は続けられた。全員事前準備の大切さは知っていたからである。


 個別の確認終了後さらに荷物確認が終了し

出発となった。先の見えぬ遠征ではあったが、夜に活動するからと早めの夕食を取り仮眠まで取った一行の足取りは軽かった。




 館の門が開く。どこぞの城か大名屋敷かと見まがう程の大きな木の門が観音開きに開くと、提灯の明かりが夜の闇を追い払った。

「灯りからして時代劇なんだね」


 どこかおどけた牛若の感想に対して男は

「いまのうちから馴れてくれよ」

 と提灯を揺らし最後尾から応じた。もう一つの提灯は最前列の静が持っている。

 

「時間が無かった割には皆さんきちんとしていますわね」

 壺装束の特徴的な市女笠と垂布を揺らして全員を改めて見回したのは玉藻である。

 

 それに当然、と応じたのは先頭を行く静であった。後頭部で結わえた夜に溶けるような髪に羽織袴に腰に大小、と見事な武者ぶりだ。背の行李は自分の荷物だけではあるまい。


「時代劇衣装あまりなかったしな」

「いつもとかわらないけど」

 続いての発言は年少組である。いつも通り修験道の様な服装の牛若と童女の梅子だ。

 

 その後必然的に全員の視線は男へと集中した。片手の深編笠に地味な色合いのくたびれた袴、総髪に刀を差している。これで無精ひげでも生やせば浪人の出来上がりだ。


「……なんだよ、みんなして」

 全員から無言で浴びせられた不躾な視線に耐えかねて口ひらけば異口同音に

「なんでも」


「折角なんですから、もう少しこう、見目の良い格好をされてもよかったのでは」

 代表して静が苦言を呈してきた。貴公子然とした男と出歩きたかったらしい。


「念のため言っておくけれど、遊びに行くんじゃ無いからな、雪を探しに行くんだぞ」

 どこか諦めたような声で男がたしなめれば、返事だけは良い年少組の答えがあった。  


「ついでに武器の確認、俺は刀と火縄銃」

 と男が背の行李を揺らして言えば刀、仕込み杖、錫杖、おくすりとそれぞれの答えがあったが、そのうち一つが違和感を発した。


「玉藻、その仕込みは誰の物だ」

 呻くような男の声に壺装束の美人は振り向くとうふふと口元を隠し明言を避けた。男はうなだれ追求を諦めた。

 

「梅子のはいいのお」

 にやにやしながら錫杖の先端に付いている金環を面白半分にしゃらしゃらと鳴らす牛若の言に対しては顔を上げて一言


「梅子は荒事は他の人に任せような」

 と諭すように述べ、あい、と返ってきた答えに満足そうに頷くと梅子の頭を撫でた。途端ひいきだ、との苦情が上がる。


 それから、と男は咳払いを一つすると万一の際の判断は自分がするから、全員くれぐれも先走った行動はしないように、と釘を刺した。牛若はむくれて苦情を言い始めた。


 騒々しく錫杖を振り回しじゃらじゃらと金属音をかき鳴らす牛若とそれをなだめる男の喧噪の気配を背中で感じながら、静は出発前の玉藻とのやりとりを思い出していた。




「静さん、ちょっとよろしいかしら」

 自室で荷造りをしていた所へやってきたのは玉藻であった。いつもと違い口元に笑みがないためただ事では無いのが察せられた。 


 何事かと聞いてみれば現地での乱闘の際男が相手を殺そうとしたかどうかであった。あいてがなぜそんなことを聞くのか疑問に思いつつ、否定の返事を返した。


「ああ、やはり」

 その返答が分かっていたと言わんばかりの諦観の声を上げる玉藻に対して静はどういうことかといぶかしげな視線を送った。


「よろしいですか、静さん」

 左手は腰に、右手は指を一本立てた状態で玉藻は語り始めた。話が進むにつれ静の表情もみるみる強張っていった。


 要約すればこういうことだった。男は殺人を禁忌としている。育った環境を考えれば当然との思いもあった。だがそれがいざという時の判断を曇らせては困る。


 男は自分が怪我をする分には笑って済ませるだろう。だがしかし、自分たちの内の誰かが傷を負い、万一の事があった場合には男はその心に生涯消えぬ傷を負うだろう。


 静にとって想像するだに怖ろしいことであった。自分たちはあくまで男に対して仕える存在である。それが枷や重荷になる可能性など、存在意義を否定されるのと同義である。


 そして最大の問題は、それが十分に起こり得ることであることだった。事実、男が倫理観に囚われ判断が鈍り、その代償が誰かの怪我である場面は容易に想像できてしまった。


 そこまで来れば静には玉藻の「話」の内容も容易に想像できてしまった。いざとなれば男の判断を待たず、自分たちで手を下そうと言うことであろう。


 その決意を込めて視線を合わせれば、玉藻も同じ考えであることが伺えた。これは年少組には任せられない。自分たちだけでの秘密の会話とするしか無かった。


 


 夜の町中を五人で歩く。寒さか他に活動している者がいないためか、それぞれの足音が辺りによく響いた。もっとも、それに聞き耳を立てる者などこの場にはいなかったが。


 先頭と最後尾の者が持つ二つの提灯の灯りが足下と行く手を照らす中、全員はその歩みを進め続けた。迷いも乱れも無く進むその足取りは、絆の深さを伺わせた。 


 とはいえいささか奇妙な集団ではあった。先頭から女武者、壺装束の女性、水干の少女、小袖の童女、最後尾に浪人風の男である。行李の多さから都落ちの貴族の娘であろうか。


 真夜中に近い時間であるというのに、子供を含む一団は町中を素通りしていく。その先には湖しかないことから、目的地が察せられた。




「さてみんな、出発前に優先順位を確認しておくぞ」

 最後尾から男が声を上げた。他の者は聞かずとも分かっているという顔をした。


「雪姉を探すこと」

「違う」

「なんでだよ」

「まず話を聞け」


 牛若に出だしから話の腰を折られた男はそれでも気を取り直して話を再開した。

「優先順位第一位、自分自身の安全」

 途端、全員から疑問の声が上がった。


「まあ、落ち着いて話を聞こう」

 まさかここから納得されないとは思っていなかった男はいささか面食らいながら、全員に対して説明を始めた。


「雪を探さないといけない、これはみんないいよな」

 これには全員が頷きを持って返した。それを確認すると続けて言葉を発した。


「雪を探す前にまず、自分の身の安全を確保しないといけないよな」

 男は自分の言葉を受けてようやく年長組から納得の気配を感じ安堵の息を吐いた。 


「門を越えて、あっちこっちに鴉を行かせて雪姉が見つかったら会いに行くだけでしょ、なんでそんな面倒くさくなるんだよ」

 安堵もつかの間、頭を抱えることなった。


「牛若、よく考えてみてくれ。今までみたいに、雪が普通に家出しただけだったら、もう解決策は見えてる」

 男の呻くような言葉に牛若も気づいた。


「出るときに残していった手がかりを元に行き先を予想して、迎えに行って家出する原因になった、不満に思っただろう事を謝れば良いだけだ」

 

 だけじゃないけど、とつぶやかれた梅子の言を男は今は聞かなかったことにした。論点はそこではないからだ。そして言葉を続けた。「でも今回はそうじゃない」


「こちらにもあちらにもそれと分かる手がかりはなし、かといってあちらに氷や吹雪の跡もない。はっきり言って普通じゃ無い。雪自身になにかあった筈だ」


 やっと年少組からも漂ってきた理解の気配を感じ、男は同時に足裏に感じる地面の感触も変わってきたことを感じていた。土から砂に変わった。目的地の湖も近い。


「となるとただ行って戻ってくる、の単純な話じゃ済まない。腰を据えて取りかかる必要がある。それこそ向こうでの活動拠点が必要な位に」


 後ろ姿からも、年少組の唾を飲み込む様が見て取れた。そしてそれは男自身にとっても同じであった。手がかりなし、協力者なし、拠点なし、それでどこまでやれるのか。


「で、話を戻すけれど、そうなると長期戦が必須になる。となると、まず足下を固めないといけない。いつもみたいに拠点を使える訳じゃ無い。油断するなよ」


 最後のどこかおどけた男の台詞と違い、全員の表情は真剣そのものだった。長期遠征、それも拠点での補給さえうまくいかない可能性があるのだ。当然だった。


「お待たせ。ようやく優先順位第二位だ。自分以外の仲間の安全」

 これには何の疑問も依存も出なかった。いつもこうだと楽なのに、と内心思った。


「第三位。現地住民との間の不要な揉め事の回避」  

 瞬間、男は年長組から何とも言えない気配を感じたが、気のせいかと思い直した。


「第四位。現地での活動拠点の確保。第五位。雪の情報調査」

 情報調査の優先順位が低すぎるのでは無いか、との指摘以外は受け入れられた。


 何とか納得してもらえたか、と男が胸をなで下ろしていると程よく目的地の湖へとたどり着いた。既に霧が出始めていた。全員はやや急ぎ足になり桟橋の先へと向かった。


 桟橋の先へとたどり着けばやはり門が出現していた。男は全員の目を見回すと

「みんな、覚悟は良いな」

 と問うた。否定する者などいなかった。




 霧の道を歩む間ははぐれるのを防ぐため全員手をつないで進むこととなった。単純な手だが、それが最適解となる場合も往々にしてあるという良い見本だった。


「ああ、現地でいきなり戦闘になるかもしれないから気にはしておいてくれ。あと、できるだけ殺さないようにな」

 あまりにも今更な発言に流石に苦情が出た。

「ついでに現地は真夜中だから、一旦山や林に身を隠して日が昇るの待たないといけないからな」

 苦情は倍加した。


「仕方ないだろう。戦国時代に夜中活動しているのなんてろくでもない手合いなんだから。無用の危険は避けるべしってな」

「ああ、火付盗賊改方ですか」

 

 ここで男の言葉では無く、長女役の静の言葉で場が静まったことは、静への他の者の信頼と男の日頃の行いを表していた。男は心の中で涙した。


「旦那様、私たちは夜盗やら悪党ではありません。そこは承知しておいてくださいまし」

「こっちがどう思うかでなくて、現地の人がどう思うかが問題なんだな、これが」


 正論だけで事が済めば世の中どれだけ楽に円滑に回っていくことか。中央の玉藻からは不承知の気配が漂ってきた。されど歩調に乱れは無い辺り、理解は示してくれたらしい 


 前を行く牛若に手を引かれながら、男は気持ちを落ち着かせるために背の大きな行李の中身を思い返していた。野宿前提で野営用品も入っている。よほどの大丈夫だろう。  


「霧が薄くなって来ましたよ」

 先頭を行く静から、全員への注意喚起がなされた。歓声を上げ駆け出そうとする牛若を手を強く握ることで落ち着かせる。


「もう一度言うけれど、現地で待ち伏せされている可能性もそれなりにある。油断するなよ」

 これを茶化す者は流石にいなかった。

 

 さて、鬼が出るか蛇が出るか。男はしらず唇を舐めた。他の者も背に緊張をみなぎらせるなど、それぞれの方法で警戒を強めた。そして、霧を抜けた。


「あら、随分と月のきれいな場所ですこと」

 空から冷たい冬の大地を照らす月を見上げながらの発言に全員は毒気を抜かれた。人影すら無い、夜の湖畔であった。


 何とか間に合いました。

 来週も頑張ります。

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