002~料理人は二度熱湯をかける~
主人公大暴走。
眼前の盗賊は、あと3歩踏み込んでくれば俺に剣を振る――
そう判断した俺は、中華鍋の中におたまを突っ込む。
盗賊が俺の挙動を訝しむ間もなく、俺は素早く中華鍋の中からおたまを目の前へ振るう。
すると、どうなるか。
「あっづぁああああおおおああああ!!!」
――そうでしょう、とても熱いでしょう。
屋台のかまどから降ろした中華鍋の中身はアツアツのだし汁。
それを至近距離でぶっかけられたら大やけどを負うのは確実なのである。
しかし、熱湯を一度ぶっかけただけで男を無力化するのは難しい。
実質一人で8人もの盗賊を相手する状況において、向こうの手数を確実に減らすことは今この場において最も優先される。
ということで、俺は足元を転げまわる盗賊へ、今度は丁寧に中華鍋の中身を全部ぶちまけた。
「あぶっ!!びゃあああぁああああああああっ!!」
頭から胴体、足先へ満遍なく熱湯を丁寧にぶっかけてさし上げたところ、目の前の盗賊は形容しがたい絶叫を上げた後、体を激しく震わせると熱さに耐えかねたのか気絶した。
自分で仕出かしながら、その光景にちょっと引く。
人間に熱湯ぶっかけるとか非人道的過ぎるな、育てた親の顔を……見たくないね、クソ親父の顔は思い出したくもないわ。
少し遅れて駆けつけた盗賊たちは目の前で繰り広げられた光景に固まっていたものの、気を取り直すと口やかましく大声を次々をあげていく。
「てめえ!人に湯をぶっかけるとか何考えてんだ!」
「この血も涙もない野郎、囲んで殺せ!獲物は後回しだ!」
「女は傷つけるな!値が下がるぞ!」
俺が血も涙もない人間なのはこの惨状を生みだした以上否定しようもないが、武器を手に人を襲う君たち盗賊は悪魔か何かか。
おまけに、屋台の陰からドン引きする気配を俄かに感じる。が、一切合切無視して次の一手を切りだす。
――カンカカカンカン!カンカン! カンカカカンカン!カンカン!
盗賊に包囲された俺は中華鍋におたまを打ち付け、リズム良く鳴らしだした。
――カンカカカンカン!カンカン! カンカカカンカン!カンカン!
――カンカカカンカン!カンカン! カンカカカンカン!カンカン!
「ヘイヘイ、盗賊ビビってる~!」
盗賊たちは俺の突飛な行動に再度固まったものの、我に返ると顔を茹でたように真っ赤に染め、憤激していく。
「ぎざま゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
「馬鹿にしてんのかこんの野郎ォ!切り裂いて魔物の餌にしてやらあ!!」
馬鹿にしてんのか?馬鹿にしてんだ馬鹿野郎。
俺の挑発で簡単に激高し、全員で切りかかってくる盗賊たち。
煽り耐性ひっくいな?まだ煽りネタが残ってたのに披露する機会が消えてしまったぞ。
ちなみにそのネタの内容だが、腕をまっすぐ下ろし、手首を外側に90度向け、無膝を大きく曲げながら跳ねる様に無言で黙々と歩き回る踊りだ。
これは宴会芸の一つなのだが、ピョコピョコ踊る人に果物やお菓子を投げておひねりをあげたり、踊りながら仕込んだネタを披露したりと都合がいい。
楽器持ちがその場にいれば軽快な演奏で場を盛り上げられるという、グローチス子爵領近辺で大人気の踊り芸である。
緊迫した場面でこの踊りを踊ると、確実に相手が激高し、我を忘れて怒り狂ってくれるのだ。
思考が逸れてしまった。今は目の前で剣を構え突っ込んでくる盗賊たちを相手する場面である。
料理人、スモーよ。今、ここで、益体ないことを考えてしまうとは情無い。
軽く思い直した俺は即座に次の手を切り出すことにする。
手にしていた中華鍋とおたまを目の前に向け放り投げると、飛び道具に怯んだ盗賊の前へ躍り出る。
同時に、腰に結び付けておいた革袋の中へ手を突っ込み、掴んだ粉を、目を閉じ呼吸を止め、あたり一面へ遠慮なく派手にぶちまける。
「「「ヴォエッホ!!ガハッガハッ!」」」
「あああああ!!!目が!目があああああ!!!」
「鼻がああ!!!!!」
うむ。このスモ―特製ミックススパイスパウダーのお味は如何かな?
至高の香りと刺激に、盗賊たちは病みつきのご様子。
原材料高いんだからしっかり時間をかけて味わうんだぞ。
数歩前へ駆けてスパイス空間から離脱した俺は、後ろへ振り返り今の状況を確認する。
熱湯攻撃で1人、スパイス攻撃で6人、計7人の盗賊を無力化したようだ。
残る1人は一瞬の駆け引きで窮地に陥ったのを悟るや否や、盗賊仲間を捨てて逃げ出し――
「残すんじゃねえって言ったろ?仲間と一緒に料理されとけ。」
盗賊を逃走させたら、後始末が大変に面倒くさくなる。
俺は、背を向け走り始めた盗賊の背後に数秒で間を詰め、声をかけながら腰にタックル。前のめりに倒れた盗賊の側頭をつま先で蹴飛ばし意識を刈り取った。
「ひとまず、これで全部か?面倒くせえなあ……」
盗賊8人を一纏めに縛り上げ、俺は独り言ちた。
複数人のうめき声は耳と精神に良くないものである。
さて、この面倒事を呼び込んだお嬢様はというと。
俺の言いつけ通り屋台の陰から一歩も動いておらず、口をあんぐりと開け、放心していた。
荒事に慣れてないのかねえ。
俺はお嬢様と盗賊を一旦放置することにし、投げ散らかした調理道具を洗い、だし汁の仕込みなおしを始めた。