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ホラー物

受け入れろ

作者: 北田 龍一

 ひどく静かな夜だった。

 満月は高く、蛍光灯の届かない廊下にも、月明かりが柔らかく照らしてくれる。ナースコールもならない平和な夜だ。

 当直の看護師の女性は、先ほど見回りも済ませた。騒動が少なければ、病院の夜勤は少しばかり余裕がある。備品のチェックや、道具の清掃にカルテの整理などなど、やる事はそれなりにあるが、急変する患者が全くいなければ時間を持て余すこともあった。


「今日は、何事もなく良い日ですね」

「え、えぇ……本当に……」


 当番中、この先生はいつにも増して神経質に見えた。小太りした体形の先生は、一週間前に、別の病院から異動してきた男性だ。中途半端な時期なのは気になったが、なんでも本人の強い希望なのだそうだ。


「ふ、ふふ……やっと振り切れた……あぁ、やっとこれで安心して眠れる……」


 疲れているのだろうか? 先生は虚ろな眼差しのまま、そんなうわごとを呟く。スケジュール表は決まっているのだから、前日に休んでおいて欲しいものだ。サボりだす先生もいるので油断できない。


「眠らないで下さいよ。当直なんですから」

「あぁ、いや。私個人の話――」


 プルルルルルル


 遮るように、電話が鳴った。

 内線ではなく、外からのようだ。それも一般ではなく、病院関係からかかってきた電話だ。主に救急車や、移転の患者について話し合う時に使われる回線である。深夜にかかって来る場合、十中八九救急搬送の連絡だ。

 看護師は顔を引き締めて、受話器をとる。

 マニュアル通りに当医院の名前と、要件は? と尋ねた。

 ……返答は、ない。


「……? もしもし? 聞こえていますか?」


 一般の外部につながっていない回線だ。イタズラ電話であるはずがない。聞こえないならば、相手側の通信機の故障か、こちら側の電話機が音声を受け取れていないのか……


「そちらの音声が聞こえません。一度切りますので、再度かけなおし……」

「受け入れろ」

「……え?」


 ぐぐもった声で、何事かが聞こえた。

 しかし声量が良くないのか、正しく聞き取れない。彼女は続ける。


「すいません、もう一度お願いします」

「受け入れろ」


 低い、男性の声。

 確かに聞こえた。『受け入れろ』と。

 考えられるのは、やはり救急車の緊急搬送だ。患者の移送の際、治療の設備があるか、病室が空いているかを救急隊員が尋ねることは、当然である。

 ――だが、あまりにも妙だ、と看護師は感じた。

 彼らは、移動中でも伝わるように、大声ではっきりと喋る習慣がついている。

 他にも、まずは自らの所属を名乗り、患者の状態を大まかに話して、相互に確認するのが先のはずなのだが……


「……今救急車はどこに?」

「受け入れろ」


 ――話が通じない。

 不気味に思って、看護師は弾かれるように電話を置いた。

 ちゃんとした隊員ならば、もう一度かけなおすだろう。その時は正しい行動で答えるはずだ。あるいは誰かの悪ふざけか? それなら後調べて、処罰してもらろう……


 プルルルルルル


 即座に鳴りだす電話。回線は、先ほどと同じだ。


「……もしもし?」

「受け入れろ」


 全く同じ、声。

 顔色と気分を悪くしながら、電話を切る。


 プルルルルルルル


 また、着信。


「何……? 何ですか? 何なんですか!?」


 怯えて首を振る看護師。

 様子を眺めていた当直の医師が、乾いた笑みを浮かべていた。


「なんで笑っているんです!?」


 着信音が止まらない中で、苛立った彼女が詰め寄る。

 ――医師は、憔悴しきっていた。


「や、やっぱりダメだったんだ……! くそっ、悪いのは私だけじゃない! 私だけじゃないのに、どうして……!」


 子供のように髪を振り乱す。歯を鳴らし震え上がる医師に、看護師はさらに問い詰めた。


「何か知っているんですね? なんなんですか、この電話……!」


 不気味に響き続けるコール音。取り乱したのならば、医師は何かを知っている。

 不安を紛らわそうとしているのか、男性の口は軽かった。


「一か月前のことだ。私が勤めていた病院に、緊急搬送の電話がかかった。相手は老人で、車にはねられたそうだ。病室に空きはあったが、患者に身よりはなく、支払い能力に疑問があった。

 ただでさえ老人は回復が遅くなるし、病院暮らしが長引けばボケ老人、寝たきり老人になる事も珍しくない。厄介ごとになるのは目に見えていたから、私は受け入れを拒否したんだ」


 それは、病院側の都合を全面に出した意見であった。

 しかし看護師は医師の事を責められない。患者は人間だが、同時に医師や看護師だって人間だ。費用を踏み倒されれば心中穏やかではいられない。他にも寝たきり、ボケ老人の相手は、身体的、精神的にも大変な労力を伴う。

 第一、一つの医院で断られたとしても、救急隊員たちが他の医療機関に連絡を入れるはずだった。


「後日、その患者は死んだと聞いた。怪我の度合いは大したことなかったらしい。一時間以内に病院で処置できれば、十分助かった傷だったと。でも……その患者は二時間ほど、どこにも受け入れられなかったそうだ」


 たらい回しと呼ばれる現象が、一人の患者を殺した現実に看護師は絶句した。

 厄介な患者を受け入れたくない。その思惑から病院側が、救急搬送される患者を拒絶することがある。今回のような患者の場合、多くの医院が同じ考えに至り……結果どこにも受け入れらず、救急車が弱っていく患者と共に彷徨う現象、それがたらい回しだ。

 

「数日後だ、この電話がかかって来るようになったのは……くそっ! だが私だけが悪いわけじゃないっ!! 受け入れ拒否した他の医院の連中も同罪だろう!? なのになんで……なんで追って来るんだよぉっ!!」


 膝を抱え、恨めしげに叫ぶ医師。

 その声に反応したのか、ピタリとコール音が止まった。

 代わりに――ザーッと、さざ波のような音が、受話器から響いている。

 置いたままの電話が、何故か繋がって


『受け入れろ』


 勝手にスピーカに切り替わった電話機から、仄暗い呪詛が


『受け入れろ』

 

 夜中の部屋の中で、看護師と医師へ何度も繰り返される。


『『受け入れろ』』


 複数の電話機が、まるで何かに乗り移られたかのように、次々と怨嗟を響かせていく。


『『『『受け入れろ』』』』


 ――そんな機能、付けていないはずなのに。


『『『『『『『『受け入れろ――』』』』』』』』


「許してくれ、許してくれよ! 確かに悪かったよ!! でも悪いのは私だけじゃない! 悪いのは、私だけじゃない……っ!!」


 耳を塞いで、膝を抱えて。

 許しを請うように、瞳を閉じる医師。

 ――半端な転属の理由が、ようやくわかった。

 彼は、この相手から逃げてきた……

 ――なぜ、自分が巻き添えにならなければならない? それを言ったら、私も何一つ悪くないと、看護師は顔を真っ赤にして叫ぶ。


「冗談じゃありません! 何とかしてくださいよ……!」

「ふ、ふざけるな! 悪いのは……悪いのは……!」

「いつまで逃げているつもりですか!? 電話越しに謝ってください!」

「とっくに試した!! 言うことなんて聞かないんだ! あいつは!!」


 唾を吐き合う二人。

 狂騒から抜け出そうと言い争ううちに――ぴた、と電話機が一斉に沈黙した。

 瞬間

 ぞ、と一息に、冷たい空気が肌を撫でる。

 先程までの喧騒が嘘のように、今度は何一つ聞こえてこない。

 二人はその沈黙に引きずられて、固まってしまう。

 ――感じるのだ。

 言霊が途絶えても、含まれていた怨念の根を……視線という形で。

 ゆっくりと、二人の視線が引き寄せられてしまう。

 見てはいけない、確かめてはいけないと心が訴えても……確かめなければ。と、誘惑されるように視線をやると――

 血を流しすぎて、蒼白になった老人の唇が、窓越しに何事かを呟いた。



                 ***



――ねぇ、あの先生、また転属だって。

――うん? ずいぶん早いじゃない。この前来たばっかりでしょう?

――そういえば、先生が夜勤の時、一緒に当番だった看護師の人も、体調不良で休んでいるわ。大丈夫なのかしらねぇ? ……って、電話鳴ってるわ

――っと、はいはい、こちらは――

――……

――あら、調子悪いのかしら? 聞こえないですよ?



「受け入れろ」

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― 新着の感想 ―
[一言] 夏のホラー2019から来ました。 犯してしまった罪と、それに対する過剰なまでの理不尽さと、加えてそれに巻き込まれた理不尽さがとても良かったです。 そしてまた繰り返すんですね……。面白かったで…
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