九話 なんとも言えない現実
数十分後。
「お、遅れた」
黒瀬先輩が覇気のない声でそう言いながら部室へと入室してきた。
「ど、どうしたんですか?すごいやつれてますけど……」
サービス残業終わりのサラリーマンみたいな顔をしてらっしゃる。一体放課後の数十分でなにがあったというのだろうか?僕は絵を描くのを中断し、彼の元へと駆け寄る。
「……あぁ、夢咲伊万里か。いや、なんだ。今回の奴はかなり手強かったのでな。撃退するのに時間と手間がかかってしまったんだ」
「いや戦争帰りか何かですか。普通の高校生のセリフじゃないですよ」
現代でこんなセリフを聞くとしたら、徹夜でサバゲーやらネットゲームをするくらいだ。朝の教室で燃え尽きたようにかっこいいセリフを吐き、一時間目の授業から机に突っ伏して爆睡している人が僕の知り合いで約一名いる。
しかし、黒瀬先輩が言ってるのは十中八九ゲームの事ではない。では、一体何が彼をここまで追い込んだのか……。
「あぁ~今回は相当ひどいですね」
「ですね。あそこまで力尽きてる先輩初めて見ました」
「撃沈したか。情けない」
部の女性陣からそんな声が投げかけられると、当の本人は黒いリュックサックを床に置き、パソコンを置くはずの机に突っ伏した。言い返す力も残っていないのか……。
「あ、あの部長。黒瀬先輩があんな状態じゃ遅れた理由を聞こうにも聞けないんですけど……」
「うーん。あそこまで力尽きてる黒瀬君は初めてですから……仕方ないですね」
部長はやれやれと言いながら、僕に先輩が遅れた理由を教えてくれた。
「黒瀬君が遅れたのは、呼び出しを受けていたからです」
「呼び出し?」
「はい。告白の呼び出しです」
おっと?先輩を心配した僕が馬鹿だったか?
と思ったが、今の黒瀬先輩の惨状を見た後ではそうも言っていられない。人を一人撃沈させるってどんな告白なんだよ。
「累計九十四回目」
「どんどん記録更新してますね。三年生になる前に百人行きますよ」
「え?そんなに告白受けてるんですか?」
白川さんと神林先輩がそれぞれ絵を描きながら、当たり前のようにそんな話をしていたため、思わず話に割り込んだ。
「うん。黒瀬、外面はいいから」
「普段は優しくて頼りがいがあるイケメン男子って感じらしいよ」
「詐欺かよ」
外面に騙された女たちが先輩に告白するわけか。いや、イケメンは詐欺じゃないけれど、優しいとか完全に詐欺じゃん。僕なんていきなり変人扱いされたんだよ?
「私たちみたいに、同じ部活にいる人は彼の本当の顔を知っていますから、別に騙されませんけど」
「一般生徒は、そうはいかないというわけですか」
「そういうわけです」
部長は頷きを一つした後、黒瀬先輩の元へ向かい、疲れきった肩に優しく手を置いた。お、これは部長として部員を労うということか?
「伊万里さんに心配かけてはいけません。今日は帰った方がいいです。寧ろ帰ってください」
ひどい。
疲れ切っている黒瀬先輩に追加攻撃とかどこのラスボスだ。春羽の天使は悪魔でしたってことですか?
「そうだな。今日は家でゆっくりすることにする」
「え?」
僕が呆気にとられている間に、黒瀬先輩は部長に何も言い返すことなく、床に置いたリュックを担いで扉まで歩いていく。
「え?帰るんですか?」
「ああ、今日は疲れたんだ」
そう言い残し、黒瀬先輩は本当に部室を出て行ってしまった。
訪れる静寂。彼が消えた教室には、シーンとした空気が広がっていた。
「……これ、本当に告白されたって話ですよね?」
僕は確認を取るように三人に問いかける。
僕の中での告白と言ったら、お互いにドキドキし、成功すればカップル成立、失敗すれば告白した方は失意に落ち込み、振った方は申し訳ないという気持ちが少なからず発生するものだ。
先ほどの黒瀬先輩の様に、戦争の帰りみたいな表情をするものではないと思う。
「普通の告白くらいじゃあんな風にはならないよ」
「じゃあどうして……」
普通じゃない告白ってなに?脅すとか?それは告白じゃなくて脅迫か。
「うーん、なんていうか、黒瀬先輩に告白する人って、付き合えること前提で告白してくる人が多い……らしい」
「らしい?」
「私も実際に告白されてるところ見たことあるわけじゃないから何とも言えないの」
「ああ、そういうことですか」
黒瀬先輩が告白されてる現場なんて見たくない。嫉妬で殴っちゃいそう。
「まぁ、原因は黒瀬君にあるんですけどね」
部長がため息を吐きながら説明する。
「外面よくしてるから、勘違いする女子が多くって」
「なんで外面良くしてるんですかね?」
「先生からの評価が目的らしいよ」
なるほど。先生だって人間だ。自分のお気に入りの生徒の評価を高くしてあげようとすることもないとは言い切れない。確かにそれは悪いことではないのだが、
「その弊害というか副作用というか、元々整った顔立ちをしているせいで、今の現状ができだってことですね?」
「そういうこと」
それは自業自得とも言えなくもない。僕は基本的に猫を被ったりしないし、別段モテたりもしないので、彼の悩みに共感できそうにない。ただ、大変そうだなぁと思うくらいである。
「告白されても優しくフォローしちゃうせいで、諦めきれない人も多くて」
「今度はギャルゲーの副作用ですか」
やっぱ三次元と二次元には区切りをつけないとダメだ。ギャルゲーは優しくフォローしてもそこでそのキャラの出番は終わりだけど、現実は違うんだから。
と、そこで僕の中に一つの疑問が生まれた。
「お三方は告白を断ってもフォローしたりしないんですか?」
先輩の対応をディスっているあたり、別の対応を取っているんだろうか?
「しませんよ。また告白されることのないように、切り捨てます」
部長は当然の様にそう言い、あとの二人もそれに同意した。
「伊万里さんはどうなんですか?」
「いやそもそも告白されたことないですけど」
どうしてあること前提で話を進めるんですかね?僕は告白されることが当たり前のような人生を歩んでいるわけではない。寧ろ異性と関わり合いの少ない人生を歩んできたのだ。
それを言うと、部長は目を見開いて僕の目の前まで急接近してきた。
「い、伊万里さん……それは本当ですか?」
「本当ですよ」
一体なんなのだろうか。僕に告白経験がないことがそんなにおかしいことだとでも言うのか?僕は生憎、黒瀬先輩の様にイケメンなわけではないんだが……。
そんな僕の内心を知ってか知らずか、部長は目をキラキラさせながら僕の手をとった。
「伊万里さん。ずっと綺麗なままでいてくださいね」
「いきなりどうした」
僕はジト目で至近距離にいる部長を見据える。この人は少々勘違いするような発言が目立つ。彼女が好きなのは僕ではなく姉だ。僕に姉がいなかったら彼女は僕にここまで執着しないと思う。
「夢咲君。自由権はフランス人権宣言で保障されてるから大丈夫だよ」
「大丈夫です。そもそも僕の自由権を侵害させる気はないですから」
僕の権利は僕が守る。人権は大事だ。
「(……っていうか、僕以外モテる人ってどうなの?)」
改めてこの部のメンバーについて考えると、本当に僕の場違い感が半端じゃない。
部長である瑠璃川葵先輩は、春羽の天使と言われるくらいの美貌を持ち、生徒たちの憧れの的である(白川さん情報)。
神林美紀先輩は、基本的に無表情なのだが、少し幼さの残る整った顔立ちから一部の男子たちに人気があるらしい(白川さん情報)。
黒瀬先輩は先ほどの惨状を見ればわかるだろうが、もはや魔法を使っているのではないだろうかというほどの外面の良さを発揮し、告白回数が累計三桁を行きそうなほど(さっき見た)。
唯一の同級生である白川日和さんは、一年生のアイドルと評される容姿を持ち、他学年からも人気を誇る。第二の瑠璃川葵と称されるほど(クラスで聞いた)。
これを踏まえ、改めて僕は自分を見つめ直す。
そして、たどり着いた結論──
「うん。場違い」
非凡な人たちに囲まれた平凡な人。それがこの部での僕の立ち位置。
なんだこの格差。
アートみたいな芸術性を持つ人達の集まりに、僕というアート性もなにもない普通の人間が混じりこんだ感じ。僕は不純物ですか。
人権宣言で保障されたはずの平等は、僕には反映されていないようです。ふざけんな。