1-9 「何このくそゲー」
帝国には、嵐の前の静けさが訪れていた。
帝国北辺を預かる将軍エルンストには、北方の蛮族達との間で講和を結ぶ指示が出された。小競り合いを展開し、定期的に打撃を与える任務が課されていたが、三年間の停戦条約を結んだ。
皇帝の封臣達、各地を治める王には文官が送られ、その忠誠が確かめられた。特に、反乱軍の中枢を担うと思われるランカプール公の主君であるロンダリア王と、ランカプールと接するイルルス王からは王子を預かり人質とした。
その態度、人質を預けるまでの速度から考えて、王は反乱には組み込まれていないと思われる。とはいえ、ランカプールを中心とした反乱である以上、ロンダリア王家がその動きを掴んでいないとも思えない。両者の間で、何かしらの協定があってもおかしくはない。
しかし、事ここに至っては第三親衛隊の出る幕ではなかった。ここから先はアルベルトが言ったように、国が正式に行政官を派遣し、公権力を背景にして必要な会談と調査を行う。
反乱の気配があるという具体的な理由は伏せてあるが、帝国に迫る危機に対するための措置と言われれば、叛意を疑われたくなければ従うしかない。帝国全土に対して統制と忠誠が確認され、着々とアルベルト出陣の準備は整っていく。
大規模な内乱を前にして、密偵には新しい仕事もなく、かといっていつ必要になるかもわからないため、第三親衛隊の人員はほとんどが本部で待機中となった。最小限、神聖帝国方面や、帝国近隣の勢力の動向を監視するために出払っている程度だ。
隊員の多くは、親衛隊本部の大広間に集まり、思い思いに過ごしている。つかの間の休息であることは、誰もが理解していた。
最近流行っている娯楽がある。チェスだ。ノウキン達の遊びとしては少々知的すぎる遊びだが、下手は下手なりに楽しんでいるようだ。
実はエリスはなかなかのプレイヤーだった。独創性には欠け、一度不利になってしまうと挽回するのは苦手だが、何しろ定跡をよく知っている。小さな頃、大人達が興じていたのを横で見ていたから、どの局面でどうすればいいかは完璧に覚えていた。
参謀や魔王を相手にしてすら、勝率は五分五分という好成績を残している。ところが、それを不満に思ったアルベルトが、ルールを変えてしまった。記憶頼りで勝ててしまうゲームなどつまらんというわけだ。
別に、チェスが元になっている以上、何度もやっていればそのうち勝てるようになる。自信のあったエリスは新型チェスでの戦いを受けて立った。しかしその日以来、エリスはアルベルトやアルステイルには、一度も勝てていない。
「何このくそゲー」、「自分に都合よくルール変えるとか最低だよね」と、エリスはチェスに触らなくなった。
今もまた、エリスの机の先、広間の大テーブルでは対局が行われていた。エリスはつまらなそうにそれを眺めている。全然勝てないわけではないが、隊でも最高レベルだったのが、平均レベルまで落ちてしまった。遊ぶ気になれない。
アルベルトが変えたルールは単純だった。取った相手の駒を、自分の駒として使っていい。ただそれだけだった。たったそれだけで、まさか展開を覚えきれないほどパターンが増えてしまうとは思っていなかった。
しかし都合の悪いところも多かった。さすがに、クイーンがどこにでも出現するのは強すぎるんじゃないか、ということになった。しかも、皇后が裏切るとかいろいろまずいだろうというツッコミにより、クイーンだけは例外として再利用できないことになったりもした。
そもそもなんでクイーンだけそんな強いのかという冷静な指摘もなされ、徐々に弱体化されていった。さらに言えば、王に侍るのは女王ではなく女中だろ、という発想からクイーンはメイドと呼ばれることとなる。しかも、王様なんだからメイドを両脇に置くはずだというわけで、横八マスでは都合が悪くなり、盤が九マスに改良された。
だんだんと原形をとどめないチェスになっていき、ルールの変更も多すぎて、皆どれが今のルールか分からなくなっていった。そこで、統一されたルールの必要性が話し合われたとき、エリスが元のルールに戻そうと提案した。
だが隊員達は、それだとまた隊長に勝てなくなるので、それよりはましと言うことで今も暫定ルールでプレイ中だ。
いつの間にかビショップとルークが一人一個になっていたり、ナイトが撤退できなくなったりしている。どうやら、駒が再利用できるとなると、駒一つあたりの強さを落とさなければバランスがとれないらしい。今もまた、ビショップがキングルーク取りに打たれ、先手勝勢となった。
アルベルトもこれが好きだった。だいたいいつもビショップを打たれ、キングとルークのどちらかを取られてしまう。どちらかというか、キングを取られると負けだからルークを取らせるわけだが、そうするともう勝ち目がない。
エリスは、隊員達と遊べる新しいゲームを必要としていた。エリスが考えているのはサイコロを使うゲームだった。エリスが全部覚えてしまうから不公平だというのなら、運に左右されるものにすればいい。運ゲー過ぎてはつまらないが、ある程度なら影響を受けてもいいだろう。
が、なかなかそう簡単に新しいゲームなど作れはしない。エリスがモノポリーに近いゲームを完成させるのは、もっとずっと先のことになる。
「ほら、姉御も一局やりましょうや」
決着がつき、隊員がエリスを誘いに来る。エリスは手をひらひらさせて追い返す。
「いい。私はそんなくそゲーやらない」
「俺もこの前参謀にいい手を教わってさぁ、今度は勝てるんじゃないかって思うんすよ」
「あ、そう。よかったね」
ほらほら、と、チェス盤を隊長の机に持ってくる。
「あと、私をあねごって呼ぶのやめなさいって言ってるよね?」
「まぁまぁ、そんなかてえこと言わずに」
観客達も口をそろえた。無法者上がりの連中は、なぜか隊長と呼びたがらない。堅苦しいのがいやだそうだ。
「そうだぜ姉御。堅いことばっか言ってるから、いつまでたっても柔らかくなんねえんだ」
軽口をたたいた男の足が踏みつけられる。エリスの前で、その手のジョークは禁止されていた。
「何が?」
エリスが眉をひそめると、「何でもないです」と皆で取り繕う。そういうのは碌でもないことを言っている時だが、深くは追求しない。どうせくだらないから。
ため息をつき、仕方がないので相手をしてやる。まぁ、このレベルの相手ならそれでもだいたい勝てた。
もうすぐ、国中に嵐が吹き荒れる。第三親衛隊がチェスに興じられるのも、今だけだった。