表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エリスの絵日記  作者: Via
第一章 アルベルトの死
6/33

1-6 「何で私、馬鹿なのかな・・・」

エルティール伯の居城は、それほど大きくない石造りの館だった。町は中途半端な柵に囲われ、城を守るのも杭を埋め込んで作った木製の壁でしかない。だが、住まいは堅牢さを見せつけていた。


帝国が衰退し、地方の治安維持が地元の有力者に委ねられるようになると、貴族たちは火に強い住居を求めた。夜盗の放火に耐え、領民に威厳を示すために。代わりに城は小さくなり、必要最低限の機能しか持てないようになった。


町の中心部に広々とした敷地を持ち、周囲をぐるりと杭で囲んだ伯爵の城は、夜になっても見回りの兵士が巡回している。だがエルティールの警備に物々しさはなく、平時のつもりでいるようだ。


草木も眠る物音のしない闇の中を、二つの影が走り出た。今し方歩いた場所で起きている変事に、背を向けて歩いている兵士は気づいていない。


体格のいい男が壁に両手をついて屈み、エリスがその両肩に乗る。男が立ち上がると、エリスはてっぺんをつかんで向こう側に飛びうつる。すぐさま男は駆け戻り、物陰に身を隠した。


ひとまず杭にぶら下がったまま息を整え、あたりの様子をうかがったエリスは、できるだけ音を立てないように土の上に着地した。


月明かりは上々。目をこらせば輪郭くらいは見えるし、かといって自分の姿に気づかれるほどでもない。


エリスの侵入地点の目の前には、屋敷の裏口があった。撤収ルートもここを使えるかもしれない。何事もなければ、だが。


もし交戦するとなれば、別働隊が破った正門から脱出することもあるかもしれない。その場合、門番や正面玄関の守備兵とも戦うことになるだろう。ごめん被りたいところだ。


フード付きの黒いマント姿のエリスは、足音も立てずに裏口のドアに聞き耳を立てた。今回は念入りに、鼻から口元までを覆うマスクもつけている。第三親衛隊としての身分を隠しておきたいときは、顔を見せないのが原則になっていた。


ドアの向こうからは、何の音も聞こえなかった。この夜中だ、見回りの兵士以外は寝静まっているだろう。


エリスはマントを払うと、腰に下げた鍵束を引き寄せた。金属製の輪に、二十本の鍵がぶら下がっている。独特の突起がついた鍵は、一つ一つに布がかぶせられている。鍵開けの際に、音を立てないようにとの配慮だ。


帝国の錠前は、ウォード錠が一般的だった。特定の突起がついた鍵でなければ開かない錠前だ。ピンで施錠されているものは、手先の器用な盗賊に無力だった。しかし、ウォード錠にも弱点がある。


錠前の作りが同じなら、一つの鍵で全部開けられてしまう。しかも、似たような作りのものでも開いてしまったりする。そのため、何種類もの錠を開けられる鍵が作れてしまう。エリスが携帯する二十本の鍵は、六十八種の錠に通用することが確認されていた。


全部試してだめならば一度撤収する必要があるが、さすがは錠前破りの達人が用意した鍵束だ。未だかつて、破れなかったウォード錠はない。


カチャリ、と鍵が開いた音を確認し、もう一度聞き耳を立てる。変化はない。空気は落ち着いている。そっとドアを開け、闇の中に足を踏み入れると、さらに慎重に背後を閉じた。


月明かりすらもない闇の中で目をこらす。部屋の上方に開いた採光窓くらいが光源だが、ほとんど何も見えない。部屋が密閉されていて、誰もおらず、どこからも視線が通っていないことに期待し、一瞬だけカンテラの金属板をずらした。


鍵束とは反対の腰に、金属製のカンテラを下げていた。普段は明かりを漏らさないよう、一面だけ金属板をスライドさせられるようになっている。一瞬だけ部屋がうっすらと浮かび上がり、エリスはその姿を一目ですべて記憶した。


予定通り、ここは厨房だ。左手には食材の棚があり、右手には台所があった。まっすぐに歩き、ドアに耳を当てる。おそらく城の廊下に続くだろうその先からも、何も聞こえてこない。


廊下に出ると、またそっとドアを閉めた。石畳の冷たさが、足の裏に伝わってくる。屋内潜入時のエリスの履き物は足袋だった。極力足音を消すために、厚手の布を履いていた。


壁伝いにまっすぐ歩く。いくつかのドアを横切ると、館の玄関ホールに出た。ランプを持った巡回の兵士が見える。明かりがあさっての方向を向いている隙に、二階への階段の下に走り寄る。見上げるが、階段に立ちふさがる兵士は見当たらない。正確には、それらしきランプの光はない。


十分に周囲に注意を払いながら階段を上り、事前調査では明かりのついた部屋の前を通り過ぎる。そこが伯爵夫人の部屋なのか、伯爵代理の部屋なのかはわからない。いずれにせよ、目的の部屋はその隣だった。


膝立ちになり、息を殺し、さっきよりも時間をかけて鍵束を引き寄せる。ほんの些細な布のこすれる音が、誰かに聞かれるのではないかと心臓を高鳴らせる。慎重に、一本ずつ鍵を試していく。鍵穴に入りすらしないものも多い。少し入ったかと思うと、そこで止まることもある。


だが、七本目で当たりを引いた。そうっと、優しくドアを引き、身を潜り込ませる。ドアの鍵をかけ直す前に、カンテラの光で部屋を確認する。本当に空き室なのかどうか。実は誰かが寝泊まりしてはいないか。


誰もいなかった。部屋の中央の机にも、奥の寝台にも、人影はない。安全を確認してから施錠すると立ち上がり、家捜しを始めた。ここまで来てしまえば、音さえ立てなければ心配はいらない。ガラス窓の近を照らさなければ、外から気づかれることもない。


一面しか開かないカンテラは、周囲全体を照らすことはできなかったが、隠密行動には適していた。まずは本命である、執務用の机の上をあさる。住民からの陳情書類、兵士の昇格についての調書や処分についての報告書。年貢の帳簿に、滞納住民への措置対応書類。伯爵の仕事に関わる、様々な文書が見つかった。


エリスはその内容の一つ一つを理解しているわけではない。ただ目を走らせるだけであり、具体的に何が書いてあるかまでは気にしていない。しかし、これじゃない、ということだけはわかった。エリスが探しているのはこの手のものではない。


机の上、引き出し、ベッドの枕元、敷き布団の下、調度品の棚に壺の中。目につく、何かを入れられそうなところは全部探したはずだ。


「・・・ない」


部屋を見回しながら、魔女は立ち尽くした。後はどこを探すべきか。壁に掛けられていた絵画を外した。壁面には何もないし、額の裏にも何もない。額縁を外し、キャンバスも引きはがすべきか? それを始めると、机も解体して内部まで探すことになる。


数日に分けて、毎日忍び込んで少しずつ調べるようなことになりかねない。まずはもっとありそうなところを当たろう。


エリスが求めているのは手紙だ。親書の類い。立場がどうあれ、結婚した娘がいれば、家庭の話や生まれた孫の成長を知らせる手紙くらい来るだろう。平民の家庭にもありそうな書状すら、一通も見つからない。


探す場所を間違えているのか? だが、個人的な連絡ごとなのだから、自室に保管するのが当然だ。そうしない人間を思いつかない。アルベルトはどうかと一瞬思い浮かべるが、あれは魔王だから例外だとしても驚く必要はなかった。


また額に手を当てて考えてみる。


時間はあるが、ゆっくりはしていられない。この部屋に人が入ることは希だろう。最悪見つかっても、窓から飛び降りてもいい。二階くらいの高さならば、怪我はしないはず。しかし、日中は兵士の展開も早い。夜の戦いと比べると、危険は格段に増してしまう。


引き上げるなら、引き上げられる内に引くべきだ。


「あ、そうか」


思いつきが漏れた。エリスはこの事態を理解した。


「何で私、馬鹿なのかな・・・」


小さい頃はそんなことなかったはずなのにと、自分の成長を恨んだ。


エルティール伯が消極的に陰謀に参加していたとする。首謀者は、何かしらの理由で伯爵を従わせていた。そんな伯爵を暗殺した連中が、どうして伯爵の私物を処分しないなんてことがあるだろうか。まして、おそらく現在のこの城は、ランカプール公の手先が管理している。反乱の証拠なんか、全部消し去るに決まってる。


本国が伯爵の死亡を知ったとすれば、調査のための人員を送り込んでも来るだろう。変死という不名誉のため連絡をためらったことにして、何か疑惑があるなら存分に調べてください。伯爵の部屋でも自分の部屋でも、城中どうぞ気の済むままに。


そうして反乱の疑いをかわすのが当然だ。


出直すしかない。王子の反乱計画の真偽は、参謀と相談の上、改めて調べ直すしかない。そう思った。だがその瞬間、もう一つのひらめきが走った。


自分はこんなことにも思い当たらない大馬鹿者だが、エルティール伯もそうだったのだろうか?


実際のところはわからないが、わざと足のつくやり方をして、計画を露見させたようにも見える。そんな回りくどいやり方で計画を中止に追い込もうとするなんて、馬鹿では考えつかないはずだ。少なくとも、エリスの発想にはない。自信を持って言えた。


だったら自分が消された後、反乱計画の証拠も隠滅されることくらい予想がつくんじゃないか。だとすれば、気づかれにくいところに移すはず。それはどこか?


もう少し探してみることにした。あともうちょっとだけ。それで見つからなければ引き上げよう。


うろうろと、行ったり来たりしながら考えをまとめる。客間のイスの裏底はどうか。捜査員はそこに座るが、城の主人たちは注意を払うまい。だが、片付けるときにイスを裏返しにされたらそれまでだ。


倉庫の奥。長い間忘れ去られている物資に潜ませておくとか。あり得ない話ではないが、本国から調べに来た人間は、そこまで探すだろうか。人海戦術でしらみつぶしにするほど手間をかけるとは考えにくい。


発想の転換が必要なところ。そして、調べる気になりさえすればすぐに調べられ、公爵の手先が探さないようなところ。


エリスが期待しているのが手紙ということは、その処分方法は素直に考えれば焼却だろう。灰にして、跡形もなく消し去るのが一番安心できるはずだ。この部屋にあった手紙を焼いたとしたら、当然それは、この暖炉ということになる。


部屋の中央。壁際に暖炉があった。伯爵がいた頃のままだろうか、薪がくべられ、炭も灰も残されている。エリスは暖炉に近寄り、かがみ込んだ。ぐっと体を乗り出し、仰向けになる。暗い煙突の先にカンテラの光を向けると、見つけた。


差し込まれた二本の釘に支えられて、小箱が一つ隠されていた。


「そりゃぁお貴族様は、こんなところ探さないよね」


箱はまだきれいなものだった。多少ほこりをかぶっているが、煤けた様子もない。箱が置かれてから、一度しか火は灯されなかったのだろう。兄弟たちが足下で燃え尽きていく中、ただ一通の手紙だけがこの箱で生き延びた。


エルティール伯は、この手紙だけを保管していた。証拠となる文書を全部隔離したら怪しまれる。相手に証拠書類を全部処分したと実感させなければ、暖炉の中まで探されてしまうかもしれない。だから、ただこれだけを残したのだろう。


娘からの手紙。周りの貴族たちにそそのかされて、帝国に反乱を起こそうとしている夫を、父から制止してほしいという願いが綴られていた。


親心、というものだろう。反乱が起きる起きないにかかわらず、成功失敗にかかわらず、せめて娘は反乱には反対だったということを知ってもらうため。あの魔王が、果たしてそんなことで手心を加えてくれるかどうかはともかく、情状の酌量を願った置き土産だった。


箱は机の引き出しにしまい、手紙は懐に忍ばせた。書類を入手する必要がないということと、持ち帰る意味がないということは違う。手に入るなら、入れておくに越したことはない。


さぁ、次は脱出フェイズが待っている。帰り着くまでが任務。気を抜いてはいけない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ