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エリスの絵日記  作者: Via
第一章 アルベルトの死
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1-4 「本当に?」

ランカプールは、特に栄えた都市だった。今では神聖帝国に対する最前線基地になってしまったが、ファルティウス公爵領が奪われるまでは戦争の危機からも無縁でいられた。それだけに各地の商人が行き交い、賑わう町として発展したのだった。


現在ではロンダリア王国に下賜されたが、かつてはロムリア天領の最西端だった。北の山岳地帯に向かえばイルルス王国に入り、南はロンダリアと接し、西からは外国の旅人や商人が訪れる。ランカプールが交易都市として発展するのは必然ともいえた。


そんな大都市ランカプールが、時に戦火を交える神聖帝国に対する最前線に晒されたままでいるには理由があった。ランカプールの西に一つの小さな街があり、そのさらに西には大河が流れていた。今ではこの大河が神聖帝国との国境線となり、お互いに川沿いに監視塔を建てて警備を怠らない。


もしこの川がなければ、ランカプールの安全を確保するためにファルティウス奪還の動きが強かっただろうし、山岳を越えて遠征軍を送らねばならない神聖帝国側も、ファルティウスを放棄した可能性が高い。ファルティウス南方の山地からランカプール西方の川に防御線が後退したが、守備力に不足はなかったため、ロムリア側も現状を追認したというわけだ。


ここのところ直接的な衝突のない両帝国は、お互いに交易を制限することもなく、表面上は平和的に物資のやりとりをしていた。そのため、街の出入りを見張っているエリス達は様々な職業、出で立ち、装備、人種の人々を眺めることとなった。


ロムリア帝国の中枢であったロムリア人は、帝国の北西から南東にかけて分布している。肌の色は白く、髪は癖があって柔らかい黒が特徴だった。かつては帝国全土を支配下に置いた民だけに、今でも帝国各地で支配者階級に座ることが多い。


帝国の残りの地域、北東はブランデルンから南西のロンダリアにかけて住民の多数を占めるのは、同じく肌は白いが、金色のまっすぐな髪質を持った人種だった。長く被支配者であった人々だがここ数世代は立場が逆転し、ロンダリア王が皇帝からランカプールを与えられるほどとなり、魔王の出現により今や帝国ははっきりと彼らのものとなった。


この二種の人々は、今では帝国のどこででも共存している姿が見られる。元々の領地にとどまる人々の方が多いが、混血も進み、移住も自由だった。しかし、神聖帝国からの商人となると、中央から東側で見かけることはまずあり得ない。


彼らの特徴は浅黒い肌だった。言い伝えによれば、そもそも二つの帝国が争うようになったのは、ただ肌の色が違ったからとされている。事実はそれほど単純ではないが、長い間、現在に至っても、肌色の違いが争いの種になることは否定できない。それでも彼らは外国まで商売をしにやってくる。商人にとって、行き来が少し難しいということは、それだけ儲けやすいということでもあるのだから。


春に入ったばかりのこの頃、行き交う人々は皆丈の長いローブをまとっていた。街の住人、職人、行商、兵士に騎士、聖職者や柄の悪い者達、染色技術も未熟なこの時代では、それほど見栄えの変わらない服装ばかりだ。かろうじて騎士と聖職者が、それとわかるような豪華な意匠をこらしているくらい。短衣のまま歩き回り、走り回るのは、子供だけだった。


到着してから三日間、毎日場所をずらしてはいるが、ただずっと街の入り口を眺めていた。他の隊員はこそこそと目に入った対象を数え、記録をとっているが、エリスは後で数えればすむということで、ぼーっと眺めていた。頭を空っぽにしているわけではない。これで入手できる情報をどう解釈すべきか、本当にこの調査方法でいいのかなどは考えている。


第三親衛隊は散開し、ランカプールとエルティールを中心として、隣接する町や村でも出入りを監視していた。一カ所でどれだけ詳細に調べても何もわからないが、隣り合う集落と比較することで動向をうかがうことができた。


ランカプールを中心として、各方面に対して兵士や騎士など、軍人の移動が多い。その範囲は限定的であり、西からエルハルスに入っていく部隊はあっても、エルハルスから東へ抜ける部隊はなかった。彼らの行動圏の東端がエルハルスであることは間違いない。


同じようなやり方で西部軍が頻繁に行き来する領域を推測すると、ランカプールの半径50キロメートルから、100キロメートル程度に収まることがわかる。現在最も怪しい人物は、エルティール伯の主君であったランカプール公だが、公爵がこの範囲の貴族達と連携し、帝国に反乱を企てているのだとしたらかなりの規模となる。そして、その動向をまったく察知できていないアルフレッドは、魔王の後継者としては落第と言わざるを得ない。


確かにアルフレッドは知略に富む将軍ではなかった。アルベルトの武芸と勇猛さを受け継いだ猪突猛進型の武将であり、戦場で手傷を負うほどの無謀さを発揮していた。しかしそれだけに、アルベルトからはお付きに優秀な軍師を配されていたはずである。


これらの情報を総合してどう判断を下すべきか、それをエリスが悩んでいた昼下がり、伝令が到着した。


西門から遠くない食事処の椅子に腰をかけ、届くはずの荷物が届かない商家の若女将のふりをしたエリスの下に、奉公人の格好をした密偵が木片を届けに来た。これは木製の連絡板である。文字を書いても削ればまた使えるため、一時的な連絡をするために用いられる。


内容を確認した若女将は、従者に怪訝な表情を向けた。


「本当に?」

「はい」


二度ほどうなずき、ねぎらいの言葉をかけ、連絡板を返した。そのまま密偵は立ち去っていく。


参謀から、不可思議な報告が届いた。エリス達がランカプールに到着した頃、西部軍から王宮に使者が送られてきた。使者が述べるところによると、西部軍補給線に正体不明の部隊による攻撃が相次ぎ、物資の補給が阻害されているということだった。


現在のところ、駐屯地であるランカプールから物資の補給を受けられるため実害はないが、長期化すれば部隊の士気統率にも支障をきたし、神聖帝国軍に悟られる危険がある。西部軍は毅然として西方を監視するべき立場であるため、後方連絡線の回復は宰相に一任したいとのことだった。


意味がわからなかった。確かにこの地方への密偵を増員したのは最近だ。おそらく西部軍が使者を出したのは、それより前のことだっただろう。しかし、そもそも補給線への攻撃が報告されて以来、密偵は多数張り付かせている。エリスが把握している限り、軍の統率に影響があるほど被害は出ていない。しかも、相次ぐといえる頻度でもなかった。


奇妙な出来事にきな臭いものを感じ取ったのか、参謀はエリスに注意をするように書き添えていた。参謀はすでに状況を把握しているのだろうか。


これからどうするべきかを考えた。アルベルトがかんしゃくを起こしている姿は思い浮かばない。西部軍の報告を信じるなら、第三親衛隊の調査が手抜きだったことになる。今すぐ呼び戻され、叱責を受ける可能性がないとはいえない。だが、その心配はしなかった。


いっそ、ランカプール城に忍び込んで、西部軍に納められている物資の帳簿を確認するか? ここ数ヶ月、一年前の同時期と比べて、納入に差があるかどうかを調べてみたらどうか。いくらランカプールで賄えるとはいえ、全く違いがないということはないだろう。もし平常通りに物資を受け取っていたとすれば、エリス達が把握していないような襲撃はなかったといえるのではないか。


そこまで考えたとき、エリスの呼吸が止まった。


「え・・・?」


うつむき、より深く思考を働かせるために額に手を当てた。青色の瞳が、少しずつ脇にそれていく。


もし補給に問題がなく、西部軍がいうような事件が存在しないとしたら、どうなってしまうのだろうか。ありもしない攻撃をでっち上げて、帝国に嘘の報告をしたことになる。しかも、報告者はランカプールではなく、西部軍。指揮官はアルフレッドだ。王子が帝国に嘘をつくとしたら、それはつまり。


眉間にしわを寄せ、苦手な頭脳労働に集中力を総動員した結果、たるんでいた糸が一斉にピンと張り渡った。


王子が王に謀反を起こした例などいくらでもある。エリスが幼い頃に読んだ本でも、そういう話が転がっていた。その多くは王子が継承権を取り上げられるとき、継承に不安があるときだったが、それだけではない。明らかに次期国王の座が約束されているときですら、それは起こりえる。


王子が反乱の首謀者なら、半径50キロ以上にわたる勢力圏も異常な大きさとは言えない。察知しうる組織がすべて王子に与しているのなら、秘密は保持されるだろう。


これは重大な、きわめて重大な疑惑だ。エリスの職務上、確認しないわけにはいかない。エリスは立ち上がり、すぐに部隊を招集し、ランカプール城への潜入の準備を始めようとした。


だが、思いとどまり、腰を下ろした。


公爵の城ともなれば防備が堅いのは当然だ。ましてここには一万の西部軍も配置されている。その上反乱の準備中ともなれば、警戒はさらに厳重になる。そんなところに忍び込めるほどエリスが優秀なら、これまでの苦労は何だったのかということになる。


王子が反乱の首謀者ならランカプールへの潜入は不可能だ。首謀者でないなら、そこまでの危険を冒して急いで潜入する必要はない。このくらいの道理は、ノウキンのエリスでも理解できた。


しかし、王子の疑惑の真偽は確認する必要がある。どうしたら確かめられる? 補給線に大きな被害が出たことを否定できる証拠か、王子が反乱を計画している証拠が見つかればいい。そういう証拠はどこにある。どこに残す?


エリスにはわからなかった。


こういうとき、いつもエリスは不満に思う。どうしてアルベルトは、参謀をもう一人くれないのか。一人を本部に残してバックアップを任せ、もう一人を現場に連れてこられたらどんなに楽だろう。


しかしアルベルトにしてみれば、それは贅沢というものだった。アルステイルほどの人材が余るわけがない。どこでも手が足りず、どこもかしこも優秀な人間を送ってほしがっている。


ただでさえ各行政機関に手を入れ、能力主義を徹底させている。そんなに能力を重んじるなら、それを実現できるだけの人物を送ってきやがれというのが、あらゆる現場の言い分だった。


エリスは一人、思案を巡らせる。ノウキン部隊の隊長の幸運は、これでもエリスがまだ一番ましだったことだ。半端にエリス以上の知恵者がいては、会議という手間がかかるようになる。船頭多くして山に登ってしまわないだけましだろう。


エリスは席を立ち、ふらついてみることにした。考えるには、歩きながらがよいと教わったことがある。幸い、西門の調査はあまり重要ではない。どうせこの先には小さな街と、神聖帝国しかない。いくら何でも、橋を渡って神聖帝国まで向かう部隊はいなかった。反乱を起こすにしても、外国に国を売ることまでは考えないだろう。


大都市ともなると、大通りは石畳が敷き詰められている。道行く馬車の車輪は騒音以外の何物でもないが、それが商人達の日常だった。


石畳は町を出ても続き、隣町までつながっている。そこからさらに伸び続け、ついには帝都ロムリアに至る。土木の民であったロムリア人が、周辺地域に道路を延ばすことを好んだからだ。道路の整備具合が、そのままロムリアとの関係の深さを物語ると言われるほどだった。


しかし意外なことに、外壁の建造にはあまり熱心ではなかった。戦略上の要地にこそ町全体を取り囲む石壁を用意したが、警戒心の強い集落でも簡素な柵で囲われた程度で過ごしていた。時代が下り、帝国の統治能力が低下し始めると、他勢力に対してではなく山賊の類いから守るための防壁が建て始められた。だが、その頃の地方には多量の石材を買い求める財力にも乏しく、柵を強化しただけということも多い。


さすがにランカプールは長い間壁に守られており、今もなお四方に門を構えてはいるのだが、北辺に隙間が空いている。まだ外敵を意識せずにいられた時代、町の拡張のために一部を取り払った。新しく住み着き、商いを始めた人々などが北側を広げていった。


神聖帝国が目前に迫ると修復が計画されたがすぐに中断され、今もそのままだ。むしろ、取り払われる部分が増えていっている。町の防御力を強化するより、経済力を高める方が国防に有益だ、ということらしい。


喧噪が思考の邪魔になる気がして、エリスは大通りから離れることにした。下を向き、何事かを悩んでいる様子は、深刻な姿のように見えなくもない。目立たないように振る舞うべき諜報員としては、不注意な行動にも思える。が、同じように人生に悩んでいそうな青年も商人も老人も、大都市ともなればいくらでもいる。


いくつかの区画をぐるりと回り、様々な店を通り過ぎ、のどの渇きを覚えた頃、ようやく考えがまとまってきた。明確な、確実な答えには行き着かなかったが、次の行動の方向性は見えてきた。


もし周辺貴族を巻き込んだ計画なら、それほど大きくはない伯爵達にも声がかかっているだろう。陰謀を記した密書なども見つかるかもしれない。だが、現時点では各地方領主から戦力は供出されていない。つまり、戦力が引き抜かれていないことになる。よって、どこもかしこも反乱準備中の城ということになる。隙が見つかる当てはない。


せめて反乱に与していない、本当ならば辞退したいのだが、周辺の状況がそれを許さないような、消極的参加の領主が特定できれば事情も変わるだろう。そういうところなら、忍び込む余地もありそうだ。だが、それがどこだかが分からなかった。


やっと思いついたのが、エルティールだった。


王子が首謀者であり、広範囲を巻き込んだ反乱なら、確かにエルティール伯一人消し去っても痛手はない。各地の領主が自領に留まっているのに、エルティール伯はランカプールに招喚されていた。同族だから、というよりも、人質としてではなかったか。


ここ数日の調査で、エルティール伯が娘の王家入りにも慎重だったことが分かっている。名誉なこととはしながらも、主君筋に当たるランカプールを超える家格との婚姻は、後々に災いをもたらすのではないかと心配していた節があった。野心家とはとうてい思われない。


そんな伯爵が、待っていれば王妃になれる娘を持ちながら、反乱を望むはずがない。ならばなぜ実働部隊の指揮を任されたのか? 反乱に手を染めさせることで、後戻りできなくするため。共犯者にさせることで、否応なく協力させるためではないだろうか。


だとすれば、エルティール伯ならば計画を中止させるために必要な証拠書類を保管しているかもしれない。現在のエルティール領がどのように統治されているのかは不明だ。伯爵の死亡が公知されていない以上、何者かが代理をつとめているはずだ。おそらくは、ランカプールから送られてきている貴族が。


すべては王子が反乱の首謀者であるという、最悪のケースを想定したものだ。そうでないならば、無駄足になる可能性は高い。が、最悪のケースが現実である場合に、その事実確認のために入り込めそうな場所が他にない。


エリスはすぐさま戦闘部隊を招集した。数名の監視員を残し、馬車でエルティールを目指すことにした。

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