1-3 「そんなやついるの?」
第三親衛隊は、いわば王国の諜報組織の元締めだった。アルベルトには自前の密偵集団がいた。長くブランデルン王家に仕えてきた者達だ。今ではその密偵達も第三親衛隊に吸収され、諜報組織としての中枢を担っている。
もともと、新しい諜報部として第三親衛隊が編制されたわけではない。どちらかというと、作ってしまった部隊の使い道を考えたときに、そのくらいしか思いつかなかったという方が近い。変わり者好きのアルベルトが、あっちこっちから才能ある人材を集めてはみたものの、そういう人間の数はわずかだ。どんなに優秀な戦士も、軍隊にはかなわない。
しかも、アルベルト自身の手元に置いたり、各地の将軍に抜擢したり、市長に任じたり、少数部隊に混ぜるより適所のある人材も多い。結局、第三親衛隊に配属される人間というのは、組織に適合できないあぶれものばかり。大規模部隊たり得ない以上、与えられる職務は少数でこなせるものにしかならない。しかも、ほかの組織や部隊と連携しなくてもいいもの。となると、残っていたのが諜報活動くらいだった。
ところが、結論から言えばこれは正解だった。特に、見つけたばかりの面白人材だったエリスを隊長に据えたことは、魔王を大いに満足させた。エリスには特殊な記憶力が備わっていた。幼少の、ある時期からの記憶をすべて保持していた。何一つ欠けることなく、すべてを思い出すことができた。
そのため、エリスは目標の文書を入手する必要がなかった。謀反や暗殺の計画、横領や過剰徴収の帳簿など。犯罪や陰謀の資料を奪取するまでもなく、すべてを見ただけで手に入れることができた。このことは、証拠資料が持ち運びできないもの、取り出せないものの場合には特に重要だった。
そうでなくとも、重要文書を見つけ出すには時間もかかる。すべてを持ち出すには荷物が多くなりすぎるし、書き写すような時間はない。重要さの判断を後回しにし、手当たり次第にすべてを視認するだけでいい。必要な情報は、後で思い出しながらゆっくり確認すればすむ。
問題があるとすれば、エリスが嘘をつく可能性があったことだが、アルベルトはエリスを信用した。エリスもまた、自分の能力が、自分の正直さによってしか保証されないことを理解している。主君に対して、嘘だけはつかないと決めていた。
しかし、アルベルトは最初からエリスの記憶力を、そのような形で活用しようと考えていたわけではない。エリスを隊長に指名はしたが、具体的にどのように活動するのかには口は出していない。隊長自ら最前線に出て、単独潜入という危険を冒すことを選んだのは、エリス自身だった。
エリスがアルベルトの幕下に加わる前に、似たような経験をしていたからというのもある。隊長としてのエリスは、最も危険な仕事を一人で遂行する、荒くれ者達の指導者としては最高の適性を持っていた。それでいて抜けているところもあり、配下の者達も、自分が頑張らねばという気持ちを呼び起こされる。
第三親衛隊は隊長エリスを中心として、無法者の集団とは思えないほどに統率がとれるようになっていった。
しかし。しかしである。
第三親衛隊は長い間、致命的な問題点を抱え続けてきた。組織としてはエリスが完成させたが、活動の仕方に無駄が多すぎた。忍び込んではみたものの、逃げ出すことができなくなったこともある。重要書類があると思って潜入したけど、目的のものは隣の屋敷でしたということもあった。
そう。なんと第三親衛隊には、ノウキンしかいなかったのである。これはアルベルトの失態だった。錠前破りの達人、ものすごく目のいい密猟師、怪力の殺し屋や、スリの天才など。手当たり次第に第三親衛隊に放り込んでみたが、頭の回る人材が一人もいなかった。
救世主となったのが、若き参謀アルステイルだった。出身地は不明で、西の方としか明らかにされていないが、第三親衛隊では身元も出身も関知しないことになっている。ある日アルベルトが彼を連れてきてくれたおかげで、部隊は生まれ変わった。
事前調査を重視し、隊長、隊員ともに無駄な危険を冒さずにすむようになった。第一段階としてアルベルト直属だったブランデルン密偵部隊から技術講習を受け、後にアルベルトの了解を得て吸収した。おかげで、諜報員としての基礎を受け継ぐことができた。
王国諜報部の元締めとしての地位が確立できたのは、参謀のおかげと言っても過言ではない。
だからエリスもアルステイルに対しては特別な敬意を持ち、「参謀君」と呼んでいつも助言を求めるようになっていた。
「でさー、私しばらく西にいることになったから、本部のことよろしく」
「承知いたしました。隊長殿の本陣はランカプールの宿がよろしいでしょう」
「エルティールじゃなくて? たぶん、入り込むならそっちだと思うけど」
「ランカプールの方が人口が多いですから。人を隠すには人の中と申します」
「じゃあそうする」
エリスは城から戻ってすぐ、今後のことを打ち合わせるために参謀と相談していた。第三親衛隊の本部は、ロムリア皇帝の居城からは、しばし外れた旧兵舎にあった。頑丈ではあるが簡素な建物で、親衛隊本部という言葉からは思い浮かばないような、殺風景な敷地だった。
野外訓練場に、様々な物資保管庫、資料室と隊長執務室、隊員宿舎に大広間。後は厨房や厠などの生活に必要な部屋があるくらいだ。地下には小さな牢獄もあるが、そこに長く収容することはない。だいたいすぐに取り調べは終わり、その後は城に移される。
食事や休憩、サボりなど、任務や訓練に出ていないほとんどの隊員達は、大広間でのんびりするか、街をうろついている。特に通常勤務の日程が決められているわけでもなく、それぞれが与えられた仕事をそれなりにこなしていた。
多くの隊員達が行き交う大広間で、個人用の席というのが二つだけある。一つはエリスのものであり、もう一つが参謀アルステイルのものだった。当初は参謀の特別扱いに反感を抱く者もいたが、今ではその席は、ノウキン達の何でも相談所として賑わう場所だった。
謁見の後ではよく、エリスが参謀の机に腰掛ける姿が見られる。そこでエリスは魔王に言われた小言の数々や、よくわからない言い回しなどについて話し合う。ただし、報告書には触れなかった。それについて助言を求めても、期待した答えが返ってくるわけがないからだ。
「エルティール伯が野心家じゃなかったら、大事になるかもってどういうことだろう?」
「野心家であれば、問題は大きくならなそうだからじゃないですか」
参謀はすぐに答えてくれたが、エリスにはその意味がわからなかった。なぜ、伯爵が野心家だと問題が小さくなるのか。エリスは頭のいいふりをする気がなかったので、率直に尋ねた。
「なんで?」
「現状から考えれば、エルティール伯は暗殺されています」
「そりゃそうだろうね」
「野心の強い人間を暗殺するのは、さらに強い野心を持つ者か、あるいは、それほど強い野心を持たない者です」
そういうものだろうか、とエリスは疑問に思ったが、ひとまず話を聞いてみる。
「伯を暗殺したのが、さらに強い野心を持つ人物だったとすれば、その理由は二つです。陰謀の露見を恐れて証人を消し去ったか、計画続行のために排除したか。普通に考えれば、計画を続ける気があるのなら伯爵を手にかけることはありません。大それた野望に積極的に荷担してくれる、地位の高い人物は貴重ですから」
「じゃあ、伯を殺したのはそれ以上の悪巧みをやめるから?」
「十分考えられることです。証人になる人物を消し去り、それで手仕舞い。もうこの計画は中止しよう、という可能性は高いでしょう」
「伯が野心家じゃない場合は?」
参謀はあごに手を当てて話を進める。
「エルティール伯が陰謀の全体像を把握しており、かつ、不安を抱いていたとすれば、伯としては計画の中止を望んでいたかもしれません。しかし相手の立場が上のため、聞き入れてもらえない。不本意ながら陰謀に荷担したが、案の定我々の追跡を受けてしまう。そこでとった隠蔽工作は、とても稚拙なものでした。ということは」
エリスがうなずき、ここまでの流れを理解していることを確かめてから結論を語った。
「伯の隠蔽工作は、わざと計画を露見させ、捜査を呼び込むことによって中止に追い込もうとしたか、慌てて対処したせいで上に見限られたか、ということになります。この場合でも計画が中止された可能性がありますが、だとすれば伯の死亡が報告されないのは奇妙ですね」
陰謀を中止するなら、何事もなかったかのように普通の対応をすべきだろう。不審死を調べられることはあるかもしれないが、不審な行動を続けるよりましなはずだ。ということは、中止していないということになる。しかし、エリスは一つの疑問を思いついた。
「でもそれだったら、伯が野心家だったとしても、計画を断念した場合は報告が来るはずじゃないの?」
「そうですね。もし、計画をやめる気もないのに伯爵を暗殺したとすれば、事は重大です」
さすがにあり得ないことのように思われた。アルベルトといえども、そこまで事態が悪化していることは想定していなかった。
「その場合、伯爵が貴重な協力者ではなかったことになります。つまり、同じくらい力のある仲間が他にもいるということです」
伯爵を暗殺することができ、伯爵級の仲間を何人も持つ人物。しかも、現地に駐留している王子達にもその動静をつかませない人物。
「そんなやついるの?」
「いないんじゃないですか?」
「え、と、そうするとどうなるの? 伯が野心家の場合・・・?」
参謀は軽く頷いた。
「計画を取りやめ、証人であるエルティール伯を暗殺して終わりにしたにしては、死亡報告がないのがおかしい。計画が生きているにしては、伯爵ほどの人物を消してしまうのも不自然だ。つまり、いずれにせよ、伯爵以上の野心を持つ者によって殺されたと考えるのは、辻褄が合わないことになります」
「だから、伯よりも野心の弱い人間に殺されたと?」
「そういうことになります。隠謀が危険すぎたので、誰かが阻止したのでしょう」
「なんで死亡の連絡来ないの?」
「阻止した側に、その権限がないのかもしれません。伯に野心がないなら、計画の首謀者は伯より上の人間になりますが、伯自身の野望なら、頼れる家来もいなかったのでしょう。実働部隊との打ち合わせを、自分でやってるくらいですから。今頃エルティール城内は、どうしたらいいのか頭を抱えてるんですよ」
そこまで聞いて、エリスとしても伯爵の独断専行であることに期待したくなった。伯爵が悪いことをしようとして、家臣が阻止した。それで終わってくれるのが一番だ。
だが、そうはならないだろうという予感もあった。最高権力者の一族に妃を出したエルティール家が、どうしてそんな危険を冒すのだろうという問いが未解決だったからだ。それについては、参謀も答えを出せなかった。
その晩、エリス達は何台かの馬車に分かれ、西に向かった。