3-7 「私に聞くな。そして見るな」
がら空きの馬車。いつもは一台の馬車に十人ほどが乗り込むが、このときの乗員は半分だった。御者はルキウスが務める。マリーは息を鋭く吐きながら奥の席を指さした。
「あんたの席はあそこ。絶対にこっちに近寄らないこと」
「そんな事言わないでさぁ、マリーお嬢もいい加減誤解をといてくれよぉ」
「ロリコンがロリコンなのは誤解じゃない。絶対にこっちくんな」
「怪力君、ロリコン君をしっかり見張るように」
「お、おぅ」
ロリコン戦士初の出動だけに、ちょっとしたごたごたもあった。今回の馬車は三頭引きだ。いつもは二頭だが、余っている馬車から一頭こちらに移した。個々に騎乗して向かう方が早そうではあるが、どうしても装備が心細くなる。急な襲撃を迎え撃つためのクロスボウや、行商を装うための物資まで考えると、やはり馬車になる。
状況の変化が読み切れず、何があるか分からない、目的地に無事にたどり着けるかどうかすら心配ではあったが、道中の妨害はなかった。
ロンダリア東部の町に入ったのは夕方過ぎだった。町の門は閉ざされ、商人として入れてもらうには間に合わなかった。衛兵に少しばかり握らせると、隊長との面会を取り付ける。他言無用と念を押した上で身分を明かす。すぐには信じてもらえない。しばし詰め所に勾留された後、領主の代理人が訪れ、やっと身分証が本物であることが認められた。
緊急かつ極秘の任務中のため、一切の機密をもらさないようにきつく言いつける。すでに作戦失敗も考えられる。もし領主と神殿がつながっていれば、すぐに情報が伝達され、王子の逃走を早めてしまうだろう。だが、抗戦ではなく逃走を選んでいる第二王子が、わざわざ貴族と連絡を取り合うとは考えにくい。
目的の神殿への道のりを確認し、エリス達は郊外へと馬車を走らせた。
薄い雲がかかる、満月の夜だった。日は落ちても、野外で行動するのに大きな支障はない。それだけに、神殿への接近も気づかれやすいことになる。
林の陰で馬車を止めた。木にロープをくくりつけておく。今回は御者を残しておくほど人数に余裕がない。勝手に走り出してしまわなければいいが。
木陰から神殿を窺うと、見張りが立っている様子はなかった。石造りの円柱が建ち並ぶ神殿は、森の中で静かに息を潜めている。木を伝って、神殿に近寄る。
「人の気配はしないね。怪力君とロリコン君はここで待機。マリーとルキウスはもうちょっとついてきて」
ロリコンだけ重武装のため、どうしても鎧の音が大きい。これ以上の接近は危険と判断した。
三人で神殿の柱の陰に入る。辺りを窺うが、まだ誰も見かけない。この規模の神殿であれば、宿直がいるはずだ。町から通う者だけでなく、神殿で寝泊まりする人間も必ずいる。田舎町だからというのはあるにしても、ここまで人気がないものだろうか。
神を祀る本堂の両脇には、大きな建物がある。一つが住居で、もう一つは劇場らしい。ヴィルヘルムがいるなら普通は住居だ。神殿とは違い木造で、さほど立派な造りとも言えない。
「マリー、合流しやすい地点まで、二人を前進させて。私はすこし様子を探ってくるから、ルキウスはここで待機」
マリーは頷き、静かに後退する。
エリスは住居の角で身をかがめ、忍び込めそうな入り口を探す。開け放たれているように見える窓はない。音を立てないように慎重に裏に回ると、扉がある。これは、いつも通り開けることは可能だろう。
参謀は、公式任務として呼びかけろと言っていた。潜入すれば敵対者として戦いになる。今の人数でそれは危険だから、交渉で解決するべきだと。だが、漏れ出す明かり一つなく、屋内に誰かがいる様子もないこの状況でも、名乗りを上げるべきなのだろうか。
今はまだ真夜中というほどの頃合いではないはずだ。日付が変わるほど馬車を走らせたつもりはない。
建物をぐるりと一周してみるが、人の気配はしなかった。使われていない神殿なのかというような静けさだ。だが、衛兵や官吏に尋ねた限り、ここは今も神官の住む神殿だと言っていた。
一度、マリーとルキウスのところに戻る。
「どうだった」
「人の気配がしない。もうみんな寝てるのかな。入り込めそうなのは、正面玄関と裏口だけ」
「神官は規則正しいから、寝ちゃうのかもね」
「でも、私の知ってる神官は、ランプの明かりで本を読むような人種なんだけどな」
弱い明かりだから外に漏れてこないだけかもしれない。
「もしここに第二王子がいるのなら、いくら何でもこの静けさはおかしいよね」
「そうだろうな。ガセだったんじゃないか?」
「そう考えるべきかもね。だとすると、偽手紙を持ってきたあいつが今頃何か動いているのかも」
任務として門をたたき、神官を起こして事情を聴取するべきか。それとも、気づかれないように忍び込み、異常なしを確認して帰還するべきか。
エリスは後者を選んだ。
「誰にも気づかれずに撤収できそうだし、ちょっとだけ内部を確認して戻ってくる」
「気をつけろよ。簡単な仕事のつもりで動くと、おまえいつもへまするからな」
「いつもなんかしてない」
エリスは裏口に回り、聞き耳を立て、鍵を開けた。そっと忍び込み、カンテラの金属板をずらす。だいたいこういう所は勝手口になっている。やはり、食材を並べる棚が一瞬だけ照らされた。
瞬間、エリスが息をのむ。再び暗闇に支配されたその場所に、人が倒れているのが見えたからだ。もう一度カンテラで室内を照らす。二人の神官が、背中と首から血を流し床に倒れていた。
エリスは背筋に寒いものを感じた。これは罠だ。目的は分からないが、何かしらの罠が仕掛けてある。しかし、このまま帰るわけにはいかなかった。あの手紙はエリス達を罠にかけるためのものだが、逆に言えば、ヴィルヘルムについての情報には真実みがある。
エリスは状況に確信を持つため、もう一部屋を調べてみることにした。台所の死体を放置して、ほかの者達が日常を送るはずはない。ならば、ほかの部屋でも何か異常があるはずだ。
隣の部屋では、上等な衣服を身につけた男達が死んでいた。テーブルには中身のこぼれたカップが三つ。死因は首を刃物で切り裂かれたこと。おそらくは毒を盛られた後、ナイフでとどめを刺された。
ついでにもう一つの扉を開けると、そこには神官と兵士の死体があった。
エリスはカンテラを灯したままに戻り、ベルナルド達を手招きした。誰もいなくなったという保証はないが、ここから先の探索には重戦士が必要だ。どのみち音で存在がばれるなら、忍ぶよりも堂々としておいた方がいい。公権力を傘に着れる。
四人には手短に状況を説明する。エリスは今度は正面玄関を開けた。戸締まりもされておらず、どの部屋にも死体が転がっていた。兵士と神官の死体がごろごろと。
結局全ての部屋を調べたが、生存者はいなかった。エリスはヴィルヘルムの顔を知らないが、それらしい立場の者は見当たらなかった。
「どういうことだこれ」
ベルナルドは、見開いたままの目を閉じさせてやっている。
「さあね。カップが完全に冷え切った感じはしない。そんなに経ってないんじゃないかな」
「王子様がここを引き払うために、証言しそうな人間の口を封じたって事?」
「そうかもしれないけど、これからの護衛はどうするつもりなのかなぁ。兵士は第二王子の配下じゃないの。神殿でこんなに兵士置いてると思えないけど」
ロリコンがハンマーに寄りかかりながら尋ねる。
「で、これからどうするんです? もう片方の建物は?」
「調べるしかないでしょ」、エリスは頷く。
「敵がいるんじゃないか?」
「もう、いないんじゃないかな。どう見ても相手は引き上げてる。この状態で立て籠もるとは思えない」
最後に調べた女中の部屋を後にして、エリス達は出口に向かう。
「問題はどの程度の距離を離されているのか。今から追いかければ間に合う可能性も考えると、もう一つの建物は無視してもいいんだけど・・・この人数を殺しきれる相手では、五人じゃ心細いよね」
「どっちに逃げたかも分からないしな」
「メイドの死体はなかった。まさか神殿にメイドはいないだろうから、さっきのは第二王子のお付きの部屋でしょ。それだけの人数を乗せられる馬車が用意できたのかどうかも怪しい。徒歩で逃げてる可能性も高いんだけど」
いつも通りに二十人程度用意できていてれば、足跡や車輪の痕跡を辿って追いかけてみてもよかった。
「今回は現場調査だけして、足取りは後で追いかける。とにかく、やっと動きをつかめたんだから、この情報を無駄にしないように」
神殿の柱の陰に四人を潜ませ、エリスは劇場の壁を調べた。頑丈な石造りのホールになっているようだ。正面入り口以外には扉もなく、窓もない。ただ一つある、正面の大扉を開ける事でのみ、光と空気が入り込めるような作りに見える。
夏と冬には使われない劇場というのも納得だ。冬に扉を開け放っては寒いし、夏は熱した空気が籠もって息苦しいだろう。
力一杯に扉を引っ張り、ゆっくりと、厳かな音を立てて鉄の扉が開け放たれた。エリスは扉の陰に屈み、そっと内部の様子を窺う。入ってすぐ、そこはもう観客席のようだった。カンテラの光が、重厚な長椅子の背を映し出す。
「なんかいるな・・・」
ずっと奥の方、劇場のステージの上だろう、机の上にランプが置かれている。淡い光に照らされて、誰かが椅子に座っているのが見える。見た限りでは一人だけ。それも、細身の、おそらくは年若い少年が一人。
ヴィルヘルムではない。三十代の風貌ではない。では、子供が一人で何をしているのか? いたずらか? 劇場に侵入して、一人で探検ごっこ?
エリスは入り口に立った。扉を開けた音で、どうせ侵入はばれている。隠れていても仕方ないだろう。
「第三親衛隊である! 捜査に協力してもらいたい! これは帝国宰相アル・・・」
エリスの目が、両端の異常を捉えた。たいまつが振り上げられ、左右の角に備え付けられたかがり火に火が灯された。炎が伏兵の姿を明らかにするよりも前に、エリスは後ろに飛び退き、鉄の扉を盾に身を隠す。すぐにルキウス達を呼び寄せ、自分の後ろに待機させた。
「マリー、周辺の警戒を。囲まれている可能性がある」
「ちょっと、逃げた方がいいんじゃないの!」
「逃げられそうならそうするけどね」
劇場の中からは笑い声が聞こえる。少年らしい、軽い声ではない。どこかの悪者の、芝居がかった哄笑だった。こんな笑い方をする人間が実在するんだなと、そんな気分になるような。
「中にどのくらいいるんだ」
ロリコンはいつでも突入できる体勢を取っている。この部隊には相応しい肝の据わり方だ。
「分からない。見えたのは男の子一人だけ。たぶん、この笑い声の主。あと最低でも二人。劇場の両脇に展開してる。ここで籠もって迎え撃つ気なら、三人だけって事はないでしょ」
「どうするんだ。乗り込むのか? 三方向同時に相手できる戦力じゃないぞ」
最優先目標は撤退だった。相手が何を考えてここに籠城したのかは分からないが、一度退いて監視を継続し、援軍を待つのが得策だろう。しかし、その必要がない事を相手の方から教えてくれた。
「さあ! どうした! 諸君! 劇を始めようじゃあないか! ここが僕の最後の舞台だ! 最初で最後のね! 一緒に踊ろう! そして楽しもう! 君たちと僕だけで!」
声は若い。声変わりはしているが、それでも幼い感じのする高めの声だった。発声は悪くない。威厳はないが、勇気にあふれた、臆病さをかけらも持たない勇者の言葉だった。だが、どこか違和感がある。どうしてこんなに芝居がかっているのか?
どんなやつが中にいるのかと、ロリコンとベルナルドが中を覗き込む。椅子に寄りかかりながら高らかに笑い上げている、金髪の少年一人しか見えなかった。
「どう?」
「子供が一人いるだけだな。中に入らないと、両脇までは確認できん」
「あの子がむちゃくちゃ強い戦士って事、あると思う?」
「とてもそうは見えねえけどなあ」
ごく少数で王子達が逃走する時間稼ぎをするとなれば、かなりの手練れのはずだ。最後の舞台と言い切っているからには、死ぬ覚悟も出来ているのだろう。決死の勇者を相手に不利な戦いをするのは、いくら何でも無謀というものだ。
「でもあいつ、さっき『君たちと僕だけで』って言わなかったか? 何で、君たちと僕たちで、じゃないんだ?」
「そんなの言葉の綾でしょ。間違いなくあと二人はいる。たぶん自分が大将で、あとは自分の部下だから、自分だけで戦うつもりでいるんじゃないの」
「どうしたんだ! はやく入って来なよ! 夜は無限じゃないんだ! 終わっちゃうじゃないか! つまらないだろう! 僕一人がそんなに怖いのかい!」
エリスが咳払いをする。
「罠。絶対罠。この状況で時間稼ぎするなら、実際より多く見せる方が得だもん。何考えてるのか知らないけど、時間稼ぎじゃなくて、うちらを殲滅したいみたいだね」
「でもよぉ、あのしゃべり方とか聞いてると、あんまり頭良さそうに聞こえねえんだよな。実は、ただの馬鹿なんじゃねえの?」
「そんなやついないって。ありえないから」
言いながらも、エリス自身なにか不自然なものを感じていた。実際に二本のたいまつが、かがり火に投げ込まれるのを見ていながら、言葉が嘘じゃない気がしてくる。そういえば、たいまつを持った人間の姿は見えなかった。とっさに飛び退いたせいではない。エリスの記憶を辿っても、その時視界には誰も入っていなかった。
突然、笑い声が収まった。耳を澄ますと、咳が聞こえた。そして今度は、あまり覇気のない声で呼びかけられた。
「あのさ、そこ、閉めてくれる? 攻めてくる気になったら開けていいから」
眉をひそめ、顔を見合わせた後、ベルナルドが扉を閉めた。
「撤退するなら、出来るんじゃない?」
「必要があれば撤退するんだけどさ・・・なんか、そうする必要性を感じなくなったというか」
マリーの提案に、エリスが渋い顔をする。
「あれ、実はただの頭のおかしいやつじゃないのか? 第二王子とは何の関係もない、町の住人って可能性も」
「そんなわけないでしょ。このタイミングで、偶然無関係の痛い子供と遭遇するとか、できすぎでしょ」
攻めるか退くか、意見はなかなかまとまらなかった。攻めるには勝てる保証がなく、逃げるには負ける保証がなかった。
「さっき、両脇で急にかがり火が灯った。たいまつを持ったやつが二人いるのは間違いないはずなんだけど、それはともかく、ほっといたら倒れないかな」
「倒れる?」
「密閉された空間で火を燃やし続けると、中にいる人間が倒れるって読んだ事がある」
「密閉されてるのか?」
「入り口はこの扉だけ。後は全面石造りで隙間なし」
「何でそんな過ごしにくい劇場なんだ?」
「私に聞かれても」
採光用の窓すらないから、点在させたかがり火で明かりにしようというのだろう。そこまで話して、やっとエリスも気がついた。
「あ。あぁ、そういうことか。そういうことなのかな」
何か合点がいったようだが、確信が持てずにいる。
「なんだ」
「ここ、脱出経路じゃないかな」
「ん?」
「お城とかにある、秘密の抜け道。この劇場が最後の砦で、地下に潜り、森のどこかに抜け出せるとか」
「そんなのおとぎ話じゃないのか」
「あるところにはあるんだよ」
「エルティールの城に、そんなものがあるとは聞いた事ありませんがね」
「全てのお城にあるわけじゃないし」
事実はさておき、そう考えれば辻褄は合った。ヴィルヘルムがどうしてこの神殿に身を隠したのか。いざというときの脱出が可能だから。どうして少年が居残りしているのか。脱出のための時間を稼ぐため。
とすればやはり、敵は一人ではないはずだろう。
「たぶんあいつら、こちらを外で仕留められるほどの戦力はないんだと思う。いても数人って事じゃないかな。両脇に伏せてる敵は遠距離攻撃だろうから、まずマリーが応戦して、その間に全体の状況を確認するのはどうかな」
「それで、無理そうだったら逃げる?」
「そう、そんな感じ」
「ならいいけど」
深呼吸をして、全員が戦闘態勢を取る。ベルナルドが扉を開け、まずはマリーが突入して左手に弓を向けた。誰もいない。かがり火は燃えているが、人影はない。長椅子の影から誰かが出てくる事もない。
「やっと来たか! 待ちくたびれたよ! さあ僕を楽しませてくれ!」
少年は立ち上がり、両腕を高く掲げた。だが、マリーが腰に下げたカンテラにめがけて、何かが飛来する事もなかった。
マリーは背中側にも矢を向けたが、そちらも様子は一緒だった。
「何をしてるんだ。僕はここだ! そっちじゃないよ!」
マリーは弓を下ろし、後ろを振り返る。髪の毛をいじりながら、エリスも劇場に入った。確かに、他の人の気配はしなかった。
「あのさ、あんたここで何してんの?」
あきれた様子で、少年に語りかけるが、返事はない。
「おい小僧! おまえここで何やってんのかって聞いてんだよ!」
ベルナルドが怒鳴ると、今度は反応があった。
「ああ! 貴様誰に向かって口を利いている! 僕を誰だと思っているんだ!」
「知らねえよ! 誰だよ!」
「ああもう! おしゃべりなんかいいから、早くかかってこい!」
よくよく見れば、少年は丸腰のようだった。鎧を身につけていないどころか、剣も手にしていない。仕立ての上等な服を着た、どこかの貴族の子弟にしか見えない。
エリスが少年を指さすと、ベルナルドは黙って頷き、劇場の中央通路を歩き始めた。その瞬間、すぐ横の長椅子が持ち上がり、ベルナルドに飛びかかる。
あっけにとられ回避の遅れたベルナルドは、右腕で受け止め、すぐに後退した。痛みを堪えて押さえつけている。
「ロリコン君、扉の確保! 閉じ込められないように!」
体格には似つかわしくない機敏さで、扉を支えに戻る。
「そうか。扉を閉めちゃえば逃げられないのか。その手もあったな」
少年のつぶやきは、エリス達には届いていない。
何が起きているのか分からないが、とにかく敵がいるらしい。交戦する意思はなかったが、安全が確認できない以上仕方ない。マリーに射撃を命じた。出来れば殺さないようにと。
「私に狙撃しろって、それは無理でしょー」
軽口をたたきながらも、赤頭巾が狙いを絞る。ふっと、浮かび上がった長椅子が、射線を遮った。
「こんなことってあるんだ・・・」
エリスは、ふわふわと浮かんでいる長椅子を見上げていた。
「怪力君、ロリコン君と交代。ルキウス達は右手から突入。私とマリーで左から攻める」
「すまねえ姉御」
ベルナルドは、早々に戦闘力を失った事を詫びた。技と力の戦士達が劇場右手を走り出す。次々と襲い来る長椅子の全てをかわしきる事が出来ない。身を伏せやり過ごすルキウスと、やけくそになりながらハンマーで撃ち返すロリコン。
一方左に回ったマリーとエリスは、長椅子に阻まれて進めない。壁のように妨害されて、弓も投げナイフも遮られた。
少年はずっと男達の方に顔を向け、まずそちらにとどめを刺そうとしている。注意を引くくらいしなければならないと、エリスは長椅子の上に立ち、そこから射撃を試みる。しかし、一瞥すらせずに次の長椅子を送り込まれた。
「エリス、下がろう」
「でも、あいつを止めないと」
「ルキウス達を下げて」
「わかった」
エリスは退却命令を出した。逃げ出した男達を、それ以上執拗には追いかけてこない。天井に向けて高笑いを上げている少年を睨みながら、エリス達も引き上げた。
状況は撤収を促していた。どう見ても普通の人間ではない。こんなことが出来るのは、本物の魔術師だけだ。特殊な人間の集まりの第三親衛隊でも、初めての経験だった。
「これ、おーさまにどうやって報告すればいいんだろう。さすがに信じてもらえないと思う」
「本人連れていけば信じてくれるでしょ」
「どうやって連れてくの。あんなの捕まえられないよ」
「いける。弱点見つけた」
一番退却に賛成していたマリーが、エリスの腕を引っ張り、神官達の住居へ向かう。
「どこいくの」
「いいから。ルキウスはここで待ってて。ベルナルドは、馬車に戻って包帯を」
「まだ大丈夫だ。戦うなら、終わってからでいい」
「もう戦わないよ」
意味の分かっていない仲間達を置き去りにして、エリスを女中の部屋まで連れて行った。殺人事件の起きていない、数少ない綺麗な部屋。宝石類の小さな貴重品は持ち出したと見える。が、衣服はそのままに残されていた。
そしてマリーは、さぁこれを着て、と黒い服を差し出した。
「は?」
頭でもおかしくなってしまったのかと心配するエリスに、次々と女中の衣装を渡していく。
「その上にでもいいから、とにかくそれ着るの」
「マリー? 大丈夫?」
「いいから、ベルナルドが手当てできないでしょ」
貴族の令嬢用のドレスを身につけた事はあるエリスだが、さすがに女中の格好をした事はなかった。いや、そういえばもっと地味な服装だったが、一度だけあった。戸惑いながらも袖を通す。
「あの、これ着せてどうしたいの? マリーときどき変な趣味あるけど、死ぬ前の記念とかやめてね?」
「あいつ、こっち見なかった」
「さっきの?」
マリーは頷くと、エリスの頭が痛くなる話をした。
「あいつ絶対免疫ないよ。最初にエリスが話しかけたときも反応がなかった。ベルナルドには返事をした。男達は攻撃したけど、私にもエリスにも危害は加えてない。その上、何をしてもこっちを見ようともしない」
つまり、かわいい格好をして正面に立てば、きっと攻撃してこないというのだ。
「あれはロリコンとは違うタイプ。ロリコンは近づこうとする犯罪者タイプだけど、あいつはもじもじして隠れちゃう系」
聞いていて馬鹿らしくなってくるが、可能ならこの場で捕らえたい。そうしないと報告のしようがない。
仕方がないので着てやった。黒を基調として、所々に白い線が入っている。長衣の上から着たのでごわごわするが、そこは仕方ないだろう。どうせ薄暗いし、目立ちはしない。
「これも」
頭飾りも渡された。ロンダリアの女中の衣装はこうなんだろうか。
「よし。完璧」
マリーは満足そうに頷くと、衣服のずれなどを直し、先に立って歩いた。エリスは足を止める。
「あの、これ、ちょっとは、はず」
「任務のためだよエリス。仕事だから仕方ない」
「効果がなかったら、ただじゃすまさないからね」
「大丈夫」
マリーに連れられ、劇場まで戻る。カンテラの明かりに照らされた姿を見て、男達が驚きを見せる。
「何してんだ、姉御?」
「私に聞くな。そして見るな」
「隊長さん、それ制服にしませんか」
「殺すぞ」
四人を扉の裏に潜ませ、息を整えてから、エリスは足を踏み出した。マリーのカンテラを手にしている。
性懲りもなくやってきたと、最初は高笑いが聞こえた。そして長椅子が宙を漂う。漂っている真下を、エリスはゆっくりと歩いて行った。
少年の顔はまっすぐに正面を向いているが、視線は明後日を見ていた。
「あのさぁ。無駄な殺しをしたくないっていう根性は立派だけど、あんたそんなご身分なの?」
いつも通り、第三親衛隊の隊長、魔女エリスとして語りかけた。陰から見守るマリーの拳が硬くなる。
「違うんだよなぁ、エリス。そうじゃないんだよなぁ」
演技指導もしておくんだったと後悔した。
だがそれでも少年は腹を立てる事もなく、ただじっとエリスが近づいてくるのを待った。近づくにつれ、顔が横を向いていく
ランプの置かれている机に片手を置くと、もう片方で懐のナイフを抜き放つ。
「さて、後ろに飛んでる椅子を私にぶつけるのと、私があんたを刺し殺すの、どっちが早いと思う?」
そっぽを向いたまま、少年が何かを口にした。聞き取れないのでもう一度尋ねる。
「・・・それでも、僕の方が強い・・・」
「え? 何? なんて言ったの?」
聞こえないふりして脅かすが、黙ってしまう。質問を変えた。ついでにうっとうしい頭飾りを外し、机の上に放る。少年の目がとても悲しそうだった。
「あんたは何でここにいるの? 第二王子はどこ?」
はっきり答えない少年の首筋にナイフを突きつけ、聞き取れるように答える事を命じた。
「ぼ、僕は王子様とベネディットを守るためにここにいる。これが、最後の僕の仕事なんだ」
「ベネディットも? で、その二人は今どこに?」
「どこかに逃げたはず」
「あんたを見捨てて?」
「見捨てられたわけじゃない。ただ、追っ手を止められるのが僕しかいなかったんだ」
少年の力がなんなのかには興味があったが、今は王子の足取りを突き止めるのが先決だった。
「ここに抜け道があるんでしょ? どこ? 死なない程度に痛めつけて吐かせることも出来るけど、したいわけじゃないんだよね」
少年はうつむき、視線だけ上げてエリスの目を見ると、さっとそらして背後を振り返った。
劇場の後部。ステージのさらに後ろ。一般の観衆は決して踏み込まないだろうそこに、絨毯が敷いてある。
「王子が脱出したのはいつ頃?」
「君らが接近しているという連絡が来てから」
「その連絡は誰がどこから?」
「知らないよそんなの」
エリスは絨毯の方に一歩進み、「もう抵抗しない?」と尋ねる。少年が頷くと、それを信じて背を向けた。絨毯をめくると、地下への階段がカモフラージュされていた。
その瞬間、重い音が響いた。劇場の通路に、いくつもの長椅子が横たわった。
「さて、じゃあ私たちは追跡を続けるけど、邪魔しないでね」
「しないよ。できないし」
エリスが首をかしげると、少年は椅子に座った。ランプに照らされた表情は、何かをやりきった人間のものに見える。
「もう、夜が明ける。それまで支えられれば僕の仕事は終わり。また当分、僕はただの引きこもりになるんだ」
確かに、今から追跡するとしても、追いつけるはずはない。痕跡を辿って、行き先を予想するのが精一杯だろう。
「当分?」
「僕の力は、満月の夜にしか現れないから」
戦う意思をなくしたから長椅子を下ろしたのではない。力が出なくなったから、勝手に落ちたのだと分かった。エリスはその細い首を掴むと、入り口まで引きずっていった。
地下へ向かう前にベルナルドに手当を施し、そして、みんなで少年に説教も施した。




