ぶどうの気持ち
下らない下らない下らないくだらない。とかくくだらなくてしょうがない。僕はもう食われてしまうのに、なぜ僕はこれ以上我が身を熟れさせなければいけないのか。なぜ我が皮をもっと黒く塗らなければならぬのか。どうせ食われれば一緒なのに、食われたあとのことなど、果ては口に入ってしまえば僕たちのその生涯に意味などなくなるというのに、なぜ僕は頑張らなくてはいけないのか。努力に耐えなければならぬのか。
もう一度、朝が来れば僕は他の粒と一緒に収穫され、一つの房として梱包されて出荷されるだろう。その時点で僕は他の粒と同じのみなされ、one of themと成り下がる。こんなに頑張っているというのに、こんなに黒く熟れて甘くなったというのに、なぜ食うものにはそれが分からぬというのだろう。
僕が受けるべく正当な扱いはまず幾星と名高いレストランに出荷される。そこでは丁重に梱包から取り出されて、ゴミみたいな粒と僕と同じように努力に耐えた粒と選別される。そこから氷水で冷やされ、職人の手により一皮一皮ゆっくりと剥かれていく。そして煌びやかな彩りの中で添えられた僕らは訓練されたホールによりドレスアップされた麗人のもとへ運ばれる。ああ、なんと甘美な瞬間だろうか。食われるという事がなんと美しく描写されるのだろうか。1つ1つの刹那が僕を映えされるような絵となる。
けれどくだらないことはやはりくだらなくて、僕は汚い手で何を食っても変わらぬようなバカ共に貪られるのだろう。努力に耐えている時は収穫の朝がこんなにも憂鬱で絶望しかないものだと知らなかったのに。知っていたのならもっと他のものと同じように太陽の光全身に浴びて何も考えずに生きていただろうに。