粘液製菓
スライム社長は悩んでいた。
「会社を始めたのは良いものの、名刺をどのようなデザインにしたらいいだろうか」
緑色のゼリー状の物体が、壊れた椅子の上で流動している。スライム社長は数日前にグミやムース、ケーキを製造販売する会社を設立した。『色素九十パーセント』を売りにして、菓子は彼の体色のようにどきつい色にするつもりだ。
ゆくゆくはマンモス企業となり、怪物市場の大部分を極彩色にしたい。だが、経営方針が固まっていても、他社とお近づきになるには名刺が必要になってくる。
「最近のものは個性的ですからねぇ」
秘書のゾンビ婦人が腐臭を漂わせながらやってきて、真紫色の飲み物を差し出した。社長はそれを丸呑みしながら呟いた。
「そう。名刺は一種のステータスとなっている。噂によるとヴァンピール会社の名刺は血液に浸してあるらしいぞ。あと、東方の玄武米製菓会社は本物の甲羅に文字が刻んであると聞いた。重くて分厚い名刺だね」
「北方のニク製菓会社は鱗型だったと思いますわ。ドラゴン社長です。以前、工場見学の際に頂いたかと。少々お待ちください。確か、この辺りに……」
ゾンビ秘書は傷だらけで歪んだ机の引き出しを開け、何かを引っ張り出した。
「ありました。まぁ、綺麗」
手には円形で湾曲した名刺が乗っている。光沢感があって見事な虹色をしており、そこに会社の様々な情報が記されていた。スライム社長は乗っかるようにしてそれを見た。
「むむぅ。見事だな」
「そうです。ヒトの皮膚で作ってみてはいかがですか? 強度もハリもありそうですし。色をカラフルに塗り分ければ、魅力的な名刺になると思いますわ」
彼女の提案に社長はしばらく椅子に収まっていたが、軟体の身体を横に振った。
「いいや。それでは我が社の象徴として弱すぎる。名刺は自らの分身であれ。私はどこかでそれを聞いた」
身体を震わせ、彼はぺちっと椅子を叩いた。
「ややっ、良いことを思いついた。これは素晴らしい名刺となるぞ!」
社長は骨がむき出しになった秘書の腕を触り、アイデアを囁く。彼女はくぼんだ目を輝かせて緑色の粘液体に抱きついた。
後日、スライム社長は日本の神社製菓会社へおもむいていた。そこは極彩色とは正反対の淡い配色の和菓子という製品を作っていた。
植物を編んで作った敷物の上へ座り、社長は天狗社長と向き合った。赤く厳つい面相に、突き出ている長い鼻。礼儀正しくとも、何処か食えない印象がある。天狗社長は自己紹介をしながら、名刺を差し出した。
それは赤い面型だった。鋭い目に長い鼻が付いた名刺は金粉が散らされており、流麗な漢字が印字されている。上品で洗練された一品だ。スライム社長は感嘆の声を上げた。
「おお、なんと見事な!」
「煌びやかに控えめに、がモットーですから」
薄ら笑いを浮かべる天狗社長。
スライム社長は勿体ぶった態度で自らの一部を細長くし、ちぎった。丁寧に広げ、薄くすると慇懃にそれを差し出した。
「これが名刺になります。どうぞ、よろしく」
天狗社長はあんぐりとして、手元の名刺を見た。会社名もなければ社長名、連絡先、概要もない。ただの緑色の粘液物。天狗社長は無言でそれを受け取り、嫌そうに机に置いた。その後幾らか事業の話をしたものの契約には繋がらず、企業間の会合は終了した。
それでもスライム社長は嬉しそうに弾んで帰社し、秘書の「上手くいきましたか?」という問いかけにもこう返した。
「ああ、大成功だ。どんどん次へ行こう!」
それから数年後。天狗社長は苛々と会社内を歩いていた。ここ最近、売上が右下がりで芳しくない。
「社長、粘液製菓会社が市場を独占状態です」
営業部長の赤鬼が悔しそうに歯軋りした。唸りで返事し、社長はリストを忌々しげに見やる。そこは弱小企業だとみなし、名刺交換以来、無縁になっていた。それが今や他社を吸収し、一大企業となっている。食品系企業で知らない者は最早いないだろう。取引せずにいるのは、もう限界かもしれない。
「契約を考える。名刺を出せ」
赤鬼は机の引き出しを開け、隅にあった緑色の塊を気持ち悪そうに持ち上げた。
「あの、これですか……?」
社長は相手を小馬鹿にしたような物体に怒りが込み上げてきて、それを奪って床に叩き付けようとした。その時、名刺は手に纏わりついてきた。握手をするように。緑色の名刺はうごめきながら流暢に喋った。
「ありがとうございます。粘液製菓会社です。さて、ご契約のお話はいかがですかな?」